ストリート・ロックの時代

 はじまりは1975年。ブルース・スプリングスティーンが「明日なき暴走」で打ち出した「STREET」の匂いのする都会(まち)ロック。これは「ポップ・ミュージック全体の都会化」と「シンプルなロックンロールへの回帰」というその後の流れを象徴するもので、当時の若者のリアルな思いもこめられた”時代のロック”だった。そして、当時の日本のレコード会社は「ストリート・ロック」と銘打った。  このブログは”50年代のエルヴィス・プレスリーのように、70年代半ば以降のロック・シーンにスプリングスティーンを置いてみるという試みで、その見取り図のようなものだ。  (そして、同じくこの「都会ロック」の時代を牽引した重要人物としてビリー・ジョエルも欠かせない。)  また、佐野元春、浜田省吾、尾崎豊の「御三家」を核とした日本のストリート・ロックについても検証したい。  そして、「明日なき暴走」は新たなヒーロー像も生み出した。”等身大”で”陰影のある”都会のワル。これは、ロバート・デ・ニーロやスタローン、日本のショーケン、松田優作などともシンクロするものだった。  ストリート・ロックとはロックンロールとそんな時代特有の”ヒロイズム”がわずかな間手を結んでいた、そんなジャンルでもあったのかもしれない。それは、社会的敗者である若者が都会の夜のなか一瞬だけヒーローを夢想する、という儚いヒロイズムであったのだが、、、。 (筆者:堀克巳)

 先日、田中ミツル(Mitsuru With The Blake's)のライヴを大成功させた名古屋のストリート・ロック系イベント「Beat The Emotion」。いよいよ特別企画第2弾が決定しました。

 尾崎豊のバックバンドとして有名なHEART OF KLAXON(ハート・オブ・クラクション)のギタリストだった江口正祥(まさよし)とサックス奏者阿部剛の二人によるスペシャル・ライヴです。

 尾崎豊没後25年ということで4月に出版された追悼本「尾崎豊FORGET ME NOT」でも、貴重な証言をしていた彼ら。このライヴでは、彼らの演奏で尾崎のレパートリーを歌える「オープン・マイク」のコーナーもあるそうで、熱心なファンにはとても貴重な体験になると思います。



     8/12(土)    ロック・バーUK(予約TEL 052-701-0081)
    開場18:00~  開演18:30~
    予約 2000円 当日 2500円(+1drink order)

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 日本のストリート・ロック御三家、浜田省吾、佐野元春、尾崎豊について共通点を考えてみると、ロックンローラーとしての作品をリリースする直前は三者とも全然ロックをやっていなかったというのはすごく興味深いことだ。そして、三者ともスプリングスティーンの手法をそれぞれのキャラに見合った角度と解釈で取り入れている。

 浜省はシティ・ポップ、ニューミュージック的な作品をリリースしていたし、デビュー前の佐野は都会的な作風のピアノマンで、尾崎はプロデューサー曰くさだまさしか岸田智史のような印象のフォークをやっていた。曲のセンチメンタリズムというか情感、に対する意識、感覚が強い、ということが共通点ではないかと僕は思う。中学の頃からひたすらスリー・コードのロックンロールばかりやり続けてました、という人では少なくとも日本のストリート・ロックは作れなかったのかもしれない。この時代、都会を歌にする場合、メロディーによる”ロマンティズム、情感”も重要だったのだ。

 他にもこの頃、長渕剛、あんべ光俊、八田雅弘などフォーク、ニューミュージック系のアーティストがロック路線に切り替えていた。彼らは、みな歌詞にこだわりがある人たちでもあるが、メッセージ・シンガーというよりも叙情的だったりメロディアスなポップをやったりしていた人たちだ。

 内省的で情感のあるシンガー・ソングライターをロックに駆り立てた

と言うのが、このころのスプリングスティーンの日本のアーティストへの影響の最大の特徴だったのではないだろうか。

 そして、内省的な人に火をつけたということでは、最も極端な例が尾崎だろう。

 「街の風景」「ダンスホール」などデビュー前の彼のレパートリーはやさしくメロディアスな曲が多いのは良く知られている。

 ただ、彼の内面には”過剰すぎる内省”があった。

 それは、フォークギターをつまびきながら延々と言葉をつむぐだけでは燃焼しきらないものだったのかもしれない。そして、彼はスプリングスティーンのロックンロールの存在を知り、そのソングライティングの手法を借りて、自身の強い思いと言葉を乗せて、外に向かって吐き出していくことでのカタルシスに、誰よりも彼本人がハマってしまったのかもしれない。

 ロックンロールをやることで、自分自身がある種のアンプリファー(増幅装置)になったのだ。吐き出される言葉がビートによってパワーを増し、それがまた自分をどんどん煽ってゆき、創作やパフォーマンスにおいていっそう内面への負荷のアクセルを強めてゆく。そして、吐き出される言葉はだんだん客観性を失ったゆく、、。彼の歩みを振り返ると、そんなイメージが浮かぶ。

