小説『ケイローン奇譚』宇宙シリーズ【外伝】――いて座

2015年10月27日

 ニハルからの吉報はMBH通信によって、すぐさまヒドラとアルナブに伝えられた。
 アルナブは無理に無理を重ね、超次元を突き進み、火星に近い地点で通信を受け、ヒドラは海王星まであと一週間というところで知らせを耳にした。
「ニハルめ、早まりおったな。手を抜くということを知らんようだ。いや、手は抜かなくともよかった。連絡を遅らせれば良かったのだが……それが若さというものかもしれんな」
 戦闘の早期終結はヒドラの予想通りだった。だがそれは、彼の計画を実行にうつす決意を揺るぎないものにした。艦内放送の回線を開かせたヒドラは、総員退去の命令をくだした。救命ポッドが足りないことなど承知のうえだったが、
「定員の限度を無視して乗りこめ!」
 と指示した。
 海王星まで一週間の距離。救助信号は確実に届く。なんとか生き残れるだろうとの結論であり、強引といえたが、この際やむを得なかった。
 彼はもう犠牲も道連れも必要としていなかったのだ。
 こうして、ヒドラは急速凱旋のために、超高速航行で超次元へと跳躍した。
 すでに彼の実の両親である、ペールとメールから確認はとってあった。永遠に生きることを望まない、それが彼らの意思だった。
 人影のなくなった艦橋で、ヒドラは一人背凭れに身をあずけ、自室から運んできた小さな写真立てに納まる、トゥラキアの遺影を見つめていた。
「俺はこれまで勝てない賭けなどしてきたつもりはない。だがそうしたことが必要なときもある。あなたが生きることに賭けたことを今は信じられる。……アルナブの報告を待ってやれないのは心残りだが、これでいいんだ、あいつはきっと俺のしようとしていることを止めるだろうから……」
 <ケイローン>の速度はすでに3.0ライハを超え、さらに加速していた。超光速航行システムのコアに居座った共鳴が強まっていた。
 そのころアルナブはDOXA最高副議長、ユピテールとの通信に成功していた。
「虫のいい依頼であることは百も承知のうえです、ですが検討願えませんか」
 長い黒緑色のカーリーヘアを無造作に束ねた、白皙のユピテールは赤い瞳をいからせていた。
「こちらからの接触を無下に蹴っておいて、困ったからお願いしますといえるその根性が気に入らないわ。一体何度アプローチしたと思って?」
「…………」
「いいこと? あたしたちは核の放射能を何度も浴びせられたのよ! わかってるの!……それだけじゃないわ……女も子どももたくさん死んだのよ、いや、男も死んだわ、老人もよ。というか、老いさき短い老人を殺してどうするのよ!? 無慈悲だわ! 何より許せないのは、男女比がおかしくなって、女たちは男漁りにてんてこまいなことよ! たまったものじゃないわ、誰も彼も目を皿のようにして男を見てる……恐ろしいったらありゃしないわ!……ちょっと、聞いてるの? まあいいわ、どっちにしてもね、あたしはいいのよ、クールでビューティー、それに賢いときてる、そんなあたしに男漁りなんて必要ないの。でも一般ピープルの女は違うの、わかる? あなたにわかって? そりゃーもう大変なのよ、人生の一大事なんだからね! 一大事よ! 意味わかる? それにね――」
 アルナブには理解できなかった。感情のままに怒りつづけ、途切れることなく喋り倒すことが。
 地球圏の女というのは、こういう生き物なのだろうか?……であれば、ヒドラ様が女を毛嫌いした理由に肯ける、喋らせておけばいつかは怒りも納まるだろう……。
 アルナブはそう考えて、沈黙で対抗してみることにした。
「何とかいいなさいよ、このこんこんちきの阿婆擦あばずれ女! あんたなんてきっと恋のひとつも知らないんでしょうよ、きっと一生結婚なんてできないのよ。大体ね、まあいいわ。話は変わるけどね、あの戦争をはじめたのはどっちよ? そりゃあね気持ちはわからなくはないわ、いやわからない、わかりたくもないわよ! あたしはね、夫婦喧嘩も兄妹喧嘩もまっぴらごめんの口なの。いやまあ、まだ夫婦がどういうものか知らないけどね。でもすぐよ、すぐに知るわ、あったりまえじゃないの、そんなこと。そもそもあなたたちときたらさァ――」
