信念

2013年04月27日

 自分の人生を自分のものにしたい。自分の目標に向かってまっしぐらに歩みたい。人は誰でもそうした信念を多かれ少なかれ持っているものだろう。でも、私などの場合、その方法論に迷っているわけだ。いや、正確にいえば迷っているのではなく、その方法論をどう維持していけばいいかに悩んでいるのだ。策士、策に溺れる。そうとも言えますけどね。だが、何の自信も確信もなく、ただひたすらに信じてその道を歩むことができますか? そうできる人もいるのでしょう。しかし、私はそうではないのです。ゆえに、信ずべきものへの確信を深めようとしています。
 いってみれば、不信――そう捉えられるかもしれませんけどね。でもね、世のなかに猜疑や疑念のない人なんていないのですよ。それゆえ悩むのです。

 例えば恐怖。このとりとめのない情念がどこから湧くか、正確にわかっている人はいるのでしょうか?
 恐怖の先には憤怒があることを知っている人はいるのでしょうか?
 して、その恐怖が肉体的苦痛にともなって自然発生的に湧いてくる情念だということを知っている人がいるのでしょうか?
 かくいう私も今さっきそれを知ったので、偉そうなことは言えません。
 ですが、ここまで知らなければ、理性だの自制だのいったところで、そんなものは、海の水を柄杓ですくうように無益なものなのですよ。
 私はこんな経験をしたことがあります。うつ病が最悪だった頃のことです。必死の思いで題目を唱えていました。しかし、無性に苛々してご本尊を破きたくなる。御書を拝していてもそうでした。
 そういう自分の心に恐怖しましたよ。でも耐えて耐えて耐えぬいて唱題する日々を持続していたら、ある日、唱題中に気づいたのです。
(あれこの怒りってさ、ただ単に体がだるいから、そのどうにもならない怒りをご本尊や御書にぶつけてるだけじゃない?)――と。
 画期的な気づきでしたよ。でもね、その気づきを普通は知恵だとか情念だとかは思いませんでしょ?
 しかし、それこそが知恵であり情念であり、もっといえば感情や本能よりも格段に強い衝動なのですよ。
 つまり、知恵とはそういう衝動のことをいうのです。
 日寛上人の言葉にもそれを示唆する言葉があります。「止む能わざる」が、それです。
 信心を貫いてきた人の言葉にもそういうものが沢山みうけられます。
 「止むにやまれぬ気持ちで折伏した」とかですね。そういうことなんですよ。

 ――知恵とはつまり、止むに止まれぬ強烈なまでの衝動なのです。
 そして、それが公宣流布のためになることであれば、それは智慧になるのでしょう。

 体が疲れていて、肉体が不快感を訴えると、それは恐怖になり、苛立ちになり、やがて憤怒になるのです。
 古代ギリシャの人々はそのことに気づいていて、スポーツを発明したのだそうです。
 不要な筋肉の緊張と心的衝動を体を動かすことによって発散し、自分の中から追い払う方法がスポーツだったというわけです。そこにおまけとして、他者と競ったり記録で競ったりするという項目が追加されたのが今日のスポーツということですね。なので、近現代のスポーツはある意味では体に悪いことをしているのは、承知の事実ですよね。

 結局、人間には本能や情念にも勝る衝動を湧き起すことがあるというのが結論です。
 これが悪に向かえば、殺人や自殺に行き着きます。
 善に向かえば、犠牲すらいとわない利他行為となるわけです。強い衝動で人を殺すのですから、法律なんぞ、糞の役にも立ちません。抑止力になどなりはしないのです。
 ですが、残念ながら、この衝動――つまり智慧ですね――は、まったくもって理性で自制したり自律できる代物ではないということです。それぐらい強い衝動だということです。科学も学問も、そうした理性で智慧の発露を抑制し制御できる。そう思っているところに傲慢さがあるのです。阿呆くさいのです。ヘッセなんかは早い時期にそれに気づいて、学問的小説を揶揄しています。

 じゃ、どうすればいいのよ?
 信心するしかないんです。
 つまり信心とは、正しい善の方向への智慧の発露を促進する実践であり行動なわけです。
 しかし、ここまで頭でわかっていても、それが簡単に出来ないのが現実です。
 その理由は明白ですよね。善への智慧の発露があるのと同様のレベルで、悪や倦怠への智慧の発露もあるからです。
 が、進むしかないこともまた事実です。
 
