April 05, 2017

vegetarianの語源

田上孝一さんから『環境と動物の倫理』をいただいた。
https://www.amazon.co.jp/dp/4780716071
田上さんの環境倫理・動物倫理に関する既発表論文を集めた上に、ベジタリアニズムに関する章が書き下ろされていて、田上さんのこの領域についての考えを知りたい人にとってはかっこうの本となっている。

さて、その本筋とは関係ないのだが、田上さんもまたvegetarianismの語源についてvegetableではなくラテン語のvegetusだという説を採用し、以下のように言っている。

「というのは、今日用いられる意味でのベジタリアンの語源は、ラテン語のvegetusに由来するものだからである。vetetus はvigorousな、活き活きとしてエネルギッシュな様子を意味する言葉である。」(p.107)

「このような本来の意味でのベジタリアンは、1847年創設のイギリスのベジタリアン協会によって造語されたというのが定説である。この時に先駆者たちは自らの立場を、vegetableではなくてvegetusを語幹とする言葉で表明したのである。ところが実際には、オックスフォード英語大辞典には1839年の用法が収められている。実はすでにあったのである。
とはいえ、言葉自体はすでにあったとしても、現在使われている意味はベジタリアン協会によるものである。」(p.108)

つまり田上さんは、1847年の時点でベジタリアン協会を作った人たちがvegetusを語源としてvegetarianという言葉を(すでに使われているのを知ってか知らずか)採用した、と考えているようである。これは近年書かれるベジタリアニズムについての本のほとんどに書いてあることで、とりたてて田上さんがどうこうということではないのだが、強いて言えば学術書という体裁の本でこの説が採用されるのは珍しいかもしれない。


まず、これについては、"Vegetus Myth"というブログ記事が存在する。
http://www.vegsource.com/john-davis/the-vegetus-myth.html
それによれば、vegetarianの語源がvegetusではないかという推測は最初に1879年にVegetarian Messengerというベジタリアン協会の発行物で登場したが、特に根拠は示されていないという。(同じ雑誌の別の号はネット上で見ることができたがこの号は発見できなかった)

ベジタリアン協会自身はこの言葉がどのように導入されたかについてあまりちゃんと語っていない。
初期の歴史については以下のURLでまとめられている。
https://www.vegsoc.org/history
ここでは、1842年のHealthianという雑誌でベジタリアン協会の前身にあたる人たちによって最初に使われた、と言うだけで、何からこの言葉を着想したのかは触れていない。
ありがたいことにHealthian誌もオンラインで読むことができる。
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hx3udv;view=1up;seq=1
該当箇所は34ページから35ページあたりだが、肉食に対する野菜食、果実食の優位を説く文脈で特に何の説明もなくvegetarianという言葉が用いられている。
最初の用例の前に"vegetable diet is by far the more sustentative.”という言い回しがあったあとで

"To tell a man, who is in the stocks for a given fault, that he cannot be so confined for such an offence, is ridiculous enough; but not more so than to tell a healthy vegetarian that his diet is very uncongenital with the wants of his nature, and contrary to reason"(罪のためにさらし台に縛り付けられた人に「そんな罪のために縛り付けられてはならない」と言うのはばかげている。健康的なベジタリアンに、あなたの食生活は本性の要求と適しておらず理性に反する、というのはそれと同じくらいばかげたことである)

というところがおそらく最初の用例である(同じ記事の中であと何回か出てくる)。この段落を素直に読むなら、vegetarianとはvegetable diet を採用する人のことである。
では、ベジタリアン協会が発足するまでに彼らはこの言葉の解釈を変えたのだろうか。1849年(発足の2年後)からベジタリアン協会が発行しはじめたVegetarian Messengerの初期の号はInternet Archiveで読むことができる。
https://archive.org/details/vegetarianmessen01vege
上でリンクした1849年の第一号にvegetarianismの原理が掲載されている(p.2)。

The principle of Vegetarianism, like any element of food, is plain and simple: That man as a physical, intellectual, and moral being, desiring the development of all his faculties to their fullest extent, can best accompllish his desire, by living in accordance with his original constitution or nature, which requires that he should subsist on the direct production of the vegetable kingdom, and totally abstain from the flesh and blood of the animal creation.
(ベジタリアニズムの原理は、食事のどんな要素とも同じく、平易で単純である。肉体的、知的、道徳的存在としての人間は、自分の能力を最大限まで開発したいと欲するなら、自分の本来の組成ないし本性に従って生きることでその欲求を達成することができる。その生き方が要求するのは、植物界の直接の産物を糧にして生きること、そして動物の肉と血を全面的に避けることである。)

この原理の前半部分を見ると、のちのvegetusを語源とするという解釈に繋がる側面がなくはないことが分かるが、全体としてみれば、direct production of the vegetable kingdom を食べて生きるというのがベジタリアニズムの基本的な態度だとこの時点では考えられていたというのが明らかである。

以上の証拠からは、vegetarianismの語源について、1840年代の協会創設者たちの意識の問題としては、vegetus説をとるのは難しい、と結論せざるを得ないように思われる。