 そのときアルナブは全天宇宙図に瞬いている赤い輝点が、ぐんぐん加速していくのに気づいた。
「ユピテールさん、待ってください! ――機関士、状況を説明せよ、ケイローンの速度はわからんのか!?」
「ちょ…………」
 通信回線すら切らず、緊急事態に対応しだしたアルナブを見て、さすがのユピテールも押し黙った。
「MBH通信を許可する、サリティエルのニハルに即刻連絡するのだ、――ヒドラ様との回線は確保できんのか? なんとしても――」
 ケイローン?……ヒドラ?……。
 ユピテールは聞き覚えのある言葉に冷静さを取り戻していった。
「ちょっと、アルナブさんとやら、大丈夫なの?」
「すみません……」
「回線このままでいいの?」
「少し待ってください、五分、いや十分後にでも、こちらからまた連絡を入れます」
 映像が唐突に消え、スクリーンにはノイズが雨のような音をさせていた。
 十分後――。
 ユピテールの前に現れたアルナブの顔には泣きぬれた跡がありありとあった。
「すみませんでした」
「いえ、いいわ、何かあったようね? もしかして、あなたの大事な方の身に?」
「いえ、何でもありません、お騒がせしました」
 ユピテールは気丈に振舞おうとしているアルナブを見て、自分のいったことが的を射ていると確信した。
「わかったわ、お話くらいは伺います。ただし地球でも月でも無理です。火星でなら結構です」
 交渉はなった。だがアルナブにとってそれは深い悲しみのなかでの会見だった。すでに<ケイローン>を示していた赤い輝点は、宇宙図から消失していたのだ。時空を超えて、アルナブとヒドラを繋いでいた赤い光は再び灯ることはなかった。
 <ケイローン>の指令席で、ヒドラはペールからの知らせをすでに耳にしていた。
「コアが破損しました。超次元からの脱出は不可能になりました、海王星への航路も大きく外れました」
「わかってますよ父さん、慌てることもないでしょう」
「あなたは、本当にこれでいいのですか?」
 メールの声だった。
「母さん、いまのボクに嘘はありませんよ。あなたたちには感謝しています、もう普通の関係に戻ったのです、遠慮なく親として話してください」
「ヒュードラー」
「ああ……懐かしい響きですね。はじめてボクの名前を呼んでくれたんですね。これもみんなトゥラキアのおかげかもしれない」
 すでにそこに概念は存在しなかった。すべての機器がわけのわからない数値を示して暴れまわっていた。速度も方位も皆目わからぬまま、ケイローンは超次元を跳躍しつづけている。それが超次元と呼べるのかもわからない。不思議と眩暈や吐き気はしなかった。ヒドラは何かに導かれている感覚に囚われていた。
「誰だろう? ボクを呼んでいるのは? あの助けを求める声はいったい……」
「リビュア! あなた、聞こえませんでしたか、あの子の声が?」
「聞こえたとも、娘の声を聞き違えたりはしないよ」
「父さん、母さん、姉さんの居場所がわかるの?」
 そのとき、タキオン粒子抽出装置の機能が停止して、ケイローンは通常空間に放りだされた。ヒドラの眼前に星のない真っ黒な宇宙があった。
「ヒュー、あなたはきっと来てくれると思ってたわ、あたしはいけないことをしたの……とってもいけないことを……」
「知ってるさ、姉さん。でもボクはそんな風に思っていないよ。姉さんはボクを支えようとしてくれただけだよ」
 ヒドラは宇宙図を見てその場所を確認した。
 いて座A、そこには大質量ブラックホールが存在することが知られていた。
「ケイローン、お前はお前自身に戻るんだ! ヒドラがヒュードラーに戻ったように。父さん、あの黒い星に進路をとってください。全速前進です!」
 ペールは残ったエネルギーをすべて投入して最大加速を維持しようとした。噴射炎は流星のように長く棚引きつづけた。
 <ケイローン>とヒドラ、そしてペールとメールがその後、どうなったのかは誰も知らない。彼ら自身もまた知り得なかったのだろう。
 ただヒドラは、この宇宙の法則に逆らって生きつづける不幸を抱えた両親を救うために、自ら生命を捧げることを誓い、それを果たしと確信していた。ブラックホールのその先には、光の世界があると信じていた。そこで姉のリビュアに再会できると信じて疑っていなかった。