 ロックンロールというフォーマットにどんな言葉を乗せるか。もちろん、表現は自由なものではあるが、ロックンロールには麻薬のような面もあるので、乗せる言葉によって想像以上の相乗効果を生み、それが予期しない事態を招くこともありうるのだ。彼の場合、それがファンに向けて自身のカリスマ性をより高める効果も高かったが、だんだん自身をも追い込み蝕んでゆくものでもあったのかもしれない。

 ともかく、デビュー当時「ロックンロールってなんですか?」と真剣に聞いたという彼が、数年後に自身のライヴの核はロックンロールだ、とまで語るようになったわけだから、急激な変化だ。

 さて、このライヴ・アルバムは彼は20歳になる直前、代々木オリンピックプールでのライヴを収めたものだ。演者のエネルギーがこんなにあからさまにあふれ出ているライヴ・アルバムは異例だと思う。

 この前にピックアップした同時期の佐野元春や浜田省吾のライヴ作品とは明らかに違う。3人ともそれまでの活動の大きな”句読点”的なライヴで、佐野、浜田のアルバムにはには何らかの達成感が感じられるのだが、尾崎の場合、アルバム3部作を作り上げた十代最後の記念すべきライヴなのに達成感がない。十代三部作というのはあくまでも周りが作ったハードルであって、彼にはそれによる達成感などなかったのかもしれない。ただただ自身を駆り立ててゆくような性急さと、特殊な才能が巨大になっていくのを目の当たりにさせられるような、そんな特殊な勢いがあるライヴだ。

 そして、直前のサードアルバム「壊れた扉から」で見られた、荒削りでなにか崩れ落ちそうな危うさが、より顕著になっている。ただ、荒削りで危ういところが、かえってロック・ナンバーではプラスになっている。

 ストリート・ロック感、スプリングスティーンっぽさはオリジナル・アルバムよりはるかに強い。「BOW」などはアルバムよりワイルドでいいし、そういう意味では全般的に彼のバンド、Heart Of Klaxon の貢献は大きい。
 尾崎は、バンドに対して”もっとスプリングスティーンっぽく”と何かにつけ言っていたようで、アレンジの節々に、E.STREET BANDっぽさを工夫している。

 バンドはもともとApril Bandという名前でサザン・ロックをレパートリーにしていたようだ。決してソリッドなロックンロールが得意だったわけではないので、彼らもきっとかなり苦労しながらサウンドを作り上げていったのだろう。
 選曲、本人とバンドのパフォーマンスも合わせて考えても、充実した、かつ貴重なライヴ・アルバムだと思う。

 ちなみに、このライヴの後彼は、1983年の中野サンプラザでのライヴ後の佐野元春同様、ニューヨークに渡り生活を始めるのだが、それによって佐野が「VISITORS」という成果を生んだのに対して、尾崎は自身の内面をより追いこみ荒ませてしまう大きな契機になってしまったようだ。


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日本のストリート・ロック究極の到達点 パクリではなくクリエイティヴな”憑依”

 「ノー・ダメージ」デラックス・エディションに収録され、初めて日の目を見た貴重なライヴ音源。この音源単体でも配信されている。

 佐野元春こそ、日本のストリート・ロックを先頭切って切り開いた人であるが、スプリングスティーンのパクリという揶揄する声が最も集まったのも彼かもしれない。しかし、佐野とスプリングスティーンは音楽家としての本質はかなり違っている。あらためて彼の初期三作を聴き直してみたが、当時思っていたほどにはスプリングスティーンっぽくはないな、と思った。スプリングスティーンっぽさを纏っているのは間違いないが。

 彼に本質的に影響を与えたのはボブ・ディランであり、ルー・リード、ランディー・ニューマン、トム・ウェイツなどである。大前提として彼は都会的なセンスがあって、独特のひねりのある作風のアーティストを好んでいて、直接的な表現をするアーティストには本来共鳴しない。

 彼はデビュー直前にジャズやポップスやバラードが主なレパートリーのピアノ・マンからロックン・ローラーへ転身することを決めたわけだが、その中でも都会的であること、そして歌詞に独創性があること、ということは本質的な彼の美学として最も重要視したはずだ。そして、その中で最も近いイメージを持っていたのが当時のスプリングスティーンだったのではないかと思う。ピアノとサックスが目立った都会的なバンド編成、ディランの影響も感じられる寓話的な歌詞というのが大きいのだろう。(実際、歌詞のリアリズムの傾向が強くなりサウンドも都会的でなくなった「ネブラスカ」以降のスプリングスティーンには共感できなくなったと彼は発言している)。