ただ、現在のベジタリアニズムについて述べるときに、vegetusに由来する、というのは必ずしも間違いとはいえない。現代のベジタリアンが「ベジタリアニズムという言葉はvegusに由来する言葉として使う」と考えて自分をベジタリアンと呼ぶのであれば、そこで一種の言葉の再定義、再創出が行われたわけであり、その人たちを「菜食主義者」と呼ぶのはやはり不適切だということになるだろう。ただ、田上さんのように「この時に先駆者たちは自らの立場を、vegetableではなくてvegetusを語幹とする言葉で表明したのである。」とはっきり言ってしまうと、歴史的な語源の問題に足をつっこむことになり、今回の記事で書いたようなことを問題にせざるをえなくなる。

iseda503 at 17:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 30, 2016

プラグマティズム入門についての伊藤先生へのお手紙

伊藤邦武『プラグマティズム入門』をいただいた。



伊藤先生に感想と質問のお手紙を書いたのでここに転載しておく。


伊藤先生

ご無沙汰しております。過日はご著書『プラグマティズム入門』をご恵贈いただきありがとうございました。プラグマティズムのおこりから現代のプラグマティストまでを一気に鳥瞰する本はこれまでなく、新鮮な感銘をうけました。伊藤先生のようなバックグラウンドがなければできないことだったろうと思います。また、最近のプラグマティストについては私自身不勉強で知らないことが多く、勉強になりました。
以下、不勉強ながらに気になったことについてご質問させていただきたく存じます。

(1)まず、ジェイムズとそれ以前の実証主義の関わりについて質問があります。ジェイムズの「純粋経験」論は、一般には中性的一元論の一種と分類されると思いますが、そうするとジェイムズより前に中性的一元論をとなえていたアヴェナリウスやマッハとの関係が気になるところです。とりわけアヴェナリウスは「純粋経験」という言葉を作った当人で、ジェイムズもこの言葉を彼から借用したようですので、素人考えではなんらかの影響関係がないということはないだろうという気がします。それに対して、先生の記述では純粋経験論や中性的一元論をジェイムズが創始したという独創性の面が強調されています。また世間のジェイムズについての研究書一般に、マッハやアヴェナリウスの関係は論じないか、論じても関連性の存在に否定的であることが多いと思います。(注1)これはどういう根拠に基づくことなのか、以前から気になっていたのでこの機会にご質問するしだいです。

 また、87ページでラッセルが「ジェイムズの提唱した中性的一元論」を採用した、という表現をとられているのも気になります。ラッセルは1914年の論文でマッハとジェイムズをこの立場の支持者として対等に挙げており、注においては「マッハの理論は実質的にジェイムズと同じであるように見える」とも述べています。(注2) ジェイムズとマッハの立場の異同をどうとらえるにせよ、ラッセルの形而上学にジェイムズがもっぱら影響を与えたように書くのは、若干プラグマティズムびいきのようにも思えます。

(2)第二点はウィーン学団のアメリカへの導入についての記述です。先生はウィーン学団と古典的プラグマティズムの関係をかなり対立的に書かれていますが、それはジェイムズとカルナップを比較するからそうなったのではないか、という印象を持ちました。

具体的には、124-126ページにかけての節で、論理実証主義と古典的プラグマティズムの相違点として、事実と価値の二分法を受け入れるか否か、という点と認識における全体論に価値を見出すかどうか、という二点が挙げられています。カルナップやエイヤーの論理実証主義はたしかにこれらの点でジェイムズ流のプラグマティズムと対立するかと思いますが、ノイラートは科学の実践性を強調しましたし、さまざまな分野が協力するためにこそ統一科学(統一的な言語)が必要だと主張していました。認識論においてノイラートの船の比喩に象徴されるような全体論をとっていたのもよく知られているところです。ではノイラートが論理実証主義の中で異端だったかといえばそうもいえず、統一科学運動をリードしたのはノイラートです。最近論理実証主義の歴史については多くの研究がなされるようになってきましたが、そこでもアメリカのプラグマティストや左翼活動家たちによって(ノイラート流の)論理実証主義がプラグマティズムを補完するような存在として歓迎されたという分析がされることが多いと思います。(注3)

他方、古典的プラグマティズムといっても、パースのプラグマティズムが事実と価値の関係や認識的全体論の問題についてカルナップと対立したかというと議論の余地があるのではないかと思います。少なくとも、”How to make our ideas clear”で提示された、合意の収束点としての真理という考え方には有用性などの実践的な考慮は明示的にはからんでこないように見えます。そういうことを考えると、パースやカルナップのような理論派とジェイムズやノイラートのような実践派がプラグマティズムにも実証主義にもいた、というようなまとめ方の方がしっくりきます。わたしはパースについてそれほど詳しくありませんので、これについてもわたしの誤解でしたらその旨ご教示いただけましたら幸いです。

また、細かいことですが、122ページで「彼らの思想は新大陸においては「ウィーン・シカゴ学派」と呼ばれるようになった」という記述をされていますが、これだと周辺の人々がそう呼んでいたように読者が受け取ると思います。わたしの理解ではこの呼び方は日本での紹介に際して作られた表現で、英語圏でこれに類する表現はほとんど使われていないようです(ちょっと調べましたが英語圏での用例が発見できませんでした)。 (注4)実際、アメリカ移住後の論理実証主義の拠点をシカゴと見なすのは、特定の時期のカルナップに偏重した史観のような気がします。

