小説『ミッドウェイ海戦』

2016年02月15日

 爆弾を受けた「飛龍」は炎上と鎮火の狭間で一進一退をつづけていた。
 山口司令も加来艦長も声を嗄らして指示を出しつづけ、全艦一体となって消化にあたっていた。駆逐艦の「谷風」「風雲」が駆けつけて放水が試みられ、やがて甲板の火勢は衰え鎮火に成功した。
 だが熱せられた艦内の奥底へと魔手は伸びていた。機関部に燃え移っている火をなんとかしないことには一巻の終わりなのである。
 二〇五八、内部で起こった爆発が「飛龍」を揺さぶった。灼熱のために鉄という鉄が触れられないほど高温になっていた。機関部に籠もる煤煙も濃くなるばかり。マスクをした決死隊が送りこまれたが、どうにも手の施しようがない。
 しだいに電力を失い、遂に機関が停止して、艦橋と機関部の連絡も途絶えてしまった。
「もう一度、念のために救出隊をだせ!」
 機関員の救出を最後まで諦めなかったのは山口であった。
 だが、
「本艦の命運もここまでだと思います。総員退去を命じます。司令官以下も御退艦ください。私は残ります」
 と加来がいった。
「私も残るよ」
 山口はすでに意に決していたことを口に出しただけだった。
 すぐに総員上甲板が指令された。皆を前にして山口は最後の訓示を述べた。
「第二航空戦隊はあらゆる戦いに加わり偉勲を立ててきた。この戦いにおいても敵空母二隻を攻撃し、立派な戦果をおさめた。諸子は開戦以来、全力を尽くして祖国のために戦った。感謝にたえない。諸君とはここでお別れするが諸子の今後の武運長久を祈ってやまない。これから諸子とともに皇居を遥拝し天皇陛下万歳を唱える」
 日の暮れた太平洋の波を万歳の声が叩いた。
 ゆっくりとした喇叭のうら寂しい音色が君が代を奏でるなか、軍艦旗と山口少将旗が降ろされていった。
 中檜の頬にも男たちの頬にも涙が光っていた。
 昭和17年6月6日、午前5時20分、「飛龍」はその一生を終えた。山口多聞、加来止男とともに。
 彼女とともに時を過ごしてきた「加賀」は5日、午後3時26分に岡田次作とともに海の底へと没していった。「蒼龍」は同4時15分に柳本柳作とともに、そして「赤城」は6日、午前1時55分に沈没した。
 2,200余名の命が失われた。空に散華した男たちをくわえれば、3,000余名の命が失われた。
 その夜は満月が美しかった。

 山口多聞は沈みゆく「飛龍」の中で思いだしていた。孝子へと残してきた遺書の文面を。
「現世の縁は薄かった我々の交情は永遠です。
 真の交わりは期間の長短にかかわらず、相互愛了解の程度如何によるものと信じます。私は衷心より貴女の真心に感謝するとともに、天上より貴女の幸福を祈ってやまない次第です。ではくれぐれも御大事に」
 薄れゆく意識の中で山口はいつも便りの末尾に書き記してきた言葉を胸のなかで口ずさんでいた。

 貴女だけのもの
      多聞より
 私だけのもの
      孝子様へ

 寝ても覚めても貴女の事ばかり、考えている多聞より
 私の私の、孝子さんへ

 それから七十星霜あまり――。
 まだまだ書かなければならないことがある。しかし中檜はここで筆を擱くことにした。
 憤懣やるかたなき瞋恚いかりはまだまだあった。だが全てを伝えることなどできないと思ったのである。
 あのとき爆風に吹き飛ばされたであろう桑原は、その後ようとして行方は知れない。50年以上のあいだ、夜々に何度も何度も浮かんできた戦友たちの顔。その中には桑原の顔もあった。年月が経てば許せるのではないかと思ってきた日々だった。だが決して許せなかった。しかしこうしてミッドウェイ海戦というものを自分なりに振りかえってみたとき、中檜はようやくのこと、桑原の生き方を認められる気がしていた。許せない自分であったならば、一体誰が彼を許すというのだろうか。自分のことしか考えられない人がいる。それはどんな時代だってそうであろう。そうした人を憎む心こそ、あの忌々しい戦争を引き起こしたのだと思えたのだ。たったそれだけのことを知るために戦争に青春を捧げ、その後もうなされるばかりの日々を生きてきた気がしていた。だがそうではなかった。たったそれだけではなかったのだ。たったそれだけでは――。
 中檜はあの日、機体を譲られたことで生き延びたことに気づいたのだ。もしも予定どおりに第二波の攻撃隊に参加していたらどうだっただろうか。そう考えたとき、桑原の身勝手さに救われた自分を見いだしたのだ。千道一飛とのわずかな関わりは、今も永遠の絆として彼を慰めているのだ。
 今年もあの日がやってきた――。
 中檜は静かに筆を擱いた。
 窓辺では蛍が優しい光を瞬かせていた。

