ストリート・ロックの時代

 はじまりは1975年。ブルース・スプリングスティーンが「明日なき暴走」で打ち出した「STREET」の匂いのする”都会(まち)ロック”。当時の日本のレコード会社は「ストリート・ロック」、「ストリート・ロックンロール」などと銘打っていた。  スプリングスティーンと歩調を合わせるかのように、ビリー・ジョエル、トム・ぺティなど都会を歌う才能あふれるロッカーが次々と現れたのがこの時代だ。  また、この頃、映画の世界ではロバート・デ・ニーロやスタローン、日本ではショーケン、松田優作など「都会型アンチ・ヒーロー」が現れ、それとストリート・ロックの世界観は完全にシンクロしていた。  日本では80年代に入ると、佐野元春、浜田省吾、尾崎豊などがストリート・ロックのスタイルを颯爽とまといブレイクを果たした。  ワイルドで、でもほのかにロマンティックで、愚直で、でも粋な、ロックンロール。また、”陽のあたらない場所”にいる若者が都会の真夜中に一瞬だけ夢を見る、という”儚いヒロイズム”を内包している音楽。それがストリート・ロック。 (筆者:堀克巳 from VOZ Records) X(旧Twitter)https://twitter.com/horikatsumi

カテゴリ: ミンク・デヴィル

 彼ら、というか彼(ウィリー・デヴィル)はデビューからリリースするごとにストリート・ロックにどんどん接近してきたが、この4作目に至ってとうとう”完全な”ストリート・ロックの作品を作り上げた。
 前作で当初アメリカ国内での発売を見合わせようとしたレコード会社とのトラブルは解消しなかったようでアトランティック・レコードに移籍してのアルバムだ。とはいえ、アトランティックと言えば、ウィリー最大のアイドル、ザ・ドリフターズが在籍していたレーベル、本人も相当うれしかったのではないだろうか?

 さてこの作品だが、まず、ジャック・ニッチェがプロデューサーに戻ってきたことが大きい。そして、バンドはオリジナルメンバーはギタリストのみが残り、それ以外は当時ヘレン・シュナイダーのバンドだった”キックス”を起用している。それによって今まで以上に、ガレージ・ロックンロール・バンド的なノリが強まっている。
 ちなみに、ヘレン・シュナイダーはこのブログではまだメイン記事では扱っていないが何度か名前をあげている女性アーティストで、ブルックリンで生まれドイツでブレイクした経歴がある。1980年前半にニューウェイヴとストリート・ロックの中間のテイストの作品を作り、映画「エディ&ザ・クルーザーズ」ではバンドのコーラス役で出演し、パット・ベネターが大ヒットさせたD.Lバイロン作のストリート・ロック・アンセム「Shadow of The Night」を最初にカバーした人でもある。その後、ジャズにアプローチしたり、アーティスティックなシンガー・ソングライターとして現在も活動を続けている。

 さて話をミンク・デヴィルに戻す。今作で初めてサックス奏者スティーヴ・ダグラスが外れている。やはり彼はロック・サックソフォン奏者の先駆者として、後輩のスプリングスティーンっぽいフレーズは吹くわけにはいかなかったわけだが、今回のサックスのプレイヤーはためらいなくクラレンス・クレモンズ調で攻めている。この辺りも、このアルバムがストリートロック然としている理由だと思う。「LOVE AND EMOTION」という曲のイントロなど、このブログの読者の皆さんなら、おおっと思ってくれるはず。
 以前はエッジーなロックと古いR&Bスタイルの曲が相反するところもありながらウィリーの特異なキャラの元でなんとか同居している感じもあったが、今作ではそれぞれのテイストの曲が自然に溶けけあい同じ方向にあるように思えた。

 ちなみにアルバムのタイトルの意味は、とどめの一撃、もしくは瀕死で苦しむものを楽にさせるための一撃という意味だそう。ストリート・ロック・ファンの心情にもとどめの一撃(?)的なアルバムになっていると思う。

Coup De Grace
Mink Deville
Culture Factory
2014-09-02





 NYのパンク・ニューウェイヴ・シーンに身を置きながらも、ニューオーリンズのケイジャン・ミュージックをこよなく愛するウィリー・デヴィルにとって、ケイジャンのルーツであるフランスでレコーディングしたいと望むのはいたって自然なことだったはずだ。