(3)次に、パトナムの紹介のしかたについて少しお伺いしたいことがあります。内的実在論の不十分点として、177ページで「世界についてのもっとも詳細で完全な記述や描写、という概念がそもそも意味がある概念かどうか」「その達成の可能性を問うことに意義があるのかどうか」に「正面から答えようとしていない」ということを挙げておられます。しかし、先生が想定しているのと少し違う角度からだとは思いますが、パトナムのいわゆる「中期」の哲学はまさにこうした問題を扱っているように思います。パトナムが内的実在論の基礎においたのは、レーヴェンハイム=スコーレムの定理や並べ替えの議論を使った、「言語は意図する解釈を特定することができない」というテーゼです。内的実在論はこのテーゼの不可避の結論として出てきます。われわれが世界についてどんな記述をしようが、その記述が世界とどう対応するか(個々の名前や述語が世界におけるどういう対象や関係を指し示すか)は原理的に決まらないわけです。そうすると、世界についてのもっとも詳細な記述とか完全な記述などという概念にはそもそも意味がないことになるでしょうし、そんな記述の達成の可能性はないということで決着がつくはずです。そういう点を紹介せずに177ページのような書き方をするのはパトナムに対してアンフェアなようにも思うのですがいかがでしょうか。

そのすぐあとの箇所ですが、178ページで真理のデフレ理論のデフレーションというところに「価値の切り下げ」という表現をされているのも少し気になります。パトナムにせよ、真理のデフレ理論の支持者にせよ、真理というものを切り縮めているのは確かですが、それは真理というものの価値が少なくなるのかどうかというのとは独立の問題だろうと思います。特に真理のデフレ理論が真理というものの価値についての立場であるような誤解を与えるのはどうかと思います。真理の価値が世界との対応にあると思っている人にとっては、真理が世界との対応というニュアンスをなくすことで真理の価値が減るでしょうが、そういう立場をとらないならデフレ理論をとっても真理の価値がまったく減じないということは十分ありえます。

とりあえず一読して気になったのは以上の点です。また何かの折にでも、ご教示いただけましたら幸いです。

注1   LamberthのWilliam James and The Metaphysics of Experienceでは、ジェイムズの1890年代のノートを使って、純粋経験という言葉をアヴェナリウスからもらってきたことがほぼ間違いないことを示しながら、単に言葉を借りただけだ、という見解に落ち着いています。

注2 Russell, B (1914) “On the nature of aquaintance II: neutral monism” The Monist 24, 161-187.  p.162, n.1.

注3 G.A. ReischのHow the Cold War Transformed Philosophy of Science などが代表だと思います。

注4 おそらくこの表現の初出と思われる篠原雄『統一科學論集 : ヴィーン・シカゴ學派の思想と理論』(創元科学叢書1942)の訳者序で以下のように述べられています。「そしてこのマッハの伝統をひくヴィーン学団の研究はその主動的中心の一人であるカルナップが最近シカゴ大学に拠るに及んでプラグマティズムの流れを汲む同地の傾向と合体し、ここに極めて興味ある展開を示した。私は、そこで仮にヴィーン・シカゴ学派の名称を以って彼らを呼ぶこととしたのである。」

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March 27, 2016

戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評


戸田山和久『科学的実在論を擁護する』名古屋大学出版会 2015
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html

本書は戸田山氏による本格的な科学的実在論の研究書である。
まず、日本語でよめる実在論論争史の紹介として、現時点で本書がもっとも充実したものだということは間違いない。20世紀における論争の紹介内容は、シロスのScientific Realism: How Science Tracks Truth (Psillos 1999)という定評ある研究書を下敷きにしていることもあり(これについてはあとで触れる)、信頼性は非常に高い。また、21世紀になってからの動きとして、チャクラバティの「半実在論」(semi-realism)やスタンフォードの「新しい帰納法」なども紹介されている。あるいは、国内の実在論論争の紹介でめったに触れられることのなかったギャリーの観点主義(perspectivism) なども紹介されている。熱素を使った事例研究も、シロスの事例研究をただ紹介するだけに止めず、自分なりの検討も付け加えて充実させてある。
第二に、本書は戸田山氏の科学的実在論についての立場をはじめてきちんと展開した本となっている。本書の第三部で展開される、「モデル」の概念を使った科学的実在論の構想は、『科学哲学の冒険』や雑誌『RATIO』でのわたしとのメール対談連載など、何度か小出しにされてきたが、これまでは簡単なスケッチが提示されるに留まっていた。今回の本でようやくその全体像をわれわれは見ることができたわけである。
ところで『RATIO』の連載は、わたしのイントロダクションと戸田山氏の「感想戦」をつけて出版される予定だったのだが、戸田山氏が感想戦を結局書かなかったために出版計画が立ち消えになってしまった。そのときは戸田山氏も忙しいことだししかたのないことだと思ってあきらめていたのだが、こんな本格的な著書を書く時間はあったということであれば、時間がなかったのではないのだろう。まあわれわれの共著は戸田山それほど気乗りのしない仕事だったのだろうなと今になって思う。