 じゃ、どうすればいいのよ?
 「忍耐」しかありません。悪知恵の発露に耐えて耐えて耐え抜くのです。
 さすれば、いつかそれは煩悩即菩提となり、それはそのままで善の知恵へと変換するのですから。
 それが、先に述べた、御本尊を破りたくなっても耐えて唱題し続けたら、「その原因に気づいた」という体験で証明できるのです。
 つまり、止む能わざる「気づき」。それが起こるまでは、耐えるしかないのです。そしてその「気づき」こそが後々大きな「確信」へと結びつくのです。
 理性的にあーでもない、こーでもないと色々やってみたところで、所詮そんなものは「策」でしかありません。

 ちなみに、先生のご指導からすると、「即」とは「信行」のことを差すのだそうです。
 題目だけあげてれば何とかなる。それは即ではありません。
 題目をあげたうえで耐えるという行動を持続し続ける。これが即なのでしょう。
 いいかえれば、信を深めながら、今悩んでいる項目に対して努力を怠らないこと。そういえるでしょう。

 まあ、口で言うのは簡単です。「ネズミの相談」です。
 しかし、ネズミの相談のように思えてもいいのです。なぜなら、大それたことをしようとするのがネズミの相談なのですから。いきなり、一匹のネズミがネコの首に鈴をつけるとか、そりゃー無理な相談です。
 しかし、猫をおびき寄せて、そこに罠を作って、みんなで協力して最終的には鈴をつけることは可能なのです。
 誰か一人に「お前やってこいよ!」と責任をなすりあうから「ネズミの相談」になってしまうのです。
 小さな小さな課題を一人一人が一歩一歩完遂していくなかで、「ネズミの相談」は可能なことになるのです。

 私はそういう一人であろうと思うから、こういうくっだらない記事を日々書いているのです。
 忍耐ほど強いものはない。そう思うんだなぁ。

 一日に何かいも記事書いて馬鹿じゃね。そう思いたい方はどうぞ思ってください。ですが、こうしたくっだらなく見えることもひとつの行動であり、その裏には「止む能わざる」情念があることに気づける人なら、私の伝えんとしていること。また、私がどんな気持ちで自分自身を励ます記事を自分に向けて書いているかは理解できることでしょう。

 とまぁ、最後の一段が不要なことは知ってますが、これがその「止む能わざる」なのですよ(笑)。
 いいのよ。私は自分に素直なだけだから。あるがまま〜。やっぱこれが一番なのよね〜☆


ショパンであれば、静かな曲ならルービンシュタインとかだけど、やっぱ情熱的なのはこういうアルゲリッチのような演奏がええですな。中村紘子さんもパワフルなんだよなぁ。CDでも聴くかな。


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ipsilon at 20:32コメント(17) 

2012年12月19日

 どんだけスピード読書しとんねん。そんな声が聞こえてきそうだが、まあ実際そうなのだから気にもならない。
 でも、このタイトルを読むのには私は私なにり勇気がいったのです。
 私にとって本に齧りついた青春時代とは、振り返ってみたとき、もっとも美しい時代だったと感じるからだろう。じゃあ、その時代に戻りたいのか? そう聞かれて出てくる答えは微妙である。

 もしも戻れるなら、今より貪欲に本を読み続けてきたかった。そういう思いはある。しかし、戻ったところで大差ないであろう。しょせん私は私なのである。過去に戻って何かをやり直せたとしても、たいして今と変わり映えしない人生を歩んだであろうことが容易に想像できるからだ。だから、基本、過去に戻りたいなどとは思わない。
 もしも、タイムマシーンが実現したとしても、おそらく過去への時間旅行の間に、未来の記憶は消し去られるだろうと思うからだ。未来の記憶をもったまま過去へ行ける。そんな都合のよいことは小説の中でのことだけだと私は思うからだ。

 ハインラインが1956年に書き上げた『夏への扉(The Door into Summer)』は、そうしたタイムトラベルもののSFだ。タイムマシーンSFの元祖といえば、私はすぐにH・G・ウエルズの『タイムマシ−ン』を思いだす。
 この小説は二度にわたって映画化されたが、二度目の2002年版を私は高く評価している。しかし、ハインラインの『夏への扉』はウエルズが描いた資本主義社会の末路がディストピア(ユートピアの対義語)であるという痛烈な社会批判とは趣を異にする、もっと温かい人間性を描いた物語である。

