原稿終わってすぐ「聲の形」は観れたんですが
先日のロフトプラスワンのイベントまでに
「君の名は」は観れませんでした・・・
予約取ろうとした段階でもう一杯で・・・(映画の日)
なのでイベントではネタバレ聞きまくった後に
先日ようやく観たんですが
おもしろかったー‼
いや、まだ底知れないヒットの最中にあって
おもしろいとは散々聞いてましたけど
ここまでおもしろい!?って驚きながら観てました
個人的なツボはヒロインの田舎描写でしたね
方言が似通ってるとこあってなじみ深いし
何よりあの山の中の狭い世界観
そこだけの社会の仕組みや価値観が支配してるあの感じ
朝日が差さないとかの日照時間問題も俺の話で
つまり俺が住んでたところってクレーターの中だったんだ・・・
巷で言われてるように不鮮明な所は僕も感じましたが
全然前世から気になりませんでしたね
何故なら感情表現の抽象化により忠実であったから
ひとつの作品に統一されたアート作品寄りの完成度に
圧倒されたからです
何より「観た人を(より多く)楽しませる」というプロフェッショナルが
商品としてのリアリティを高めたからだと思います
逆に言うとディテールにこだわり過ぎる反面では
視聴者・読者を置いてけぼりにしてしまうきらいがあり
その商品が存在する義務が損なわれる面もあります
いや、これは自戒を込めてなんですが
これは、およその作り手の誰もが抱えるジレンマであって
個人的には作品性と商品性は両立できるとの
結論に至ったんですが(ただし超むずかしい)
どちらか、あるいは別箇所の何か飛びぬけた魅力が一つあれば
人を喜ばせることができるし作り手は生活できる
って話じゃないでしょうか

ところで、ロフトプラスワンの話に戻りますが
最前列で観覧されてた男性の方を僕の脳が
「見たことがある」と言ってたんですよね
僕は人の顔を覚えるのに自信があります
わずかな違いでも区別できる感覚があって
だからか、描いてる漫画ではキャラの顔の区別がつかないという
感想をよくいただきますが・・・
その時も、明らかに初めてじゃないという感覚がありまして
気になって男性の顔をしばらく見つめました
相手もそうなんじゃないかと思いましたが
ちっとも目が合わない
イベントが終わり退場する頃
我慢できずその方に声をかけました
「以前お会いしたことありますよね?」と
そしたら「いえ・・・ないです」との回答が
その時「君の名はか!?」「前世か!?」とお客さんから
そう突っ込みを受けましたがその時は何のことやらでした
しかし、もう映画見た後ならわかります
つまり、彼が僕と入れ替わるのは三年後だということです
何故か僕の方が、彼の名がわかりませんが・・・
ちなみに「聲の形」の感想は原作者の大今さん
にぶつけたいのでここには書きません