野伏翔日記!

劇団夜想会主宰、野伏翔の日々感じた事などをブログにて公開!

ゴー フォア ブローク=当たって砕けろ

 先月末の4月22日を以て、ハワイのホノルル国際空港がダニエル・K・イノウエ国際空港と改名された。ハワイといえばアメリカ人にとっては決して忘れることのできない真珠湾攻撃を受けた屈辱の地である。その州都にあり世界中から観光客の訪れるホノルル空港を、日系二世であるダニエル・K・イノウエ氏の名前に変えるとは正に奇跡的なことである。私たち日本人もその理由を、彼の偉業をもっと理解したいものである。

 オバマ元大統領はイノウエ氏の訃報に際して「米国は真の英雄を失った」と哀悼の意を捧げた。ダニエル・K・イノウエ(以下敬称略)は、アメリカ大統領継承順位第三位という地位にまで上り詰めたハワイ選出の上院議員。氏は長きに亘り日米関係の調整に力を尽くし、まともな軍事力を持たないまま中国の脅威に晒されている現在の日本の防衛を常に懸念していたと言う。
 ダニエル・K・イノウエ=本名・井上健は1924年ハワイ州ホノルルで日系2世として誕生した。彼はハワイ大学で医学を専攻していたが、真珠湾攻撃に始まった日米間の戦争で日系人は差別と迫害を受けることになる。そしてアメリカ政府は日系人のアメリカ国家への忠誠を試す意味と敵性移民隔離の目的で、日系人だけの部隊を編成することになり志願兵を募集した。多くの日系二世と同じくイノウエもこの日系人部隊を志願した。アメリカの二級市民として屈辱の人生を歩むよりは、命に代えても日系人の誇りを守り、日系アメリカ国民としての名誉を打ち立てようとしたのだ。
 この日系人部隊をハワイ臨時大隊=第100大隊と言ったが、後にアメリカ本土で徴収された部隊と合体し442部隊となる。442部隊は主にイタリア戦線でナチスドイツの軍隊と戦ったが、アメリカ軍の歴史上最も大量の勲章を受けた連隊となった。彼らの合言葉はゴー フォア ブローク=当たって砕けろ。正に命知らずの軍団であった。受けた勲章の数は合計一万八千百四十三。名誉勲章一、殊勲十字章四十七、銀星章八百十、名誉負傷章三千六百・・・。その代り九千四百八十六人が死傷し、その内六百名が戦死している。イノウエも大尉としてドイツ軍の陣地を攻略。右腕を吹き飛ばされながらも部下を指揮して敵の稜線を占領している。442部隊がアメリカ中にその勇名を馳せたのは、テキサス大隊の救出に成功した時である。ドイツ軍に包囲され絶体絶命のテキサス州部隊を救出することはどの連隊にも不可能であった。しかし442部隊は見事に戦い友軍を救出した。しかし211名のテキサス大隊の白人将兵たちを助けるために、442部隊の日系人216名が死傷し、600名は手足を失った。・・・壮絶の一語に尽きる。彼等は皆日本の武士道精神を持って、アメリカという祖国に忠誠の証を立てたのだった。

 私は戦後日本が外国から攻撃を受けてこなかった理由は、間違っても憲法9条のお陰などではなく、また米軍の核の抑止力だけでも無いと思っている。現在の日本が未だ諸外国に一目置かれる存在だとしたら、それは特攻作戦まで敢行して最後まで戦い抜いた過去の日本人たちの敢闘精神への畏怖の念の賜物だと思っている。そしてこの442部隊の鬼人の戦いぶりも又欧米人たちに衝撃を与え、日本人という人種に対して畏敬の念を抱かせたことは確かである。

