ストリート・ロックの時代

 はじまりは「BORN TO RUN」(ブルース・スプリングスティーン)。70年代半ばから80年代にかけて生み出されていった「STREET」の匂いのする都会(まち)ロック。それは、50's60'sのロックンロールのロマンティズムとダイナミズムを復活させながら、当時の若者の切実な思いを積み込んだ”時代のロック”だった。  これは”50年代半ばのエルヴィス・プレスリーに対比させるように、70年代半ば以降のシーンにスプリングスティーンを置いてみるという試みで、そこから見えた見取り図のようなものだ。  ここでは、スプリングスティーンの影響をメインに扱いながらも、その影響を受けていないアーティストの中からも、この時代特有の”ロックの都会化”と”ロックンロール・リバイバル”を象徴するような作品もピックアップしていく。  この時代は確かにディスコの時代でもあり、パンク・ニューウェイヴの時代でもあるが、間違いなく"ストリート・ロックの時代”でもあった。そしてそれは当時の若者に決して少なくない影響を与え、独自のヒーロー像が生み出されていた。ストリート・ロックとはロックンロールとこの時代特有の”ヒロイズム”がわずかな間手を結んでいた、そんなジャンルでもあったのかもしれない。それは、社会的敗者であった若者が都会の夜のなか一瞬だけ夢を見る、という儚いヒロイズムであったのだが。 (筆者:堀克巳)

 昔このアルバムを聴いたときに、ジャケット写真の印象もあってか(裏ジャケの写真はフリー・ホイーリン・ボブ・ディランの構図になっているし)完全にフォークのアルバムだと認識していた。

 僕が音楽を本格的に聴き始めた中一のときには、原田真二の衝撃のデビューもあり、フォーク、歌謡曲全盛から洋楽的な洗練されたポップ、ロックへと日本のミュージック・シーンの流れが大きく動き始めたときで僕も完全に感化されていた。なので、浜田省吾を好きになって過去の作品をさかのぼって聴いたときも、かえって「LOVE TRAIN」のようなポップスは理解できても「生まれたところを遠くはなれて」は、上の世代が好きだった四畳半フォークのような”貧乏臭さ”を感じてしまい、正直繰り返し聴くことはなかった。

 しかし、このアルバムを久しぶりに聴いてみて、彼の「Home Bound」から始まるストリート・ロック路線の萌芽がはっきりとあって、何より彼のロッカーとしての本質がはっきり出た重要な作品なのだとわかった。あらためて聴くとサウンドも、ロックがメインでそこにフォーク、ブルース、ポップの要素が加わったもので、決してフォーク一辺倒のアルバムではなかった、、、。

 まず、このアルバムを聴いてあらためて認識できるのは、彼の音楽的な本質にある「核」は ”暗さ” だ、ということだ。
 もちろん、これは否定的な意味では言ってない。自分の内面の暗さに意識的でない人に「光」のありがたさやはかなさはわからない。ブライアン・ウィルソン、フィル・スペクター、大瀧詠一、山下達郎。素晴らしいポップ・ミュージックを作れる人に限ってそのパーソナリティーは暗い(直接会ったこともないのにこんなに言い切っていいのかとも思うが、、、)。浜田にもそれに近い気質があるように思う。しかし、彼の場合、その暗さを猛々しい方向にドライヴさせようとする力もある。前述のアーティストたちに比べ、まだどこかおおらかであったり直情的だったりするところがあったのかもしれない。僕がこのブログでしょっちゅう使っている”安直な表現”で言うと、山下達郎方面に引っ張られる力と甲斐よしひろ方面に引っ張られる力が彼の本質にはある。しかも、そこに抒情的でロマンチックなバラードを好むという第3のベクトルもある。その3方向に引っ張られながら揺れ動いていたのが「Home Bound」以前の彼なのだと思う。

 ともかく、彼の「暗さ」からはポップスに向かう力と、ロックに向かう力と両方が作用していて、それを彼の中で統御するのに時間がかかったのではないか。「愛奴」ではポップだったから、「生まれたところを遠く離れて」ではロック、そしてその後は長くポップ路線を続けてしまったので、もう我慢できない感じでロック路線へとなだれこんでいった、という風に交互に揺り戻しがあったのではないか。

