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人権委員会の尋問は誰もチェックできない

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この法案は、危険だと言われているが、何が危険なのか私なりに考えてみたい。まず、思うことは、日本を貶めたい人、被害者意識が強い人、過敏な人、何でも気になる人、被害者の振りをする人、日本が気に食わない人、靖国と日本の伝統が嫌いな人、人権・差別と騒ぐ人、反日主義の人、左翼政党に左翼団体、日教組に左翼教員、国歌斉唱に国旗掲揚に反対する人など、他にも沢山あるが、なにしろ日本を貶めたい人達に有利になる危険な法案だと思った。

それは、なぜかと言うと、簡単に説明するが、例えば、「在日特権を許すな!・・」と言ったとする。そうすると、それを気にしたり、その権利を求めている人間が差別をされたと訴えれば、発言をした人間が人権擁護委員によって取り締まられ、言論の弾圧を受ける事になるのだ。

「日の丸を尊重しよう・・・」と言っただけでも、日の丸が嫌いな人からすれば、日の丸を押し付けられたと思い込み、そこで差別されたと訴えれば取締りの対象になる。

「左翼は思考が浅い・・・」と言っただけでも、左翼の日頃の発言は別として、自分が左翼ではないと思っている人は、レッテルを貼られ差別されたと訴えれば取締りの対象になる。

他にも沢山あるが、なにしろ、些細な事で差別されたと思い、気に食わないと思ったら訴える事ができると言う事だ。この法案が通ると、その権限を持っているのが、強大な権力を持つ人権擁護委員である。この手の監視委員は、左翼、在日、奇麗事屋などが好みそうだが、それらが人権擁護委員になった場合、私のようなブログや、現実で抗議活動(政治)をしている方々の取締りをすることで、それらの人間にとっては優位になるところがある。

つまり、些細な事が気になったり、現在、自分が有利でないが為に社会的に有利になりたいと思っただけで、この悪法を使えば、相反する相手の言論を封じる事もできるのである。これは、ある意味、被害者の振りをする人間に合わせるような悪法であり、それがまかり通る世の中になったら、まったく誠実ではなくなるし、アンフェアなことが続発する可能性もある。

私は思うのだが、どのようにして、この法案が出てきたのかは分からないが、何でも人を保護すると言うのは、その人間にとっても良くないと思う。なぜなら、人権侵害をされた、差別をされたという感覚と感じ方のハードルを、悪い意味で下げ続ける事になるからだ。結果的に、それらの人間には過保護になり、精神的にも強くなれない。また、弱者の振りをしている人間に注意が向けば、本当の弱者を見過ごしてしまうかも知れないし、そうすると、何のための法律なのかも判らなくなる。

また、以前、話したことがあるが、何かあると、システムを変えたり、新たな法律を作ったりすることは、決して悪いことではないが、その本質を探らないで、根本を見極めないで、あいまいのまま法律を作ると言うのは、あとあと問題になってくるはず。その何かあると言う所だが、一例で言えば、被害者意識である。この被害者意識が通らなかった場合、それらの人間は、このような悪法を使い報復をする可能性があるということだ。

結論から言えば、必要ないという事だが、そういう人達は近代史の認識を深め、心を強くするしかないと思う。だが、それらの人間は、基本的に反日主義者であり、歴史観も偏っているので、心のバランスが悪いのだと思う。つまり、この法があったからと言って、それらの人間の心は強くなるどころか、ある意味、弱くなるのだ。なぜなら、気に食わないと、この法に頼ると思うし、自分のことを見つめ直さなかったら、根本的な解決には至らないからだ。

そして、この手の法律を作る場合は、今まで話したことも含め、本当の意味で人権が侵害されているのか、その人間に落ち度はないのか、その人間は被害者意識が強くないのかなど、それらを蔑ろにしたら、何も本質は見えてこないし、ただ、些細な事が気になった人間がいただけで、継続して言論弾圧を受けてしまう事にもなり兼ねない。だから、何かあり法を作る時は、そのような人間の心の動きや本質まで掘り下げて考察し、色々な事を想定して作らなければ意味がないと思う。つまり、新しいものを作れば、何でも解決すると言うものではないと言うことである。

また、分かり難いかも知れないので、もう一つ話すと、陰湿な苛めにも当てはまると思う。時々、この苛めの話をしている人の話を聞いていると、苛めをされている本人が苛めと感じたら、それは苛めだという指摘がある。それは、一理あるが、これは人によっての心の感じた方にもよるので一概に本当に苛めなのかも判らない場合もあるだろうし、話しを聞いていると、「えっそんなことで悩んでいるの?・・・」という場合もある。

だから、その区別をするのが非常に微妙で難しいとは思うのだが、些細なことや、ちょっとしたことが気になると、その本人にとっては、苛めをされていると思ってしまうところがあり、そうなると、何でも苛めになってしまう可能性もある。結果的に、苛めには立ち向えなくなるが、問題は、苛めをされている子供を救うのも大切だとは思うが、どうして、些細なことを気にしてしまうのか、どのようにしたら心を強く持て苛めに立ち向う事ができるのかなど、保護するだけではなく、強い心を養うことも大切のように思う。

私は、日本が好きにならないような歴史教育をしているので、全てとは言わないが、子供達(大人達)の心が軟弱になるのだと思う。結果的に陰湿な苛めが増え、それに立ち向えなくなり、中には自殺をしてしまう子供もいる。つまり、その些細な事が気になるハードルみたいなものを下げ続けているから、陰湿な苛めが継続し、被害者意識も強くなってしまう所もあると思う。また、それらに立ち向う勇気と気概と言うものを教えていないのもあり、それを養うのは、やはり近代史を偏らないように教える必要があるはず。

だが、戦後60数年が経ち、そのような教育はされていないので、教育の現場は荒廃し続けるのだと思う。つまり、悪循環なのだ。だから、この法案も、そのハードルを下げ続けるものだと思うし、この法案が成立したら、世の中、もっと荒廃すると思う。そして、日本全体が、さらに弱くなると思う。

で、「じゃ〜あなたも、人権を無視された!差別をされた!と言えば良いのでは?・・」との声も聞こえそうだが、それは一理ある。だが、このポイントが決定的に違う。それは、基本的に私は、そのように感じる事は殆どないし、感じたとしても言葉には、まずしない。つまり、被害者意識が強くないと言うか、現実の世界で色々な経験をし、それを色々なことに照らし合わせれば、「何でそんなことを気にするんだろう。どうして、そんなに過敏なのか・・」と思ってしまうことは頻繁に目にするからである。

それに、現実の世界で、社会、世の中に揉まれていたら色々な事があるので、いちいち、人権だとか差別だとか、気にしていられない。だから、「そんなものだろう・・」と思っている所もあるし、多くの人が人権侵害をされた、差別を受けたなど言い出したら、世の中おかしくなるし、そのハードルを下げ続ける事は、日本人の弱体化にもなるので反対である。

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