 その後、暗黒崇拝教は、海王圏ネプチュランと名称をかえ、地球圏との外交関係を樹立した。
 民衆の支持をうけて、海王圏初代大統領にはニハルが選任された。フォルクマールが改修したグラッジ・コントロール装置は人の善性を引きだし、共和民主政体をつくりだす大きな要因となったのである。
 アルナブは、トゥラキアの乗船許可データが間違いなく存在することを確かめ、ヒドラとの約束を果たすことができた。ユピテールの全面協力によって、DOXAとの技術提携もとりつけることができたのである。
 海王星を目指しながら一人自室に閉じこもりがちなアルナブは、ヒドラの遺していったデータを読む日々を送っていた。ヒドラの過去を知ってゆくうちに、アルナブは彼が決意してとった行動の底にある意味に気づき、ほんの少しだけ心が癒されてゆくのを感じていた。しかしその本当の意味を知るためには、生きなければならない、彼女にはそう思えたのだった。
 ヒドラの遺したデータカードにある、拙い文字で綴られた詩歌には、ヒュードラーの面影があるように思うアルナブなのだった。

  主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
  憎しみのあるところには愛を
  いさかいのあるところには許しを
  疑いのあるところには信頼を
  絶望のあるところには希望を
  暗闇には光を、
  悲しみには喜びを
  もたらすものとしてください。

  聖なる主よ、
  慰められるよりも慰めることを
  理解されるよりも理解することを
  愛されるよりも愛することを
  わたしが求めるよう、お導きください。
  わたしたちは、
  与えることにより与えられ
  許すことにより許され
  自分を滅することにより
  永遠の命をいただくのですから。

