2011年12月16日
No.145 儀式はパレードなのか
今日は外宮で「奉幣の儀」が行われる日で。それで参道でしばし待機しておりました。
たまたまお参りに来て、なんだかものものしい衛士さんの数に
「なんかあるのかな?」
と、思っている人も多く、みんな何があるか分からないまま参道で待ち受けております。
すると、その中に、ちょっと趣の違う、なんというか、「この方は…もしかしてやんごとなき方では?」というご婦人がいらっしゃいました。
神宮なので、そういう方がいらっしゃってもまったく不思議ではございません。
その方に話しかける側近の人はみなかしずくような感じでございました。
車椅子に座って、やわらかそうな毛皮のコートを召していらっしゃいました。
「奉幣の儀」の始まりを告げる神職さんがひとり、トントンと太鼓を鳴らしながら参道を行きます。
お櫃を担いだ神職さんを筆頭に、祭主さん、大宮司さん、他のエライ神職さんが行列になって歩いて行きます。
お櫃を担いだ先頭にすごく美しい神職さんがいて
「あぁ!やっぱビジュアルって大事!!」
と、喜んでいたら知り合いのUさんでした。
烏帽子被に白い装束って美男子がさらに映えますね〜。
いや、そういう話ではないんです。
問題はここからなんです。
神職さんたちの行列が行き過ぎるとき、参道の方たちはなにをすると思いますか?
そうです。
携帯やデジカメでパシャパシャと写真を取りまくるのです。
すっかり見慣れた光景です。
神宮の行事やお祭りは参拝時間内なら参道から見ることはまったく自由です。
写真の規制もしていません。
その写真を撮りまくっている中、先ほどのご婦人一行(7,8名)は
なんと、深々と頭を垂れているではありませんか。
その時、私は思ったのです。
ああ、本来はこうするべきなんだと。
ディズニーランドのパレードではないのですから。
これは、神さまのお祭りなんですから。
だからこのご婦人の一行のようにしたほうが美しいのです。
たしかに神職さんがずらりと並んで壮観ではあり、珍しい光景かもしれません。
写真に撮りたいキモチもすごくわかります。
そこであえて頭を垂れると、また違う世界に入れる。
そんな気に少しなった外宮「奉幣の儀」での出来事でした。
Tweet
2011年12月11日
No.144 満ちて水没


近所の友人を迎えに行ったけどちょっと早かったので近くの朝熊神社で時間潰し。
今日は満月、そして月食の日。それできっと鏡宮も大潮で満ちてるんじゃないかな、と思ったらちょうどその時刻でした。
ここは朝熊川と五十鈴川の合流地点。水の満干があるのはすぐそこが二見の海岸だからなのです。鏡宮には神宮とは直接関係がないと言われている石がお祀りされていて、水が引いているときは見えるのですが、満潮になると水面下に隠れてしまうんですね。
今日はバッチリお隠れになっておりました。
下に下りる階段も水没…。
夕方だったのですが、鏡宮に近づくにつれ、「シャッシャッシャッ…」と、お宮を掃き清める音が聞こえてきました。
私が参拝してても、まるで誰もいないかのように作業を続けるおじいさん。
清清しく、お参りさせていただきました。
こういう、自然の理(ことわり)が身近に感じられるお宮は伊勢神宮多しと言えど、そんなにないよなあ、と思いました。
Tweet
2011年12月06日
2011年12月03日
No.142 階段が新品に!!
覚えておいででしょうか?現在の御正宮の階段はきれいだけど、古殿地の階段はガタガタだと言うこと。
遷宮のときにはもしかしキレイになるの?…と。
No.126 石段の不思議
なってましたヨ〜!
今はほんとうに神宮のあちこちで工事しまくりでなかなか騒々しいです。
Tweet
2011年07月24日
No.141 御食神社-みけじんじゃ-
お伊勢参りには陸路と海路とあって、この御食神社がある神社(かみやしろ、と読みます)はその海路からの参拝の玄関口となっていました。いわゆる船参宮ですね。この御食神社は外宮の摂社で、立派な松、池、そして辰の井というかつては井戸として使われていたものがあります。
ここ神社から河崎まで土、日、祝日に「みずき」という周遊定期船が出ているので、これと併せて参拝されるのも面白いかな、と思います。
詳しくは伊勢観光協会のブログに書きましたので、よければご覧下さい。
そして、こういうところにくるといつも感心するのがこういう手作りの道具。これは落ち葉などを集めるちりとりなんだと思いますが、底が網になってて、砂利や土がちゃんと落ちるようになってます。そうすると落ち葉だけ集めることができますもんね!
