今回から3回続いて、第27回定期演奏会の曲目解説をさせていただきます。まずは、ブラームスからです。


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 ヨハネス・ブラームスは、1833年5月7日ハンブルクで生まれた。父親は、最終的にはハンブルク・フィルハーモニーのコントラバス奏者の地位を得たが、下層階級の出身であった。母親は、父親より17歳年上で、結婚した時41歳で、ヨハネスを出産した時は44歳という高齢出産であった。ブラームスは幼少時から音楽の才能を示し、よい教師につくことはできたが、家が貧しかったので、13歳頃から家計を助けるため港町ハンブルクの酒場やダンスホールでピアノ弾きのアルバイトをしていた。17歳の時、ヴァイオリストのレメーニと演奏旅行に出かけたが、その時知り合ったヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムから、デュッセルドルフのシューマンを訪問するようすすめられた。
 1853年に20歳のブラームスは、シューマン夫妻を訪れた。当時ローベルト・シューマンは43歳、当代一流のピアニストである妻のクララ・シューマンは34歳であった。ブラームスのピアノソナタなどを聴いたシューマンは、「新音楽時報」(一時自分が編集長までしていた音楽雑誌)にブラームスを天才として紹介したが、これがシューマンの最後の寄稿となった。1854年の2月にシューマンは精神障害のため、ライン河に投身自殺を図り、精神病院に収容された。ブラームスはクララ(当時7人目の子どもを妊娠中であった)とその子どもたちを助けるために、シューマン家に長く滞在したが、その中でクララを深く愛するようになってしまった。クララへの愛は、いろいろな変遷を経ながらも約40年続き、ブラームスの生涯と音楽に決定的な影響を与えた。吉田秀和氏は、ブラームスには“完成されたもの”への憧れや愛着があり、それが生活上はクララへの愛、音楽上はバッハ、ベートーヴェンなど、過去の大作曲家への接近になっていると述べている。
 ブラームスが恋愛をした女性としては、1858年に一時婚約までしたアガーテ・フォン・ジーボルトをはじめ何人かいたが、クララの存在のためか、自由を望んだためか、ブラームスは結局独身を貫いた。シューマンは1856年に精神病院で亡くなったが、「ブラームスをシューマン一家から離した方がよい」と考えたヨアヒムの推薦もあり、ブラームスはデトモルトの宮廷で初めて定職につくことになった。デトモルトでの仕事は9月から12月までの間で3年だけだったが、ピアノ協奏曲第1番をはじめ、多くの曲を作曲することができた。特にアガーテとの恋愛は、ブラームスにおいて声楽曲や室内楽曲の作曲を促した。
 母親が亡くなった翌年1866年に完成した「ドイツ・レクイエム」の成功により、作曲家として名声の確立したブラームスは、1869年36歳の時、ウィーンに定住することになった。1876年43歳の時、交響曲第1番を完成させ、初演も成功をおさめ、翌年に交響曲第2番を作曲した。交響曲第3番は1883年50歳の時の作品であり、第2番の作曲から6年経過していた。1885年には交響曲第4番を完成させたが、1890年には創作力の衰えを感じ、遺書を書いた。その後クラリネットの名手ミュールフェルトに出会って、クラリネット五重奏曲などを作曲した。1896年クララ・シューマンが亡くなったが、その葬儀にかけつけようとして間に合わず、憔悴しきったブラームスに肝臓癌が発症し、1897年4月3日ブラームスは息を引き取った。クララが亡くなった1896年には、同じくウィーンで活躍したブルックナーも亡くなっており、1897年にはマーラーがウィーンの宮廷歌劇場の音楽監督に就任するという、まさに一つの時代(19世紀のドイツ・ロマン派)の終わりを象徴する出来事であった。