    聖フランチェスコによる瞑想の言葉――

―完―



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ipsilon at 12:02コメント(0) 
 戦団が合同したきっかり24時間後、アルナブの率いる小戦団は、ヒドラと<ケイローン>に別れを告げた。目的地は地球だった。
 ハウ・メアを探しだし、真相をつかむこと。高水準にあるDOXAの宇宙工学に頼み、<ケイローン>の超光速航行システムを修理できる見通しをつける使命をおびて。
 ほんの数か月前まで砲火を交えていた相手との実質的な平和外交といえた。だが核の惨禍や厖大な被害を受けてきた地球圏の人々が、そう簡単に外交ルートを開くとは考えられない。しかし、アルナブには切り札と呼べるものがあった。
 かつて戦火やまぬなか、停戦を呼びかけてきた人物がいることを思いだしたのだ。ユピテール・オラニエ、DOXA最高副議長だった。当時は戦意旺盛な暗黒崇拝教だっただけに、停戦などもってのほかと判断し、情報を握りつぶしたのだが、いまはそれに懸けるしかなかった。
 アルナブはスクリーンの捉えた<ケイローン>を悲しい想いで見つめつづけた。その彼女の乗る<ウェルキエル>を見つめる目があった。<ケイローン>艦上のヒドラだった。黒真珠色ブラックパールのまだ若い星と、橄欖緑色オリーブグリーンの壮年期の巨星が無言のうちに遠ざかってゆく。 
 アルナブにとってヒドラそのものといえる<ケイローン>がスクリーンから消えたとき、小戦団は超光速航行に移った。ときを同じくして、アズライール団も超光速航行に突入した。たった一隻となった<ケイローン>は、ノズルから火炎を迸らせ、通常空間を海王星へと進んでいったのだった。
 宇宙は静寂につつまれていた。
「報告申し上げまず」
 <サリティエル>艦橋には疲労困憊しきったフォルクマールの姿があった。
「万事完了です、問題はありませんよ、臨床結果も良好です」
 ニハルはひとまず博士を手近にあった椅子に座らせた。
「よくやってくれました、礼をいいます。これから少々うるさくなるやもしれませんが……」
「いよいよドンパチですかい、もう慣れっこですが、あんまりいいものじゃあないですな」
「すぐに終わります。いや、終わらせなければならんのです。とにかくあなたは休んでください」
 そういうとニハルはフォルクマールを立たせて、艦橋の入口まで送っていった。
「では、お言葉に甘えて酒でも飲んでしばらく寝入りたいのですが、そのーなんですなァ……」
「待っていてください」
 そういうとニハルは小走りに去ってゆき、やがてウォッカとブランデーを一本ずつ手にして戻ってきた。
「お口にあいますかな? 兵に見つからないようにしてください」
「これはこれは、かたじけない」
 フォルクマールは目を細めて瓶を撫でていた。
「実はまだお願いしたい事があるのですが、まあいいでしょう、それは今度ということで」
「全くあなたの人使いの荒さには目が回ったよ、けどこいつのお礼はさせてもらいますよ」
 フォルクマールは手にした瓶を掲げて見せた。
「それじゃあまた」
「ええ、それじゃあまた、ごきげんよう」
 ニハルは地球圏の挨拶を交わした自分が滑稽に思えた。だが、指令席に戻った彼の顔は戦士そのものだった。
「全艦に通達せよ、アズライール団到着と同時に作戦を開始する。地上戦を覚悟の戦いになろう、心残りなきよう神に礼拝をなせ、これは命令である。予てから伝達してあるとおり、無為の虐殺、略奪はこれを禁ずる。ここはわれわれの母なる大地であることを忘れるな」
 こうして海王星降下作戦は開始された。
 疾風のごとき戦闘だった。調べつくされていた海王星防御砲火を避けて四方八方から同時に降下をはじめたクルアーン団に対して、ヘルメルは為すすべを持たなかった。戦闘艦を発進させてBH砲を撃つ暇もなく、核ミサイルは強襲降下した上陸隊によって発射管制室を占拠され、ようやく使用可能な防御火砲も駆けつけてきたアズライール団のピンポイント砲爆撃によって沈黙させられたのである。
 ヘルメスに撤退の場所はなかった、降伏か死という選択肢しか残されていなかった、彼は降伏を選んだ。混乱に乗じた小規模の暴動もあったが、すぐに鎮圧された。海王星は驚くべき短時間でニハルによって完全に掌握されたのである。

