うつ

2013年05月25日

 細かな出来事がつのって、今、非常にイライラしている。二、三日前から腹の底にイライラを感じていたのだが、今のところ、それをそのまま誰かにぶつけては、いないはずである。自己点検なので、完璧にそうできていたとは言い切りませんけどね。
 四日連続、ブックオフ・ツアー(全部別の店舗)を敢行して、読みたい本を探す、なんて方法で怒りを誤魔化していたことにも気づいてました。でも、主目的は気力体力の増強にあったので、浪費するわけにもいかず。ストレスメーターは上がる一方(笑)。往復一時間かけて、買った本二冊。合計二百円也、なんて日もありました(笑)。
 何にしても、誤魔化しは誤魔化しでしかないんです。そう自覚して自分と決闘するのみ!

 ――私の怒りは激しい。なぜならACであり鬱から完全に再誕生したわけでは、ないだろうからだ。
 鬱→怒り(様々)の感情を抑える。
 AC→怒り(様々)な感情を抑える(笑)。

 どちらも怒り(感情)を抑えることで、怒りは、無意識層にどんどん蓄積される。
 そうして、限界を超えると大爆発。そうした経験のない人には理解しがたいことでしょう。

 うつが原因の抑制の場合、対処法としては、薬物と自然療法(好きな事に没頭して嫌なことを忘れる、怒りを解消する)がある。
 薬物の場合、感情を朦朧とさせて怒りを感じさせなくさせる方法。頭朦朧、体が怠いという副作用がある。
 自然療法の場合、好きなことに没頭しるぎると、現実逃避を生む。スキなことしかしなくなる弊害がある。
 どちらにも短所はあるということ。
「イヤなことから逃げて何が悪いんだ!」と叫ぶ、碇シンジ君状態になるということ(笑)

 ACが原因の抑制の場合、怒りの感情表現をして怒りを溜めないようにする。あるいは、その場、その場で感じた怒りを小出しに表現する、という方法がある。
 だが、怒りの感情を表現するには、相手が必要なのだ。別段、それは目の前にいようと、いまいとどちらでも構わない。

 しかし、怒りの原因(因果)は自分の内奥にあるものであり、それを引きだしたもの(縁)として相手があるという構図を弁えるべきなのだ。
 つまり、相手に怒りをぶつける方法で怒りを表現してはならないということ。因果の因を相手に見たら、外道だってことです。自分から……「逃げちゃだめダ、逃げちゃだめダ、逃げちゃだめダ」と、これまたシンジ君のように自分を励まさねばいけません(笑)。
 ようするにこういう怒りは相手のことが考慮されておらず、自分の怒りの感情だけを(相手に向けて)表現しているということ。俗にいう、「憂さを晴らしている」、という構図だ。
 当然、そうしたことをすれば、人間関係は悪化し、知人・友人が離れていくということ。
 もしくは、自分にとって都合のよい人間関係しか築けないということ。

 ではどうしたらいいか。そこで必要なのがアサーションという思考技術だ。
 自分のことも相手のことも考えて怒り(感情)を表現するということ。怒ってしまった理由と、そうならないですむ方法論を相手に話して、これまでより良好な関係をにしようという努力。建設的な怒りの表現。これがアサーションだ。

 換言すれば、前者は瞋恚が悪意になって現れたもの。後者は善意になって現れたものだ。
 瞋恚は善悪に通ずる者なり、だ。
 ですが、怒りは、感情の中でも非常に強い欲求なので、こいつを「善」へと向ければ、スーパーサイア人のようなパワーにすることが出来るのだ!^^

 しかし――、うつやACを持っている人は、まずもって、このアサーションをすることが困難なのだ。
 なぜなら、うつ状態のときは、頭が朦朧としていて、「何に対して」自分が激怒したのかという原因が自分でもわからないのです。
 そしてACも同じ傾向性を持っているのです。私の場合でいえば、四十数年間抑圧してきた(半ば以上無意識に抑圧してきた)怒りが、噴出するわけですから、自分が「何に対して」怒っているかという原因が自分でわからないのです。