「彼から影響を受けたというよりも、僕は彼のソングライティングの手法を学習している、訓練している。」
 と当時彼はスプリングスティーンについて語っている。かなり、プラクティカルなアプローチだったのだ。
 影響じゃなく、学習、かつ訓練しているという表現が興味深い。自分の文法を作るためのあくまでも教材だったのだろう。小山卓治も同様のアプローチをしたのではないかと想像するが、彼の場合「闇に吠える街」以降のリアリティー重視の時代、佐野は初期の寓話的でいくつものイメージが流れるよ表現をしていた時代をテキストにしていたと思う。それは、もとをただせば彼の最大のアイドルであるボブ・ディランにつながるものだが。
 そういう作詞術を参考ししながらも、当時の彼はまず都会的で軽快で粋であること、そして、ポジティヴに響くこと、に腐心して脚色していたのではないかと僕は思う。それはもともと彼が好んだジャズのフィーリングにも影響を受けているのかもしれない。



 また、言い方は悪いが”にわかロックンローラー”だった彼は,当然デビュー当時のライヴ・パフォーマンスのクオリティーは低かったようで、そこが大きな課題でもあったようだ。パフォーマーとしてもバンドとしても最高のライヴをやること。そのためのメインの教材もスプリングスティーンだった。

「中でも特にブルース・スプリングスティーンのステージから学んだことは多かったかもしれない」
 と彼は語っている。

 当時、スプリングスティーンのライヴのハイライトとして評判になっていたのが「デトロイト・メドレー」、1960年代に活躍したミッチ・ライダーというソウルフルな白人ロック・シンガーがやっていたハイテンションなロック・ナンバーのメドレーだ。当時佐野はその「デトロイト・メドレー」をライヴのメニューに入れていた。いくらなんでも、そこまで真似しなくても、と当時は思ったものだが、R&Rバンドとしてのクオリティーとテンションを上げるための格好の”練習曲”でもあったのかなと今では思う。
 佐野本人も古き良きR&Rのノリをよみがえらせるという意識が高かったようだし。ぴったりの素材だったのだ。
 その後「デトロイト・メドレー」は彼の曲「ハッピーマン」を核とした「ハッピーマン・メドレー」に変わるわけだが、その「ハッピーマン」のAメロのノリはミッチ・ライダーの「悪魔とモリー」に似てたりするわけだが、、。

 ともかく、アルバム「サムデイ」が売れ、ライヴ・パフォーマンスのクオリティーもどんどん上がってきた、まさにピークのタイミングのライヴがこれだ。尾崎豊も吉川晃司も見て大きく影響を受けたとのことだ。

 そして、このライヴ音源こそ
 ものすごく、スプリングスティーンっぽい のだ。


 バンドの主役は完全にサックス、ピアノ、ドラム。こんなにエレキ・ギターが目立たないロック・バンドはそれまで、日本にいただろうか?まさにE.STREET BANDっぽいノリが満載だ。

 オリジナル・アルバムでは、それほどじゃなかった「ハートビート」や「ロックンロール・ナイト」のアレンジもぐっとE.STREET BANDっぽい。
 何といっても驚くのは子のライヴの「悲しきレイディオ」が完全に「明日なき暴走」化していることだ。オリジナルのノリを無視したようなハイテンションで、間奏明け間近の煽る感じなんかは敢えて”まんま”「明日なき暴走」をやっている。それに続く「アンジェリーナ」もオリジナル音源よりはるかにスプリングスティーンっぽい。

 どこまでパクれば気がすむんだあ!

 30年以上前の音源に対して今更ながら叫びそうになったが、これは非難ではなく、ものすごくうれしくなったからだ。

 このパクリ方、最高だ。

 いや、正確に言うならこれは憑依だ。佐野元春の憑依体質が凄すぎて、バンド全体にまで憑依が及んでいるとしか言いようがない。洋楽のパクリものによくある、いけしゃあしゃあ、とした醒めた開き直りみたいなものは微塵もなく純粋に全身全霊でやっている感じがある。

 しかも、スプリングスティーンとE.STREET BANDの作法をがんがん使いながらも、自身のこだわりである「幸せなロックンロールをやる」という指針は1mmもぶれていない。軽快で楽しいライヴだ。楽しさと重苦しさを両方打ち出すスプリングスティーンとは決定的に違う。

 そして、このポジティヴで軽快な感じは、この時代の(80年代前半)の日本に良くフィットしている。
 この音源こそ、日本のストリート・ロックの到達点と言ってしまっていいだろう。このライヴで佐野元春自身もこのスタイルを極めたというか、やりつくした感はあったのではないか?