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―#16―


ipsilon at 06:53コメント(0) 
 ヒドラは自室の横にある執務室にアルナブを招じ入れると、戸棚からふたつのグラスを取りだし、ワインの瓶を手にして長椅子に腰かけた。
「ここでは形式には拘るな。リラックスして話そうではないか」
「わかりました、まずは、わたしがお注ぎしましょう」
 彼女はヒドラが詮を開けた瓶を受けとると、ふたつのグラスに紅緋色の光を滾らせた。
「美しいものですね」
「血の色がか?」
「あいかわらず意地悪なのですね、女心というものがわかっておりません」
 ヒドラは相好を崩してアルナブとグラスを合わせた。
「口の減らぬやつめ……だが会議での言葉、すまなく思っている、あれはいすぎだった」
「いいえ、いいのです」
「俺が、お前たち姉弟を信頼している理由がわかるか?」
「それとなくは……」
 会話のあいまをぬって、空になったグラスにワインが注がれた。
「いままでいなかったのだ、俺に立てつく者は。どいつもこいつも直言することで叱責されることを怖れた。なのにお前たちは違う」
「失礼ながら、わたしはヒドラ様の言葉は聞いておりませんでした。その言葉の後ろにある心の声を聞いてきたつもりです」
「なるほど、そうであったか。では隠し事もできんということだな」
「決してそういうことでは――」
「黙って聞いてくれ」
 ヒドラの全身には、これまで見せたこともない真剣さがあった。
「地球にいってもらいたい。そしてDOXAのある人物に会ってほしいのだ」
「ヒドラ様……」
 アルナブの醒めた緑色の瞳が驚愕に震えていた。
「すこし待ってくれ」
 それだけいって席を立った彼は、執務室に置かれたコンピューターのもとに足を運んでいった。
 しばらくは、沈黙と電子音が部屋を満たし、アルナブはわれ知らずワインを煽っていた。
「待たせたな、これを受けとっておけ」
 アルナブの前に数枚のデータカードが置かれていた。
「お前に会って欲しい男の名はハウ・メアという。彼の妻の名はエリスだ。おそらく今頃は隠遁生活でもしているだろうが、DOXAと接触できれば必ず居場所は掴めるはずだ」
「…………」
「確かめてほしいことはたった一つだ。アキレウスという船にトゥラキアという女の乗船許可データが存在するかどうかということ、この一点だ。――アルナブ、俺が昔の女に未練があるとでも思ったか? そう顔に書いてあるぞ」
 ヒドラは屈託なく笑っていた。
「トゥラキアは俺の育ての母だ。くだらん詮索などするなということだ。もっともお前の気持ちなど汲んでやれるとは思ってはいないがな」
「…………」
「よせ……女が酒に溺れるのを見たくはない。トゥラキアだけでこりごりだ」
 アルナブは耳をかさず、残ったワインをグラスに注ぎいれた。
「それほど飲みたいのか、馬鹿めが……」
 いいながらヒドラは椅子を離れ、キャビネットから新しい瓶を取りだして、戻ってきた。
「そのデータカードには、俺のすべてが記録されている。遺言だと思ってくれていい」
「ヒドラ様、まさか――」
「早まるな! 万が一を考えてだ。地球に向かうお前へのはなむけといってもいい、決して楽な旅ではないからな、命を落とすかもしれん。ただし、データの内容は他言するな、ニハルにもだ、約束してくれ。――お前がどうしても弟に話したいと思うならそれでもよいのだがな……」
 ヒドラはふたつのグラスにワインを注ぎながら、紅緋色の光沢を見つめていた。
「女心か……」
 アルナブはいたたまれなかった。いいたいこと、伝えたいことは山ほどあるというのに、言葉が口をついて出てこないのだ。
「そういえば、俺に反撥した女がもう一人いたな……エロスだ、知っておろう。いまも行方不明だがな。――そう思うと俺はあの女を愛していたのかもしれんな」
 アルナブの唇はわなわなと震えていた。
「作戦の件だがな、ケイローンに護衛はいらんぞ。お前は戦団を連れて地球にいかねばならんからな。アズライール団も不要だ、ニハルにくれてやる」
「ケイローンは単艦で海王星に向かうということですか!? いけません! ヒドラ様は死ぬおつもりですか!」
「馬鹿なことを……これだから女というのは……」
「女の何が嫌いでございますか! 女のどこがいけないのですか! 女はそれほど汚らわしいものですか!? なぜ好いてくださいませんか……わたしは……」
「いうな! いうでないアルナブ、もういい。――戦火のなかで弟の手を引いて逃げまどっていたお前。俺は姉のリビュアとお前を重ねて見ていたのかもしれない、ニハルには俺自身を重ねていた。無意識に、お前たちに奴隷のような暮らしをさせたくないと思ってのことかもしれない。――ガキの頃から気の強いお前を見てきた、冷静さを失った姿など、これまで見たこともなかった」
 アルナブの声は消え入るように弱々しかった。
「ヒドラ様……わたしはヒドラ様を……」 
「いうなというておろうが。――見るがいい……」
 そういうと、ヒドラは立ち上がって、服を脱ぎすてた。
 アルナブの眼から涙が溢れていた。
 彼の全身には今も癒されていない無数の鞭の傷痕があったのだ。
「これでもこの俺をといえるのか!? いやいい、お前の動揺した姿が何よりの証拠だ。言葉など必要ない、俺にはそれで十分だ。――俺と同じ道を歩むな、お前は幸せになれ」
 ヒドラはアルナブの腕を掴むと、
「出て行け、出て行ってくれ、邪険にしかできない俺を許せ」
 そういいながら、部屋を引きずっていき、戸口から放り出した。
「俺にはしなければならんことがあるのだ……」

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―#15―
 

ipsilon at 00:54コメント(0) 

