世の中は、正しい正確な情報が皆様に伝わるというわけではなく、いつの時代も重要情報は隠され続けます。
戦争は、現在の資本主義において、もっとも利益の出るものであり、戦争を軸として世界が変わっていきますので、その時点の重要な戦争情報は、入念な注意を払って守られる重要な秘密です。
ちなみに、日中戦争が始まった1937年前後をみてみます。
2・26事件は、1936年であり、その年の11月に日独防共協定が調印され、日本国内には大きな変化がおこります。
12月12日には、張学良らにより蒋介石が監禁されるという西安事件が発生し、外国も関与して、国共合作が成立します。
蘆溝橋事件は、翌年1937年7月7日であり、高校などで授業を受けてもさっぱり本当の状況がわかりませんでした。
日本の戦後教科書には、アメリカに不都合なことは一切書かれておらず、その動きを追加すると、全体がよくわかります。
米国陸軍航空隊の戦闘機パイロットのシエンノートは、蒋介石の要請で、中国空軍の軍事顧問を引き受け、1937年5月8日にサンフランシスコ出港して、5月31日に上海に到着しました。
蒋介石は、上海で戦端を開くという方針をたてて、同じくアメリカから派遣されていたスターリング・タータムは、「中国軍軍用機」で、発着の禁じられていた上海に8月7日に行きました。
上海での大山中尉らの射殺事件は、偵察に行って8月9日に殺されたのであり、殺害は英米中の計画的なものです。
シエンノートは、蒋介石婦人・宋美齢の命令で、8月11日に上海の外国人租界に戦争が迫っていることを知らせに行きます。
タータムに付き添ったジョン・ホーランドは、米国帰国後タータムの任務は知らなかったと周囲に話しており、今日を迎えても米国の悪口になるようなことは日本ではほとんど知られていません。
参考文献:シエンノートとフライング・タイガース 徳間書店刊
アメリカ政府中枢は、日中戦争に関与しており、ハルノートで有名なハルは、1940年12月9日早朝、財務長官モーゲンソーがハル国務長官を訪れた時、シエンノートの爆撃機など500機の要請を聞き、東京上空での爆弾投下を薦めています。
英米は、日本と中国のどちらかを重視して、1853年のペリー浦賀来航以降、1905年の日露戦争終結までは日本重視でした。
1905年が転換点となったことは、アメリカの植民地フィリピン防衛のための日本たたき準備開始だけでなく、8月の日英同盟改訂など、ポーツマス条約調印以外の表情報からもわかります。
それから1950年の朝鮮動乱までは、中国に肩入れしています。
日本の高度成長などは、英米の日本重視の方針転換のおかげでもあり、その後最近まで中国重視が続きました。
世の中は、AIなどの情報化によって大きく変わりました。
以前は、流れを正確に組み立てるとか、相手に悟られないようにするとか、そういった大局的な情報戦が主力でした。
今は、一歩進んで、そういった従来の重要事項に加えて、より細かな個別の情報まで利用できる個人や組織が誕生しています。
大リーグの大谷翔平投手や将棋の藤井聡太八冠などは、細かな情報分析なども有効利用している個人の成功例です。
戦争は、現在の資本主義において、もっとも利益の出るものであり、戦争を軸として世界が変わっていきますので、その時点の重要な戦争情報は、入念な注意を払って守られる重要な秘密です。
ちなみに、日中戦争が始まった1937年前後をみてみます。
2・26事件は、1936年であり、その年の11月に日独防共協定が調印され、日本国内には大きな変化がおこります。
12月12日には、張学良らにより蒋介石が監禁されるという西安事件が発生し、外国も関与して、国共合作が成立します。
蘆溝橋事件は、翌年1937年7月7日であり、高校などで授業を受けてもさっぱり本当の状況がわかりませんでした。
日本の戦後教科書には、アメリカに不都合なことは一切書かれておらず、その動きを追加すると、全体がよくわかります。
米国陸軍航空隊の戦闘機パイロットのシエンノートは、蒋介石の要請で、中国空軍の軍事顧問を引き受け、1937年5月8日にサンフランシスコ出港して、5月31日に上海に到着しました。
蒋介石は、上海で戦端を開くという方針をたてて、同じくアメリカから派遣されていたスターリング・タータムは、「中国軍軍用機」で、発着の禁じられていた上海に8月7日に行きました。
上海での大山中尉らの射殺事件は、偵察に行って8月9日に殺されたのであり、殺害は英米中の計画的なものです。
シエンノートは、蒋介石婦人・宋美齢の命令で、8月11日に上海の外国人租界に戦争が迫っていることを知らせに行きます。
タータムに付き添ったジョン・ホーランドは、米国帰国後タータムの任務は知らなかったと周囲に話しており、今日を迎えても米国の悪口になるようなことは日本ではほとんど知られていません。
参考文献:シエンノートとフライング・タイガース 徳間書店刊
アメリカ政府中枢は、日中戦争に関与しており、ハルノートで有名なハルは、1940年12月9日早朝、財務長官モーゲンソーがハル国務長官を訪れた時、シエンノートの爆撃機など500機の要請を聞き、東京上空での爆弾投下を薦めています。
英米は、日本と中国のどちらかを重視して、1853年のペリー浦賀来航以降、1905年の日露戦争終結までは日本重視でした。
1905年が転換点となったことは、アメリカの植民地フィリピン防衛のための日本たたき準備開始だけでなく、8月の日英同盟改訂など、ポーツマス条約調印以外の表情報からもわかります。
それから1950年の朝鮮動乱までは、中国に肩入れしています。
日本の高度成長などは、英米の日本重視の方針転換のおかげでもあり、その後最近まで中国重視が続きました。
世の中は、AIなどの情報化によって大きく変わりました。
以前は、流れを正確に組み立てるとか、相手に悟られないようにするとか、そういった大局的な情報戦が主力でした。
今は、一歩進んで、そういった従来の重要事項に加えて、より細かな個別の情報まで利用できる個人や組織が誕生しています。
大リーグの大谷翔平投手や将棋の藤井聡太八冠などは、細かな情報分析なども有効利用している個人の成功例です。