 しかし、出来上がった作品に当時のアメリカのトレンドのロックとの差異を感じたレーベル側は、当初アルバムのアメリカでのリリースを見送りヨーロッパのみで発売することにし、ウィリーはそのことでひどく傷ついたようだ。(後にアメリカでも発売したが、その際完全にニューオーリンズ風の「マズルカ」をソリッドなR&Rナンバー「Turn Your Every Way But Loose」に差し替えている)

 確かにアルバム後半ではアコーディオンをフィーチャーしたケイジャンっぽい曲が並ぶが、だからといって当時アメリカでまったくウケないようなアルバムには思えないのだが。

 さて、フランス語で「青猫」を意味するタイトルがつけられたこのアルバムは、前2作を手がけたジャック・ニッチェから前作で共同プロデュースをしていたスティーヴ・ダグラスにプロデューサーが変更になっている。
 あらためて、スティーヴ・ダグラスについて説明すると、フィル・スペクターものやビーチボーイズ「ペットサウンズ」などに参加していたサックス奏者で、このブログでも取り上げたボブ・ディランの「ストリート・リーガル」でも印象的な演奏をしていた人である。

 そして、このアルバムで特筆すべきなのは、R&R,R&Bの数々の古典を作った作詞家ドク・ポーマスが3曲参加していることだろう。ウィリーが敬愛するザ・ドリフターズの「ラストダンスを私と」「ジス・マジック・モーメント」やエルヴィス・プレスリーの「ラスベガス万歳」「サスピション」、またフィル・スペクターとも共作している、まさにウィリーにぴったりな相手だ。

 実際にウィリーとドクが共作した3曲が実に素晴らしい。「That World Outside」「You Just Keep Holding On」はスペクター調で、「The World Outside」はスティーヴ・ダグラスのサックスソロがむせび泣く、まさにスペクター調ストリート・ロックで、「You Just Keep Holding On」は流麗なストリングスも入ったライチャス・ブラザースを思わせる本格的なスペクターサウンドだ、もう1曲「Just To Walk That Little Girl Home」はドリフターズ系のR&Bだ。


 バンド・メンバーはギタリストだけが残ったのだが、代わりにレコーディングに参加したリズム隊がすごい!
 エルヴィス・プレスリーのツアー、レコーディングを支えたザ・TCB・バンドのベーシスト、ジェリー・シェフ、ドラムスのロン・タットなのだ。

  ファースト・アルバムからセカンドへと、パンク、ニューウェイヴの影が薄くなっていたが、このサードではほとんど影も形もないと言っていい(ウィリー・デヴィル本人のルックスにはそういう感じはあるが)。ここにあるのは、R&RとR&Bへの純粋な敬意と愛情が、一見クールでシャイな佇まいから尽きることなくにじみ出てくる、正統派のとてもいいロックアルバムだ。

 今回あらためて、新宿や渋谷のCDショップ、古いロックやマニアックなものを置いている店をいろいろ巡り歩いたが、彼らのアルバムを1枚も見つけることが出来なかった。
 ジャンル分けの隙間の闇に滑り落ちていってしまったのだろうか?
 ここで僕は胸を張って、彼らの作品を「ストリート・ロック」のラインナップに加えたいと思う。

Le Chat Bleu
Capitol Records
2010-04-26

La Chat Bleu
Mink Deville
Culture Factory
2012-03-27












 

 

 



「闇に吠える街」と”同じ匂い”がする1978年のセカンドアルバム

 ウィリー・デヴィルが2009年に亡くなったときにイギリスの音楽評論家がこういう内容の記事を書いたという。
 
 デヴィルはスプリングスティーンの叙事詩的なロックと音楽のエリアがいくらか共通しているが、人間的には全然違っている。髪をポンパドールにして鉛筆で口ひげ書いたマッチョ・ダンディで、彼の音楽のロマンティズムからはニューヨークのギャングの危険な空気と内面の脆さを感じさせる。
 スプリングスティーンの音楽はリスナーが絶望した時に友人のように感じられるが、デヴィルの音楽は甘く愛をささやくのか、ナイフを突き立ててくるのか、彼が全く決めかねているように感じられる。