 そしてもう一人、この442部隊で戦った日系二世に特筆すべき人物がいる。モンタナジョー、またの名をトーキョージョーと呼ばれた人物だ。イノウエの本名は井上健だが、この男は衛藤健という。偶然に二人とも健さんである。戦闘で片腕をなくしたイノウエは戦後医者になる夢を断念し、政治の道を邁進することになるが、この男は違う。何と、シカゴマフィアの大幹部になってしまったのだ。
 衛藤健こと後のモンタナジョーは、1919年カリフォルニア州生まれの日系二世。父は日系移民に対する日本人宣教師であったが、14歳の時に家を飛び出して放浪する。ブランケットボーイと呼ばれる、毛布を担いで大農場を転々と移動する季節労働者となるが、その間に博打と喧嘩の腕を磨いた。そして真珠湾攻撃による日米開戦。アメリカ本土の日系人はハワイの移民たちよりも更に過酷な差別を受けた。敵国日本のスパイの可能性があるとして私有財産を取り上げられ、砂漠の真ん中の強制収容所に叩きこまれた。連日炎天下での重労働。番兵の白人たちにジャップ、ジャップと小突き回される毎日であった。そんなある日、日系人だけの軍隊442部隊の志願者募集があった。ハワイでは三千人の定員に対して約一万名の応募があったが、本土ではアメリカ政府の理不尽な仕打ちに対して反発する者も多く。定員を千五百人に設定したが、志願したのは千百八十一名であった。だが収容所にいたモンタナジョーは迷わず志願した。アメリカへの忠誠の為などではない。自由を得たい一心からであった。
 そして終戦。戦後間もなくは442部隊の英雄たちも敗戦国のジャップと蔑まれ、再び酷い差別を受ける。イノウエはそんな日系人や他の人種的マイノリティーへの差別を撤廃しようと、真正面から政治家としての人生を突き進んだ。一方モンタナジョーは、モンタナファミリー7人衆と呼ばれる日系人不良グループを結成。イタリアンマフィアの世界に殴り込みをかけていく。そしてシカゴに十件以上のカジノバーを開き、自家用飛行機を乗廻す羽振りの良さだったが、麻薬と売春にだけは手を汚さなかったという。そして1882年、ジョーは突然FBIの公聴会でイタリアンマフィア社会の全貌をばらしてしまう。マフィアの掟は組織の秘密を守ることにある。裏切り者のジョーは頭に二度の銃撃を受けたが奇跡的に助かり、FBIの保護観察の下静かにその人生の幕を閉じた。ジョーの行動は謎に満ちている。宣教師の父との決別、イタリアンマフィアへの裏切り・・・劇作家的興味は尽きない。いつかこの二人の物語を書いてみたい。

 ダニエル・K・イノウエとモンタナジョーの生き方は正に対極、表と裏の人生を歩んだ。しかし私はこの二人に共通する男の潔さに惹かれる。巨大な白人社会に徒手空拳の戦いを挑んだ小さな日本人、いや日系アメリカ人の心意気に敬礼する。

 ゴー フォア ブローク!・・・・・大和魂よ永遠に!

力無き正義は無力なり

 4月18日に来日したアメリカのペンス副大統領は、安倍首相との会談の後の記者会見で「平和は力によってのみ達成される」と言い放った。ニコリともしないペンス氏は、現代の日本人にはなじみの薄い「非常時」の気配を漂わせていた。彼の言う「力=FORCE」とは軍事力の意味に他ならず、これまで「軍事」と「平和」とを、対立する概念としか捉えてこなかった我が国マスコミ人にとっては、ショッキングな一言であったようだ。にも拘わらず私がテレビで見た限りでは、誰もこの言葉を正面から全否定はしていない様子である。誰もがこの言葉の中にある真実を、いやいやながらも認めざるを得ないからであろう。

 「平和は力によってのみ達成される」・・・第二次大戦の敗北以降、まれにみる平和を享受してきた多くの日本人にとっては抵抗のある言葉であろう。しかし戦後長きに亘る日本の平和とて、特攻攻撃に代表される日本軍人と一億国民の玉砕を覚悟した奮戦に、恐れと畏敬の念を抱いた戦勝国の宥和政策により得たものである。ペリーの砲艦外交に開国を決意し、明治から昭和にかけて、清、ロシア、アメリカ、シナ、イギリス、オランダという世界の強国と戦い抜いてきた「力」が全く無かったとしたら、日本人もオーストラリアのアボリジニと同じように、狩猟動物の代わりに白人たちのハンティングの獲物になっていたかもしれない。

