ヒトカラで4時間程唄ってきました(・∀・)続きを読む
戯言
久しぶりに友人と逢ってご飯食べて、そのノリでかなり久しぶりのカラオケに乗り込みました。
・LUNA SEA
『Rouge』
『RECALL』
・Kagrra,(Kagrra)
『奇祭』
『闇に散りけり…』
『凛』
『蓮』
・ Tourbillon
『I'm just a Mermaid』
・GLAY
『MISERY』
・Kalafina
『sprinter』
・PSY・S
『Angel Night~天使のいる場所~』
・See-Saw
『君がいた物語』
・シャ乱Q
『上・京・物・語』
・ 宇多田ヒカル
『Can You Keep A Secret?』
・天野月子(天野月)
『聲』
・野猿
『Get down』
・筋肉少女帯
『機械』
選曲が古いって?
……気のせいでしょう(*'ω'*?)
・LUNA SEA
『Rouge』
『RECALL』
・Kagrra,(Kagrra)
『奇祭』
『闇に散りけり…』
『凛』
『蓮』
・ Tourbillon
『I'm just a Mermaid』
・GLAY
『MISERY』
・Kalafina
『sprinter』
・PSY・S
『Angel Night~天使のいる場所~』
・See-Saw
『君がいた物語』
・シャ乱Q
『上・京・物・語』
・ 宇多田ヒカル
『Can You Keep A Secret?』
・天野月子(天野月)
『聲』
・野猿
『Get down』
・筋肉少女帯
『機械』
選曲が古いって?
……気のせいでしょう(*'ω'*?)
先日、とうとう祖父が他界した。
私にとって、"祖父"という立ち位置よりも"父親"という方が近かった存在で。
とはいっても、幼い頃はそんな事考えもしなかったし、考えもできてなかった。
互いの距離が本州と九州に離れてから、
年に一度逢えるか逢えないかの長期休みが待ち遠しく、
小学校中学年頃までは、本当に「祖父と孫」という当たり前な関係が唯嬉しくて。
けれど、中学に上がって両親の事情によりこちらに身を置いてくれるようになってからは、
なんというか"嬉しい"のと同時に言葉は悪いが“煩わしい”と感じる事もあった。
祖父――そして祖母がわざわざこちらに身を移したのは、
世間的には未だ“中学生”という私と妹の生活を案じての事であり、
勿論、子供ながらにソレは理解をしてはいた。
だけど、ソレだけで。
この祖父と祖母がくれた時間の意味に気付いたのは、
恥ずかしながら意外と最近な事でもある。
自立できるようになり、お互いまた少し距離を置いて、
月に何度か顔を見せるというサイクルの中でも、
二人に逢う時間よりも別の事をする時間の方が大切で、面倒だと考えてもいた。。
いや、正直に云うと今でもそういう面は在るのだろう。私は元々そういう考えを持っている。
そうして、最低限の“対面”を繰り返した後、凡そ6年程。
私と祖父母、三人で同居する期間が在った。
想い返せば、その期間で祖父と祖母と言葉を交わしたのは意外と少ない。特に祖父とは。
祖母は世話焼きな性分のせいで私の機嫌や状態などお構いなしに接してくるが、
祖父はそうではなく、いつからか時間のすれ違いにより食事の席を自室に移した私は、
祖父の顔を見ないという日も、実は在ったのだ。
伴に暮らす。
その意味が解っていなかったのか。……いや、そうじゃない。
その選択を名乗り出たのは自分なのに、その意味を放棄した。
そうして、この2年ほど前に祖父母は父親のところへと身を移す。
コレは父親が提案した事であり、世間一般では当たり前とされることも多い状態ではあろうが、
こうやって私と父は、祖父母を随分と振り回したのだろう。
6年という時間を経て、再び還ってきた一人という自由なはずの時間。
だけど、初めてソコで気づいた。思い知った。
二人が居たという事実。伴に居たという事実。ぞの時間が与えてくれていた温もり。
教養や作法など、所謂躾というものを学んだとかそういうものではなく、
私に……いや、現在の私にとってもっと大切な、誰かが居る・居てくれるという時間。
傍に居るだけでいい。
漫画やドラマでは、よく恋愛上で吐かれる言葉ではあるが、
私にとって、祖父母との関係は正にコレだったのだと思う。
今こうして記事を書きながら想い返すと、涙が出ている。
この涙は、祖父を亡くした事への悲しみなのか。
それとも、祖父に対する謝罪といった後悔からに因るものなのか。