大きな点

1 シロスの本に対するクレジットの必要性
本書前半の記述は、戸田山氏自身頻繁に引用していることからも伺えるように、シロスのテキストをかなり参照しながら展開されている。しかし、中にはこれはシロスの要約であることを明示した方がいいのではないかと思われる箇所もある。それは第二章である。ここで戸田山氏はスマート、マクスウェル、ボイド、ファインのボイド批判、ファインの対案、ファン=フラーセンという順番で奇跡論法をめぐるさまざまな議論を紹介していくが、この順番はシロスの本の第四章の流れそのままだし、それぞれの著者からの引用箇所も、シロスを踏襲している場合が多い。しかも、スマートとマクスウェルの議論がファン=フラーセンには有効ではないとか、ファン=フラーセンの自然選択的議論が表現型レベルの説明であるとかといった分析の部分までシロスを使っている(シロスを引用しながら書いてある箇所もあるが、今の2つのケースは引用せずに利用している)。
論争のまとめなのだから誰がまとめても同じようなものだと思うかもしれない。しかし、シロスはあまり引用されない文献なども掘り起こしながら議論を整理しており、この場合は議論の整理のしかた自体にかなりのオリジナリティがあると思う。ましてや個々の議論の評価は他人の評価を参考にしたならそれを明示するのが引用のきまりである。第二章の記述は「本章は事実上シロス第四章の要約である」という断りをつけない限りは、アカデミックオネスティ的にアウトだと思う。第二章ほど露骨ではないものの、前半の他の章にもそういう箇所は多々見られる。
ただ、シロスの著作はテクニカルな細部にわたってかなり詳細に論じているので、この論争に詳しくない読者にとってはあまり読みやすいとはいえない。その意味で、シロスの本から大事なエッセンスだけを取り出して日本語で提示してくれる戸田山氏の本は、それ自体としては大変ありがたい整理となっている(きちんと断ってくれてさえいれば)。

2 ファン=フラーセンの立場の変化
第五章で戸田山氏はファン=フラーセンの立場を紹介するとともに批判的に検討している。134-135ページにおいて、戸田山氏は珍しくシロスのファン=フラーセン解釈に異をとなえる。シロスがファン=フラーセンは反実在論が実在論と同じくらい良いオルタナティブであるという立場をとっているというのに対し、戸田山氏はファン=フラーセンが「明らかに構成的経験主義者の科学像の方が、実在論者のそれよりも優れていると考えているらしい」と言い、それは「科学や科学活動を実在論によるよりも一層理解可能なものと」する、という主張の部分だという。
さて、たしかに1980年の『科学的世界像』ではファン=フラーセンはそういうことも言っているのだが、1989年の『法則と対称性』ではファン=フラーセンはその主張をひっこめ、実在論も反実在論も同じくらい合理的だという立場に撤退している(その主張のために「主意主義的認識論」なる認識論まで発明している)。
それを踏まえるなら、戸田山氏が142-145ページまでで独自の批判として展開している論点は、本人も30年近く前に放棄した立場の死体に鞭打つようなものとなっている。それ以外の、ちゃんと現在のファン=フラーセンの立場とかみあった批判はすべてシロスの批判をそのまま紹介している箇所である(ここはちゃんと引用しながら紹介している)。
このミスはそれ自体では些細なものではあるが、もし本当にファン=フラーセンの立場の変化を知らなかったのだとすれば、本書のような本を戸田山氏が書くことの適格性が疑われるし、また、いずれにせよ現在の論争状況について読者を大幅にミスリードする結果となっており、影響は大きい。

