「ストリート・ロック」のエッセンスは「明日なき暴走」、「闇に吠える街」、「ザ・リバー」、この3作に全部ある。

そして、このブログで真っ先にとりあげるのが、敢えてこの「闇に吠える街」。
 実は僕自身リアルタイムではこのアルバムが最初で、「明日なき暴走」は後追いで聴いたということもある。ただ、それだけではなく、前後の2枚のアルバムがあまりに有名なために、比較的語られる機会が少ない気がするが、スプリングスティーンのキャリアにとっても、この時代のロック・アルバムとしても、ものすごく重要だと僕は思っているからだ。

 このアルバムはただ、歌詞カードを読みながら、最初から順番に聴き通すのがいい。まるで一本の映画を見たような気持ちになる。まだ若く貧しい主人公は皆、報われない生活の中、わずかな希望を求め、一瞬のスリルを求めて生きている。例えば「RACING IN THE STREET」は路上のレースに唯一生きがいを求める男の話で、そのレースによって勝ち取ったという彼女は生活に疲れ果てている。目の輝きをなくした彼女を見ながら、彼はなすすべもなく、ただ今夜彼女と海に行って二人の手にしみこんだ罪を洗い流したいと願う、のだ。

 前作「明日なき暴走」は、苦い現実を振り払うためわずかな望みを託して走り出す、ギアを踏み込む瞬間の高揚感のようなものが、アルバム全体に満ちているのに対して、この「闇に吠える街」は”その後”、結局は現実からは逃れられずつらい日常が続く中で、主人公は完全にあきらめたわけではないが苦しんでいる、そういう”葛藤”がアルバム全体のトーンになっている。

「スターウォーズ」でいう「帝国の逆襲」のようなポジションなのかもしれない。

「明日なき暴走」後のマネージャーとの長期にわたる裁判などもあって、このアルバムでは意識、無意識両方の面で人間の影の部分、「負」の要素が強まったようにも思える。

 都会で生きる若者の”闇”の部分をこのアルバムで徹底してリアルに描くことで、彼の作家性は深まったし、ルー・リードやパティ・スミスといったNYのアンダーグラウンド・シーン、クラッシュらのロンドンのパンクシーンとも、シンクロするような存在になったのだと思う。(実際、このアルバムを制作するときに彼を最も刺激したのが、当時のパンク・ムーヴメントで、彼はせっせとパンクのレコードを買い漁って聴きまくっていたらしい。)

 ともかく、「明日なき暴走」で時代のヒーローになった彼が、アーティストとしての奥行や深み、しっかりした”根”を、作ったのがこのアルバムだ。「続・明日なき暴走」みたいなアルバムにしなかったのが、今の時点で振り返ってみると大正解だったと言える。
 

 それからこの「ストリート・ロックの時代」的に強調したいのがこのアルバムのジャケット写真だ。今とはかなり違ってガリガリだ。そして、異様に素だ。なんの演出もない。そう、70年代の彼はアンチ・ヒーロー的なヒーロだった。まったく個人的な意見だけど、僕はプレスリーに対するスプリングスティーンを、石原裕次郎に対する松田優作やショーケンのような存在だととらえていた。「タクシードライバー」のロバート・デニーロしかり、「ロッキー」のシルベスター・スタローンしかり。70年代というのはアンチヒーロー的ヒーローに多くの若者が憧れる、そんな時代だった。
 都会の闇に生きる、華やかさはないが、どこか憎めない人間味のあるキャラクター。一瞬の夢にかけるロマンチックさ、そしてその瞬発力とエナジーだけはある若者。
 ストリート・ロックはそういう新しいヒーロー像を提示したジャンルでもあった。そしてそれを何よりもを示しているのがこのアルバムだった。

闇に吠える街