 平和の維持に力が必要なのは国内の刑事事件においても同様である。犯罪の抑止に刑罰は欠かせない。千葉県でベトナム国籍の小学生の少女リンちゃんが誘拐され、殺害され死体遺棄された。体には性的暴行を受けた痕跡があった。逮捕された容疑者は子供たちの登校を見守る保護者会の会長というのだから救いようのない事件である。このような悪魔的な猟奇趣味を持つ変質者は、実は非常に多い。幼い少女の手足を切り落として喜ぶような劇画の出版がビジネスとして成立している。破李拳竜の「プリティエグゼクタ―」、大塚英次の「多重人格探偵サイコ」などはその代表的なものであり、映画でもヒット作「鉄男」などのスプラッターものというジャンルがあり一定のファン層が存在する。実は私も昔一度だけそういったビデオ映画の撮影に立ち会った経験がある。その世界ではスター扱いをされている原作者が監督をしたものの、映画経験がないため実際の撮影が進まず、版元になる会社に頼まれて監督の補佐に出かけたのだ。撮影の遅れを取り戻すために毎日が徹夜に近いスケジュールとなった。ある夜、というか朝の四時近くであったがその日の解散を告げると、原作者の取り巻きで助監督のようなことを手伝っていた連中に「これからいいことをしますから撮影してください」と頼まれた。聞いてみると、人間の生首の模型を二つ用意してあり、この人形の目をくり抜くシーンを撮りたいという申し出であった。「そんなシーン台本にないぞ、解散!」と言って帰り支度をしていると、撮影はあきらめた連中五六人と原作者が、奇声を発しながらその首人形を破壊しにかかった。原作者が長髪を振り乱しながら人形の両目に手指を突っ込む。目から血が吹き出す。頭を床に叩きつけ踏み潰すとぐちゃりと脳みそが飛び出す。暴行の度に連中が悦びの奇声を発する。脳みそは豆腐に劇用の血糊を混ぜて作ったそうだが、私はこのような人種がこの世に多く存在する事実を目の当たりにして、誇張抜きに背筋にゾゾーッ!と悪寒が走った。

 つまり、猟奇的殺人を犯しかねない人間は相当数いるということである。発行部数から見ても国内だけで一万人近くの変質者予備軍が存在するであろう。そして彼らの犯罪を抑止するためにも矢張り「力」が必要である。無抵抗の少女を凌辱し殺害するような大人は厳罰に処すべきである。だが、日本の刑法は異常に軽い。このような事件を犯してもそれが初犯である場合、懲役十五年以上の刑が普通の判例であり、死刑や終身刑になる可能性は殆どない。又、以前「女子高生コンクリート詰め殺人事件」という最悪のリンチ殺人事件があったが、複数の犯人が一人の人間をなぶり殺しにした場合、まず極刑になることはない。
 これはどう考えてもおかしい。殺された親の気持ちは当然犯人を殺しても飽き足りない筈だ。明治になるまで、日本の武士は身内を殺されたら仇を討つ義務があった。現代のように情報も交通手段も未発達の時代に仇を探し出し討ち果たすという過酷な義務があったのだ。しかし明治の世になり仇討禁止令が出されてからは、国が法の裁きにより仇討を代行するという、国民との約束がある筈である。私は法律に関しては素人だがこう考える。日本の裁判は、その論理の出発点が間違っているのではないかと。裁判が加害者にも人権がある。というところから出発し、なぜこんな事件を起こすに至ったのか?原因はどこにあったのか?家庭か?社会か?と推理し弁護していく。これってどこかで聞いたことがある。・・・「人は家庭から、社会から、国家から抑圧されている。そこからの開放こそが人間を自由にする」という考え。正に左翼の論理なのである。
 自分のかけがえのない子供を凌辱され殺害された親に復讐の権利を与えず、加害者の「人権」を守る現代社会よりは、「卑怯」を断罪する江戸時代の方が日本人は幸せだったのではないだろうか。
 死刑でも軽すぎる。そう絶対に死刑でも軽すぎるのだ。しかし今更獄門、磔、市中引き回しの刑が復活するとは思えない。公開銃殺なんていうのも北朝鮮のようで悪趣味である。  

 ところでヨーロッパには死刑廃止の国が多いが、これがあながち人権の擁護という意味ではないと耳にした。ヨーロッパにおける「終身刑」とは、「死刑くらいで楽に死なせてなるものか!」という発想から出てきたものだそうである。罪を悔い、反省させて尚、一生陽の目を見ることの出来ない過酷な生活を遅らせることにその目的があるそうだ。そうだとしたら・・・一考に値する。

 リンちゃんを始め、変質者の毒牙にかかり恐怖の中に命を失っていった全ての子供たちのご冥福を心から祈りたい。そして我が国が同胞を守り、救い、平和を達成するための「力」を持つ社会になることを切に祈る。