倒れてからは、ついに一度も言葉を交わす事はなかった。
目は何度か開けたが、恐らくその時にはもう自我はなかったのだろう。
キョロキョロと動く目は、私は疎か祖母も父も捉えはしなかったから。
ただ、若しも言葉を交わせたとして、私は何を伝えたのだろうか。
そういう状態であった祖父に、どんな言葉を掛けるべきなのか。掛けるべきだったのか。
未だその答えは出ていないけれど、今は唯一言。
一言を送ろうと思う。
祖父が何を想い逝ったのか、ソレを知る術は無いし考える必要もない。
大事なのは、私の祖父への想い。
「おじいちゃん、ありがとう」
私にとって、"祖父"という立ち位置よりも"父親"という方が近かった存在で。
とはいっても、幼い頃はそんな事考えもしなかったし、考えもできてなかった。
互いの距離が本州と九州に離れてから、
年に一度逢えるか逢えないかの長期休みが待ち遠しく、
小学校中学年頃までは、本当に「祖父と孫」という当たり前な関係が唯嬉しくて。
けれど、中学に上がって両親の事情によりこちらに身を置いてくれるようになってからは、
なんというか"嬉しい"のと同時に言葉は悪いが“煩わしい”と感じる事もあった。
祖父――そして祖母がわざわざこちらに身を移したのは、
世間的には未だ“中学生”という私と妹の生活を案じての事であり、
勿論、子供ながらにソレは理解をしてはいた。
だけど、ソレだけで。
この祖父と祖母がくれた時間の意味に気付いたのは、
恥ずかしながら意外と最近な事でもある。
自立できるようになり、お互いまた少し距離を置いて、
月に何度か顔を見せるというサイクルの中でも、
二人に逢う時間よりも別の事をする時間の方が大切で、面倒だと考えてもいた。。
いや、正直に云うと今でもそういう面は在るのだろう。私は元々そういう考えを持っている。
そうして、最低限の“対面”を繰り返した後、凡そ6年程。
私と祖父母、三人で同居する期間が在った。
想い返せば、その期間で祖父と祖母と言葉を交わしたのは意外と少ない。特に祖父とは。
祖母は世話焼きな性分のせいで私の機嫌や状態などお構いなしに接してくるが、
祖父はそうではなく、いつからか時間のすれ違いにより食事の席を自室に移した私は、
祖父の顔を見ないという日も、実は在ったのだ。
伴に暮らす。
その意味が解っていなかったのか。……いや、そうじゃない。
その選択を名乗り出たのは自分なのに、その意味を放棄した。
そうして、この2年ほど前に祖父母は父親のところへと身を移す。
コレは父親が提案した事であり、世間一般では当たり前とされることも多い状態ではあろうが、
こうやって私と父は、祖父母を随分と振り回したのだろう。
6年という時間を経て、再び還ってきた一人という自由なはずの時間。
だけど、初めてソコで気づいた。思い知った。
二人が居たという事実。伴に居たという事実。ぞの時間が与えてくれていた温もり。
教養や作法など、所謂躾というものを学んだとかそういうものではなく、
私に……いや、現在の私にとってもっと大切な、誰かが居る・居てくれるという時間。
傍に居るだけでいい。
漫画やドラマでは、よく恋愛上で吐かれる言葉ではあるが、
私にとって、祖父母との関係は正にコレだったのだと思う。
今こうして記事を書きながら想い返すと、涙が出ている。
この涙は、祖父を亡くした事への悲しみなのか。
それとも、祖父に対する謝罪といった後悔からに因るものなのか。
倒れてからは、ついに一度も言葉を交わす事はなかった。
目は何度か開けたが、恐らくその時にはもう自我はなかったのだろう。
キョロキョロと動く目は、私は疎か祖母も父も捉えはしなかったから。
ただ、若しも言葉を交わせたとして、私は何を伝えたのだろうか。
そういう状態であった祖父に、どんな言葉を掛けるべきなのか。掛けるべきだったのか。
未だその答えは出ていないけれど、今は唯一言。
一言を送ろうと思う。
祖父が何を想い逝ったのか、ソレを知る術は無いし考える必要もない。
大事なのは、私の祖父への想い。
「おじいちゃん、ありがとう」
昨日のお昼にTwitterで呟いた件について、ここで綴ってみる。
件のtweet↓
https://twitter.com/irisfaint/status/497585965892775936 続きを読む
件のtweet↓
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