   

しかし、僕はこのセカンドアルバムと、同じ1978年にリリースされたスプリングスティーンの「闇に吠える街」と同質の匂いを感じる。
 きっとこの時二人はニューヨークのすごく近い場所に立ってストリートを見つめ、曲を紡いでいったのだと想像する。
  ただ二人の視点と、立ち振る舞いにははっきりと違いはあった。スプリングスティーンには、創作と演奏両方での比類のない無尽蔵なまでのエネルギーがあり、心の奥底では人間の繫がりを信じるある種の無邪気さがあった。そして、そのエネルギーと、人との繫がりを信じる姿勢が彼を支持する人をどんどん増やすことにつながった。デヴィルのほうは、ナイーヴすぎたし孤独すぎた。ただ、自分が夢中になった古い音楽への愛情と、自分が生きる都会のストーリーをリアルに描く手腕は決してスプリングスティーンに引けを取るものではなかった。

 さて、ミンク・デヴィルのオリジナル・メンバーでの作品はこのセカンドで最後になる。この後は、ウィリー・デヴィルを中心にその都度ツアー・メンバーなどを中心に構成されたようだ。  アルバムのプロデュースはジャック・ニッチェ。そして前作にも参加したスティーヴ・ダグラスがプロデューサーとしてもクレジットされている。  オープニングの「Gurdian Angel」とジャックもソングライティングに参加した「Just Your Friends」では、フィル・スペクター調が堪能できる。また、ファーストアルバムに続いて、ムーン・マーティンの曲を取り上げている。その曲「Rolene」は翌年にマーティン自身が歌い全米30位のスマッシュヒットを記録している。  そして、このアルバムの大きなトピックと言えば、ドクター・ジョンの参加だろう。もともとニュー・オリーンズの音楽を愛するウィリー・デヴィルにとってはうれしいことだったろうし、実に効果的だ。ストーンズ調の「Easy Slider」などは両者の良さがよく出たナンバーだ。  ちなみにこの「Easy Slider」と「Gurdian Angel」はジャック・ニッチェが音楽を担当した映画「ハードコアの夜」(監督ポール・シュレイダー)に使われていたとのことだ。  このアルバムはもはやパンクとの接点を見つけるほうがかえって難しい気がする。ニューヨークの影の部分を切り取ったクールな歌の世界と、ニューオーリンズの音楽やブルース、ラテン、R&Bなどのヒューマンな温かみのあるサウンドを融合させた、まったく独特な音楽だ。  もっとパンクっぽい疾走感のあるR&Rに集中するとか、もしくは、ストーンズ的に泥臭いブルースをメインにするかすればもう少し今でも彼らは再評価されていたのかもしれない。そうじゃなかったために、ミンク・デヴィルは、ロックをカテゴライズする仕分けの”隙間”にすうっと飲み込まれてしまったかのようだ。
Return to Magenta
Mink Deville
Culture Factory
2011-09-27


"悪魔”でも”パンク”でもない、真のストリート・ロック!      邦題の「悪魔の」は当然バンド名のデヴィルからとったのだろう。ところがどっこい、デヴィルはdevilじゃなくてde ville、フランス語の「街の」の意味だ。で、当時のレコード会社の担当者、そんなことは百も承知といわんばかりに「シティ」をタイトルの後ろに持ってきた。そして、彼らはニューヨークのパンク・シーンから出てきたので、がっちゃんと結合させたのが「悪魔のパンク・シティ」。ヘビメタと親和性が強い「悪魔」と軽快でお洒落なポップスを連想させる「シティ」で「パンク」をはさむという、和洋中ミックスのB級グルメ・サンドイッチのような、インパクトはあるが"味"が全く連想できないようなタイトルになってしまった。

 ちなみにde villeはアメリカの高級車キャデラックの車種、シリーズ名で、キャデラック・デヴィル、セダン・デヴィル、クーペ・デヴィル、というようなものがあって、アメリカではデヴィルと言えばキャデラックを連想する人も多いようだ。ミンクをあしらったキャデラックがあったら最高にクールだぜ〜みたいなノリで決まったバンド名らしい。