(了)


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―第40話 赦し―







ipsilon at 20:08コメント(0) 
 二波にわたる攻撃で2隻の米空母を戦闘不能に陥れた。そのはずだった。
 だが事実は違っていた。日本軍は「ヨークタウン」を二度にわたって攻撃していたのだ。
 わが方には思いもよらない米軍の応急処置ダメージコントロール力は、「飛龍」副長の鹿江に、
「これで勝てるし、悪くても相討ちにできる」
 と思わしめるほど優秀だったのである。
 彼らは第一波の攻撃を受けて起こった火災を30分あまりで消し止め、速力の減衰した「ヨークタウン」に20ノットで航走できる力を取りもどさせていたのだ。
 第二波はその「ヨークタウン」に再び災厄を招いたのである。
 爆弾3発、魚雷2発を受けた「ヨークタウン」はボイラー室と発電室を破壊され、わずかに傾斜して停止していた。もはや戦闘続行は絶望的といえた。だが、飛行隊は第一波が去ったあと「エンタープライズ」に退避していて無事だった。
 いまその「ヨークタウン」攻撃隊を含む航空勢力が、サッチ・アダムス大尉から平文で送られてきた索敵報告、
「敵発見、空母1、戦艦1、重巡2、駆逐艦4、北緯31度15分、西経175度5分、15ノットで北上」
 を受けて「エンタープライズ」「ホーネット」から発進しようとしていた。時に一一三〇過ぎのことだった。
 そのころ「飛龍」の搭乗員待機所は殺気に満ちていた。
 誰もが第三波として攻撃に参加したい意志を示して、殴り合いにすらなりかねない瘴気をぶつけあっていたのだ。
「俺たちがどうこういってどうなるわけじゃない、とにかく落ちつけ。搭乗割りは飛行長が決めることだ」
「ではそれに不満があった場合、どうするんだ? 直訴するか?」
 傍らで男たちのやりとりを眺めていた桑原がぽつりといった。
「くだらない……」
 それを聞いた中檜は眼を血走らせて掴みかかっていった。
「あんたは恥ずかしくないのか!」
「恥ずかしいだ? 貴様なにいってやがる。――友永さんの機の燃料タンクに穴が開いていたのを聞いて、何人かが自分の機体を使ってくださいといったな。だがそのときあの人は何といった。え? 何といったんだよ!」
「…………」
「いいか中檜、人にはそれぞれ生き方ってのがある。お涙頂戴がごとき浪花節なんか必要ないし俺は認めない。俺は友永さんの意志を尊重しただけだ。――いまの話も同じだ。なにを焦っていやがる。どうせ誰もがいつかは死ぬんだよ。戦争であろうとなかろうとな。なのに進んで死にたがる馬鹿があるか。いっておくが俺は臆病なんかでいってるんじゃない。俺は自分の死にどころくらい自分で決めたいだけだ。俺に死ねと命令できるのは俺だけだ! 俺には俺の生き方がある。わかったか!」
「だったらなぜ海軍に入ったんですか!」
 中檜は包帯が巻かれた桑原の腕を力まかせに掴んでいた。
「食うためだ。俺は生きるために海軍を選んだだけだ。貴様に何がわかる。兄弟ばかり多いうらぶれた貧困の農家に生まれた俺の何がわかる。国民をまともに食わすこともできない国になぜ命を投げ出せる。冗談じゃない。中檜、よく考えてみることだ。この理不尽な世の中を。そしてこの理不尽な戦争とかいうものをな。――離せよ、痛ェじゃねーか。俺は負傷してるんだぜ」
「そうまでして嘘をつくのか……桑原さん……あんたは死にたくないだけじゃないか」
 彼はその言葉を飲みこみながら、搭乗員室の扉をあけて飛行甲板へと出てゆく桑原の背中を見つめていた。
 確かに桑原さんのいっていることは理屈にかなっている。だけど、だけど、どうしても納得できない。理由なんてわかりやしない。だけれども間違っているとしか思えない。――彼は自分しか見ていないのかもしれない。でも俺やこの部屋にいる連中はそうじゃないのかもしれない。ここにいる連中はほんの少しかもしれなが、隣にいる人のことを思っているのだろう。たったそれだけの違いなのかもしれない……。でも俺はその違いが許せないんだ! 俺は桑原さん、あんたの生き方を認めない!
 その時、開け放たれた扉の向こうから叫ぶ声が聞こえた。
「敵艦爆! 本艦直上、突っ込んでくる!」
 絶叫を追うように対空砲が怒声をあげ、機銃が唸りはじめた。
 「エンタープライズ」爆撃隊を率いるギャラハー大尉も叫んでいた。
「目標はあの日の丸レッドサンだ! あそこに爆弾を叩きこんでやれ!」
「飛龍」は加来艦長の操艦でこの攻撃を回避した。
「さらに敵機! 太陽を背にして突っ込んでくる!」
 つづいて「エンタープライズ」と「ヨークタウン」混成の爆撃隊が悪魔のごとき急降下をはじめた。
 中檜はズシン! という地響きとともに、開かれたままの扉が爆風でちぎれ飛ぶのを見た。
 誰もが外へ走り出ようとしていた。
 船を揺るがすような衝撃がつぎつぎに起こった。艦橋の窓が割れたのだろうか。ガラスの砕け散る音がした。キラキラと耀く破片が降ってくるのが見えた。
 日の丸の描かれていた付近に命中した爆弾は、エレベーターを吹き飛ばし、それを司令塔の前の甲板に突き立たせていた。
 そんなこととは知らずに外に走り出た中檜は、目の前にある光景に愕然した。
 前部飛行甲板がほとんど吹き飛び、その下にある格納庫が丸見えになっているではないか。
 声にも言葉にもしようのないものが喉を突きあげていた。
 嗚呼――。
 ついに「飛龍」も4発の爆弾を受けて戦闘力を喪失したのだ。
 一四〇〇ごろのこと。現地時間午後5時半ごろである。
 ようよう夕暮れが迫まりくるなかで「飛龍」は炎上していた。