 とはいっても、私がこの作品を読んだのは恐らく1980年代の中頃だ。それゆえ、正直にいえば、大まかなあらすじくらいしか憶えていなかった。それでも当時味わった感動だけは色褪せていない。
 元来私は一度読んだ本を再読することを好まない。どんなに感動した本であろうと、余程の事が無い限り再読はしない性質であり、実際そうしてきた。
 あの当時の感動を再読することで台無しにしてしまうことを好まなかったということだ。それゆえ、この『夏への扉』を読むことには相当に躊躇したのだ。
(もしも読んで、あの当時のように感動できなかったらどうしよう……。あんなに感度したという思い出がまたひとつ消えてしまうではないか……)
 そうした恐怖におののいたのだ。

 だから、今年の五月頃、どうしても読み直したくなった時、私はこの恐怖に膝を屈したのだ。今回だって恐ろしかった。読み直すことで何かを失う。そんな考えは悲観的であることはもとより承知のうえだ。しかし、私はそれまではそうした理性より感情を優先してきたのだ。
 昨日と今日、本屋に足を運び、『夏への扉』の前を行き来した。
(ちくしょう。何がどうなろうと知ったことか。あの当時のように感動できなかろうが、俺は今を生きたいんだ。過去の感傷の中になど生きたくないのだ。たとえ感動しなかろうが、また他のことで感動して未来を築けばいいだけさ)
 そう自分にいい聞かせて本をレジへと運んだのだ。

 結果、読んで正解だったんですけどね(笑)
 ぶっちゃけ、ホーガンの3部作より遥かに感動したんです。

 私が感じた気持ちをここに文字にすることは簡単ではない。というよりも、そんなことをしたいとは思わない。であるから、ここには私が心打たれた一文を抜き書きすることしかしないでおこう。


 「大変な注文だな、ダン。ぼくが会社を乗っ取ってしまうかもしれないんだよ。きみにはそれがわかっているのか? しかもこの会社は金鉱同様の価値が出るかもしれないんだぞ」
「出る。それはぼくが保証する」
「それじゃなぜぼくなんかを信用するんだ。一番の方法は、ぼくを会社の弁護士にしておくことだと思うぜ」
 ぼくは考えようとした。頭がずきんずきんと痛んだ。ぼくはかつて共同で事業をした、そしてものの見事にだまされた。が  なんど人にだまされようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。まったく人間を信用しないでなにかをやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそれ自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。


 十一の子供に向かって、世の中にはどんな貴重な荷物でも、捨てていかねばならないときがあると、どうして納得のさせようがあろう? 子供はたった一体の人形のためにでも、あるいは象の玩具ひとつのためにでも、燃えさかる建物の中へとって返すのだ。ぼくは考えたすえにいった。
「それじゃこうしよう、リッキィお祖母さんが来たら、先生にアロウヘッドへ海水浴に連れていくっていってもらうんだ。そのあと町のホテルで夕飯をたべるけど、必ず就寝時間に間にあうように帰ってくるからってね。ね、そうすればリッキィは水着とタオルは持っていけるだろ。でも、それだけだよ。ほかのものはだめだよ。でもきみのお祖母さんは、こんな嘘をついてくれるかな?」
「ついてくれるわ、きっと。必ずついてくれるわよ。だってお祖母さん、人間はどうしても少しは罪のない嘘をつかなきゃ、おたがいに仲良く暮らしてはいけないって前からいってたもの。嘘っていうものは悪用しちゃいけないけど、つかわなきゃならないときもあるんですって」


 最後に、ぼくがしていた大学の卒業指輪をはずして、エンゲージ・リングのかわりだといってリッキィに与えた。
「リッキィにはまだ大きすぎるから、指にしないでしまっておおき。きみが冷凍睡眠コールドスリープから目を覚ましたとき、また別のを買ってあげるからね」
 彼女は指輪を小さな拳の中にしっかりとにぎりしめた。
「ううん、これがいいわ。ほかのなんかほしくない」


