はじめに


 2012年12月には伊勢管弦楽団として5年ぶりにベートーヴェンの交響曲第9番を松阪市と伊勢市で演奏します。ベートーヴェンの交響曲第9番は、そのインパクトの強さ、音楽の深さという2つの視点で考えると、バッハのマタイ受難曲、ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」と並び、クラシック音楽上の最高峰に位置する曲です。マタイ受難曲や「トリスタンとイゾルデ」の場合、宗教上の特徴、言葉の比重が大きいこと、曲の長大さ、ソリストの役割の大きさなどの課題があることを考えると、ベートーヴェンの第9は相対的に演奏しやすく、実際その曲のメッセージのもつ普遍性から、歴史上様々な重要な機会に演奏されてきました。その一部の記録をご紹介してみましょう。(中川右介著:第九.幻冬舎新書より)
1931年4月 スペイン共和国の誕生を祝うコンサート(カザルス指揮)
1945年9月 第二次世界大戦終結記念のチャリティ・コンサート(トスカニーニ指揮)
1947年12月 学徒出陣戦死者追悼演奏会(山田一雄指揮)
1951年7月 バイロイト音楽祭再開記念演奏会(フルトヴェングラー指揮)
1989年12月 ベルリンの壁崩壊記念演奏会(バーンスタイン指揮)
2011年4月 東日本大震災被災者支援チャリティ・コンサート(メータ指揮)
 以上は一例ですが、人類にとって記念となる時に、この曲ほど全世界で共通して演奏された曲は他にないでしょう。それは、追悼の時にも演奏されていることからわかるように「歓喜の歌」が単なる祝祭ではなく、人間存在の最も深いところに関わっているからだと思われます。その点について、以下の解説で少しでも述べることができれば幸いです。なお以下の解説は、以前に「指揮者の部屋」に掲載した文章と多くの記述が共通しています。またシューベルト、モーツァルトの紹介も加えた解説をほとんどそのまま、12月24日に伊勢市観光文化会館での演奏会プログラムに載せる予定ですが、この2012年12月24日のプログラムは、1781年から1828年という50年足らずの時代にいずれもウィーンで活躍した3人の大作曲家の最晩年の傑作ばかりで構成されています。


シューベルトのミサ曲第6番D.950より「キリエ」


 シューベルト(1797-1828)は31年というその短い生涯の中で、7曲のミサ曲を完成している。大曲も多く晩年まで作曲を続けており、シューベルトにとって、ミサ曲は、歌曲、ピアノ曲、室内楽曲に次いで重要なジャンルであったことがわかる。本日演奏するミサ曲第6番は、D.950という作品番号でもわかるようにシューベルトが亡くなる1828年に作曲された作品であり、シューベルトが作曲した最後の、そして最高のミサ曲である。キリエは、ミサ曲の最初に「主よ憐れみたまえ」「キリストよ憐れみたまえ」と歌われる曲で、このシューベルトの音楽は宗教曲という枠組みを超えて非常に美しく、(神の)愛のかけがえのなさを教えてくれるように思われる。


モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス K.618


「まことの御体」と歌い出されるこのモテットは、モーツァルト(1756-1791)が亡くなる半年前に作曲された。モテットとは、モーツァルトの時代には、短い宗教的合唱曲のことを指している。歌詞の内容としては、人々のために十字架の上で犠牲になったキリストに対する感謝と祈りの曲である。わずか3分ほどの小品であるが、そこにあふれる澄み切った天上的の美しさから、未完成のレクイエムとならび、モーツァルトの数多い宗教曲の中でも最も愛され続けている曲となっている。