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―第39話 飛龍炎上―





ipsilon at 20:00コメント(0) 
 一〇三〇、「飛龍」から友永丈一大尉に率いられた第二波攻撃隊が発艦していった。
 零戦6機、九七艦攻10機の16機だった。第一波攻撃隊が飛び立って2時間半後である。
 ミッドウェイ空襲から帰投してきた攻撃隊を収容し、米爆撃隊の来襲を避けて補給修理のうえ、800kgもある魚雷を再装填しての発艦である。「赤城」「加賀」ほど広くない格納庫や飛行甲板の「飛龍」で、そうした作業に邁進したのである。
 時刻だけ見ていてもわからないことがある。しかしこういえばどうだろうか。
 第二波攻撃隊が飛び立ったとき、まだ第一波攻撃隊は帰還していなかったと。
 そしてこの攻撃隊を支援した第八戦隊の行動もまた素早かった。
 一〇一五、――第二波攻撃隊発艦の15分前――には「霧島」「榛名」「利根」「筑摩」から索敵機が放たれていたのだから。しかし攻撃隊を誘導することまではできなかった。
 だが日本の兵たちは優秀だった。実によく困苦に耐えて戦っている。指揮官が逡巡や躊躇さえしなければ、実に精強だったのである。与えられるべきものが与えられれば、砲手は百発百中の腕を鼓舞でき、見張り員は昼でも星が見えるほどの鍛錬を積んでいたのだから。
 こうして第二波攻撃隊は自力で敵空母を発見すると、F4F戦闘機16機の迎撃を蹴散らし、凄まじい対空砲火のただなかへと踊りこんでいったのだ。
「左右から挟撃する。突入隊形をつくれ!」
 友永機から指示が下され、雷撃隊は横転ロールして分かれていった。
 空いっぱいに対空砲の黒雲が湧きあがる。機銃の曳光弾が火矢のごとく紅蓮の炎を引きながら撃ちかかってくる。
 少しでも敵の火箭を弱めようと、零戦隊も銃座に機銃掃射を加えようと突入してゆく。
 いきなり火球が膨らんだあと海面に突っ込んだ機があった。対空砲の直撃を受けたのか、翼をもぎ取られ落ち葉のようにくるくると落ちていく機があった。
「射点まであと少し……頼む持ちこたえてくれ!」
 すでに銃弾や破片を浴びている瀕死の機体を駆って、祈るような気持ちで安定を保とうとする。
 まるで呼吸をあわせたかのように、一斉に魚雷が放たれた。
 米空母も両側から迫りくる幾筋もの蒼白い雷跡から、白波を立ながら身をよじるように回避しようと懸命だ。しかし万死を覚悟して至近から放たれた鋼の鉄拳を避けることはできなかった。
 米空母は轟音を響かせたあと巨大なキノコ雲を沖天まで噴き上げると、左に傾斜して速力を失った。
「これで2隻目だ……」
 黎明とともに行われたミッドウェイ空襲に、友永機の偵察員としてに参加していた橋本中尉は、いまは別の機から戦果を確認していた。彼は突入しながら目の端に捉えた、黄色く塗られた尾翼をもう見ることができないことを知っていた。