 興味深いのは最後の曲「グッバイからはじめよう」。これは、彼のアマチュア時代の曲で、シングルでリリースされたときはちょっとビートルズというかジョン・レノンのような雰囲気を感じたが、ここではギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」調でピアノで弾き語っている。そう、ファーストアルバムに入っていた「GOOD TIMES BAD TIMES」もギルバート・オサリバン調だった。彼がロックンローラーになる以前はメロディアスな曲を書くピアノ・マンだったことを思い出させるようなムードがある。

 そして、このライヴのあと、彼はニューヨークに渡りHIPHOPに急接近し「VISITORS」を作ることになるわけだ。
 それを考えると、僕には彼がストリート・ロッカーとしてのスタイルを、このライヴの最後を「グッバイからはじめよう」で締めることで一旦リセットしたように思えた。



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 浜省流ストリート・ロック全開のライヴ

 日本のストリート・ロック御三家(僕が勝手に命名)、浜省、佐野元春、尾崎豊の80年代前半〜半ばくらいの作品は、スプリングスティーンの影響が強いとよく言われてきたし、僕もそう思っていた。
 しかし、あらためて聴き直すと、昔感じていたほどではなかった。85年の4月まではほとんの日本人が生身のスプリングスティーンを見たことがなかったわけだから、”イメージ”のスプリングスティーンと彼らを比較して似てるとかパクリだとか言っていたのだと思う。
 実際に高校生の僕がそうだった。浜省や佐野元春を聴き始めた友達に、アメリカにブルース・スプリングスティーンってアーティストがいて、彼らはその真似をやってるんだよ!と必死に訴えていた記憶がある。でも、85年に初めて見たスプリングスティーンのステージは涙が止まらなくなる程の経験ではあったのだったが、僕がイメージしていたものとは全然違っていた。単なる都会的な格好良さとかカリスマ性とかじゃなく、アメリカのロックンロールの歴史の重みの凄さを目の当たりしたというか。アメリカと日本の音楽って全然違うんだな、とあたりまえのことを痛切に思ったのだ。

 もちろん、御三家は”イメージ”のスプリングスティーンを自身の創作の大きなモチベーション、ヒントにしていたのは間違いないと思う。ただ、それは少なくともパクリや物真似では終わっていない。彼らにはそれぞれ強い創作的エゴと言うか、独自の世界観というのが強固にあったので、その影響は表層に留まっている。”一皮むいたら”スプリングスティーンっぽさはほとんどない。もちろん、それだからこそ、3人とも日本のポピュラー音楽史に残るような存在になっているわけだが。

 仮に例えば、創作者としてもっとスプリングスティーンに気質の近い人が日本でロックをやっても果たして売れたのか?日本の情緒に訴えるメロディーメイカーであり、言葉の才能だけじゃなく、繊細なポップ・センスも強く持った3人だったからこそ、日本ならではのストリート・ロックが生まれ得たのではないか、そんな風に今の僕は感じている。

 で、今回あらためて検証してみた結果、この3人についてスプリングスティーンからの影響がより強いのは楽曲単体やオリジナル・アルバムよりもライヴ・パフォーマンスだという結論に至った。


 まずは浜田省吾。
 1980年に「Home Bound」でロック路線に思いっきりシフトした彼だが、セールス的にはいま今一歩、ブレイクの2~3歩手前という感じだったと思う。そこでスタッフサイドが用意した”起爆剤”が武道館公演だった(1982年1月)。当時、音楽雑誌をチェックしていた僕は「史上最強の挑戦者」といったフレーズで、当時の彼には無謀と思える試みに挑むことが大きな宣伝材料になっていたことをおぼえている。しかも、その頃から彼のコンサート動員は東京より地方が強いという傾向があったようだ。武道館を成功させるために、その前にもう一枚アルバムが必要ということで作られたのが「愛の世代の前に」だったとのこと。そういう事情だったので、わずか2週間で制作されたらしい。ただ、長い試行錯誤の末ようやくロックンローラーとして勝負する、という”太い芯”が出来た彼のモチベーションは高かったようで「愛の世代の前に」はとてもクオリティーの高い作品になった。そして、その反響を受けて武道館公演も即日完売となった。

 そして、このアルバムは武道館公演のわずか一ヶ月半後にリリースされている。武道館公演はメンバー全員のテンションが高すぎてテンポが早すぎたようで、ひと月前の広島の郵便貯金ホールのテイクが多めに採用されているとのことだ。

 さて、「ストリート・ロックの時代」的には、キーボードの西本明と並んで日本のストリート・ロック最重要ミュージシャンであるサックスの古村敏比古が82年から浜省のバンドFuseのメンバーに加わっているというのは大きいトピックだ。ただし、それは武道館公演より後なので、このライヴアルバムには参加していない。彼がいたら、このアルバムのストリート・ロック度の目盛りがもう少しあがってただろう。残念。
 だが、「明日なき世代」などはオリジナルとは違いイントロからサックスが入っている。「Home Bound」のときにはほとんど使われなかったサックスの魅力、効力に遅ればせながら気づいたのだろうか。