生い立ちを振り返って・・・

 平成29年、世界が激変する。1月21日、アメリカではトランプ新大統領が就任した。翌22日、大関稀勢の里が優勝、19年ぶりの日本人横綱が誕生する。そして今日、この原稿を書いている1月23日、小生は65歳の誕生日を迎えた。晴れて高齢者の仲間入りである。フェースブックをやっていると自動的に誕生日が広報され、朝から知っている人や知らない人からまでお祝いのメッセージが届いている。元々誕生日なるものがあまりありがたいものとは思わない私ではあるが、節目の年齢でもあり、一年前にこの世に私を生み出してくれた母が他界したこともあり、たまには自分の生い立ちを振り返ってみたいと思う。

 昭和27年と言えば、20年の終戦から7年間と言う長きにわたった進駐軍の支配がようやく終わり、サンフランシスコ条約に調印して日本がようやく曲がりなりにも独立を手にした年である。お産は自宅でお産婆さんの手によるものだったという。家庭用の暖房は火鉢がせいぜいの時代であり、親父は外で七輪を使ってお湯を沸かしていたそうだ。生まれたのは茨城県の古河市だが、我が家は古河の人間ではない。元々は結城紬で知られる結城市外れに室町時代以来の、本名野口家のやけに広い墓がある。言い伝えによると京の足利幕府に盾突き、鎌倉を追われた関東管領足利持氏の子春王、安王が結城市の庇護を受け、名を野口と変えて、結城近在にある桑絹村の庄屋として生き延びたという。と言って証拠があるわけではないが、墓場を守るように無縁仏たちがうちの墓を囲んでいるので、当時戦死した郎党たちを供養したのかなと勝手に思っている。ではどうして戦後はそこにいなかったかと言うと、戦前から戦中にかけて我が家は朝鮮にいたからである。明治生まれの私の祖父は、幼年学校から陸軍士官学校を出た筋金入りの職業軍人であった。二二六事件で暗殺された永田鉄山の同期である。このお爺さんがシベリア出兵後の軍縮で退役し、当時できたばかりの京城帝国大学に日本史の講師として赴任した。大学には軍服を着て、毎朝馬蹄が馬ひいて迎えに来ていたそうだから、所謂配属将校と同じであろうが、大学の場合は配属将校とは呼ばず先生と呼ばれていたそうである。日本史は勿論徹底した皇国史観であった筈である。だがその息子である私の父は体が弱い文学青年で、なんと徴兵試験に丙種失格。軍隊には入れず朝鮮総督府に勤務していた。


後世特別ノ御高配ヲ

 
 沖縄県浦添市で、拙脚本演出による「めぐみへの誓いー奪還―」の公演があり、12月20日前後の五日間沖縄に行ってきた。警察が北朝鮮による拉致の疑いが排除できないとする「特定失踪者」の数は沖縄県では34名に上る。これは人口比率で見ると石川県に次ぎ全国第二位の数である。
 会場の「てだこホール」は客席数千百の大劇場。音響や照明の設備も良くデザインも美しい、全国レベルで見ても有数の素晴らしい劇場であった。因みに「てだこ」とは「太陽の子」という意味であり、古代琉球の時代が始まった時に王子が生まれた土地、と言う言い伝えがあるそうだ。その立派なホールでの公演だったが、観客の動員はちょっと寂しく七割弱と言ったところ、これまで全国どこで公演しても満席であったので、少々残念に思いその原因を探ってみた。

 どうも沖縄県の人たちは、拉致問題は他府県の問題と捉えていて、34名の被害者の存在を知る人など殆どいないようである。これは被害者家族の必死の訴えを無視する、沖縄県の行政とマスコミの怠慢に他ならない。通常地元紙は公演の取材に来るものだが、沖縄タイムズ、琉球新報と言う地元では有力な新聞が今回の公演には来なかった。おそらく公演の告知にも協力しなかったのだろう。それどころかこの公演は内閣府拉致対策本部と沖縄県の共催であった筈だが、当日県知事も副知事もその代理も姿を見せず、一通のメッセージも届かなかった。県による完全無視である。公演に協力してくれたのは、保守系の浦添氏の市長だけと聞いている。基地問題以外に県民の興味を向けさせたくないという意図があるのか?それとも政府のすることには一切協力しないという意思表示なのか?とにかく今の沖縄県政が、拉致の疑いのある34名の県民の命を真剣に考えていないことは確かである。