 「生まれたところを遠く離れて」のサウンドの特徴は、彼の作品中唯一、サウンドもボーカルもすごくラフだということだ。次の「LOVE TRAIN」からは一流のスタジオミュージシャンを使うし、それ以降もCBSソニーらしい音(わかる人はわかりますよね。80年代いっぱいくらいまでは間違いなくあった)で、クリアでバランスのいいサウンドの作品ばかりなので、仲間のミュージシャンたちとリハスタで練習して本番を録るという、手作り感のあるこのアルバムのサウンドは貴重なものだ。



 また、「路地裏の少年」という曲が、彼の本質を最もよく表している。陽のあたらない場所、しかもバックストリートでも裏通りでもなく、路地裏、というのが彼らしい。アレンジもいいと思う。フィル・スペクター・タッチは若干あるが、あくまでもニュアンスだけでラフなロック感のほうを優先させている。後にスプリングスティーンがやる「ハングリーハート」のアプローチに近いかもしれない。

 また、「壁に向かって」ではすでにサックスをフィーチャー、「街角の天使」ではアイズレー・ブラザースの「THIS OLD HEART OF MINE」を下敷きにしたソングライティングでR&Bのニュアンスを出しているし、サウンドと空気感だけだったら「Home Bound」以降のものよりよっぽどストリート・ロックっぽいぞ、なんて思ってしまった。

 尾崎豊のようなタイトルの「High School Rock'n Roll」で歌われる精神性は後の彼の代表曲「Money」と何ら変わらないし、このアルバムでは一貫して、都会の影で恵まれない暮らしを続ける若者の心の叫びがつづられている。この状況から抜け出すのには、その歌詞を疾走感のあるロックン・ロールのビートに乗せなければならない(それがストリート・ロックだ)。彼がそのスタイルを始めるのにはもう4年かかったのだった。

   
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「路地裏の少年」。長い年月をかけて正真正銘のストリート・ロック・サウンドになりました。

 10年前にこのブログを書き始めたとき、「闇に吠える街」が過小評価されているんじゃないかという意見を僕は主張していたが、2010年にボックス・セットが発売されたことにより、その評価はかなり修正されたと思っている。

 そのボックスセットの目玉が、「明日なき暴走」から「闇に吠える街」のリリースまでのブランクの間にレコーディングされお蔵入りとなっていた楽曲群で、ボックス・セットとは別に2枚組のCDとしてもリリースされた。それが、この「ザ・プロミス」だ。

 1975年から1980年が間違いなくストリート・ロックの最盛期であり、その創始者であるスプリングスティーンがその時期に録音していた楽曲ということは、このブログでも最も重要視すべきマテリアルだ(なのに長い間このブログでピックアップしていなかったのは僕の怠慢です、、、)。

 スプリングスティーンのソングライティングの変遷は、彼にはその時々に創作のモチベーションとなる音楽的なマイ・ブーム(ほんとはそんな軽いものじゃなく、彼の場合もっとどっぷりとハマるのだと思うが)があって、それが如実に作品に反映されるのでとてもわかりやすい。

 「明日なき暴走」の制作時にフィル・スペクターものなど彼が幼いころ好きだったポップ・レコードを聴きまくっていて、その後もしばらく彼はハマり続けていたようで、「ザ・プロミス」の楽曲はオールディーズ調の明快な曲が多い。
 もし、このアルバムがその当時にリリースされていたら、僕は夢中で聴いたと思う。スプリングスティーン史上最もポップで明快なわけだし、その頃やはり僕が好きだったニック・ロウやデイヴ・エドモンズといった人たちとも近い感触がある気がするからだ。

 しかし、いまの僕が思うのは、当時このアルバムがリリースされていたら、「明日なき暴走」と「闇に吠える街」の存在感の輪郭がぼやけてしまったんじゃないかいうことだ。「明日なき暴走」で浮かび上がってくるのは挫折や敗北感を感じながらも一瞬夢見ることに賭けている若者の姿で、「闇に吠える街」ではその後若者が苦い現実と否が応でも対面する、そういう流れを感じ取れるのだが、その間にポップなオールディーズ・テイストのこの作品を挟むとその流れの緊張感、リアリティがゆるんでしまう気がするのだ。「闇に吠える街」の重厚さ、ソリッドさをくっきりさせるために払われた妥当な代償、それが「ザ・プロミス」なのではないか。お蔵入りさせるのはもったいない曲達なのは確かだが。