 第二波攻撃隊は指揮官の友永丈一大尉を含む零戦3機、艦攻5機――出撃した半数――とその搭乗員を失ったのである。
 「飛龍」に帰還した橋本は司令部の面々に友永機の行方について聞かれたとき、
「魚雷を発射したまでは確認したが、その後は吸い込まれるように姿を消しました。恐らくは――」
 と答えた。
 劇的な最期と思える場面を美化する人は多い。だがそれは歴史を歪めてしまう。友永大尉は帰らぬ人となったのだろうし、尊い命の灯を海に散らしたのであろう。しかし戦いに死んでいった男たちの価値に変わりなどありはしない。否、比べることさえできないのだ。
 だから、
「恐らくは――」
 その先は一人一人が胸のうちで呟くべきではないだろうか。
 第一波、第二波の攻撃に参加して帰還してきた搭乗員の口々から、状況を耳にした山口は艦橋に立っていた。
 見るも無残に銃砲弾の破片と弾痕に傷つき、使用不能と判断された機もあった。ほとんどの機は修理が必要だった。だがこのときすでに第三波攻撃隊の発進は決せられていた。
 「飛龍」に残った兵力は戦闘機6機、爆撃機5機、雷撃機4機、これに十三試艦爆1機を加えた16機だった。
 いかに見敵必戦に生きる猛将の山口といえども、さすがに心もとなさを感じたのである。
 この戦力での昼間攻撃は無謀にすぎる。ここは一旦体制を整えたうえで薄暮攻撃とするしかあるまい。それに早朝から働きつづけてきた兵員たちも少しは休ませてやりたい。
 山口の温情ともいえる決定はすでになされていた。
 第二波攻撃隊が16機だったのだから、第三波もすぐに出せたはずだ。そうすれば……という向きもあろう。だがそれでいいのだろうか。鋼の激突に情など介在する余地はないといってきた。しかし峻厳なまでに冷酷非情になってしまったなら、それはもはや機械マシーンであり悪魔それ自体になり果てることにはなるまいか。
 三本勝負のうち、二本に勝ったとしたなら満足すべきではないだろうか。野球など四割を打てば偉大と呼ばれているではないか。だが戦争の歯車に飲み込まれたとき、その人情や温情すら悲壮感や忸怩たる悔悟、あるいは慚愧の念といった心情を呼び起こしてしまうのではないだろうか。
 日本人は民族として侘び寂びを慈しんできた。それゆえ悲壮感に染まりやすいのだ。米人を見よ! あの陽気さを! というのかもしれない。しかしそれはあくまでも日本人からみた米人像であり、彼らの側に立てばやはりそこには絶望も悲哀もあるのではあるまいか。
 山口は艦橋に立ってもの思いに耽っていた。
 兵たちは朝からろくに食事すらとっていない。しかしふとした合間ができたなら、搭乗員たちはきっと次々に斃れていった戦友の声が耳奥に蘇ってきて、食事も喉を通らないだろうことを知っていた。
 彼がそれを痛感させられたのは真珠湾作戦の後だった。
 わが方は勝利しているというのに、どうしようもなく沈鬱としていたあの空気。
 山口は九九艦爆を操縦し第二次攻撃隊員として作戦に参加し、自爆して散った清村の遺書が声となって蘇ってくるのを耳奥で聞いていた。