 で、なぜ僕がいきなり邦題の解説から始めたかと言うと、彼ら(というより実体はリーダーのウィリー・デヴィル一人と言っていいのだが)は自分たちのやってる音楽の本質を本当に理解されなかった人たちで、それがこの邦題にもよく表れていると思ったからだ。


 彼らは1970年代半ばごろニューヨーク・パンク、ニューウェイヴ・シーンのメッカであったライヴハウス"CBGB"で、ラモーンズ、テレビジョン、ブロンディ、トーキングヘッズなどとともにレギュラー・アクトとしてライヴをやっていたため、完全にそのシーンのバンドの代表の一つとして見なされていたようだ。
 
 しかし、バンドの中心人物ウィリー・デヴィルはザ・ドリフターズなどR&Bやブルース、ニューオーリンズの音楽にどっぷり浸かった人物。そこに、B級フイルム・ノワール映画で有名なフリッツ・ラングを好きだという嗜好性が反映されたような退廃性とマッチョイズム、そこに髪をポンパドールにしたキワモノっぽいファション性が加わって、なんともカテゴライズしようのないスタイルが出来上がった訳だ。  ウィリーも自分のバンドは、当時のCBGBの中で浮いている存在だとずっと感じていたようだ。ルックスはどうあれ、自分たちは古いR&BやR&Rを愛するバンドで、アートスクール上がりの連中とは全然違うと言う風に。  じゃあ、このミンク・デヴィル、強いて言えばどのジャンルに一番近いか?  こう問われたら(問われることはないけど)、僕は自信を持って言い切りたい。  彼らはまさに”ストリート・ロック”だ!  同じ時代に生まれた都会のソリッドなロックンロールということで、ストリート・ロックとパンクは兄弟のようなものだけれど、向こう見ずで無鉄砲で尖がった「弟」パンクに対して、「兄貴」のストリート・ロックは案外真面目で人情がある、そして何よりも「親思い」という違いがある。  この場合の「親思い」とは、自身のルーツである古いR&BやR&Rへの愛情をけっこうダイレクトに表現しているということ。ここが、ストリート・ロックの肝だ。  一見パンクなミンク・デヴィルであるが、古い音楽への愛情が満ち溢れていて、その実はストリート・ロックだと僕は考える。  (もちろん、彼らはニューヨークのストリートの現実を、金もなく希望もない若者たちの姿を音楽でリアルに描いていて、それだけで十分ストリート・ロックだ。)  このアルバムも冒頭はちょっとルー・リードぽくクールな語り口調で”街の女”を語ったりしてNYのアンダーグランドっ)ぽさは出しているが、2曲目になるとクリスタルズの「Little Boy」のカバーだ(タイトルは「Little Girl」。ストリート・ロックのサウンドの最大のルーツはである”フィル・スペクター”ものだ。  このアルバムのプロデューサーはジャック・ニッチェ。フィル・スペクターのお抱えアレンジャーだった男、そう、フィル・スペクターが妄想したウォール・オブ・サウンドを具現化させた影の功労者だ。他に二ール・ヤングとの共演で有名なクレイジー・ホースのファーストや、「エクソシスト」「カッコーの巣の上で」など映画もたくさん手掛けた奇才だ。  この「Little Girl」は”本物”を使ってフィル・スペクターのカバーをやってるわけだ。しかも、アレンジは、ウィリーが敬愛するザ・ドリフターズのベンEキングの「スパニッシュ・ハーレム」っぽいアレンジにしている。で、この「スパニッシュ・ハーレム」の曲を書いた一人がフィル・スペクターというわけで、こういう音楽の楽しみ方はパンク・ファンには馬耳東風(使い方あってるかな?)だろうと思う。  フィル・スペクター関連でサックスを吹いていたスティーヴ・ダグラスも参加したり、このアルバムの翌年にデビューする、ムーン・マーティンの「キャデラック・ウォーク」を取り上げたりと、なんとも味わいのあるデビュー盤だ。  このアルバム、パンキッシュでソリッドなナンバーももちろん入っているが、パンク・ファンよりも古いR&BやR&R好きの方が楽しめるアルバムであることは間違いない。
Mink De Ville
Mink Deville
K-Tel
1993-04-03

 
Cabretta
Capitol Records
2010-04-26

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