 この中で「闇に吠える街」と近いテイストを持つ楽曲は「ビコーズ・ザ・ナイト」と「ザ・プロミス」か。ただ、「ビコーズ・ザ・ナイト」は曲調とサウンドは近いが歌詞がややロマンチックで、「ザ・プロミス」の普遍的な人生の苦みを描いた歌詞は「闇に吠える街」と深く通じていて名曲だと思うが、曲としてのトーンが「闇に吠える街」の曲に比べてヒリヒリした緊迫感が弱い。

 結論としては、なるべくしてなった展開。お蔵入りするべき運命だった楽曲たち、だったのかもしれない。

 ただ、「明日なき暴走」と「闇に吠える街」の間に「ザ・プロミス」を置くことで見えてくるものがある。

 デビューから「明日なき暴走」までの彼の歌詞は、曲やサウンドと相まって奔流のように流れてゆくイマジネーションとノリ重視の意味が掴みづらいものだったのが(とはいえ「明日なき暴走」ではある程度わかりやすくなっていたが)、「闇に吠える街」では短編小説のような明確でリアルな表現になっている。そのソング・ライティングの変化の過程で、彼は一度明快なオールディーズ調の手法に一度振り切っていたことがこの「ザ・プロミス」でわかる。いかにもヒット・ソングっぽいある種定番の歌言葉を敢えて使ってゆく。そして、その後、労働者階級のリアルな物語を歌ったカントリー・ミュージック、フォーク・ミュージックの手法の影響を受け、楽曲の重心をぐっと重くしていったのだ。

 そしてそのソング・ライティングの手法は数年後に、音楽的には明快なオールディーズ風ポップなのに、歌詞は労働者階級リアルな物語を歌うという、それまでのポップ・ミュージックではなかった達成を「ハングリー・ハート」で果たすことになる。

 また、「ザ・プロミス」は、この時期(1970年代後半)に、僕がこのブログで繰り返し言っている「ロックンロール・リバイバル」の大きな波があって、それが、この偉大なパイオニアにもまさにそれが起きていたというまぎれもない証拠品でもある、と思う。


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 なんで、これがストリート・ロックなんだ!とお叱りを受けそうだ。ロック史の改ざんじゃないか!と。

 なんといっても、セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ!!」と並ぶパンク・ロックの代名詞となっている歴史的傑作。ローリングストーン誌が選ぶ史上最高のアルバム・ランキングではなんと第8位。「明日なき暴走」が18位、「勝手にしやがれ!!」が41位なので、僕が”ストリート・ロックの時代”とうたっている1975年から1985年にリリースされたすべてのアルバム(というか1973年からこの記事が出た2012年までのすべてのアルバム)で最も高い評価を受けているのがこれなのだ。
 しかし、僕がストリート・ロックについて書き始めた当初からずっとこのアルバムのことはずっと頭の片隅にあった。

 僕はパンク・ムーヴメントの頃は中学生で洋楽を聴き始めたタイミングとぴったり合っている。まさにリアルタイムだ。だけど当時の僕はパンク・ロックは基本NGだった。初期のクラッシュもピストルズよりはいいかな、と思ったくらいで好きにはならなかった。ところが、この「ロンドン・コーリング」は本当に大好きだった。「オレ、パンク嫌いなはずなのになんでこんなに惹かれるんだろう?」と、自分で不思議になるほどだった。

 そんなずっと引っかかっていた思いが、年をとってからどんどん腑に落ちてゆくような出来事に会うのだが、きっかけはやはり、2003年のグラミー賞でのジョー・ストラマー追悼のステージだろう。
 スプリングスティーン、エルヴィス・コステロ、デイヴ・グロール、スティーヴ・ヴァン・ザントの4人が横並びで「ロンドン・コーリング」を歌ったのだ。1980年頃、僕はスプリングスティーンとコステロとクラッシュが好きだったので、この人たちはやっぱりすごく共通してるものを持ってたんだなあ、と見ながら再認識したのだ。

 そして、2010年に発売されたスプリングスティーンのロンドン、ハイドパークでのライヴDVDのタイトルは「ロンドン・コーリング」でオープニングが「ロンドン・コーリング」で始まるものだった(そこからすかさず「バッドランド」が違和感なく続いてゆく感じは感動的だった)。彼はその頃、ロンドン以外のコンサートでも「ロンドン・コーリング」を歌っていたようだ。