 真に生命を愛する者こそ真の勇者である。
 生命を愛するということは、死にたくないという事とは、大いに意味が違う。
 無為な長生きをするという事ではない。
 いかにしてこの命を捨てたら、二度と抱きしめることのできない生命を意義あらしめるか。価値あらしめるか。捨てる刹那に鏘然しょうぜんと、この世に意義ある生命の光芒を曳くか。
 問題はそこにある。何千何万という悠久な日月の流れのなかに、人間一生の七十年や八十年は、まるで一瞬でしかない。
 たとえ二十歳を出でずに死んでも、人類の上に悠久な光を持った生命こそ、ほんとうの長命というものであろう。また、ほんとうに生命を愛した者というべきである……。

「意義ある生命の光芒か――」
「なにかいいましたか?」
 艦長の加来が山口の呟きを耳にして問いかけた。
「いいや、何でもないんだよ。ただね、蛍を思いだしてね」
「蛍ですか」
 「飛龍」の艦橋にある窓から、初夏の風わたる太平洋に降りそそぐ、いまだ夕暮れ遠き太陽が見えていた。
 山口は思っていた。
 この戦いがすんだら、蛍になって孝子のもとへ帰ろう――。

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―第38話 蛍―





ipsilon at 19:52コメント(0) 
 第一波攻撃隊を発艦させた「飛龍」は、すぐに第二波攻撃隊の準備にかかり、敵に向かって驀進を開始した。
 もはや敵との戦いではなく己との戦いの様相となってきた。己の限界を超えることで結果として敵に勝つ。彼らはそうしたことを無意識に思っていたのかもしれない。憤懣やるかたなき怒りがそうさせたのかもしれない。ときに激しい憤りは類まれなる力を与えるのだろう。
 闘魂烈々たる第一波攻撃隊の気迫もまた凄まじかった。
 〇八二〇、攻撃を終えて帰還する敵機を、日本艦隊に向かう爆撃隊と勘違いした零戦隊の2機は、迷うことなく翼を翻して躍りかかっていった。打ちてし止まんの炎が燃えさかっていた彼らを誰が責め得ようか。
 2機の護衛機が減った状況で是非もなく、生死を超えた者だけが生きる残る世界へと攻撃隊は突入していったのである。
 あれほど索敵や誘導に難をきたしてきたのが嘘のようだった。
 発艦して10分後、「利根」4号機と入れ替わるように敵に触接をつづけていた「筑摩」5号機は、阿部司令の指示をうけて、
「敵空母の位置、味方の70度90浬、われ今より攻撃隊を誘導す。〇八一〇」
 と打電して攻撃隊の誘導を開始した。
 付近では「筑摩」4号機も索敵についており、「蒼龍」を飛び立った十三試艦爆も〇八三〇、米機動部隊を発見して電文を打っているが、残念ながらこれは通信機の故障で「飛龍」には届かなかった。
 しかし送り狼のごとく襲い来る日本機を警戒していた米軍も、手を拱いていたわけではなかった。
 〇八五〇、「ヨークタウン」は10機の索敵機を発進させ、レーダー手は緊張した面持ちで画面モニターを睨んでいたのだ。
「敵航空機らしきものを確認! 本艦より南西の方角、距離53マイル(約85Km)」
 すぐに「ヨークタウン」からF4F戦闘機12機が迎撃へと飛び立ち、「ヨークタウン」を中心に重巡洋艦「アストリア」「ポートランド」、駆逐艦5隻によって輪形陣が築かれた。米軍の迎撃は迅速で正確、かつ堅固だった。
 F4F戦闘機の迎撃を知った零銭隊は翼を振り、挙手の礼をしたあと敵機めがけて斬り込んでいった。
 衆寡敵せず。ここで3機の零戦が撃墜され、艦爆隊も10機が大空に散っていった。
 それでも攻撃隊の突進は止まなかった。機を操る操縦員の燃える双眸には、鬼神を泣かしめる光があった。1機の零戦に守られながら、8機の艦爆は銃砲火の中に突っ込んでいった。
 高角砲の爆風に機体が揺れる。破片が翼や胴を切り裂く金属音がする。真赤な火箭が四方八方から襲いかかってくる。ときどきガンガンと銃弾が当たって機体が身もだえる。