ベートーヴェンの交響曲第9番


 ベートーヴェン(1770-1827)は1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたが、聴覚障害の発症による人生の危機を、作曲に打ち込み、特に英雄的ソナタ形式とも呼ばれる作曲様式を打ち立てて乗りこえ数多くの傑作を作曲した。しかし1812年以降数年間、作曲上も私生活でも危機の状態にあった。1812年の日記には次のように記されている。
「おまえは自分のための人間であってはならぬ、ひたすら他者のためだけに。おまえにとって幸福は、おまえ自身の中、おまえの芸術の中でしか得られないのだ―おお神よ! 自分に打ち勝つ力を与えたまえ、もはや私には、自分を人生につなぎとめる何者もあってはならないのだ。―こうして、Aとのことはすべて崩壊にいたる―」
 Aはアントニエ・ブレンターノのことと推測され、ベートーヴェンにとって“不滅の恋人”であっaた。しかし人妻であり、ベートーベンのアントニエと一緒に生活するという夢は1812年に崩壊した。1812年以降は、結婚の断念だけでなく、経済的困難、健康問題、聴覚障害の進行などもあり、重要な作品の作曲は途絶えてしまい、ベートーヴェンの生涯で最大のスランプとなった。1818年以降に、作曲も勢いを取り戻してきたが、作品の様式は、後期のカンタービレ様式ともいうべき独自の様式にかわっていた。交響曲第9番の作曲に取り組んだのも1818年以降だが、当時は「ミサ・ソレムニス」の作曲(他には最後の3曲のピアノ・ソナタの作曲)が最大の課題で、交響曲第9番は主に1822年(当時51歳)後半から1824年2月(53歳)までに作曲された。第8交響曲の作曲から、既に10年以上の歳月が経過していた。
 交響曲第9番は楽章順に作曲は進められ、1823年の6月頃シラーの頌歌「歓喜に寄せて」を第4楽章に入れることを決意している。第4楽章では、まず合唱部ができて、ついで先行する器楽部が作曲された。最後に、両者をつなぐレシタティーヴォの部分、及び冒頭の部分が作曲されたと考えられている。
 シラーの頌歌については、ベートーヴェンはボンにいた青年時代から作曲する意図を持っていたが、実際にシラーの頌歌96行のうちの約30行に作曲をしている。シラーの詩のベートーヴェンによる改編で重要な点は、第1に「歓びよ、美しい神々の輝きよ、楽園の娘たちよ」と「すべての人間はきょうだいになる」が強調されていること、第2に後半の「互いにいだきあえ、もろびとよ。」と歌われ始めるところで宗教的世界となり、この詞が最後まで反復・強調されていることである。
 第4楽章冒頭において、第1〜3楽章の主題が低弦のレシタティーヴォによって否定されて、歓喜の主題が導かれるというストーリーは、余りに有名である。ベートーヴェンにとって“苦悩から歓喜へ”は、生涯のテーマであり、交響曲第9番作曲当時の会話のメモ帳からも、「絶望」(第1楽章)から「浄化」(第3楽章)を経て「歓び」(第4楽章)に向かう流れは確認されている。ただ、最初3楽章がすべて同様に否定されるべき内容と考えるのは、あまりに単純すぎる発想ではないだろうか。作曲の経緯からしても、4楽章の冒頭部分が作曲されたのは作曲の最後となっており、シラーの頌歌を作曲する前に最初の3楽章は概ね作曲されていた。第4楽章における第1楽章主題は、ffの減七の音程(和音)という最も激しい形で否定されている。これに対して第2楽章主題は、第4楽章の冒頭では低弦によって2"3小節であっさりと否定され、その後4小節で第3楽章の主題に移行する。そして、第3楽章主題は、第4楽章冒頭では最も慎重に否定されている。
 ベートーヴェンは、この曲を作曲する7年前の1815年に次のような手紙を書いている。「無限の霊魂をもちながら有限の存在であるわれわれは、ひたすら悩みのために、そしてまた歓喜のために生まれてきているのです。また、優れた人々は苦悩を突きぬけて歓喜をかち得るのだ、と言っても間違いないでしょう。」
「苦悩から歓喜へ」という流れは、交響曲第5番(いわゆる「運命交響曲」)でも明らかにされているが、交響曲第9番における「歓び」は、苦悩の克服だけではなく、音楽による共同体を通しての人類愛への希求、愛(エロスやアガペー)の歓び、生死を越えた存在による歓びなどを訴えている。いずれにしても、愛情と理性と情熱をもって、手を取り合って生きてゆこうという意志的な要素が強い。それは特定の宗教を越えた宗教的世界、死を越えた超越的・宇宙的世界であり、聴覚障害のために孤独な生活を余儀なくされた上、結婚などの家庭的な幸せを断念したベートーヴェンが人々に愛・音楽・生のすばらしさを歌い語り続けた曲なのである。