 その後、ジョー・ストラマーの伝記を読んでみたら、スプリングスティーンの1975年のロンドンでのライヴをジョーが見て凄く影響を受け、スプリングスティーンの真似をしてギターのケーブルをすごく長くしてステージから観客席まで動けるようにして、ライヴの尺も3時間以上の長いものにするようになったとの記述を見つけた。

 去年出たスプリングスティーンの自伝では、彼は自分の歌や声にずっと自信がなかったと言い、でも素晴らしい声ではなくとも深い個性を表出させてるシンガーとしてミック・ジャガーとジョー・ストラマーの名前を挙げていて、彼はジョーに対して格別なシンパシーと敬意を持っていたことが推察できる。


 そして、僕のモヤモヤを完全にすっきりさせてくれたのが、甲本ヒロトの発言だ。それまで僕は知らなかったのだが、彼は、「生涯最高のライヴ」にスプリングスティーンの初来日公演を選ぶほどの根っからのスプリングスティーン・ファンらしい(僕の生涯最高のライヴももちろん同じだ)。

 そんな彼が十代の頃にクラッシュをはじめて聴いた時

 ”「ああ、これはブルース・スプリングスティーンだ」と思った”と語っている。

 たぶん、このインタビューの流れから言って
 彼は「明日なき暴走」を聴いてものすごく衝撃を受けて、その後クラッシュの『白い暴動」を聴いてこれはスプリングスティーンみたいに感じた、と思われる。

 それを僕に置き換えると、「闇に吠える街」(スプリングスティーン本人は後にこのアルバムの音楽的な面じゃなく、素材やテーマ選びに影響を与えたのが、パンク・ロックだったと語っている)を聴いていた僕は、「ロンドン・コーリング」を聴いてすごく近いものを感じて、その後「ザ・リバー」を聴いてまた同質なものを感じていたのだ。スプリングスティーンとクラッシュはとても似ていると。ただ、それはサウンドとか表面的なものではなく、もっと内側な硬質なものだった。それで気づきづらかったのだ。
 ああ、スッキリした。

 そう、70年代後半から80年頃、間違いなくスプリングスティーンとジョー・ストラマーは生き別れた兄弟のように、非常に似たスタンスで似た質感のロックを生み出していたのだと僕は気づいた。

 「ロンドン・コーリング」はロカビリーやオールディーズ(The Card Cheatという曲などフィル・スペクター調でストリート・ロックっぽい)、スカ、ロックステディ、ハードロック、レゲエなど多様なジャンルの音楽を取り入れている。あらためて聴いても、サウンド的には全然パンク・ロックじゃないと思う。当時、イギリスでもパンク・ロックのファンからは”こんなのパンクじゃない!とかなりのブーイングを浴びたようだ。このアルバムの音楽的なイニシアチヴをとったのは幅広いジャンルの音楽を好み独自のポップ・センスを持つミック・ジョーンズだと言われている。ジョーも若い頃はビーチボーイズも好きだったくらいで幅広いジャンルを聴く”ロックおたく”ではあるのだが。僕は安直な喩えをすぐにしたがる傾向があるのだが、今回も独断で言いたい。

 ジョーとミックはジョンとポールみたい、で、

 「ロンドン・コーリング」でのミックは「サージェント・ペパーズ」でのポールの役割をつとめていたのだ、と。

 上記のローリング・ストーン誌のランキングのように、今ではパンクの代表作ではなく、ロックの名盤という位置づけにあるこのアルバムが、長い間パンク・ロックのカテゴリーでのみ語られることになった大きな要因のひとつは、ポール・シムノンのベースを叩き付けるジャケット写真のインパクトがあまりにパンク・ロックのイメージとぴったりだったからではないだろうか。(実際2002年に雑誌Qが選ぶ古今東西で最高のパンク・ロック写真に選ばれている)