 また、以前も書いたが彼の場合、オールドスタイルのR&R、R&Bのほうが「明日なき世代」などの疾走系よりストリート・ロック感が強いと僕は思うのだが、このライヴではそういうものが「土曜の夜と日曜の朝」「独立記念日」「反抗期」と3曲入っている。それに加えて、アルバムのオープニング曲でデビュー・アルバムに入っていた「壁にむかって」が古いR&Bスタイルで演奏され、デビュー曲「路地裏の少年」がしっかりフィル・スペクター調で演奏されていることもあって、全体的にいい意味でオールド・スタイルのR&Rが主役になっている。

 「Home Bound」はLA産のアメリカン・ハード・ロック調だったし、「愛の世代の前に」はポップスとバラードの存在感も大きい作品だったが、このアルバムは、古いR&Rを今に蘇らせるという、当時のストリート・ロック本来の意義にすごくハマっている。

 古いR&Rスタイルを収録曲のメインにしたこと。そして、サックスの重用。
 というわけで、彼のアルバムの中で最もストリート・ロックっぽい、スプリングスティーンに近いのはこの「On The Road」ではないだろうか、という結論に至った。

 浜省の場合スプリングスティーンを引き合いに出されることになった根源は、ロック路線を打ち出した楽曲「終わりなき疾走」「明日なき世代」というタイトルにつきるような気がする。スプリングスティーンの”邦題”にインスパイアされているだけで、曲自体は両方とも「明日なき暴走」に似たところはない。僕が思うに、彼の場合は、自分の創作の切り口や導入部、ライヴ・パフォーマンスの作法などの「ヒント」を当時多くスプリングスティーンに頼っただけで、彼の曲を事細かに分析したりなどはしていないのだと思う。しかも、ロック路線以前に彼はすでに4枚のオリジナルアルバムを発売していて、ソングライターとしてのスタイルはかなり確立されていたので、ロック路線にするからといって、いきなりメロディーの作り方や作詞の作法を全面的に変える必然性はなかったわけだ。

 少し話はそれるが、彼とスプリングスティーンと似たところを考えた時、アマチュア時代からの旧友でギタリストの相棒がいることが思い浮かんだ。スティーヴ・ヴァン・ザントと町支寛二。町支もスティーヴのようにソロ活動もするし、尾崎の「15の夜」などにアレンジャーとして参加し小山卓治に曲を書いていて、日本のストリート・ロックキーパーソンのひとりだ。(近年は古村と「カンフル罪」というユニットでも活動しているそうで、ストリート・ロック・マニアは注目したいが、やっているのはストリート・ロックではないようだ。)

 さて、このアルバム、ジャケットは完全にジャクソン・ブラウンの「孤独のランナー」をイメージしている。直前の「愛の世代の前に」が「レイト・フォー・ザ・スカイ」のジャケットのレイアウトをモチーフにしているので、彼の”ジャクソン愛”はハンパじゃない。
 

 そして、彼はこのアルバムが発売された82年以降自身のコンサート・ツアーはずっと「On The Road」と銘打って現在に至っている。ジャクソン・ブラウンが「孤独なランナー」で提示した、コンサート・ツアーで国中を移動して過ごすロッカーのイメージを自身になぞらえるように。ツアーを長期にわたりひたすら継続することで、”ツアーを生業にするロッカー”というイメージを作り上げた。ひょっとしたら彼は「孤独なランナー」的世界観を現在も継承し続けている唯一の存在なのかもしれない。

 彼にとってひとりの聴き手として、ソングライターとしては、ジャクソン・ブラウンに心酔しながらも、プロのロッカーとしてのスタイルを構築する際、特にライヴ・パフォーマンスのお手本としたのがブルース・スプリングスティーンだったのだろう。そして、「J・BOY」で自身のスタイルを確立し、同時に多くのファンも獲得した後は、スプリングスティーンっぽさは急速に薄れていった。
 

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 ”孤独"じゃなくなったジャクソン・ブラウンの代表作


 「孤独なランナー」。見事なタイトルだ。「空っぽの疾走」(原題はガソリンが切れた状態で走る意味のため)でも「むなしきランナー」(当時の対訳は”むなしく走りつづける”だった)でもいけない。
スプリングスティーンの「明日なき暴走」と並べてみると、その説得力は増す。同じ”走る”でも、ワイルドでエネルギッシュなスプリングスティーンとストイックで内向的なジャクソン。なかなか的確なコントラストになる。

 だが、印象深い邦題というのは作品の本質と違うものがけっこう多いのも確かだ。

 このアルバムの構想について、かつて彼はこう語ったという。

「人々が経験を共有する、そんななかから生まれる音楽っていうのを作りたかったんだ。ひとりが考えだして、それをほかの大勢の人たちに向かって歌うっていうんじゃない音楽をね。」