 阿呆か……自分の怒ってる原因くらいわかるだろ! だからお前は阿呆なんだ! 生まれた時からやりなおせ!
 とそう言われてしまっても、分からないものは、分からないのだ!^^(ここは、開き直りますよ:笑)

 こうした、自分の感情が喜怒哀楽の何にあたっているのかが自覚できない症状が重いばあい、統合失調症であったり、いわゆる多重人格や、解離性障害などとなって現れるということだ。
 結局、私の場合、肉体感覚だとか、自分の存在を幽霊みたいに感じるのも、そういうところに全て原因があるということだ。
 まあ、何にしても、怒りの表現をするときに、常にアサーションする「善き習慣」をつけていけば、いいということであり、そこを祈っていけば、いいということは明確だということ。
 生命力をつけて、自分の感情をクリアに、正確に知れる自分にならせてください! とそう祈って動いていけばいいのだぁ〜☆

 ようするに、心や脳が、念仏だの真言の命で汚れているってことだ。あ、あとストレスが溜まると、自律神経もおかしくなるので、胃腸も法謗の生命で汚れまくっているということだ。腹痛、膨満感、消化不良→慢性の栄養失調ぎみ、痩せぎすも全部、法謗のせいです。
 なので、心や脳や胃腸に自分の声で、南無妙法蓮華経をぶちこみまくって、洗ってあげれば即解決! ってなわけです。「声仏事を為す」であり「耳根得道」なので、自分が唱えた題目がご本尊に当って跳ね返った妙音を、耳ではもちろんのこと、皮膚からも、毛穴からも入れて行こうと心を開き、全身を耳にする感覚で唱題すればいいだけなのだぁ〜☆
 と、自分を励ましておく^^


この動画は、世界で第四位の再生回数なんだとか。趣味(?)ってええですな。ここまでやれたら、嫌なことなんて忘れて楽しめるでしょうね。でも、この動画の場合は、命がけですけどね……。ふふふ、昨夜はこういう動画ばっか見てイライラを消そうと努力したんですが、まだ消えないので、書いた記事だったりするんですけどねん。
最後……タイヤがバーストしてホイールで走ってやがる! クレイジーだぜぇ〜☆ ひやーほー!

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ipsilon at 14:25コメント(0)トラックバック(0) 

2010年09月03日

もう限界。
絵を描くことも苦痛。
ブログの更新さえプレッシャーになってきている。

なぜ「しなければならない」になるんだ。
重圧と焦躁感しか生まれないんだ。

社会のせいにしてるとか甘えてるとかいうけど、
いつも頑張ってない人間はクズ。
それ以外の人間の存在は認めない。
そういう日本の社会構造がおかしいんだ。
何で、生きてるだけでOKだよって言ってもらえないんだ?

そういう社会のせいで年間3万人が自ら死を選んでる。
16分に1人死んでるんだ。

子供の頃から
「こうであらねばならぬ」
そういう無言の圧力を受け、
自分が本当にしたいと思えたことなど出来た試がなかったし、
そうすることが許さたこともなかった。

ヤケ酒して完全に理性を失うことにさえ
自らブレーキすらかけてきた。
どこにも本当の自分なんていない。
いつだったか、鬱で休職していて本当に辛くなって
瓶ごとストレートで酒を煽ったことがある。
その時、部屋には同棲していた彼女がいた。
でもその子が俺にしたことは、
バケツに汲んだ水を頭からぶっかけることだった。

どうして抱きしめてくれなかったんだ?
どうして「辛いんだね」って抱きしめてくれなかったんだ?
同情が欲しいんじゃない。
愛情が欲しかっただけなのに。

その時に思ったのかもしれない。
あー俺は自分のことが愛されたり理解されることを
期待しちゃいけないんだってね。

だから、この5,6年近く苦しんでる姿だって、
誰にも見せなかった。
元カノにさえね。

第一、ほんの少し、自分を曝け出して言いたいことを言えば
元カノは逆ギレしてたくらいだからね。
鬱で酷い俺の側にいる事なんて耐えれなかっただろう。
実際、俺の鬱が酷くなるにしたがって会う回数は減ったのが
それを証明している。