 音楽的にはミック・ジョーンズ、ヴィジュアル的にはポール・シムノンが目立ってしまっているこのアルバムで、じゃあジョー・ストラマーは何してるの?って話になる。 

 でも、クラッシュはジョー・ストラマーがフロント・マンでいることで、ロックになる、”尖る”のだ。
もっと言うと、ぶれ、がなくなるのだ。ロックはフロント・マンの佇まい、その気迫、気合い、そして
音楽への熱量によって、重心が重くなり存在感が増すものだ。オーラを纏うようになるのだ。

 僕が感じるこのアルバムの最も凄いところは、

 レゲエやスカなど違うジャンルの曲まで全部が「ロックンロール」に聴こえてしまうこと、だ。

 それはジョーに負うところがすごく大きい。スプリングスティーン曰く彼の「血のたぎるような自信と、この歌はおれのものだという気概」によるものなのか。ともかく、彼を通ることによって、真性のロックンロールになるのだ。

 70年代前半の冗長で自己満足に走っていたロックへの反発として、パンク・ロックは生まれ、「明日なき暴走」は書かれたわけで、パンク・ロックとストリート・ロックは同じ土壌に咲いた別種の花だ。ただ、パンクはより衝動的で破壊的で、音楽そのものより過激さや過剰なスタイルを求められる。ストリート・ロックはロックンロールを新しくその当時の若者のために蘇らそうとする、あくまでも音楽としての試みである。ストリート・ロッカーは基本、熱心なロック・ファン、音楽マニアだ。

 クラッシュは、他のパンク・バンドと比べて、なによりロック・ファンなのだという感じがとても強いのが伝わってくる。僕がストリート・ロックのアーティストと彼らが近いと感じるのはその辺りかもしれない。
 いかにもパンクという写真にプレスリーのアルバムのロゴ・デザインを組み合わせているこのアルバム・ジャケットがまさに、パンク・バンドでありながらロックのルーツにとても意識的でもあるという彼らの特質をよく表している。 
 最後に、僕は「ロンドン・コーリング」はストリート・ロックのアルバムだとは言わない(ほんとは言いたい気持ちもあるが)。でも、パンク・ロックでもないと思う(パンク・ロックの看板的アルバムには是非「白い暴動」のほうを)。これは、史上最高のロックンロール・アルバムのひとつなのだ。

 僕はこう捉えている。
 1975年から1980年にかけて、世の中的にはディスコ・ブームの影になってしまっていたが、最後の大きな「ロックンロール・リバイバル」の波(最初で最大が60年代のブリティッシュ・インベンションとすると)が来ていた。そして、その時代に、単なる焼き直しではなく、新しい時代のまったくオリジナルなロックンロールが作られた。そして、その証拠として、最も高い位置に「明日なき暴走」と「ロンドン・コーリング」が並び立っている、と。


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 彼の代表曲「街が泣いてた」がものすごい苦手だったので(特に歌い方かなあ)、当時はアルバムを聴いてみようなんてまったく思わなかった。なので、彼がスプリングスティーン的な曲をやっていたことを今頃になって知ってかなり驚いた。(今回も情報ありがとうございます。愛知のSさん)

 ボーカル&バック・バンド、というアーティスト名、そして伊丹哲也のグラサンかけてちょいワルを演出したルックスというのも、確かに、いかにもストリート・ロックという感じではある。
 ただし、その後の彼の作品のジャケット写真を見ると、サングラスはすぐとったようだ。浜省と違って(すみません!!)意外にぱっちりした目をしてるので、とったほうがいいということになったのかもしれない。

 というわけで、彼のオリジナル・アルバムを最初から順に聴いてみた。まず、僕の苦手だった、彼の唸るようにコブシをまわす唱法が聴けるのはファースト・アルバムだけだった。ブルージーな感じのロック、歌詞、歌い方は永ちゃんの影響を僕は強く感じた。
 そして、セカンド・アルバムの「700th NIGHTS」から歌い方は少しナチュラルでなる。前作がヤンキーっぽい永ちゃんタッチなのに対して、今回は「YES MY LOVE」の頃の垢抜けた永ちゃんっぽくなっている。他にもレゲエの「眠りを忘れた街」、エリック・カルメンの「オール・バイ・マイセルフ」を連想させるバラード「グッバイ・トゥ・マイセルフ」、そして「ハングリーハート」っぽい「午前0時のWedding Bell」など、面白い曲も多い。ソングライターとしての彼の守備範囲はイメージよりもかなり広く感心した。(アルバムとしては僕はこれが一番好きだ。)
 その後「STORMY NIGHT」「パークエリアの夜」といったストリート感覚のあるロック・ナンバーをシングルでリリースしたがセールスが芳しくなかったのだろう、アルバムとして結実することがないまま彼はレコード会社を移籍する。
 