3 公理系アプローチの重要性の見誤り
戸田山氏は第10章で論理実証主義が「公理系アプローチ」をとったことが科学的実在論論争に影響を与えていると主張する。「こうした経験主義的バイアスに加え、論理実証主義はもう一つのバイアスを実在論論争、あるいは科学哲学全般に持ち込んだように思われる。それは科学をまずは文の集まりもしくは公理系としてモデル化して考えるという方法である。それを公理系アプローチと呼んでおこう」(237ページ)。
そして、「公理系アプローチの限界」や「公理系アプローチが科学的実在論論争にもたらしたバイアス」を数ページにわたって詳細に論じていく(240-247ページ)。この箇所は戸田山氏のオリジナルな視点が本書の中でもかなり強く出ている箇所であると同時に、本書の中でもかなり問題を含んだ箇所だと思う。
そもそも、科学理論(科学ではなく)を文のあつまりとしてとらえる「文パラダイム」とか「統語論的アプローチ」とかと呼ばれる立場と理論を公理系としてとらえる「公理系アプローチ」は別物である。公理系アプローチは文パラダイムを前提にしてはいるが、そのかなり特殊な応用例の一つである。この両者をまるで一つのものであるかのように扱うのは読者を混乱させるだけである。さらには、「公理系アプローチでは、科学理論という文の集まりが何かを説明する力をもつのは、そこに含まれる法則が普遍的で必然的だからだと考える」(243-245ページ)と、文パラダイムとも公理系アプローチとも違う立場(普遍法則主義?)までごっちゃにして提示している。説明項が何らかの普遍的で必然的なパターンでなくてはならないというのは文パラダイムとすら独立な考え方である(意味論的アプローチでも同じ主張ができるという意味で)。
公理系アプローチとして批判の対象になっているネーゲルの還元主義は、この意味では公理系アプローチではなく文パラダイムに属するものである。ただし、文パラダイムを採用すると還元についてネーゲル的な考え方をしなくてはならないかといえばもちろんそんなことはない。実際、ネーゲル流還元主義は支持者がほとんどいないのに、批判の対象として手頃なのでよく持ち出される理論の典型である。そして、ネーゲル流還元主義を批判してきた哲学者の多くは文パラダイムを受け入れていただろう(90年代まではいわゆる意味論的アプローチを採る哲学者は非常に少数だった)。戸田山氏はヘンペルやネーゲルのモデルへの批判が「両者が共通して前提していた公理系アプローチじたいへの批判へとつながっていった」(240ページ)と言うが、これは科学哲学の歴史の認識としてもあやしいし、現実の科学哲学者たちがそういう思考の筋道を辿ったとしても、その思考の筋道自体が本当に筋が通っているのかどうか疑問に思うべきところである。
「公理系アプローチが科学的実在論論争にもたらしたバイアス」として戸田山氏が列挙する論点は、確かに本来の意味での公理系アプローチが持つ問題点の指摘となっていると思う。ただ、批判の対象となっているのは、公理以外のもの(公理がどのくらい理想化を含むかについての解釈や、公理に含まれない形而上学的コミットメント、公理に含まれる語の解釈など)を科学から完全に排除しようという本当に極端な公理系主義の立場である。たしかに科学をそんな意味での公理系ととらえるなら、公理系を全体として一体のものとして扱うよりほかなく、個々の語に対応する実在物を想定するような科学的実在論をとるのは難しいだろう。しかし、そんな極端な公理系アプローチをとっている科学哲学者がいったい幾人いるのだろうか。論理実証主義自体においてすら、かなり初期の段階で科学の公理化の野心は放棄されているように見える。戸田山氏がシロスに依拠して引き合いに出すクレイグの定理(二つの語彙群からなる公理系から片方の語彙群を消去して公理系を構築しなおすことができるという定理)は科学を公理系として扱っているが、これはどちらかといえば科学哲学の本流からはずれた論理学に近い分野の業績である(シロスの本でこれが取り上げられているのは、これが論争の焦点となってきたからというよりは、シロスの博識ぶりを示すものである)。そうしたマイナーな研究領域が科学的実在論論争全体に影響しバイアスを与えていたとは非常に考えにくい。
公理系アプローチが科学的実在論論争に反実在論よりのバイアスをかけていると考えにくい理由はもう一つある。われわれが現在知っている科学的実在論論争はファン=フラーセンの構成的経験主義の提案からはじまっている。(それ以前から同じような論争が実在論対道具主義で展開していたと考えるのは錯覚である。初期の論理実証主義者たちはラッセルやマッハの形而上学の影響もあり、現在われわれが知るような道具主義の立場をとってはいなかった。その後スマートやポパーらが個別に実在論的な議論をしていく中で、道具主義という立場が遡及的に再構成されていったようである。論争らしい論争は1970年代なかばまで存在していなかった。)ファン=フラーセンは言うまでもなく意味論的アプローチの代表者で、文パラダイムや公理的アプローチにはむしろ反対する立場である。これもまた、戸田山氏が考えるようなバイアスが働いていると考えにくい理由である。
結局、この箇所は科学的実在論論争と関係ないもの(ネーゲル流還元主義、普遍法則主義、極端な公理系アプローチなど)を批判して、あたかも科学的実在論論争における反実在論を批判したかのようなふりをしているだけである。他にもこの箇所に関して細かい批判点はいろいろあるがそれはあとにまわす。

4 モデルの導入は何の助けになるのか
さて、戸田山氏は「公理系アプローチ」に対して理論の本体をモデルととらえるアプローチを導入することで実在論を取りやすくなる、と考え、第11章で持論を展開する。モデルを導入することの利点を戸田山氏は以下のようにまとめる。「公理系が直接に記述するものは抽象的な集合論的対象としてのモデルだが、このモデルは、実在システムを理想化したレプリカになっており、モデルと実在システムの間にはさまざまな程度の類似関係が成り立つ。このことにより、公理系は間接的に実在システムについて、理想化を含みつつ何ごとか近似的に真なことを語ることができるようになる。」(263ページ)この引用から見えてくるのは、極端な公理系アプローチに陥っているのは、他ならぬ戸田山氏自身だということである。極端な公理系アプローチを採るならば、公理以外の言語的手段は科学から排除されてしまうために、公理系と現実世界との橋渡し役として理想化・抽象化されたモデルが必要になる。しかし、普通の文パラダイムの下では別にそんな難問は抱え込む必要はない。「この式は近似式である」とか「この式はかくかくの理想化を前提としている」とかと言葉で補足すればよい。実在論論争においてモデルに期待する役割がその程度のことであるなら、意味論的アプローチなど仰々しく持ち込む必要は何もない。