 中檜は3番機の位置にいた。恐怖などもう感じていなかった。慣れない艦爆を急降下させることに全神経を集中していたのだ。
「投下索は自分が引きます。高度を読み上げますから、ギリギリで引き起こしてください。飛長は照準環だけ見ていてください」
 後席の千道せんどう一飛が叫んだ。
「わかった、まかせておけ」
 とにかく前をいく機体にぴったりついていく、そして照準。やることはこれだけだ。
 中檜は大きく息を吸ってから吐き出すと、操縦槓をぐいっと前に倒した。
「飛長、ダイブブレーキ! ダイブブレーキを入れないと、引き起こせなくなります!」
「どこだ? どこにある!?」
「もう間に合わない! 高度、読み上げます!――。1800、1400、1000……」
 こうなったら直感を信じるしかない――。中檜は己を信じた。
「600!」
 いまだ!――。爆弾が機体から離れた感触を得て、力の限りに操縦槓を引いた。全身の血液が足へと流れていった。視野が狭まり眼の前が暗くなっていく。意識が遠のいていくのを感じながら中檜は呼吸を止めて歯を食いしばった。
 敵空母の機銃員が茫然とした顔で見上げる眼と目が合った。
 九九艦爆は飛行甲板のスレスレを飛び抜けていた。
 背後から襲いきた爆風に煽られながら首を捻った中檜は、紅蓮の火柱があがるのを見た。
「やったぞ! 命中だ! やったんだ!」
 だが千道はうな垂れたまま何も答えなかった。
「千道、千道! おい千道!」
 つづいて降下にはいった機が2弾、3弾と命中させたが、1機は投下したとたんに木っ端微塵になるのが見えた。
「くそーっ!」
 そのとき眼前に零戦が現れて翼を振った。付いてこいというのだ。
 中檜は涙を堪えて操縦槓を操作し、フットバーを蹴った。
「千道一飛。連れて帰る。お前を必ず飛龍に連れて帰ってやるからな……」
 僅かな時間だった。だが中檜は永遠に潰えない戦友愛があることを知った。共に戦った者だけにしかわからない絆があることを感じとっていた。それは一瞬を永遠にするのだと信じられた。
 こうして「ヨークタウン」は3発の命中弾を受けて炎上したのである。
 しかしわが方の損害もまた大きかった。小林大尉をふくむ多くの搭乗員が戦死したのである。
 傷だらけになって「飛龍」に帰り着いたのは、戦闘機1機、艦爆5機だった。

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―第37話 戦友の死―





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 米急降下爆撃隊に赫々たる戦果をもたらしたのは、1隻の潜水艦と指揮官の執念だった。
 クラレンス・マクラスキー少佐率いる「エンタープライズ」爆撃隊は、母艦に帰投するための燃料を使って日本艦隊を捜索していた。そのとき海上に見えたのは駆逐艦「嵐」だった。
「あいつが目指している方にいけば……」
 マクラスキーはそう思い定めて隊を導いていった。
 「嵐」は潜水艦「ノーチラス」から雷撃を受け、爆雷で反撃していたため第一機動部隊から少しばかり離れた位置にいたのだ。
「もうよい、空母の護衛に戻れ」
 と指令された航海長は北東へと舵をきった。
 マクラスキーはその先に日本艦隊を発見したのである。長い捜索の末に2機を失った「エンタープライズ」隊だが、30機を誇る戦力は十分強力だった。「ヨークタウン」の爆撃隊は17機であり、「ホーネット」隊は戦場に到達できなかったのだから。
 もしも「ノーチラス」が「嵐」を雷撃していなかったら、「エンタープライズ」隊は日本艦隊を発見できなかったかもしれない。
 戦争も日常も、ともすれば華やかな場面に目を奪われがちである。しかし本当の功労者は地味に海底を這うように進みながら、劇的な場面の演出に貢献しているのである。この地道な執念や信念、そして忍耐力こそ人知とか人事を尽くすと呼ばれるものではないだろうか。