 そして移籍第1作目,通算3作目のこの「EXIT」というアルバムで、前述の「STORMY NIGHT」以降の延長線というか、彼なりのストリート・ロックをはっきりと提示することになる。
 まず、歌詞カードを見ると、彼がニューヨークに一ヶ月滞在したときにマジソン・スクエア・ガーデンでビリー・ジョエルのコンサートを見た後の出来事をスケッチ風に書いた文章が載っている。アルバム全体にある「都市感」を強調する意味合いがあるのだろう。実際ビリー・ジョエルも好きだったのだろう。「N.Y.42nd STREET」なんてジャジーなバラードも収録されている。

 リリースされたのが1985年、この当時の他のストリート・ロッカー同様打ち込み重視で軽い80’sサウンドを纏わなければならなかったのが残念だ。ただ、そこを逆手に取った、甲斐バンドの「ナイト・ウェイヴ」風なポップス「ガール・フレンド」は悪くない、と思った。

 そして、このブログの主眼点(?)である、スプリングスティーンっぽさはアルバムの終盤になるとぐっと立ち上がってくる。まずはB面4曲目「ミッドナイト・ベイビー」。これはまさにスプリングスティーン。サビは「哀戦士」っぽい。そして、極めつけはそれに続くラストの「お前を探している」。「15の夜」ばりのイントロで始まり、曲タイトルのメロディーのはまりかたは「君を探している(朝が来るまで)」、全体のムードは「ジャングル・ランド」という、”ストリート・ロック総まとめ”みたいな曲だ。そしてこの曲は、彼のソング・ライターとしてのスキルのピークを示すものでもあると思う。僕がこのブログで何度も書いている通り、ストリート・ロックの時代は1985年に終わっているので、その年に総まとめ的な曲が作られていたのは象徴的だなあ、などとひとりで感心してしまった。
 
 だが、その次のアルバム「デジタポリスの憂鬱」ではよりデジタル・ロック度が増し(吉川晃司っぽい?)、それがメジャー・レーベル最後の作品となる。

 こうして彼の作品を通して聴いてみると、「街が泣いてた」のレッテルと彼が格闘してきた歴史を見るような思いになる。(僕自身、彼にこんなスプリングスティーンっぽい曲があったことに気づく障壁になっていたのが「街が泣いてた」だったし)実際、彼はソングライターとしては意外に器用で、多彩な能力があった。

 他のストリート・ロッカーに比べると、彼の特徴は「チンピラ」感かなあ、と思う。その歌は、佐野、浜省、尾崎に比べ、甘さが控えめで、苦みと塩っけがちょっと強い(4枚目のアルバムあたりではそれもかなり弱まって甘みがけっこうあるが)。ソングライターとして哀川翔にたくさん曲を提供しているのだが、これはまさにぴったりだと思う。



 今回調べてみて、「EXIT」「デジタポリスの憂鬱」はCD化されていなかったようだし、ファーストとセカンドは廃盤でかなり高い額で売られている。だいたい、日本のストリート・ロックものにはそういうものが多い。実際、ファンが少なくて再発しても売れないから、ってことだろうけど、他のジャンルに比べても”取り残されてる感”があまりに強い。

 さあ、そんなアーティストのカタログのCD化、デジタル音源化を、読者の皆さん(少ないですが、、、)と声をあげていきましょう!


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 織田裕二の歌というとどうしても「踊る大走査線」の「LOVE SOMEBODY」を思い出してしまうので、きっと彼はそんなにロック好きでもないんだろうなあ、と思いきや、高校時代にバンドを組んでいて(ギターらしい)最初にコピーしたのが佐野元春の「SOMEDAY」だったということで、TVの音楽番組で佐野本人一緒に「SOMEDAY」を歌ってたりしたようだ。

 江口洋介とは同い年、福山雅治と吉田栄作が1学年下ということで、この年代(1960年代中〜後半生まれ)は、浜省、佐野元春、尾崎、スプリングスティーンといったアーティストが好きな人が多いのは間違いなさそうだ。