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 ブラームスは、モーツァルトについて、「今日では、私たちにはもう、モーツァルトのように美しく書けない。だがしかし、私たちには、彼が書いたのと同じくらい純粋に書くよう努めてみることはできる。」と話している。また「神々の時代は終わった。私たち人間は、せめて自分の良心に恥じないように正確に仕事をするほかない。」としばしば語っていたらしい。作曲において、正確な仕事に努めるという意識は、ブラームスがヨアヒムやクララらに、自分の作品について頻繁に意見を求めるという行動にも反映している。ブラームスにとって、神々とは、バッハであり、モーツァルトであり、ベートーヴェンであり、そしてシューマンではなかっただろうか。シューマンに関しては、前3者と比べると、その作品の今日における評価からは異論があるかもしれない。既に亡くなっている神々と比べて、ブラームスの中でも、複雑な感情を持たざるをえなかった対象であったのは明らかである。しかし若いとき、シューマン夫妻は、ブラームスにとって憧れの存在であった。だからこそ、シューマンが精神病院に入院した後、シューマン一家を支えるために、あらゆる努力を惜しまなかったのであるし、最も愛するクララとも結婚できなかった。
 ブラームスは晩年の1892年にもクララに次のような手紙を書き送っている。
「今日もう一度繰り返し述べさせて下さい。あなたとご主人が私の人生の最も美しい経験です。その経験には最も豊かで、最も気高いものすべてが表されています。」
 ブラームスが十分な経験と知識をふまえて、40歳を過ぎてから作曲した4曲の交響曲の調性が、それぞれハ長調‐ニ長調‐ヘ長調‐ホ短調であるが、C‐D‐F‐Eは、モーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」の第4楽章の主要テーマであり、シューマンの4つの交響曲も同様にB‐C‐Es‐D(それぞれ1度下の音)であるのは偶然とは思えないということを、池辺晋一郎氏が述べていたが、私も、シューマンの場合偶然としても、思慮深いブラームスの場合、モーツァルトやシューマンに対するオマージュとしての意味があったのではないかと推測する。更に、今回演奏する交響曲第3番の第1楽章には、明らかにシューマンの同じ交響曲第3番「ライン」の第1楽章と全く同じフレーズが出現している。1883年から夏の保養先を、これまでのオーストリアのペルチャッハやイシュルから、ライン河に近いヴィースバーデン(デュッセルドルフからも近い)に移したことも影響しているのであろうか。
 吉田秀和氏は、「自分の中にあって燃えさかる何ものかを抑圧するために全力をあげて、それと闘うこと。芸術家ブラームスは、そこから誕生する。」と述べているが、これは鋭い指摘であると思う。この燃えさかるものを抑圧するという心理は、思春期における酒場での演奏経験、そして何よりもシューマン夫妻に対して持った複雑な感情、つまりクララへの愛とそれを抑えようとする意識(精神分析では超自我という)が大きな原点となっていると思われる。
 ブラームスは無神論者だったといわれている。以下、クララ宛の手紙である。
「事実、人はすべてを失うために生きているのです。そうして最後にゆくのは墓以外の何ものでもありません。その上には風が吹くかもしれないし、雪が降るかもしれない。しかし、その墓場のほかでは、すべてが前と変わらず、毎日が過ぎてゆくのです。」
 ブラームスは、マーラーのような超越的な世界、ブルックナーのような宗教的な世界を目指したのではなく、自分の中の様々な感情をコントロールしながらも、より美しい音楽、より完成された音楽、より気高い音楽を最大限創造しようとしたのである。


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 ブラームスの他の交響曲より演奏時間にして、約5分短いし、曲の印象としても、全楽章がピアノ(p)で終わるなど、他の曲とは異なり複雑である。ブラームスの交響曲第4番では、冒頭に出現する3度音程で全曲を統一する、終楽章にパッサカリアというバロック時代の変奏形式を用いるなど、さらに大胆な変貌を遂げている。交響曲第1・2番ではブラームスは、作品の様式上の完成度を追求して見事に成功しているが、それから6年の経過を経、その間ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲第2番の初演とその成功などもあり、ブラームスは名声に包まれていた。このため、第3番の特徴としては、ベートーヴェンなどの偉大な業績との対比ではなく、内心の声により素直に従って作曲したのではないだろうか。複雑な心性が率直に表現されているという意味では、当時敵対しているとみなされていたヴァーグナーの音楽に近い特徴もみられる。(ヴァーグナーのブラームス批判にもかかわらず、ブラームスはヴァーグナーの作品を高く評価し研究しており、この第3番を作曲していた1883年にヴァーグナーは亡くなった。)
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ ヘ長調 4分の6拍子 ソナタ形式
 冒頭にヘ‐変イ‐ヘの音(とその和音)からなるモットー(主題よりも簡素だが、全曲構成の礎となるもの)が管楽器で鳴り響く。このモットーは、第1楽章で4回出現するばかりでなく、全曲を支配する重要な性格を与えられている。ヘ長調かヘ短調か変イ長調かわからないような情熱的な展開(ラの音とラ♭の音が混在しているため)が冒頭から続く。
第2楽章 アンダンテ ハ長調 4分の4拍子 ソナタ形式
 クラリネットとファゴットを中心に、第1主題が表情豊かに優しく歌われる。同じくクラリネットとファゴットで歌われる第2主題は暗く絶望的な表情を持っているが、再現部では第2主題は現れず、かわりに全曲でも最も美しいフレーズがあり、美しい過去を振り返る(あるいは美しい晩秋を名残惜しむ)かのように曲は終わる。
第3楽章 ポコ・アレグレット ハ短調 8分の3拍子 3部形式
 一度聴いたら忘れられないメランコリックな美しいメロディーと中間部のむせび泣くような表情が印象的な楽章である。
第4楽章 アレグロ ヘ短調―ヘ長調 2分の2拍子 ソナタ形式
 第3楽章の悲哀を引き継いで、ハ短調であるかのように抑制された感じの第1主題で始まるが、変ニ短調でコラールのような主題(実は第2楽章の第2主題)が現れたあと、すぐに曲は爆発的に進行する。ホルンとチェロではじめに提示される躍動的な第2主題もブラームスらしい。最後はコラール主題で祈るように終わり、第1楽章の主題が回想されて美しく終わる。



<参考文献>
ウォルター・フリッシュ:ブラームス 4つの交響曲(天崎浩二訳).音楽之友社、1999
池辺晋一郎:ブラームスの音符たち.音楽之友社、2005
吉田秀和:吉田秀和作曲論集�ゥ屮蕁璽爛后ゲ山敘畦Ъ辧■横娃娃�

伊勢管弦楽団 音楽監督  大谷 正人