 各楽章は以下のような特徴がみられる。
第1楽章 冒頭のA(ラ)とE(ミ)の完全5度(空白5度)による神秘的な開始を始まる。構成的には壮年期のような英雄的ソナタ形式による楽章で、悲劇的要素や多彩な情緒表現がみられる。激しい表現でニ短調の第1主題が再現される部分は、「最後の審判」のようでもあり、最後は葬送行進曲のように終わる。
第2楽章 主部―トリオ部―主部の構成によるスケルツォ楽章であるが、舞曲概念の延長であるこれまでのスケルツォとは異なり、宇宙的響きを感じさせる楽章である。トリオ部は歓喜の主題と同じニ長調となっており、主題の音型としても終楽章の歓喜の主題を暗示している。
第3楽章 アダージョとアンダンテの二つの異なる性格の主題が交互に現れ、ベートーヴェンが晩年に多用した変奏曲形式となっている。ベートーヴェン晩年に特徴的なカンタービレ様式により、愛や美にあふれた歌が法悦の境地にも達するが、楽章の最後では、第4楽章の恐怖のファンファーレを暗示する不安な雰囲気を残し、第4楽章に突入する。第3楽章の終わりの方で登場するトランペット・ホルン・ティンパニによるファンファーレ的な部分は、第4楽章が作曲されてから付加されたものと推測されている。この変ロ‐変ホ‐変ロ‐変ホと4度‐5度‐4度と上昇する音型で突然鳴り響くところは印象的であるが、音型としては第1楽章第1主題の反行形となっている。
第4楽章 不協和音による恐怖のファンファーレで始まるこの第4楽章では、冒頭でこれまでの1〜3楽章のテーマが低弦のレシタティーヴォによって否定されて、歓喜の主題がppから奏でられffの熱狂に至る。その時、冒頭のファンファーレが再現しバリトン・ソロが高らかに歌うが、最初の歌詞「おお友よ、これらの調べではなく、より快い調べを歌おう、そしてより喜びに満ちた調べを」は、ベートーヴェン自身の詩によっている。その後、シラーの頌歌により曲はソナタ形式や変奏曲形式を中心とした自由な形式ですすむ。最初の提示部に相当する部分では、「歓びよ、美しき神々の輝きよ、天上の楽園からの娘たちよ、我らは情熱にあふれて、天国の汝の神殿に足を踏み入れる。汝の不思議な力は、時が厳しく引き離したものを再び結び合わせる。すべての人々はきょうだいとなる。汝のやわらかな翼がとどまるところにて。」と歌われる。次の展開部に相当する部分では、前半はトルコ行進曲風の間奏に続き、テノール独唱に導かて「天の完全なる計画によって太陽が喜ばしく飛びゆくように、走れ、きょうだいたちよ、汝の道を、勝利に向かう英雄のように喜ばしく。」と男性合唱で歌われる。展開部後半では、宗教的・超越的な世界となり、「互いにいだきあえ、もろびとよ! 全世界の接吻を受けよ! きょうだいたちよ、星の天幕の上には、愛する父が必ず住みたもう。」と荘厳な合唱が続く。この主題は第4楽章が半分以上経過した後で初めて明確な形で登場するのにも関わらず第2主題として重要であり、この交響曲において核心的な意味を持ち一つのクライマックスを形成している。その後2重フーガによる歓喜の主題と第2主題の再現を経て、歓喜のコーダに曲は突入し熱狂的に終わる。
 
伊勢管弦楽団  音楽監督 大谷 正人