 そう、前作「プリテンダー」までの、孤独な創作から脱却し、音楽を共有することを最大のテーマにして作られたのがこのアルバムなのだ。
 「プリテンダー」で知り合った”ザ・セクション”を中心とするミュージシャンだけじゃなく、ローディーなどスタッフなど関係者も巻き込んだライヴ・レコーディング。単なるライヴ・アルバムじゃなく、ホテルや車の中でも録音した、ツアー・ドキュメンタリーであり”聴くロード・ムーヴィー”でもある。
(「ロックンローラーの生活というものをみんなに見せられたんじゃないかな。」と彼は言っている。)

 しかも曲は彼一人で書いたものはたったの2曲で、他は共作とカバー曲。(それに、ライヴアルバムで、収録曲全部が今までのどのアルバムにも収録されていない新曲とカバー曲と言うのは前代未聞だった。)
 彼の全アルバムの中で、”最も孤独と縁遠い”のが実はこのアルバムだと言っていいと思う。

 ここで彼を今までの孤独でストイックなスタンスから極端なまでに真逆な方向にシフトさせたのは、もちろん奥さんの自殺という出来事が大きかったのだろう(実際、彼の精神的なダメージは大きかったようで、このライヴ・ツアー中彼はドラッグにどっぷりつかっていたようだ。)。

 それまでの、内省的なソングライティングをやり続けてきた疲労、煮詰まり、また、そういう作品をいつも期待し時に曲解するマスコミやまわりの反応にも辟易していたのかもしれない。

 また、ザ・セクションら名うてのミュージシャンとのレコーディングが、彼の演奏者としての快感のスイッチを押したというのも間違いなくあったのだと思う。

 そして、これは僕の勝手な思い込みでもあるのだが、デビュー時からスプリングスティーンとも交流があった彼は「明日なき暴走」を起爆剤とする、70年代後半の「ロックンロールの復権」の気運
をいち早く感じていたのではないかと思う。


 このアルバムで彼ひとりで書いているのはわずか2曲なのだが、その2曲「孤独なランナー」「ユー・ラヴ・ザ・サンダー」は、それまでの彼の作品とうってかわって骨太なロックになっている。以前もロックンロール調の曲はなくもなかったのだが、あくまでもシリアスなバラードが主で従のような存在だったが、このアルバムではロックが主の座についているわけだ。明らかに気合いが違っている。この時彼自身が相当なロックンロール・モードになっていたのだろう。

 いまの視点で見ると、才能あふれる内向的なソングライターである彼の最大のセールスをあげたアルバムが、共作やカバー曲をメインとするライヴ・アルバム、というのもなんとも不思議な感じがする。
 このアルバムがリリースされる前年には、ピーター・フランプトンの「フランプトン・カムズ・アライヴ」が2枚組ライヴアルバムなのに全米チャート10週NO.1という異常な大ヒットを記録していたし、ストリート・ロック人脈では地元デトロイトと近辺の中西部だけでしか有名じゃなかったボブ・シーガーが「ライヴ・バレット」で一気に全国区になっていて、業界的にもリスナーもライヴ・アルバムに注目が集まっていたという流れもあったのかとも思う。

 当時中学生でFMで洋楽をチェックし始めていた僕の記憶では「孤独なランナー」より「ステイ」のほうがよくエア・プレイされていたような印象がある。そして、この人のライヴはすごく楽しそうだなあ、と思い込んでいたものだ。

 この作品自体はストリート・ロックのカテゴリーに入らないかもしれないが、ロックンロール・リバイバルの流れにいち早く貢献した作品であり、日本のストリート・ロック系アーティストがライヴ・パフォーマンスをする際に大きな影響を与えたものであることは間違いない。

 加えて「孤独なランナー」という楽曲は「明日なき暴走」とともに、日本のストリート・ロックの歌詞の重要なキーワードである「走る」ということを印象深く提示したものであった。


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 この二人がステージで並んで歌っている姿を見るだけで、目がウルウルしてしまうのは僕だけじゃないはず。しかもこの曲だし。

 “内省”と”ロック”の融合。そのストリート・ロックへの影響

 浜田省吾がまだ売れていない頃にこういうことを言っていたという。

「俺は、ロック・アーティストとしてスターになるには、内省的に過ぎるような気がする。」

 ”内省的” ・・・自分の内面を省みるさま

 これはこの「ストリート・ロックの時代」で取り上げている主なアーティストたちに共通することではないか?当時のパンク・ロッカーとストリート・ロッカーの違いを示す時に有効なワードではないだろうか?