この5,6年で唯一、酷い症状を曝け出したのは
とある友人に電話した時だけ。
息も絶え絶えで動悸がするなか
「もう死にたい」って電話した時だけ。

その後友人はこう言ってた。
「あんな風になるって初めて知った。どうしたらいいのか、何を言えばいいのか全くわからなかった」ってね。
その友人は俺が何年も鬱で苦しんでることを知ってた友人だけどね。

誰かが訪ねて来たって、そんな状態を見せて
お涙頂戴とか出来るはずがない。
毎回そんなことをされたら、誰だって
俺と会って話そうなんて思わなくなるからね。

だから、調子のいい時に冷静に症状の話をする。
そうすると元気そうだし大丈夫だと
俺のことを身勝手に理解する訳だ。
だから誰も本気で俺のことなど心配しない。

じゃあ、酷い有様をそのまま見せればいいのか?
無理に決まってるだろ。
家族でさえそんなもの受け止められないで
家庭崩壊おこしてるとこゴマンとあるのに
他人様がそこまで真剣になる訳ないだろ。

気が狂いそうだ。

あるのは重圧と焦躁感からくる恐怖と不安
そして虚無感と寂寥感だけ。
何を見ても何を聞いても何をしていても
気分は落ち込むばかり。
どれもこれもにNO。
心はNOしか言わない。
ほんとうはYESって言いたいのにね。

滅茶苦茶になった精神だけならまだしも、
肉体まで、自律神経までもが変調を起こす。
動悸。慢性的な緊張状態。
当然内臓は悲鳴を上げて、消化すらまともに行わなくなる。

愚痴ったところで誰も理解などしてくれない。
抑うつ剤漬けになったように見せかけたり、自分を偽って装って
生殺しのまま一生を送るしかないのかもね。

自分をみつめてそういう答えに辿りついた物語。
『Prozac Nation』みたいにね。

でもそういう抑うつ剤で有名なプロザックでさえ、
日本では認可されてない。
なぜって、製薬業界の利権構造があるからさ。
苦しんでいる人より自分達の利権を優先しておいて
気合いだ根性だとか精神論で病気を治せというこの社会は
狂っている。

プロザックは個人輸入で買えるけど、もうそんな事をする気力すらない。

プロザックを大量消費しているアメリカじゃ、
薬の成分が排水に含まれるようになって
川だか海に住む海老が異常行動を起こしてるんだとか。

そんな薬を飲むなら
死んだように生きてるほうがまだましかな。

あまりにも鬱症状がキツイので
ブログはしばらく愚痴を綴ります。
あしからず。

なにかしら、何でもいいので
楽しいと感じるまで絵も描きません。
ブログの更新もしないかもしれません。
更新するとしたら自分のしたいことをします。



両親が自分達の問題を目の前で見せ付ける。
酒を飲んで暴れた父。
そのことでヒステリーを起こしていた母。

そっとしておいて欲しいのに、
何かあると余計なお世話をし始めるから
自分のことは自分で出来るって強がらなければならない。
俺もそうだった。

救いはハイになること。
でもそれだって満足に出来た訳じゃない。
そうして、やり場のない気持ちは
自分のやりたいことすら不可能にさせる。

勇気を出して友達に病気のことを話しても、
結局生まれるのは理解ではなく誤解。

結局、人々は誰も理解せず、カウンセリングと薬物への道を
薦める。
だけど、自分に近い人でさえ理解できないことを
あまりにも遠い他人が理解できるなんて思えない。

最後には理由もわからず、
「前に進まなければいけない」という焦りだけ。



求められるのは見栄えや体裁。
だけど、求めてるのは心の中にあることを聞いて欲しいって
気持ちなんだ。

「あなたのため」という綺麗な言葉の裏には
「私に恥をかかせないで」とい気持ちがあるのはすぐに分かった。
「いつまでもそんな子供じみたことしてないで、勉強でもしなさい」
母親のこの言葉でどれだけ傷ついたことか、、、。
俺はまだ成人もしていないかったのに、
いつもそういう言葉ばかり投げかけられていたんだからね。

