こちらの記事で、そのことは少し話したが、もう少し掘り下げて話したい。昨今、日本の社会は、不正と不祥事、偽りに満ちているのは誰でも判る。なぜ、そうなるのかは、善悪の判断ができない人間が多く、悪い意味での私利私欲だったら、隠蔽したり、嘘もつく事もあるからだと思うが、それは、法律に触れる場合もあれば、法律に触れない場合もある。

また、「悪いことと良い事の区別が判らない・・・」という人間もいて、それらの人の話も聞いたことがあるのだが、それらの人間は、「これは悪い事だよ・・・」と言われることが苦痛のようなところもあるようなのだ。例えば、タバコのポイ捨てや、富士山などへのゴミの不法投棄など、それらをする人は道徳心がなく、その地域や富士山を大切にする気持ちがなく、それは、国を愛していない事にも繋がると思うが、それらの人間にそのような話をすると、逆切れをしたり、下手をすれば、「そんなの私には関係ない、その人の自由、強制のように感じる・・」などという人間もいる。

正直、まったく答えになっていないのだが、ゴミは、指定の場所以外に捨ててはいけないものなのだから、まともな答えは、「富士山にゴミを捨ててはいけない・・・」というのが、正しい答えだと思うし、その延長線上に、自然を大切にしたり、日本の領土の中にある富士山なので、その地域や、郷土を愛する気持ちに繋がり、結果的に日本を愛する事にもなる。

この本質は、ゴミを富士山に捨ててしまうという行為だけではなく、日本で起きている色々な事件事故や、様々な問題にも当てはまる。そして、このことが秤のバランス、即ち、秤が平衡ではなくなる瞬間があると言いたいのだが、それは、ゴミを富士山に捨て、その場を離れた瞬間に、秤が平衡ではなくなったと言える。もう少し分かり易く言うと、自分の手からゴミが離れ、その場を去ったら、秤が平衡ではなくなったという事だが、ゴミを持っているときに、捨てるか、捨てまいか、考えているうちは、まだ、秤の平衡は保たれているとも言える。

即ち、この平衡を保っていれば、不正や不祥事、色々な事件事故、様々な問題も限りなく起こらないと言うことだ。そして、道徳心もなにもない日本の社会全体は、もともと、この秤が平衡に保たれていないとも言える。では、そのもともとはどこなのか!それは、戦後の7年間にあるのだ。パール博士も、そのように仰っていたが、それは、先日、話したとおり。

つまり、著しく、秤が平衡に保たれなくなった時期があり、それが、当たり前のようになって、だんだん道徳心もなくなり歪んだ偏った日本の社会に構成されてしまったと言うことだが、そのことが日本全体に悪影響し、結果的に、多くの国民が不安を抱いたり、夢が持てなかったり、子供達の教育にも悪影響を及ぼし、その子供が育つ過程で、親を殺したり、色々な事があるが、私は、この秤が平衡に保たれていないという本質が、日本の社会を荒廃させているように思う。

しかし、このことは本当に重要なことだが、なぜか、興味を持たない人達も多い。そして、そのことを説明するのに、戦後GHQによる占領政策や東京裁判の話をすると、嫌悪感を持ったり、中には、「なぜ、今、戦争をするの?過激なことは聞きたくない・・・」などという日本人もいる。私は、それを聞いてどう思うかというと、「なぜ、そうなるんだ。どこが過激なんだ。まったく人の話しを聞いていないし、話も噛み合っていない、誰も戦争をしようなんて言っていない・・」と、思うのだが、だいたい、そのように言う日本人は左翼であり、反日主義だったり、無知だったりする。

そして、色々なブログを見ていると、保守層は、「戦争」という言葉を殆ど使わないのだが、左翼であり、反日主義者のブログなどを見ていると、なぜか、「戦争は止めよう!戦争が近づいている!」などと書いてある。本当に不思議な現象なのだが、誰も戦争をしたいなんて言っていないので、なぜ、そのようになるのかが不思議であるし、その思考の浅さに首をかしげる事もあるが、それらの人間は、世間知らずだったり、人生経験が浅かったり、年をとっていても世の中、社会に揉まれていなかったり、なにしろ、色々な理由がありそうなのだが、その経験のなさが短絡的な思考になる要因になっているのかも知れない。(仮に戦争が近づいているとしたら、それは無防備で平和ボケした日本人の責任とも言える)

また、それらの人間に限って、東京裁判(FLASH)がどのようなものだったのか、パール博士の残した数々の言葉が理解できなかったりするのだが、その殆どは、過去に、そのようなことを教えてこなかったので、偏った思考になってしまう所もあるように思う。つまり、いつも言っているが、日本を良くするためには、近代史が重要なのだ。その中でも、東京裁判、戦後の占領政策、講和条約などを知っていれば、秤は平衡に保たれていく筈である。