 以前、ミスチルをストリート・ロックの影響を大きく受けながら、ストリート・ロックじゃない音楽をやることでブレイクしたと分析したが、「内省」という観点からすると、ちゃんとストリート・ロックを継承し、それをより拡大し発展させていったというふうにも解釈できるかもしれない。

 そして、”内省的”という意味では、ロックの世界で誰よりもそれを極めたのが70年代のジャクソン・ブラウンだろう。

 彼はストリート・ロッカーへの影響力は大きく、日本のストリート・ロック御三家(僕が勝手に命名)、浜省は事務所やバンドの名前を彼の曲名からとるほど敬愛し、尾崎は初期の頃はスプリングスティーンより明らかに彼の影響が大きかったし、佐野元春も彼にインタビューするなどリスペクトを示している。

 
 僕がスプリングスティーンを好きになった1970年代後半、”東のスプリングスティーン、西のジャクソン・ブラウン”という二人を対比させるような記事をいくつか見て、どんな人だろうと興味を持って最初に買ったのがこの「プリテンダー」だった(ジャケット写真に見られる”都会の孤独感”に惹かれたのを覚えている)。
 ちなみに、僕が最初に買ったスプリングスティーンのアルバムが「闇に吠える街」で、両者にはダークな重苦しさと同時に表現者として自分を突き詰めようとする真摯を感じた。「プリテンダー」はジャクソン・ブラウンにとっての「闇に吠える街」のような立ち位置の作品じゃないかと僕は思っている(リリースは「プリテンダー」のほうが早いのだが、、)。その人の代名詞となるようなアルバムではないが、アーティストとしてのキャリアの中での最大の分岐点というか非常に大きな重みを持つ作品という意味だ。

 青春期の内省という意味では最高峰である前作「レイト・フォー・ザ・スカイ」と「プリテンダー」を比較した場合、後者は明らかにロック度が増している。力強さとともに重苦しいトーンも加わっている。ちなみに、このアルバムというとレコーディング中に当時の奥さんが自殺してしまったというエピソードが必ず添えられて、このアルバムが持つ暗いトーンの最大の原因と言われることが多いようだが、本人によると曲の大半は奥さんが亡くなる前に書かれていたもので、楽曲自体への影響は否定しているようだ。


 「ストリート・ロックの時代」的にはなんといっても、ジョン・ランドーがプロデュースしていることが最も重要なことだろう。
「明日なき暴走」のある意味最大の功労者であった彼が、次に取り組んだ作品だったことを考えると、ジャクソンも「明日なき暴走」に何らかの感銘を受けていたのは間違いない。

 また、音楽プロデューサーとしてはレアな、音楽ライターという経歴のジョンのプロデューサーとしての強みは「リスナー」としての客観的な観点を持てることだと思う。一緒に創作したり音楽の色づけをするのではなく、アーティストにとって彼はとても優秀なナビゲイターなのじゃないか?と思う。だいたい出口の見えない袋小路に迷い込んだ「明日なき暴走」を着地させたのだから。

 ジャクソンのソングライティングの魅力、特に歌詞をしっかり伝えながらも、サウンドは前作よりロック・バンド感をぐっと増す方向を目指す結果として、ザ・セクション、リトル・フィートなど名うてのミュージシャンを揃えることになったのではないだろうか。「明日なき暴走」のサウンド作りの過程で泥沼化した経験をした後なので、ジャクソンには最初からプロフェショナルによるしっかりしたサウンド作りを意識したのかもしれない。

 サウンドとしては前作に比べてドラムスが目立っているように思う。ドラマーもデレク&ザ・ドミノスのジム・ゴードン、ザ・セクションのラス・カンケル、そしてジェフ・ポーカロと凄腕が揃っている。

 ただ、楽曲の持つ情感を最も際立たせているのはなんといってもピアノだ。このアルバムでのクレイグ・ダーギーは素晴らしい。ロイ・ビタンとともに、日本のストリート・ロック系のキーボーディストのプレイに多大な影響を与えたのは間違いない。
 (そういえば、ロイ・ビタンもこのアルバムで1曲プレイしている。間違いなくジョン・ランドーの仲介であろう。)

 このアルバムのハイライトはやはりタイトル曲でアルバムの最後を飾る「プリテンダー」。
 同じような毎日を続けながら、生きるために自分を偽ることを肯定するでもなく否定もせず、希望を持つ純粋さと現実と折り合いをつけようとするシニカルさ、人は自分の内面を掘り下げれば掘り下げるほど、矛盾した感覚に直面せざるを得なくなるものだ。
 この歌で印象的な「アーメン」の言葉はは完全な絶望からすがるように祈るのでもなく、でも冷やかに皮肉っているわけでもない。その微妙に揺れている加減がかえって深い説得力として伝わってくるのだ。

 この歌の心情は当然ストリート・ロッカーにも響くものがあったのだろう、元祖ストリート・ロッカー、ゲイリーUSボンドが、スプリングスティーンがバックアップ、プロデュースしたアルバム「伝説のヒーロー」でこの曲をカバーしている。このおっさんのヴァージョンは?と思っていたのだが、よく聴くと、ストリート・ゴスペルっぽさが感じられてこれはこれで必然性のあるカバーだったと思うようになった(ゲイリーとジャクソンはライヴでこの曲を共演したこともある)。E.STREET BANDとアズベリー・ジュークスのメンバーで作られたストリート・ロック版「プリテンダー」もこのブログの読者にはぜひチェックしてほしいところだ。