「そんなものじゃ将来食っていけない」
父親の言葉で俺は絵の道を諦めた。
金も社会で生きていく力もない10代で、
しかも反発すれば家族がどうなるかもわからない状況で
自分の意思を貫く勇気なんてなかった。

それから俺が社会に出て歩んだ苦難の道を見た母は言った。
「お父さんが反対しても、絵の道を歩ませてあげれば良かった。いまこうやってデザインの仕事でお金もらえてるんだからね」と。

、、、、、、何を今更。
正直そう思った。
でも、アルコール依存症の父のせいで、
気付かぬまま共依存に陥っていた母を責める気にはなれなかった。

ただあるのは、激しく泣きながら怨嗟の言葉を言いたい気持ちと、
「ごめんなさい、こんな酷いことを言ってごめんなさい」
っていう相反するふたつの気持ちだけだ。




誘い、誘われ、ベッドを共にしたって、
それが虚構なことは知り尽くしてた。
それでも誰かの温もりを感じたくて、
女を買ったことだってあった。
でも結局は虚しさが募るだけだ。

もう今は虚構さえ求める気もしない。


「私だって辛いんだ」
「私も忙しかったりするんだ」
この言葉ほど聞きたくないものはない。

ならなぜ
「君のことを思って会いにきた」とか
「昔の君に、元気だった頃の君に、戻って欲しいから」
と言った言葉が嘘に思えるから。

自分の都合が悪くなると、
誰も彼もがこう言うんだ
「私だって辛いんだ」
「私も忙しかったりするんだ」

ならば、同情なんてしないでくれ。
俺が欲しいのは愛情だから、、、。
そう思っちゃいけないのか?



ipsilon at 02:53コメント(16) 

2010年06月09日

できました。

IMG_2898


顔もいろいろ描きこみました。
うっすらと無精髭なんかも生えてるみたいだったので、
その辺も描き足しました。

なんとか見る人によって、大胆不敵とも
優しげな顔にも見えるのではないかと思うのですが・・・。

やっぱり、顔だけじゃこうはならなかったかなー。
でも、そこらじゅうデッサン狂いまくりなので
元画像と見比べないでくださいネ><b

ともあれ、所要約12時間かな。
よくガンガッタと思います(笑)。

ま、調子のいいときは、何時間でも平気なんです。
最長PCの前に36時間座り続けたことあるんです。かはは。
ま、それは締め切りに間に合わせる為の仕事でですけどね。
いくらなんでも普通にそんなこと出来ませんし、
二度と嫌です(笑)。

あー、お腹減ったのでご飯食べてきまーす!

つーことで、
映画『バルジ大作戦』で、兵士がみんなで
「Panzerlied」を歌う名場面でもどうぞ。
私には、ちょっともの哀しく見えるシーンです。



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ipsilon at 21:12コメント(4)トラックバック(0) 
IMG_2894


いきなり兵士の顔とか描きましたが、
実はこれには訳があるんです。

大げさに言えば、私のライフワークなんです。
戦争に関わっていくことは。

というより、その悲惨さとか、
極限状態でこそ、その人の真の人間性が試されるとか
そういうことを訴えて行きたいんです。
安易な表現をすれば、
危機管理なく生きていて困難な局面に立たされると、
その人の人間性が出ちゃうんです。
だから、そういった部分を普段から鍛錬したり、
自分以外の人にも危機管理のこと知って欲しい。
という思いなんです。

この兵士は第二次世界大戦中の有名な写真に登場します。
時は1944年の冬。
ドイツの敗戦が迫った頃です。

当時のナチスドイツには、武装親衛隊(武装SS)
という組織がありました。
そのなかに、ヒトラーの名前のついた部隊がありました。
ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー(LAH)です。
彼はその部隊で戦った兵士だと言われています。