つまり、それらを知ると、秤が平衡になるので、限りなく、良い事と悪い事の区別がつくと言う事なのだ。だが、教員などでも、講和条約が、どのようなものだったのか知らない人間もいるし、平和平和と騒ぐ奇麗事の反日主義者に限って、平和の為に講和条約を締結したのも知らない人もいて、それらの人間と話していると、何が何だか判らなくなり、必ずと言って良いほど、それらの人間は感情的になり、知らなかった自分の未熟さを棚に上げ、逆切れし、攻撃してきたりもする。

「これって、誰が未熟なんだ、悪いんだ?」と言いたくなるのだが、それらの人間、不思議と、つまらない勝ち負けにこだわる。たぶん、心に余裕がなく、ある意味、心が狭いので、そうなると思うが、基本的に私は、これらの問題で、左翼や反日主義者に勝とうと思った事は一度もない。つまり、勝ち負けに拘るという思考で、このような話をしていないと言う事だが、その根本的なところが違うので、話しも噛み合わないように思うし、それらの人間は、いつまで経っても、精神的な成長はしないのだと思う。

パール博士は、「日本人は東京裁判で骨抜きにされ、気概を失った・・・」とも仰った。人間には理性があり、理性と言う言葉があるが、この理性をコントロールするのは、やはり、心だし、場合によっては、気概も必要になってくる。また「気概」という言葉を使ったりすると、「なんか過激、争いごとが好きそう・・・」なとど言う人もいるが、はっきり言って過敏すぎると言うか、軟弱と言うか、気にしすぎと言うか、妄想と悪い意味での先入観で、物事を判断するのは良くないとも思う。なぜなら、物事の本質と、善悪の判断がつき難くなるからだ。

また、この東京裁判自体が、秤が平衡に保たれていないアンフェアなものだったのは有名な話だが、それは、日本側が訴える様々な証拠の殆どが却下され、一方的に裁かれたものだったからなのだが、この時から日本は、著しく秤の平衡を保つ事ができなくなったのだと思う。結果的に、日本の社会にアンフェアなことがまかり通り、色々な国の文化も入り、現在に至るが、このパール博士が仰った、「秤を平衡に保ちながら・・・」というのは、善悪の区別をつけるバランス、即ち、善悪の中間のことを指しているように思うし、表現を変えれば、良いことと悪いことの区別が、現在の日本の社会全体に要求されている事でもある。

それに、毒ギョーザのことでも、保守層は、最初から危険性を指摘していたが、そうではない日本人もいる訳で、その判断も、その人間の心の中にあり、物事を見極める能力が乏しいとも言える。即ち、その人の心の秤が平衡に保たれていないと言うことであり、それらの人間が多ければ多いほど、日本の社会は荒れていくし、色々な事件事故に結びつき、様々な問題にも立ち向えなくなり、治安が悪化し、結果的に、日々の生活にも影響してくる。

つまり、秤を平衡にするというのは、我々日本人には、とても大切な事なのだ。この基本が土台になり、日本の社会が構成されていれば、多くの人は安心して暮らせるし、その土台を基本に個性を磨いていけば良いと思う。だが、戦後、このような教育は蔑ろにされてきたので、現在の日本のように善悪の判断がつかず、気概もない、悪に立ち向えない日本人が増えてきたのだと思う。

「さて、日本人、これから、どうするの?」と聞いてみたいが、毒ギョーザを食べて苦しんでいる人もいる中で、警察は、中国でメタミドホスが混入された可能性が強いとの見解をだした。それも、故意の可能性が強いとも言っていたが、これも、我々保守が指摘していた通りである。それには中国当局が関わっているのか、中国政府も把握していなく、機密機関が動いているのか、それとも、反日教育を受けた凶悪シナ人なのか、どれかだと思うが、いずれにしても我々日本人の命が狙われている可能性は強いと思う。

あなたは、それを見過ごして見ているのですか?と、聞いて終わりにする。

さて、だいぶ、「秤を平衡」という言葉を使ったが、どれだけ、この秤を平衡にすることが重要なのかが判って頂けたかと思うし、秤を平衡にすれば、多くの日本人が安心して暮らせると言う事も判って頂けたかと思う。

追記、現在、警察が調べていてる毒食品のことでは、警察関係者は権力や圧力に屈することなく、最後まで真相究明に全力を尽くし、日本の為に闘って頂きたい。

パール博士が仰ったように秤を平衡にする必要がある!と思った方はクリックして下さい。