 この後、ダンの目の前でリッキィが冷凍睡眠から覚めるシーンで、彼女は親指に指輪をしているんだなぁ。
ばかやろめん。ばかやめろん。おもわず涙腺ベタ緩みなやいか! どんだけ俺を泣かすのねん(笑)


 この世の真理がどうであろうと、ぼくは現在をこよなく愛しているし、ぼくの夏への扉はもう見つかった。もしぼくの息子の時代になってタイムマシンが完成したら、あるいは息子がいきたがるかもしれない。その場合には、いけないとはいわないが、けっして過去へは行くなといおう。過去は非常の場合だけだ。そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、機械で、かん、、で、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。


 ただし、ピートは、どの猫でもそうなように、どうしても戸外に出たがって仕方ない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。
 そしてもちろんぼくは、ピートの肩を持つ。


 随分と大量に引用してしまったが、こうした部分を読んで、私は再読して良かったと思ったのだ。
 他にも感じ入った部分はあるが、それは実際に本を手にして、各人が読み取ってもらえればと思う。

 それにしても不思議な感覚だ。私が『夏への扉』を初めて読んだとき、物語の舞台は、冷凍睡眠によって、未来(2000年と2001年)に飛んでしまった。しかし、今回再読して味わった、物語の全てが過去に変わってしまったという感覚はなんとも奇妙だ。
 つまり、2012年の今になって、1970年から2000年へと冷凍睡眠する物語を読んだということ。
 時の流れとは残酷ではあるが、それもまた肯定すべきものであると、つくづく感じたのだ。
 そうであっても、物語が古典とかしても、人間が日々営む世界や、そこかしこにある小さな思い遣りや、ちょっとした悪意や、罪のない嘘や、ただただ信じて愛することは、何も変わっていないのだ。
 素晴らしき人間性に万歳だ!


世界の中心にある自分が一番すべきこと。それは自分を信じぬくことだろう。
その世界そのものと自分の可能性とを。
そして、その先に必ずある、夏への扉を……。

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ipsilon at 06:14コメント(0)トラックバック(0) 

2010年11月17日

スツーカはコクピットを塗って胴体の左右を張り合わせました。
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本当は、昨日ここまでやるつもりだったんですけど、
1、2時間ちょっと寝るかなぁ〜って横になったら朝だったのです(笑)
なので、とりあえず今日は昨日の目標までは絶対ヤルとガンガリました。

「本当は遅れを取り戻さないと!」と、
この先までやってからブログを更新しようかと思ったんですが、
今日は私にとっては大切な17日なので、
それに関しての事を優先してやることにしました。


心の傷の回復に挑んで7ヶ月が過ぎました。
長かったような短かったような。
でも、今年の4月頃と較べたらまるで別人みたいな心になった
自分が今ここにいることを知っています。

ここ最近、傷の症状がどんなだったか。
それを思い出せません。
まぁ生活は相変わらずで
したいようにして生きてますが、
それでも不眠症に悩まされることもなく
不規則な生活ではあっても、
それを不謹慎だとか不安に思わなくなりました。

生活は不規則でまだだらしないけど、
やろうと決めたことだけはキチンとやってる。
つまり、弱い自分に負けないということだけは
なんとか出来てるってことでしょう。

いつもならここでスティーブ・ジョブズ氏のスピーチの
動画を埋め込むんですが、
もうそれはとりあえず卒業します。

無論、彼のスピーチは今でも私にとっては必要なものです。
でも、大分彼の言葉が自分の心に居ついたことが分っているので、
いつまでも同じスピーチに執着するのは止めようということです。

ということで今月からは、別のものを埋めます。
とはいっても同じジョブズ氏の言葉ですけどね(笑)



動画のBGMの曲は
Like A Rollin' Stone ですね。

留まっていてはダメ! 転がり続けよう!
ジョブの言葉にもあるエッセンスですね。

Keep looking! Don't saddle! と。

よく戦争映画で敵に撃たれまくると兵士はこう叫ぶシーンがあるんです。

Move it ! Move it! と。

こういう場面での英語ってのは凄いと思います。
日本語だったら、逃げろ! 逃げろ〜!とか
うあぁああああああああとかいった声にならない叫びなんですね。

でも英語はそこが違う。緊急時でも非常に具体的(笑)
留まるな! 留まるな! 危険を避けろ! 穴から這い上がれ!