作戦名「ラインの守り作戦」(ドイツ側名称)。
現在一般的には「バルジの戦い」。
そう呼ばれる作戦中に撮られた一葉に、彼の姿があるんです。

私が、この写真を見たときの第一印象は、
なんて不敵な顔つきしてやがんだ!
しかも、こんなに装備持って、こいつだんだけ戦争狂だよ!
という鮮烈な、悪の権化みたいなイメージだったんです。
その思いは今でもあります。

もともと、ナチスドイツの武装親衛隊といえば悪名高い部隊。
しかもヒトラーの名前のついた部隊ですからね。

政治的思想に惹かれて戦争やってる怖い奴。
そんなイメージを持ってあたりまえなんですよね。

でも、何度もこの写真を見て
今日この兵士を描いていたら
とても考え方が変わったんです。

1944年頃の武装SSは、
すでに結成された頃のようなヒトラー狂信者ばかりの集まりではなかったんです。
兵力が底を付いていたドイツは、もう後先かまっていられない状況でしたから。
優秀なもの、そうでないものも武装SSに入隊していたという状況だったんです。

また、武装SSにいるからといって
全員が親ヒトラーという訳でもなくなっていたのだそうです。
国防軍と比べれば、それでもヒトラーよりだったとは考えられますけれどね。
それでも、かつて武装SS隊員だった人の本などを幾冊か読んだ私は
案外普通の兵士が多かったのだと思えたのです。

彼らは祖国のため、故郷のため、そして自分自身のために戦っていた
とさえ捉えられました。

とりあえず、グダグダ言ってもしかたないので、
こちらの画像を見てみてください。

そこには、私の描いた写真だけでなく、
その時撮られた一連の写真があります。
まー、なんて大胆不敵な奴らだ!
ないだこいつら、怖えーって普通の人なら思うでしょうね。
私もそうでしたから。

でも私の描いた兵士の顔。よーく見てみてください。

案外いい男ですよね。ちょっとタレ目の旦那。
そしてどう見たってまだ若い。すごく若い。
典型的なドイツ系の顔立ちは、
F1レーサーのシューマッハみたいに
ゴツゴツした骨格で、顎とがってますね。

目はどうでしょうか?
どこかを睨んでいるという感じもせず、
なにか、虚空を掴むような感じがするんですよね。
虹彩の色はけっこう濃い方かな。

そして、けっして人を殺すことに快感を感じているような
狂人の目には見えないんですよ・・・。

こんな格好してるから、恐ろしい奴に見えるんだと思うんですよ。
ちょっと想像力を働かせてみてください。
彼がスーツ着て、蝶ネクタイしてですよ、
パーティーに出席している光景を想像してみてくださいよ。


どうですか?
そんな悪い人間に見えますか?
私には見えないんですよ。
タレ目で優しげ。意思の強い男。
笑うと多分、エクボできますよ、この人。
それにね、よーく見るとこの人、八重歯があって、
けっこう可愛い顔してるんですよ。

私の伝えたいこと分かってもらえたと思うんです。
これが戦争の恐ろしさですよ。
ごく普通の人をこんな風にしてしまうんですよ。
凶悪に見せてしまうんですよ。

もし彼が、あんな時代に生まれなければ
ごく普通に生活して、とってもモテたいい男だったかもしれないんです。
なんともやるせない気持ちです。

だから戦争は厭なんです。

この絵は、そういう諸々の気持ちを込めて描いたので
多分、写真より優しい顔に見えると思うんですが・・・。

そりゃー、歯を軽をくいしばって、虚空見てますから、
そうは見えないところもあるんでしょうが、
それでも、彼が狂人に見えることはないと思うんです。

彼自身、弾を食らったのか、どこかにぶつけたのか、
ヘルメットが軽くへこんでいたりして、
死に直面してきたことも表していますよね。

こんなにも不適で殺人鬼じみた写真でさえ、
見方ひとつで変わる。
そんな風に思うんです。

ちなみに、
この作戦のあとの彼の消息は
まったくわかっていません。
死んでしまったのかもしれませんし、
戦争を生き残ったのかすら、わからないのです・・・。

そういう人達がが生きていたこと。死んでいったこと。
そして、歴史や時代のせいで、死んだかもしれないこと。
決して忘れてはいけないって思うんです。

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ipsilon at 12:08コメント(4)トラックバック(0) 