 彼は1987年に映画「湘南爆走族」で俳優デビューしていて、その映画の挿入歌「Boom Boom Boom」で歌手デビューも果たしている。この曲はロック系ではあったが、いかにも80年代らしい「フットルース」的な打ち込みサウンドに、横浜銀蠅をちょっとマイルドにしたような歌詞(秋元康)がのったもので、本格的なロックではなかった。

 ざっくりとチェックしたけだが、彼の曲は同世代の江口、福山、吉田などに比べてロック色は薄い。彼自身は音楽は好きでも、ガチガチのロック好きというわけではなかったからかもしれない。

 しかし、彼を一躍人気者にしたTVドラマ「東京ラブストーリー」放映後すぐにリリースされたこのファースト・アルバム(ミニアルバム)のタイトルは「ON THE ROAD」。タイトルと赤いバンダナ姿で路上に立つジャケット写真から連想されるのは、彼の好きだった佐野元春じゃなく浜省なのだが(浜省もすきだったのかもしれないが)、TVドラマの”カンチ”とはかなり違うイメージだ。

 織田、江口、福山、吉田という当時の人気若手俳優が歌をやりはじめた頃はみんなけっこう近いイメージ(元はストリート・ロッカー)だったんだなあ、とあらためて認識できる。

 このアルバム「ON THE ROAD」、タイトル、ジャケット写真のわりに内容はそれほどロックっぽくない。ただ、クオリティーのしっかりした曲が入っている。先行シングルの「歌えなかったラヴ・ソング」はAメロの言葉の乗せ方に、ちょっとだけ尾崎っぽいというかストリート・ロックっぽさはあるくらいでストリート・ロックではないのだが、大学卒業間近の若者の心情と風景をうまく描写した、これはこれでいい曲だ。当時はCMソングで何度も耳にしただけだったが、今頃あらためて聴いて感心してしまった。しかも「LOVE SOMEBODY」よりこっちのほうがCDセールスが上だったらしい。

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 1990年代に僕がソニーの洋楽部で働いていた頃、彼がスプリングスティーンを大好きだという情報は伝わっていて、宣伝用に彼から何かコメントをもらおうかという話も出たと記憶しているが、実際にもらったかどうかは覚えていない。ともかく、業界に広まるほどのスプリングスティーン・ファンだったわけだ。

 彼は中3のときに浜省の「DOWN BY THE MAINSTREET」(とくに「MONEY」)に衝撃を受けて大ファンになり、浜省の好きなアーティストとしてスプリングスティーンの存在を知って興味を持ち、だんだんとその魅力に取りつかれるようになったらしい。

 90年代には、同世代の福山雅治、江口洋介同様彼もロッカーとしても積極的に活動していたわけだが、芸能界フィールドの作詞家作曲家とミュージシャンが手堅くまとめたような作品が多いのと、彼の声質が甘くやさしいために福山、江口に比べるとどうしてもロックとしてのガッツのようなものが足らないような印象が残ってしまう。ロック好きな彼と、もっと甘く爽やかなポップスが似合うし女の子には受けると思っているスタッフとの間で落とし所を試行錯誤しているような感じというか。

 なので、正直このブログで取り上げるアルバムはこれだ!というのがないのだが、彼のあこがれの浜田省吾が曲を書き、梁邦彦(アレンジ)、町支寛二(コーラス・アレンジ)という浜省ファミリーがバックアップしてくれた「真夏の路上」が収録された「レジスタント」をここではピックアップする。彼の思いが成就した作品なのだろう。これは後に浜省自身が「SAVE OUR SHIP」でセルフカバーしている。


 彼がスプリングスティーンについて語っている雑誌インタビューがあって(提供:愛知のSさん)、
当時のスプリングスティーン・ファンの心理をよく表したサンプルとしてすごく興味深いものだった。
 たとえばこんなことを言っている。

「男性がブルース・スプリングスティーンの歌詞をどう受け取るのかと聞かれれば、まさしく「ストリート・オブ・ファイアー」のマイケル・パレとか「アウトサイダー」のマット・ディロンのことを歌っているみたいに感じるんですね。スクリーンの向こうの主人公に憧れるというか、自分もああなりたい、という感じ。」