Move it !にはそういうパワーがあると思うんです。
東洋と西洋の文化の違いですけど、
英語の素晴らしいところだって思いますね。


ということで、自分も7ヶ月目ということで
一歩を踏み出そうかなと思う訳です。

これまでこのブログをある程度読んできた人なら
私がいかなる信念に基づいて
薬も一切飲まずに自分探しをしながら
傷の回復に挑んできたかは、ある程度ご存知でしょう。

でもその真髄が何だかということを直接言葉にしたことはなかったんですね。

つまりは、私の信念とは
創価学会の教える日蓮仏法であるということなんですけどね。

別段隠してた訳でもないんです。
ただ、この仏法は本当に正しいものですから
この仏法を口にするということは
我が身に誹謗中傷を受けることを覚悟しなければ
出来ないことなので、
そういった誹謗中傷に耐え、
且つ、そういった悪
(正しい教えに則って生きようとする生命を弱くする力=魔)
と闘う準備もなしに公言しようと思わなかっただけなんです。

魔を魔と見破ればどーってこと無いんですけどねー。

見方によれば保身に見えるでしょう。
臆病にも映るでしょう。
ですが、本当のところ、私の心は私にしかわからないのです。
それを他人が外から眺めてあれこれ判断することは出来ないのです。

まぁ、そういう信念を貫ける自分に再生できてきただろう。
そう思ったから自分は自分の中の一歩を踏み出そうと
決意したまでのことなんです。

まぁ、今は誰に何を言われても
どんなに馬鹿にされようが平気ですし、
間違ってる輩とは、相手が滅ぶまで徹底的に戦う
気構えがあるということです。
学会宣言をしたところで
恐れるものなど何もないのです。

宗教の王者、創価学会は獅子です。
獅子の子は獅子ですから
恐れとは無縁であらねばならないのですしね。



この1ヵ月、自分の生活習慣の不手際で風邪を引きました。
やりたいことが出来ない悔しさ。
これを散々味わいました。
でも創価学会第二代会長、戸田先生は言いました。

体の病気なんていうのは、
気をつけていればならないものなんだ。
でも心の病気はそうじゃない。
だったら、体が健康でありますようになんて
祈るのは勿体ない。
そんなことは自分で気をつければいいだけ。

そんなことを祈るのに時間を使うなら、
もっと大切なことを祈ったほうが価値的だと。

くはー、さすが戸田先生。厳しいなぁー!
とか思いながらも言ってる事間違ってないんだよねーと
自分の生活習慣のだらしなさを反省しました。



この1ヵ月のブログを再確認すれば
古鷹完成の日がちょうど一ヶ月前。
そこから金魚と氷川丸を完成させ、
放置していた零戦を仕上げ、
今はスツーカを組んでいた訳です。

こうやって見返してみれば
「なんだ俺、結構頑張ってきてたんじゃん!」と
ちゃんと分るんですけど、
この1週間ほどの風邪で行き詰った(鼻も詰まった)
生命活動が弱まった余韻のせいで
自分の信念や自信に少し不安があっただけじゃないか。
今日はそう気付けた訳です。

ジョブズの言う、点と点を繋げるが、
こういう作業なんだと思います。



まだ私が元彼女と一緒にいた頃、
良く歌っていたマッキーの曲があるんですが、
私はカラオケに行ってその曲を歌うと
自分が情けなくなっていつも途中で泣きそうになって
最後まで歌えなかったんです。
今でも多分、泣きそうになると思います。

マッキーは1999年に大麻所持で逮捕されたことがあるんですね。
彼は刑が言い渡されて、執行猶予の期間、
アーティストとしての活動を休止しました。

復帰してからのマッキーの詩は
明らかに変わりました。
これまでの恋愛だとか優しく生きるとかいう歌詞から
他人を精一杯励まそうとする歌詞に。

それは多分、
逮捕されたことで自分とその周囲を見つめなおしたからでしょう。

そうして復帰した頃に作った曲が「太陽」なんです。

コンサートのMCで、マッキーはこんな風に言ってました。
「今までは、恋愛だとか優しい気持ちの歌を作ってきたけど、
んとね、もう今はそういうのはイイヤって感じなんだよね。
なんていうか、んとねー、
そう、人を励ます歌、人を元気にさせる歌、
これからはそういう歌を作って、
そして歌って行きたいって思ってるんですよー」と。