2015年10月26日

 ニハルが察した姉アルナブの想い、神のみぞ知る邂逅への懸けは、人がもつ感覚の緻密さと精妙さによって成し遂げられたのかもしれない。
 しかしそれは、人と人、すなわち絆、人間であってこそ、はじめて為しうるといっても過言ではないだろ。
 師と愛弟子たちのあいだをゆきかった熱情、三者三様に使いきった冷静な叡知、それぞれの胸の奥にある心意、それらが絶妙の調和をたもったまま結びついたとき、懸けは現実になったのかもしれない。瑣末な邂逅であると笑うことはできまい。人は暮らしのなかで、その瑣末が積み上げられたある瞬間、奇跡がおこったと信じるのだから……。
 ともかくこうして暗黒崇拝教の勢力は、撤退後ようやく首脳会談ともいえる場をもったのである。
 <ケイローン>艦橋に隣接した作戦室には、ヒドラとアルナブの姿しかなかった。だが、しつらえられたスクリーンにはニハルが映り、音声防御シールドに守られたペールとメールの声が、すでに彼らに挨拶を済ませていた。
「こうなってみると、話しあうべきことは山のようにある、さてなにからはじめるか……」
 会同の興奮覚めやらぬヒドラは、まだ議題の整理がついていなかった。
「まず、政変に対する処理法の検討。つぎに超光速航行のもつ危険性について。その後、今後全般の戦略的計画。必要があれば質疑応答ということでどうでしょうか?」
 アルナブの提案に誰もが数秒の沈黙でこたえたあと、ヒドラが口をひらいた。
「よかろう、ではまず政変の話といこう」
 これに関してはニハルが計画を申し出て、承認を得た。なぜすぐに海王星に降下しなかったかという理由も、明快に説明され、ヒドラも納得した。
「卿はそこまで考えておったか。多少の不安はなきにしもあらずだが、その点は結果を見て修正できる範囲といえる」
「しかしヒドラ様に杞憂をもたらしてしまったこと、畏れおおく感じ入っております。ゆえにこの作戦は必ず、成功させる所存です」
 ニハルはそういって衷心をあらわしてみせた。
「では議題をすすめよう、現在ケイローンが抱えている問題についてだ」
 ここで意見が衝突した。ニハルの考えは常識的だった。今後しばらく、<ケイローン>は超光速航行を差し控える。当然、ヒドラは戦団との共同歩調をとることはできなくなるが、<ケイローン>にはアルナブが引き連れていった勢力を護衛として割き、アズライール団の全勢力に降下作戦への加勢を要望した。
「卿は俺に高みの見物をしろというのだな。さなくば、作戦成功に自信がないのか……どちらだ?」
 むろん、ヒドラはニハルの作戦を買っていた。まず失敗など考えようもないと判断していた。そのうえでの詰問なのである。
「ともあれ、いまはわたしの案だけに拘らず、みなの意見を聞くべきかと」
 ニハルはヒドラの本心を読みとっていた。ゆえに衝突を避け、師からの問いかけを躱したのだった。
「いいだろう……」
 ヒドラはアルナブに視線を向けた。
 彼女の私案はこうだった。ケイローンの超高速航行は破損の修理が完了するまで実施しない。政変処理に関する戦団編成については、ニハルに同意だった。だがそのあと、アルナブはヒドラを激怒させかねないことを口にした。
「超光速航行システムの修理ですが、わが崇拝教の科学力をもってしても、現状不可能と判断しております。よって、地球圏科学者の知恵を借りなければならないと愚考しました。無念ではありますが、われわれはDOXAのように優秀な科学者をもってはおりません」
「貴様、なにをいうか! この俺にDOXAの手を借りろというか。貴様はいつから内通者になった! 地球圏に男でも出来たのか! さては姦通しおったな……メス豚めが!」
「…………」
「ヒドラ様、冷静になってください」
 それはメールの声だった。ふくよかで諭すような響きがあった。
「情報によれば、あたくしたちの医師ともいうべき元DOXAの科学者、アグリオスは行方不明になって久しいのだと。もちろんわたくしたちも自己修復機能をフル回転させ、破損への対処はするつもです。しかし、ことタキオン抽出装置に限っては、どうにも手に負えないのです。その点に関して、アルナブ様は正しいのです。共鳴を止める手立てがなければ、タキオン抽出装置が破損することもまず間違いないのです」