5 戸田山流構成的実在論は実在論側の立場なのか
第12章で戸田山氏はギャリーの立場なども踏まえて、自らの立場として「構成的実在論」を主張する(295-296ページ。ギャリーの同名の立場と区別するために以下戸田山流構成的実在論と呼ぶ)。簡単にまとめるならば、さまざまな観点からさまざまなモデルが作られることを認めつつ、成功しているモデルはなんらかの点で世界の一つの側面と類似していると考えよう、という立場である。
一見して気がつくのは、戸田山流構成的実在論は対象実在論や認識論的構造実在論と同じく選択的実在論の一種だということである。科学者がモデルの中に組み込んださまざまな特徴のうち一部が「実在性」を持ち、悲観的帰納法で例として上がるのは「実在性」を持たない部分だった、というわけである。ただ、戸田山氏はモデルのかなりの部分が実在との対応以外の理由で構築されていることを認めるので、非常に反実在論に近い選択的実在論になる。戸田山氏が下敷きにするギャリーの観点主義も事実上反実在論といってもよいくらい、モデルに弱い実在性しか認めておらず、戸田山氏自身そのことを指摘している(278ページ)。
しかし、既存の選択的実在論が科学理論のどの部分に存在論的にコミットすべきかを明示しようと苦労してきたのに対し、戸田山氏はモデルのどこにコミットすべきかということを明示しない。その結果、これが本当に実在論に落ち着くのかがはっきりしない。つまり、戸田山流構成的実在論でコミットできる部分をつぶさに調べて行ったら、世界の観察可能な特徴をモデル化している部分だけになるかもしれない。そうなった場合戸田山流構成的実在論はファン=フラーセンと実質的に同じである。そうなってしまわないようにこれまで他の選択的実在論の立場が苦労してきたのに、そこをスキップできると考えるのは気楽な話である。
より具体的には、戸田山氏の立場が結局ファン=フラーセンと同じ立場ではないか、という疑義を晴らすためには、「このモデルのこの側面は観察可能な対象を超えて実在性にコミットすべきである、その理由はこれこれである」というような形で主張をする必要がある。そのときにはじめて、その理由がエーテルや熱素にも当てはまるかどうか、当てはまるのなら結局戸田山流構成的実在論も悲観的帰納法を回避できないのではないか、ということが検討できるわけである。
おそらく戸田山氏は、すくなくとも検出可能な性質については実在性にコミットすべき、というチャクラバティの路線を踏襲するものと思われる(295ページあたりの検出可能な性質についての説明のしかたからして)。ただ、検出可能な性質なるものが本当に観察可能な規則性と区別できるのかは疑問である。とりわけ、さまざまな検出可能な性質が、一つのモデルをなすのではなく、いろいろなモデルにばらばらに埋め込まれており、それらのモデルは実在性と関係のないさまざまな配慮にもとづいて構築されると戸田山氏は考えているようであり、そうなるとますます観察可能な規則性の背後の「検出可能な性質」を実在的なものととらえる理由は薄くなる。


もう少し細かい点について

13ページ
「ヒュームの影響によりカント主義を捨てたエルンスト・マッハの感覚主義」
41ページでも同趣旨の発言が繰り返されているが、マッハがヒュームの影響でカント主義を捨てたというのは典拠はなんだろうか。マッハ自身は『感覚の分析』で自分の立場を確立してからヒュームと出会ったと説明していたはずである。

22ページ
ヘンペルが「ベルリンのグループ」ではなく「ウィーン学団」に分類されているが、ウィーンには一時滞在しただけで基本はベルリングループの中心メンバーだったはずである。

29ページ
「センスデータという考え方は、後述するマッハの感覚主義に由来する」
センスデータ論は一時期のラッセルの立場で、後期ラッセルやマッハの中立的一元論とは別の立場なのではないだろうか。マッハの立場を感覚主義と呼ぶのも違和感がある。戸田山氏自身は理解して使っているようだが、マッハを一種の現象主義ととらえるよくある誤解を強化してしまいそうである。

40ページ
「消去的道具主義という一つの考え方の典型として要素一元論を取り扱う」
マッハの中立的一元論のような特殊な存在論を現代の科学的実在論論争における道具主義の一種ととらえるのはやめた方がいいのではないか。どちらかというとデュエムの方が消去的道具主義の典型的イメージに近いかもしれない(ただしデュエムも「自然分類」の概念など、単なる反実在論に留まらない主張をしている)。

44ページ
「論理実証主義、そして現代の科学的実在論論争はマッハ主義の直接の影響下にスタートしたのである」
論理実証主義に対しては新カント主義の影響もマッハの影響に劣らず強かったということが最近は指摘されるようになっている。そして戸田山氏の強調する「公理系としての科学」は新カント派の影響が指摘される側面である。マッハの影響だけを強調するのはミスリーディングである。さらに、すでに簡単に触れたように、論理実証主義が立ち上げられた時点では、現在われわれが知っている科学的実在論論争はまだ存在していない。

52ページ
「運動としての論理実証主義は十年にも満たないうちに解体してしまう。」
「運動として」という言葉で何を意味するのかよく分からないが、論理実証主義者たちが行った「運動」として有名な統一科学運動はすくなくともノイラートの死(1945)までは一定の求心力をもって継続していたはずなので「十年にも満たない」はさすがに短かすぎではないか。この直後で戸田山氏がふれる、ゲルマン科学運動への対抗という側面などとあわせて、ReischのHow the Cold War Transformed Philosophy of Science で詳しく論じられている。

66-67ページ
ボイドの説明主義的な実在論擁護に対し、ファインは最善の説明への推論を擁護するのに最善の説明への推論を使うのは循環ではないか、と批判する。この批判に対して戸田山氏が(シロスをここでは明示的に引用しつつ)規則における循環は悪循環ではない、という議論を展開する。しかし、前提における循環にくらべて規則における循環の方が問題が少ないと考える理由はあまりないように思われる。規則における循環が特に問題ないのだとすれば、たとえば、「どんな前提からも、その前提と矛盾しないかぎりいかなる結論も導いてよい」という推論規則を使って、任意の前提から「「どんな前提からも、その前提と矛盾しないかぎりいかなる結論も導いてよい」という推論規則は信頼できる」という結論を導出することができたりするだろう。
もちろん、われわれは最終的には何らかの循環論証に訴えざるをえない、と開き直ることはできるかもしれないが、そうやって許容される循環論証が上で紹介したような議論と何が違うのかくらいはきちんと示しておく必要があるだろう。
ちなみに、このあとで戸田山氏が展開する、その規則がうまく行っているかぎりは使う(69ページ)という基準は循環的正当化とは別の種類の正当化であり、これをやるのならわざわざ規則による循環を擁護する必要はなかったはずである。