そしてこの朽ちた枝を使った取っ手のかわいいこと!
かわいいというか、すごく手になじむ感じですよね。
こういう愛のある道具に出会うと嬉しくなってしまいますね。
そんな、御食神社は御饗神社とも書きます。
興味のある方は一度是非!
2011年07月17日
No.140 五十鈴川

夏の五十鈴川です。
雨が少ないので川底には苔が付いてます。
赤福が飼っているアヒルが3羽泳いでますねー。
カワウも潜って魚を取ってます。
向こうの烏帽子岩のところでは子供たちがもう泳いでますよ。
このすぐ奥はもう神宮です。
2011年06月16日
No.139

ギンリョウソウ【銀竜草】
平成23年6月9日
外宮
白くて透明、茎がうろこみたいになってます。
花はやや下向き加減で茎と同じ色。
別名ユウレイタケとも言うそうです。
写真は一本だけですが、割と数本固まって出るようなので、地面に目を凝らせば見つけることができるかもしれません。
神宮と言えば大きな杉の木にみなさん目を奪われるようですが、見上げてばかりいないで地面にも目をやってみて下さい。このような小さな発見もできるかも知れません。
2011年06月15日
No.138 これからのこのブログについて
ずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。
前に書いたのが4月14日ですから、なんと!2ヶ月ぶりではないですか。
実は最近このブログについて考えるんですね。
お客さんと話していて思うのですが、伊勢の人間にとっては
「たまたま近くの神社が伊勢神宮だった」
という感覚。
でも、遠くからのお客さんにとって神宮とは
「とてつもなく神聖なもの、憧れ」
なんですね。
それはすごく嬉しいこと。
でも、それだけじゃなくてもっと神宮を身近に感じて欲しくてブログを書いていました。
書き始めた頃は神宮がとても身近だったのですが、不思議なことに神宮がパワースポットと言われ始め、多くの人が神宮へ「パワーをもらいにくる」ようになって、多くの人が地元の人が知らないような「どこそこにパワーがあるらしい」とか「この石にパワーがある」とか、いろんな人が神宮のことを語るようになって、それもなんか天照さんとお友達なんですー!とか、なんかすごいことになってきてて、つまり、その、神宮がどんどん遠くに行っちゃうような、なんだかそんな気がしてきているのです。
遷宮も迫ってきて、神宮のあちこちで工事が始まって、なんだか神宮全体がざわざわしてきていますよね。
これはなんなんでしょうかね。
神宮の基本的な「常若-とこわか-」という精神がありますが、古いものが終わって新しいものに変わる前の淋しさなのか、あるいはひとつの時代が終わって新しい時代が来る前の不安な感じなのか、いずれにしても、「身近な私たちの神宮」と言う感覚ではなくなっております。
そこで、これからこのブログをですね。
ちょっと変えていこうかなと思います。
もっとピンポイントで狭〜い神宮の紹介になりそう。
そんな感じで、よろしければ引き続きお付き合いくださいませ。
前に書いたのが4月14日ですから、なんと!2ヶ月ぶりではないですか。
実は最近このブログについて考えるんですね。
お客さんと話していて思うのですが、伊勢の人間にとっては
「たまたま近くの神社が伊勢神宮だった」
という感覚。
でも、遠くからのお客さんにとって神宮とは
「とてつもなく神聖なもの、憧れ」
なんですね。
それはすごく嬉しいこと。
でも、それだけじゃなくてもっと神宮を身近に感じて欲しくてブログを書いていました。
書き始めた頃は神宮がとても身近だったのですが、不思議なことに神宮がパワースポットと言われ始め、多くの人が神宮へ「パワーをもらいにくる」ようになって、多くの人が地元の人が知らないような「どこそこにパワーがあるらしい」とか「この石にパワーがある」とか、いろんな人が神宮のことを語るようになって、それもなんか天照さんとお友達なんですー!とか、なんかすごいことになってきてて、つまり、その、神宮がどんどん遠くに行っちゃうような、なんだかそんな気がしてきているのです。
遷宮も迫ってきて、神宮のあちこちで工事が始まって、なんだか神宮全体がざわざわしてきていますよね。