 わが方にもそういう男たちはいた。
 第一機動部隊の空母三隻がつぎつぎに被弾するのを唖然として見つめていたのは、そう長くはなかった。
 〇七五〇、空襲から約20分後、炎上する軍艦フネを横目に、第八戦隊司令の阿部弘毅少将が、
「飛龍をして敵空母を攻撃せしめ、機動部隊は一応北方に避退、兵力を結集せんとす」
 と連合艦隊司令部に打電し、つづいて第二航空戦隊に、
「敵空母を攻撃せよ」
 と下令した。
 次席指揮官として、阿部の指令は的をいている。
 空襲によって乱れた陣形を立てなおし、敵に一矢を報いるべしという意気であり、主戦力である「飛龍」の護衛こそがわが戦隊の使命であるという意志表示であろう。
 山口は当然のごとく、
「われ航空戦の指揮をとる!」
 と決然としてこれに応えた。
 そして彼が川口飛行長に呼びかけようとしたとき、艦橋に走りこんでくる男がいた。小林道夫大尉だった。
 阿吽あうんの呼吸。指揮官の心を誰よりも早く察知して飛びこんできたのは、攻撃隊を率いて真っ先に死地に赴くはずの男だった。
「長官!」
 山口は父親のような透徹とした静かで重々しい声でいった。
「我らが皆の仇を討たねばならぬ。しっかり頑張ってもらいたい」
「喜んでやらせていただきます」
「あとは飛行長と決めてくれ。それでいい」
 そういったあと、
「川口くん、艦内放送だ。『これより全力をあげて敵空母に向かう』そう号令してくれ」
 と全艦に檄を飛ばしたのである。
 兵も搭乗員も飛行甲板を疾風のごとく走っていた。そこには中檜飛長の姿もあった。
「お前も行くのか!?」
「桑原さん……それがどうにもならないんです。自分の機はまだ魚雷を積めてないんです」
 中檜の顔は苦渋に満ちていた。
「俺の機に乗るか?」
「後席にってことですか? それじゃあ――」
桑原は中檜の言葉を遮って、
「お前が操縦すればいい」
 と明瞭な声でいった。
「どういう意味です?」
「一発腕に喰らってね、俺は飛べないのさ」
 中檜はそれが嘘であることを咄嗟に感じとっていた。
 桑原の腕に巻かれた血に染まった包帯が偽物であるのは明白だった。血は鮮やかな赤ではない。赤黒いのだ。
 この人は死ぬのが恐いんだ……臆病者め。
「感謝します、乗らせてもらいます」
 中檜は無性に腹が立った。しかし慣れない艦爆の操縦席に座ると、くだらないことで冷静さを失いかけていた自分が馬鹿らしく思えてきた。奇妙な新鮮さとでもいうしかなかった。
 整備員が慣性機動機イナーシャスターターに架けたクランクを回しはじめ、聞きなれた回転音を耳にしたとき中檜の心は完全に落ち着きを取りもどしていた。
発動コンタクト!」
 声とともに発動機が轟いてプロペラが回り、排気管から白煙が吹き出した。
 〇八〇〇、「飛龍」からの第一次攻撃隊、艦爆18機、戦闘機6機の24機は小林大尉を先頭に、復讐の念を燃えあがらせて飛び立っていった。
 山口が「われ航空戦の指揮をとる」と咆哮してから、小林機が発艦をはじめるまでわずか5分だった。
 命令の下達だけ見れば迅速さに欠けるように見えるが、命令が下される以前に兵たちは己のなすべきことを確信していたのだ。
 それが電光石火の出撃を可能たらしめたのである。 

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―第36話 飛龍の反撃―





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