76-77ページ
ファン=フラーセンの自然選択的説明(現在生き延びている科学理論が成功しているのは自然選択に似たプロセスの結果なので不思議ではない)という対案に対して、これが実在論的説明と両立する、と答えるのはピントがずれている。以前のメール対談でも使った例だが、ファン=フラーセンがやっているのは、科学における成功というのはビンゴゲームにおける優勝みたいなものかもしれない、という可能性の提示である。ビンゴゲームでAさんが優勝した理由を「たまたまAさんがいいカードを持っていた」以上に求めるのは見当違いな説明要請であるが、実在論者は同じような見当違いな説明の要請を行っている可能性がある、というわけである。ここは戸田山氏が下敷きにしているシロスも同じような捉え方をしているので、戸田山氏だけが理解が浅いというわけではない。

80ページ
「したがって、現在のところきわめて成功している理論も将来には誤りであることが判明するだろう」
これは戸田山氏による悲観的帰納法の定式化の一部で、この箇所の典拠としてLaudan 1981が挙げてあるのだが、私の理解する限り、Laudan1981は明示的にこの結論を導いてはいない(Laudan 1984に類似の議論はあるが、これも微妙に違う)。Laudan 1981の主な目的は収束実在論と呼ばれる立場を論駁することであり、現在の理論が誤りかどうかについて判断することではない。戸田山氏は同じページのあとの方で「こうしたラウダンの議論」とも言っているが、そのあたりで紹介されている立場も同じ理由であやしい。実際にはここで戸田山氏が整理するような形で「悲観的メタ帰納法」を整理したのはパトナム(Putnam 1978)だったはずである。

88ページ
「直接観察できないものの検出に関して、われわれは過去に比べてそうひどい間違いは犯しにくくなっていると思っていいはずだ。」
近年の加速器の発達などを紹介したあとで戸田山氏はこのように結論するのだが、新しい加速器のどういう特徴がこういう結論に繋がるのかをちゃんと説明すべきである。何が本質的に変わったのか。

118ページ
「熱素は、ラウダンが考えていたほどには中心的な措定ではなかった」
ラウダンは熱素がどのくらい「中心的」だと思っていたのか、「ラウダンが考えていたほど」というからにはラウダンの考えにあたるものを引用などして対比すべき。

118ページ
「理論の意味論的なコミットメントと科学者の認識論的なコミットメントを区別することが重要」
奇跡論法を使う実在論者がこれを反実在論者に対して偉そうに言うのはまったくお門違いである。奇跡論法はある対象が成功した理論の意味論的なコミットメントであるということを利用してその対象の存在を導こうというものであった。だから反実在論者はそうした意味論的なコミットメントなど何の保証にもならないと反論しているわけである。この区別が重要だということは奇跡論法はもう使わないという趣旨だと理解してよいのか。

119ページ
「さらには[ラウダンは]理論の観察証拠は、理論が主張するすべてのことに対する証拠だという全体論的見解を実在論者は受け入れねばならないと考えているようだ」
大事な解釈上の論点ならば「ようだ」では困るのであって、具体的にそう読み取れる箇所を指示する必要があるだろう。また、ここも実在論者が奇跡論法を使う際にこういう想定を必要としている、という背景がまずあることをおさえておかねばならないだろう(「全体論的見解」を受け入れないなら、奇跡論法は非常に弱い議論になる)。

122ページ
不可知論的経験主義
ファン=フラーセンの立場を「不可知論」と特徴づけることに対する疑念は前にも戸田山氏に伝えたことがある。ファン=フラーセンは観察共同体にミクロの目を肉眼としてそなえたエイリアンが加わることでミクロの対象が「知りうる」対象になる可能性などは許容しているので、ミクロの現象について「知り得ない」というのは、あくまで現在の観察共同体に相対的に、である。これを「不可知論」と呼ぶのは私の語感としてはミスリーディングである。

123ページ
「観察文は直接に検証できるが、理論文は間接にしかできないとか、あるいはそもそも観察文は検証可能だが理論文はそうではないといった具合に両者の線を引くことは可能か」
戸田山氏はこれに「どうも無理そう」と答えるのだが、検討するのは「あるいは」以降のタイプの議論だけで、直接検証対間接検証という対比は検討している様子がない。結果として、一番論駁しやすいものだけ論駁して全体を論駁した気になっているきらいがある。

129ページ
「しかし、これは、われわれが外界の情報を取り入れる唯一の仕方が意識経験を通してであると決めてかかっている点で、論点先取を犯している。」
戸田山氏がこれを論点先取だというとき、他の可能性として挙げるのが「途中に顕微鏡などの装置が介在」するような状況なのだが、当然ながら顕微鏡を使っても最後は自分の目で顕微鏡を覗かないと顕微鏡を通した情報はとりこめないわけで、まったく反例になっていない。むしろ反例として挙げるべきは脳に電極を刺して直接情報を書き込むようなシチュエーションだろう。