そんなマッキーでさえ、
あの日、あの時の反省をし続け
2005年ごろまでは、よくこの「太陽」を歌っていたんだな。
弱い自分に負けないようにってだろうね。


どうしようもなく傲慢だった自分。
感謝の出来ていなかった自分。
いまは何をどうすればいいか分った自分。
「太陽」の歌詞にはそういうものがあります。


かつて心の傷で絶望のどん底にいた私は
「太陽」を歌う度に
どうしようもない自分、
どうすればいいか頭ではわかっているのに
どうしても、いうことを聞かない心を感じて、
悔しくて悔しくて悔しくて、そして悲しくて、
「太陽」を歌おうとするとどうしても
涙が込み上げてしまったんです。

今日、「太陽」を聞いてみました。
微妙にまだ泣きます(笑)

結局は
「喜びも悲しみも自分で全て心に招き入れてきたんじゃないか!」

そうだ俺は
「誰かのための幸せを当たり前のように祈りたいんだ!」
かつてはそうできていた自分がいたじゃないか、、、。

今そういう気持ちが私の「心」にあるのが良くわかる。

だから、絶対にこの歌を優しい気持ちで
誰かに歌ってあげられる日を実現させるのだ!!





世界には本当に心の綺麗な人がいる。
どうしてそんなに美しい心でいられるんだって
驚くばかりの人がいるんです。
本当にそういう人はいるんですよ。

マッキーはコンサートのMCでそう話していた。

それが誰だとか、どんな存在だとかいう答えは
もちろん教えてなんてくれないけど、
今確信する。それは母親だと。

子を思う母親の心ほど優れて偉大なものはない。
だから、ひとりひとりのお母さんの祈りが世界に届けば
世界は自然も動物も人間もみんな幸せになれる。
こういう法則が世界には絶対に存在する。

だって誰にでもお母さんという存在はいるんだし、
自分の子供が苦しい思いをするのを見たい母親なんて
いないんだからね。

マッキーは活動を休止したとき。
彼はいままで側に居すぎて気付かなかった
母の偉大さに気付いたんだろうね。
そう思う。


無論、私を立ち上がらせたのも我が母だ。
母親の思いに応えられる自分になりたい。
私がここまでこれたのは
我が母の思いに応えたいという信念を掴み取ったからだ。


今日は最後に
母の思いが世界に広がれば世界は幸せになれる。
という思いを込めた
我が人生の師匠、池田先生の「母」という詩を書き止めておく。



   『母』

 母よあなたは

 なんと不思議な 豊富(ゆたか)な力を

 もっているのか

 もしも この世に

 あなたがいなければ

 還(かえ)るべき大地を失い

 かれらは 永遠に 放浪(さすら)う




 母よ わが母

 風雪に耐え 悲しみの合掌(いのり)を

 繰り返した母よ

 あなたの願いが翼となって

 大空(おおぞら)に舞くる日まで、

 達者にと 祈る




 母よ あなたの

 思想と聡明(かしこさ)で 春を願う

 地球の上に

 平安の楽譜(しらべ)を 奏でてほしい

 その時あなたは

 人間世紀の母として 生きる


 その時 あなたは

 人間世紀の母として 生きる





この7ヶ月間、
影に日向に私を支えてくれた人全てに、心から感謝します。
本当にどうもありがとう!!

またよろしくね(笑)


世界や自然の美しさは変わらない
それを写す人の「心」の鏡は磨かなければいつか雲ってしまう。

いかようにして磨くべきか。
日夜朝暮に怠らず、ただ「南無妙法蓮華経」と唱えるなり。
これを磨くとは申すなり。

さあ、明日も「心」の鏡を磨いて
世界の美しさが一瞬で移りこむ「心」の鏡でいようじゃないか!



【追記】
IMG_3485

おっしゃ、遅れを取り戻したぜい!
機体と主脚カバーの貼りあわせ部分の軽い成形完了!
高い集中力が必要な部分は
まだ鼻タレ小僧なので明日ゆっくりやります(笑)

シャワー浴びて、桃缶食べて寝ようーっと(笑)



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