「手がなくもないのです」
 ニハルの声だった。
「実はわが戦団に元DOXAの民間人捕虜がおります。その男の専門は宇宙工学でございまして、しかし保証はできかねます。どちらにしても修理は、ケイローンが海王星に来られてからということになるかと」
「貴様までDOXAに肩入れするか……姉弟揃って恩を仇で返すようなまねを……」
 ヒドラは苦渋に顔を歪め、卓上で握られた拳はわなないていた。
「俺にとってこのケイローンがどれだけ重大な意味をもつのか知らぬとは、こういうことか……」
 アルナブはその言葉を聞いて気づいた。
 ヒドラがこれまでどんな苦境に立たされようと、ケイローンから一歩たりとも動こうとしなかったことを。
 わたしの知らないことがある……何かあるのだ……。軽口は慎まなければなるまい。
「ペール、なにかいいたいことはないのか?」
「…………」
 ヒドラは両親の気持ちを念慮していた。
 自分のもつ機能を失う。それは彼らにとってみれば、内臓のひとつを失うに等しい。ペールとメールはそれでいいというのだろうか? ケイローンは彼らの肉体そのものである。視覚こそもたない彼らだが、船内通路を歩く振動も、銃砲火に焼かれることも、船内で交わされる喜怒哀楽に満ちた会話も、彼らの神経回路に流れこんでいるのだから。戦いのたびに激痛を感じ、人の死を悼んできた。宇宙をゆくときは、星空に癒される人々と共に安らぎを感じてきたのだ。
 不幸ばかりを味わってきたペールとメールにとって、安住の地とはどこなのだ? 奴隷商人に拉致され、自らの意志でなく人格コンピューターにされた父と母。生も死もあるこの世界で、永遠に生きつづけることを運命づけられた彼らの幸福とは、いったい何なのだ? 海王星の地の底で船体を休め、戦いから解放されることが安らぎだといえるのか? 船内に誰もいなくなった孤独なケイローンを想像してみるがいい、それでは生ける屍ではないか……。
 俺は、海王星の地下で骨休めする両親に墓参りする日々など望んではいない。彼らだってそうだろう。だからこそ、戦いの痛みや苦しみがあっても、俺は両親とともに生き、そして死ぬことを選んだ。彼らも俺のその気持ちには気づいているはずだ。ケイローンは……永遠の生命に苦悩する宿命なのか?
 そのときヒドラの耳奥でトゥラキアの声が蘇った。
 そうね……死ぬことは恐いことかもしれない、だけど、死ねないことも幸せではないようね。
 彼らは死を望んでいるというのか? だとしたら、ペールとメールに猛毒の矢を放ったのは誰なんだ? ヘルクレスの放った矢、それにはヒドラの毒が……。俺が? 俺が両親を苦しめつづけてきたというのか!?……そうかもしれない……。戦いをやめないこの俺がいるかぎり、ケイローンの身体のなかをヒドラの毒は廻りつづける……。
 深く長い嘆息のあと、落ち着きを取りもどした声でヒドラはいった。
「この件、すまんが余に一任してくれ。卿らの意見はしかと心に留めた。超高速航行は可能な限り自重するつもりだ。しかし、余に決意ありという時は、黙って見過ごしてくれ」
「御意のままに!」
 アルナブが礼をもって敬意を表明していた。
 スクリーンのニハルも姿勢を正し、ヒドラの意向を受け入れた。
「しかし、不思議なものよ……。ケイローンの超光速航行システムだけが共鳴をおこした。他の船には一切そうした兆候はない。卿らのいったDOXAの力が必要とかいうこと、案外本当かもしれぬな……。所詮、コピーはコピーに過ぎぬということかもしれん……」
 その後に用意されていた議題は、とくに波乱を引き起こすことなく進んで、散会となった。一応、すべての準備は整ったのである。
 だがヒドラは、作戦室を出てゆくアルナブの背中に問いかけた。
「卿、時間はあるな。もう少し話しておきたいことがある。余の部屋に来てはくれまいか?」
 その声には憂いが含まれているようだった。
「喜んでご同道いたします」
「大した話ではないのだが、ひとつ確認しておきたいことがあってな」
 アルナブを従えて自室へと向かうヒドラの耳奥には、トゥラキアの声がまた蘇っていた。