161ページ
「[SU] Tはすべての可能な観察証拠によって同様にサポートされるライバルを持つ」
SUは決定不全性から反実在論を導き出す際に必要な強い決定不全性のテーゼとして戸田山氏が(ラウダンらに依拠しつつ)まとめるものだが、実際にはここまで強いものは必要ない。たとえば
「どの与えられた証拠群Eに対しても、T+AH1(Tと現行の補助仮説群)と同様にその証拠群によってサポートされるT'+AH2(ライバルとそれに応じた補助仮説群)が存在する」
くらいでも十分であるし、実際デュエムのもともとのバージョンもこんな感じの内容である。
また、現にわれわれが受け入れている科学理論について反実在論をとる根拠としては、「すべての可能な観察証拠」などについて考える必要すらなく、「われわれが当面手に入れることがありそうな観察証拠」くらいで十分強力な反実在論が導けるはずである。

232ページ
「これまでの科学的実在論論争では、両者が明確に区別されたことはほとんどなかった。支持しうる科学的実在論のバージョンが、そのままわれわれが採用すべき形而上学でもあるかのように議論は進んできたからである。」
 両者というのは半実在論など特定の実在論の主張と、それをサポートする形而上学的枠組みのこと。しかし科学的実在論論争が全体としてそのような前提で進んできたとは考えにくい。むしろ、世界が全体としてどうなっているかについては興味が無い、ないしは最初から論じないというのが特に1980年代の科学的実在論の特徴だったように思う。90年代になってカートライトやレイディーマンなど、積極的に形而上学を展開するタイプの議論が目立つようになってきたが、それでもシロスをはじめ、80年代の議論の枠組みを継承している論者も多かった。現在でもそうした見取り図はそれほど変わっていないと考えるのだがどうだろうか。

245ページ
「公理系として形式化された科学理論では、どんな理論的対象が存在するかを述べるのも公理、その対象がどんな性質を持っているかを述べるのも公理、というわけで同格に扱われる」
細かいが、25−26ページでのまとめでは、公理となるのは自然法則と対応規則だったはずで、「どんな理論的対象が存在するか」を述べる公理には触れられていなかった。いずれにせよ、どんな対象が存在するかを述べる文を公理に含めるかどうかは公理系の組み立て方次第だと思うのだが、戸田山氏は誰のどの公理系を具体的にイメージしているのだろうか。

247ページ
「公理系アプローチは全体論的にすぎるのである。…公理系アプローチを採用した論理実証主義以降の論争過程が相対主義、反実在論的傾向の強いものになったのは、偶然ではない。」
論理実証主義は操作的定義や部分的還元文を使って、個々の概念に個別に意味を与えようとしていた。むしろクワインの「2つのドグマ」やファイヤアーベントなど、論理実証主義を批判する側が意味の全体論を導入して反実在論や相対主義の基礎としたというのが科学哲学史の常識である。さすがにそれを論理実証主義のせいにされるのは論理実証主義者たちも迷惑だろう。


254ページ
メアリ・ヘッセと表記しているが、普通は「ヘッシー」と発音されている。

255ページ
「相互作用説をとるならばメタファーによって原型領域も第二領域も変わっていく。狼のメタファーが使われたのちには、人は以前よりも狼に似て見え、狼は人に似て見えるようになる。」
相互作用説はおもしろい考え方だが、「そういうこともある」というレベルのもので、メタファー全般の一般論とするのは無理があるのではないか。気体をビリヤードボールで例えたあと、気体がビリヤードボールに似て見えるというのはいいとして、ビリヤードボールが気体に似て見えたりするだろうか。

290ページ
「経験主義者が前提している認識論的枠組みが古すぎて、到底科学的知識に適用できるようなものではないのではないか、という批判」
戸田山氏がいう古すぎる認識論的枠組みというのは個人主義的内在主義である。科学が集団的営みである以上、個人主義的内在主義が適用できないというのはそうだろう。しかし、それは非個人主義的内在主義(自分たちの信念の正当化の責任を個人ではなく認知共同体に求める立場)に移行すればすむことである。戸田山氏の批判は単なる揚げ足取りにすぎないように思われる。

298−299ページ
異星人から見た地球の科学の奇妙さ
ここの問題提起は非常に興味深い。ただ、この問題をつきつめて考えるなら、われわれの思考の制約の下で作られたモデルのなんらかの側面に実在性を認める理由はまた一つ減るように思われる。ここまで反実在論的議論を展開しながら「実在論」という肩書に戸田山氏がこだわる理由がよく分からない。

308ページ
「科学的実在論論争に決着の付け方があるとするなら、一つの有力な仕方は次のようなものだろう。科学の営みについて観察される重要な事実に、経験主義と実在論のどちらが適切なモデルを与えているかを競い合う。」
反実在論者は、一時期の気の大きくなっていたファン=フラーセンを除いて、その土俵で実在論に勝てるなどと主張はしていないし、そもそもそれを科学的実在論論争の主な論争点と考えてはいない。相手が興味を持ってもいない自分に有利な基準に相手も同意させることで「決着」しようというのはあまりに虫がよすぎて笑ってしまう。

310ページ
「だとすると、世界そのものからの制約と、認知リソースの制約の均衡点に位置する共同作品としての科学的世界像から出発し、それに含まれる個々の構成要素について、どの程度どちらから制約を受けていると考えるのが合理的なのかということを腑分けする作業として、実在論論争を捉え直すことができるだろう。」
実在論論争のそれぞれの立場がそれぞれにこの腑分けを行っていると見ることに異論はない。しかし、それぞれの立場がそれぞれに異なる「合理性」の基準に基づいてその作業を行っているので、論争自体がそういう作業だととらえるのは難しいのではないだろうか。


iseda503 at 00:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)