 年齢的に彼は80年代の「BORN IN THE USA」からのファンなのできっとそうなるだろうし、もう少し上の世代なら、それがデニーロやショーケン、松田優作、になる。

 このブログで何度も言っている通り、70年代から80年代にかけてスプリングスティーン(そして彼のスタイルを借用したロッカーたち)は男子たちが憧れる個性的な「ヒーロー像」を提示したわけで、それは同時代の俳優たちともシンクロするものだった。ミーハーかもしれないが、そういう目線がスプリングスティーンを扱う評論、記事からはごっそり抜けおちている。

 そのことを示すためにも、「俳優ロッカーズ」をここで紹介しているわけだ。
(今の時代に電車で移動中に吉田栄作の昔のアルバムを聴いている男なんて僕くらいだろう、などとちょっと葛藤しつつ、、。)

 ともかく、大前提として、まずは、無茶苦茶かっこよかったわけだ。当時のスプリングスティーンは。スタイルやムードから入って、そのあとやっと作品の凄さに気づく、そういう順番で全然いいはずだ。

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 現在ハリウッドで活躍する日本人俳優として渡辺謙に次ぐほどの実績を残している真田広之。そんな彼も80年代にはかなり精力的に歌手活動を行っていた。

 浜田省吾に「荒野を駆けて」という「ミッドナイト・ブルートレイン」にちょっと似たバラードを提供してもらったり、ビリー・ジョエルの「コールド・スプリング・ハーバー」制作時に書かれたという未発表曲「WHERE'S THE REVOLUTION」をカバーしていたり(今はビリーのヴァージョンはYouTubeで聴けるが、当時はレアなブートぐらいでしか聴けなかったらしい。初期のビリーらしいいい曲です。)、そのディスコグラフィーはなかなかあなどれない。

 EPICソニーで3枚のアルバムをリリースした後ビクターに移籍し、そこで彼ははっきりとロック路線を打ち立て始めた。
 第一弾アルバム「movin' out」のオープニング曲、世良公則による詞曲の「ざわめきの街」、ロイ・ビタン調のピアノからサックス(おそらく古村 敏比古)が唸りをあげて入ってくるという、まさにストリート・ロックだ。アルバムには他にも高橋研、白浜久も楽曲を提供していた。

 そして、その路線をより強めたのがこの移籍第2弾「into the street」。タイトルからして、まったく迷いがない。まさに、ストリート・ロックだ(この言い回し、早くも2回目)。

 このアルバムの極めつけはオープニング曲「Adam and Eve」。前作の「ざわめきの街」と同じ路線だが、より本気感が伝わってくる。映画「ストリート・オブ・ファイヤー」っぽい曲に尾崎調の歌詞(小山卓治感もほのかにする)がのっていて、古村サックスも大活躍している。この曲を書いているのは篠原太郎。THE BLUE HEARTS結成以前に真島昌利が組んでいたTHE BREAKERSというバンドのメンバーだったとのこと。(「アンダルシアに憧れて」もこのバンドのレパートリーだったらしい)
 これは「日本B級ストリート・ロックの殿堂」というのがもしあったら(僕が作らなきゃ誰もやらないだろうけど、、)是非、殿堂入りさせて上げたい。

 続く2曲目「She's a bad girl」バー・バンド調の軽快な曲。こちらには、日本のストリート・ロック・サックス、2大巨頭のもう1人、ダディ柴田(佐野元春)が参加。

 アンジェリーナ(佐野)、シェリー(尾崎)、ロザーナ(尾崎)、アナスターシャ(高橋)、、、日本のストリート・ロックには外人女性は欠かせないが、このアルバムには「クリスティーナ」という曲が入っている。

 そして、前作にも参加していた高橋研が作詞作曲した「Somebody」は佐野の「Someday」をもうちょっと「ハングリー・ハート」寄りにして、かつより親しみやすいポップスに仕上げた曲。高橋研ならでは、だ。こちらでも古村サックス登場。

 当時の制作状況などまるっきりわからないが、僕が聴いた感じではこのストリート・ロック路線、周りが用意したものじゃなく、彼自身が当時こういう音楽をけっこう好きだったんじゃないかという感じがする。彼の歌いっぷりからして。あくまで、推測だけど。

 ともかく、なにか矛盾した言い回しだけど、日本ストリート・ロックの”真面目な珍品”として、公認(?)させていただきます!

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