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―#14―


ipsilon at 21:13コメント(0) 
 通常空間に戻った<ケイローン>の超光速航行システムMBTCSの心臓部はまだ振動していた。そこに起こりつづけている共鳴によって。
 <ケイローン>の人格コンピューター、ペールとメールは、振動が繰り返された場合の疲労限界を計算し終えていた。システムのコア部分には、すでに目に見えないほど微細な亀裂が幾つかあることも検知していた。このままの状況がつづけば、いつか<ケイローン>は、超高速航行の機能を失うこともはっきり認識していた。
 むろん、それをただ見過ごすようなペールとメールではなかった。思案をもちより、共鳴を止める手立てをひねり出そうと努力はされていた。だが、今のところ、解決策は見つかっていなかった。
 そのころ、<ケイローン>のレーダースクリーンに数十個の光点が映しだされた。高速で接近してくるアルナブのルーヌ・カマル団であった。
「ヒドラ様の戦団をレーダーに確認しました!」
 アルナブはすぐに指示を下した。
「よろしい、短距離超光速航行SRMBTCに入って、一気に距離を詰めよ!」
 レーダー画面から光点の消えたことを目にしたヒドラは、
「やりおるな、アルナブ! 目の覚めるようなことをやりおる」
 と呟いて、久しぶりの爽快感を味わっていた。
「わが方も乱れた団形を整え、加速して接触に備えよ」
 <ケイローン>艦橋の床から振動が這いのぼり、身体が加速度にされるのを感じた。誰の顔にも久しぶりの高揚感があった。
「短距離超光速航行離脱後、即座にアズライール団の位置を走査。減速の準備を怠るな! 一隻たりとも衝突などまかりならん!」
 <ウェルキエル>艦橋で、アルナブの緊迫した声がとぶ。
「通常空間復帰まであと三分です」
 彼女はただ肯いてみせた。
「機関士、わが方も短距離超光速航行をかけるぞ! 小娘の鼻をあかすのだ! 少し遊んでやろうじゃないか」
 ヒドラは沈着に指令席にある、レーダー画面を睨んで計算をすませると、
「跳躍時間は二分、即時突入待機! 秒読み開始は三十秒後とする」
 と指示した。
 超次元を跳躍している<ウェルキエル>のレーダーには何も映っていなかった。
 そのときアルナブは、全天宇宙図にある、赤く瞬く輝点が高速で移動しはじめたことに気づいた。
 まずい……このままでは大惨事になる……。
 だが彼女は冷静に、目盛りと輝点との位置関係を見つづけていた。
「全艦にMBH通信にて通達! 即時離脱準備、即時最大減速準備!」
 アズライール団がMBH通信を傍受してから減速しても衝突は回避できまい。すべてはこちらにかかっているというわけか……。
 <ウェルキエル>の航法士も通信士も機関士も、冷や汗を流している。
 アルナブは祈るような気持ちで、感覚に流れてくるものを信じた。
「離脱せよ!」
 通常空間に戻っていたアズライール団の眼前に、ルーヌ・カマル団が突如出現するやいなや、凄まじい炎を吐いて急減速するのが見えた。
「なんと! これはいかにも近すぎるというものだ! アルナブめ、やりおるわい! わが方も短距離超光速航行に入っていたのだ、相互距離は掴めなかったはず……通信も途絶するなかでこうも鮮やかに……。小娘は返上するというわけだな、さしずめまだ若い雌獅子といったところか」
 ルーヌ・カマル団は、さらに減速しながら団形を整え、列整然としたまま、アズライール団の側方に並んで、艦首を海王星に向け終えている。数こそ三十隻にみたない小規模な戦団だったが、ヒドラはその堂々とした挙動に胸打たれていた。
 それは、科学技術万能の世紀にあって感覚だけを頼りにした合同といえた。ヒドラもアルナブもそのことに気づいていた。人間のもつ感覚の緻密さと精妙さに。

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―#13―


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