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 ストリート・ロックへの“予感”に満ちたデビュー作

 昔このアルバムを聴いたときに、ジャケット写真の印象もあってか(裏ジャケの写真はフリー・ホイーリン・ボブ・ディランの構図になっているし)完全にフォークのアルバムだと認識していた。

 僕が音楽を本格的に聴き始めた中一のときには、原田真二の衝撃のデビューもあり、フォーク、歌謡曲全盛から洋楽的な洗練されたポップ、ロックへと日本のミュージック・シーンの流れが大きく動き始めたときで僕も完全に感化されていた。なので、浜田省吾を好きになって過去の作品をさかのぼって聴いたときも、かえって「LOVE TRAIN」のようなポップスは理解できても「生まれたところを遠くはなれて」は、上の世代が好きだった四畳半フォークのような”貧乏臭さ”を感じてしまい、正直繰り返し聴くことはなかった。

 しかし、このアルバムを久しぶりに聴いてみて、彼の「Home Bound」から始まるストリート・ロック路線の萌芽がはっきりとあって、何より彼のロッカーとしての本質がはっきり出た重要な作品なのだとわかった。あらためて聴くとサウンドも、ロックがメインでそこにフォーク、ブルース、ポップの要素が加わったもので、決してフォーク一辺倒のアルバムではなかった、、、。

 まず、このアルバムを聴いてあらためて認識できるのは、彼の音楽的な本質にある「核」は ”暗さ” だ、ということだ。
 もちろん、これは否定的な意味では言ってない。自分の内面の暗さに意識的でない人に「光」のありがたさやはかなさはわからない。ブライアン・ウィルソン、フィル・スペクター、大瀧詠一、山下達郎。素晴らしいポップ・ミュージックを作れる人に限ってそのパーソナリティーは暗い(直接会ったこともないのにこんなに言い切っていいのかとも思うが、、、)。浜田にもそれに近い気質があるように思う。しかし、彼の場合、その暗さを猛々しい方向にドライヴさせようとする力もある。前述のアーティストたちに比べ、まだどこかおおらかであったり直情的だったりするところがあったのかもしれない。僕がこのブログでしょっちゅう使っている”安直な表現”で言うと、山下達郎方面に引っ張られる力と甲斐よしひろ方面に引っ張られる力が彼の本質にはある。しかも、そこに抒情的でロマンチックなバラードを好むという第3のベクトルもある。その3方向に引っ張られながら揺れ動いていたのが「Home Bound」以前の彼なのだと思う。

 ともかく、彼の「暗さ」からはポップスに向かう力と、ロックに向かう力と両方が作用していて、それを彼の中で統御するのに時間がかかったのではないか。「愛奴」ではポップだったから、「生まれたところを遠く離れて」ではロック、そしてその後は長くポップ路線を続けてしまったので、もう我慢できない感じでロック路線へとなだれこんでいった、という風に交互に揺り戻しがあったのではないか。

 「生まれたところを遠く離れて」のサウンドの特徴は、彼の作品中唯一、サウンドもボーカルもすごくラフだということだ。次の「LOVE TRAIN」からは一流のスタジオミュージシャンを使うし、それ以降もCBSソニーらしい音(わかる人はわかりますよね。80年代いっぱいくらいまでは間違いなくあった)で、クリアでバランスのいいサウンドの作品ばかりなので、仲間のミュージシャンたちとリハスタで練習して本番を録るという、手作り感のあるこのアルバムのサウンドは貴重なものだ。



 また、「路地裏の少年」という曲が、彼の本質を最もよく表している。陽のあたらない場所、しかもバックストリートでも裏通りでもなく、路地裏、というのが彼らしい。アレンジもいいと思う。フィル・スペクター・タッチは若干あるが、あくまでもニュアンスだけでラフなロック感のほうを優先させている。後にスプリングスティーンがやる「ハングリーハート」のアプローチに近いかもしれない。

 また、「壁に向かって」ではすでにサックスをフィーチャー、「街角の天使」ではアイズレー・ブラザースの「THIS OLD HEART OF MINE」を下敷きにしたソングライティングでR&Bのニュアンスを出しているし、サウンドと空気感だけだったら「Home Bound」以降のものよりよっぽどストリート・ロックっぽいぞ、なんて思ってしまった。

 尾崎豊のようなタイトルの「High School Rock'n Roll」で歌われる精神性は後の彼の代表曲「Money」と何ら変わらないし、このアルバムでは一貫して、都会の影で恵まれない暮らしを続ける若者の心の叫びがつづられている。この状況から抜け出すのには、その歌詞を疾走感のあるロックン・ロールのビートに乗せなければならない(それがストリート・ロックだ)。彼がそのスタイルを始めるのにはもう4年かかったのだった。

   
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「路地裏の少年」。長い年月をかけて正真正銘のストリート・ロック・サウンドになりました。

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