2010年06月08日

そういえば、キツネで思い出したものがあったんです。
それはタイトルにある通り、映画『キタキツネ物語』。
これを観たころは私は10歳だったんですね。

でも、なんとなくYou tubeでサントラを検索していて
聞いていたら、目からどばっと熱いものが流れ出して、
止まらなくなってしまったんですよ。
映画の場面や語りや、キツネ役の人の声がフラッシュバックしてね。

ここからスト−リー、ネタバレなので、
知りたくない方はスルーしてください。


当時子供だった私は
流氷を渡ってやってきた雄狐のフレップが
メスのレイラと出会い、
やがて5匹の子をもうけ、
楽しそうに遊ぶ子キツネ達の姿や、
そのときに流れる楽曲にワクワクしたんです。
そういう家族の姿にね。



でも、生まれた5匹の子キツネの中には、
生まれつき目の見えない子狐がいたんです。
チニタという名の子です。

彼は、家族の負担にならないようにって、
自ら、海に身を沈めて死を選ぶんです。
もちろん、生まれながら障害を持った動物は
生き抜いていくのは非常に困難でしょう。
自然の掟の厳しさを、10歳の私は多分感じたんだと思います。
とても純粋にね。



しかし、それはまだまだ序の口だったんです。
次には、母親のレイラが人間の仕掛けた罠で落を落としてしまうんです。

ですが、フレップは
必死に子供達を育てるんです。
狩のしかた、そのほか色々、
生き抜くための術を、子供達に厳しく教えていくのです。
亡くなったレイラの分の愛情も込めてね。

そして、親離れの儀式がやってくるんです。
猛然と子供達に襲い掛かるフレップ。
最後まで抵抗したのはシニカでした。
しかし彼もこの儀式を受け入れるしかなかったんです。

どうしてみんなで暮らさないんだろう?
当時の私にとってみれば、
その儀式は不思議なことでした。
しかし、それが彼らの自然の中での生き方なのだと、
その時、初めて動物の強さを知ったんだと思うんです。

そうして、独立した子供達、
ルッサム、レブン、ヌプリ、シニカ、そしてフレップは
生きていくのです。



しかし、彼らは自然や人間からの攻撃にさらされるんです。
ルッサム、レブン、ヌプリは次々に命を落としていきます。

残った、フレップとシニカは
ある日、偶然の再会を果たします。
しかし、そこに人間達のスノーモービルが襲い掛かります。

フレップが囮になってシニカを逃がし、
フレップもなんとか窮地を脱出します。
立派に成長したシニカを認めたフレップは
この地をシニカに譲り、
自らは流氷に乗って新天地へと向かうのでした。



人間のすることの惨さ、
それでも懸命に生き抜こうとする彼らの姿。
当時どれだけ、彼らに感情移入して観たことか。

そう、多分あんなにも純粋に自然と人間の関わりとか
自然に生きる動物の逞しさとかを感じたことはなかったと
今でも思うんです。

昔はあんなにも純粋だったのに・・・
って思えたり、
あの時感じた気持ちがフラッシュバックしてきて
もう顔グチャグチャでしたよ(笑)

でもね、いいんです。これで。
かなり前のことなんですが、
アニメだかを観ていてやっぱり泣いたことがあったんですけど、
その時に自分への教訓として
ノートの片隅に書いた言葉があるんです。

「人が苦しんだり悲しんだりするのは
かつて、良い時があったことを知っているから。
愛したり、愛された気憶があるから」
だと思うんです。

あんなにも純粋に感動することが出来たんだ。
今の自分にだって出来る。
出来なくても、それを取り戻すために生きればいいんだ。
ってね、自分に言い聞かせるんです。

いやぁ〜 それにしても
久し振りに号泣した(笑)

ということで『キタキツネ物語』のエンディングの曲で
しめますよ^^



IMG_2889


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ipsilon at 14:49コメント(8)トラックバック(0) 
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