これはなんなんでしょうかね。
神宮の基本的な「常若-とこわか-」という精神がありますが、古いものが終わって新しいものに変わる前の淋しさなのか、あるいはひとつの時代が終わって新しい時代が来る前の不安な感じなのか、いずれにしても、「身近な私たちの神宮」と言う感覚ではなくなっております。
そこで、これからこのブログをですね。
ちょっと変えていこうかなと思います。
もっとピンポイントで狭〜い神宮の紹介になりそう。
そんな感じで、よろしければ引き続きお付き合いくださいませ。
2011年04月14日
No.137 神域の木々
宇治橋を渡ると身も心も引き締まり、「さあ、神宮へ来たぞ」という心持になると思います。しかし宇治橋を渡ってすぐの開けた広い場所は実は「神域」ではありません。神宮の地図などに「ここからは神域ですよ〜」とかは明記されていませんが、よく見てみると神域外にはたくさんの「花の咲く木」があるのに対し、神域にはほとんどないことに気付きます。
桜も、椿も、人が鑑賞のため人工的に植えたような木がないのです。(神宮と言ってもそのほとんどは山なので、山桜や自然に生えたようなものはあります)
例えば内宮。かつて御師(「おんし」、「おし」とも言う)の屋敷が立ち並んでいた場所には何本かの桜の木があります。今は遷宮館の建築中で入れませんが、外宮の勾玉池周辺にはたくさんの椿の木があります。
ところが、神域に入ると、そのほとんどは杉や楠と言った緑の木々です。だからか、神宮神域内の風景はいつ行っても同じに思えるのかな、と思いました。抑揚のない、派手でもない景色だけど、だからこそいつ行っても安心感があるのかなあ、と思ったりするのでした。
桜も、椿も、人が鑑賞のため人工的に植えたような木がないのです。(神宮と言ってもそのほとんどは山なので、山桜や自然に生えたようなものはあります)
例えば内宮。かつて御師(「おんし」、「おし」とも言う)の屋敷が立ち並んでいた場所には何本かの桜の木があります。今は遷宮館の建築中で入れませんが、外宮の勾玉池周辺にはたくさんの椿の木があります。
ところが、神域に入ると、そのほとんどは杉や楠と言った緑の木々です。だからか、神宮神域内の風景はいつ行っても同じに思えるのかな、と思いました。抑揚のない、派手でもない景色だけど、だからこそいつ行っても安心感があるのかなあ、と思ったりするのでした。
2011年04月12日
No.136 神さんのもとで

東日本大震災の後、このブログを更新する気になれませんでした。
「神もなにもあったもんじゃない」
そういう思いの方も多いと思います。
こちらでも、鳥羽や南伊勢では養殖やカキ、海苔に被害がありました。東北の被害が甚大過ぎてほとんど報道されてませんが、漁業関係の方の心境はいかほどのものでしょうか。
伊勢は観光の町です。
被災されなかった人も、気分的には旅行どころじゃないんじゃなかろうか…そう思っていました。
そのうち、何人か旅の方の話を聞きましたところ
「こんな時だからこそ心を鎮めたくて…」
という話を聞きました。
つまり、物見遊山的な観光ではなく、「心を鎮め、祈るために伊勢に来た」というのです。
沢山の寄付や義捐金、復興支援金が集まっています。
もちろん。伊勢でもそういう活動が盛んに行われています。
でも、各地方でそれぞれできることが違っていいと思うのです。
人々の祈りを受け止める。それがのが伊勢の神宮なんじゃないかな。と思いました。
昨日、久しぶりに外宮へ出かけました。
最近、パワースポットブームでちょっと神宮から足が遠のいていた私ですが、そこには変わらない神宮の姿があって、変わらずに山の匂いがして、木々のざわめきがあって。
こういうのが2000年近くも変わらないって本当にすごい。
そして、人間って実はほとんど変わらなくて、たいして賢くもならない生き物なんだな、と思いました。
なのに、文明と言われるおもちゃを持たされて、使い方もよく分からないのに、遊びまくって色々壊しまくって、好き放題してしまったんじゃないかと。
静かに時が流れる神宮に身を置くと、本当に自分の小ささが身に染みるのでした。
内宮の参道に三重の銘酒がずら〜っと樽で並んでおります。