 それでも本番は熱い反応に湧いた。初め私は役者がアドリブを言ったのかと思ったがそうではなく、登場人物の台詞に対して客席から声が飛んだのだった。「日本に帰りたいね・・・」等と言う役者の台詞に対して「そうだ!」「頑張れ!」「帰ってこい!」と客席から激しくも悲痛な声が上がった。終演後、私に涙ながらに握手を求めてきたその声の主は、お兄さんを拉致されたご家族の方であった。
 国からの補助金が格別に多い沖縄の街は、どこも清潔で美しかった。夜の国際通りも明るくて女性や子供でも安心して歩ける。公演後はレンタカーを借りて沖縄本島を回った。夜は居酒屋で人々の声に耳を傾けたり現地スタッフたちと食事したりしたが、ニュースで見る反基地闘争をしている活動家たちと同じ沖縄県民とは思えない、南国的な落ち着いた感じの人たちが多く見受けられた。
非礼にも、米軍基地の一部返還のセレモニーを欠席してまで翁長知事がこだわるオスプレイとは、抜群の航続力と運搬力を持つ離島防衛には最適な軍用機である。アメリカでは大統領を運ぶ。事故の危険が多い筈はない。つまり翁長知事はオスプレイの配備を中共が嫌がるから嫌がっているのであり、中共が怖がっているから怖がっているに過ぎない。あまりにも分かりやすい翁長知事の行動は、いくら沖縄二大新聞がヨイショしようと、県民の多くからその肚を見抜かれる日も近いのではないかと思われる。

 中国共産党は沖縄を革新的領土と公言し、琉球独立を唆す。だが沖縄の方言は紛れもない日本語の文法であり万葉の日本語と通ずる部分が多い。チャイナ語とは根本から違う。明への朝貢の時代は確かにあったが、それを言うなら足利幕府の足利義満も朝貢したことはある。おおらかで優しく明るい大多数の沖縄の同胞たちを、ウイグルやチベット、南ウイグルのように文化を抹殺され、民族を根絶やしにする悲劇に合わせるわけにはいかない。
琉球処分に始まる数多くの沖縄と本土との確執、沖縄県人から見た本土への不信、戦中の日本軍、戦後の米軍基地の問題を、彼らの一部が日本本土からの「差別」と捉えていることは私も知らないわけではない。しかし安室奈美恵や仲間由紀恵などを通して沖縄を知った現代の若者たちにとって、今の沖縄県民に対する「差別」などは思いもよらないであろう。
 大東亜戦争末期、人口43万人の沖縄県民は、その総人口を上回る米軍将兵54万8千人を相手に徹底抗戦を試みた。米軍による無慈悲な爆撃と火炎放射器で家屋や財産を焼き払われても尚、婦人、女学生、子供たちまでもがその持てるもの全てを投げ出して、日本の守備隊に協力して戦い抜いた。それは決して日本軍による強制の結果ではない。大日本帝国沖縄県民としての誇りと日本防衛の責任を背負い、日本人としての自己の存在を証明するための、命を捨てきった激闘であったのだ。
 当時の海軍司令官・太田実少将の最後の電文は「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」というものであった。私たちは今一度この言葉を思い出し、真の八紘一宇の精神で沖縄の問題を考えたいものである。


 沖縄から東京に戻った翌日23日の天皇誕生日に、沖縄県那覇市では今上天皇陛下の誕生日を祝うプラカードと日の丸を掲げた一団の行進があった、とフェースブックの記事と写真で知った。・・・暖かい南国の風が届いた。


三越劇場「リア王」公演を終えて

「リア王」の稽古を続けたこの梅雨の時期は、前都知事の辞任劇に始まり、参議院選、新都知事選と続く政治の季節であった。海外では英国のEUからの離脱の決定、無差別テロの続発、一触即発の南シナ海、と解決の見通しが立たない対立が激化し、世界は先の見えない不穏な時代に突入した。

「リア王」という芝居は、古代ブリテンにおける王国の崩壊のドラマであり、野望と陰謀の渦巻く暴虐の世界を描いた政治劇の一面がある。栄光を極めた権力者の挫折と転落。裏切りのし上がろうとする側の黒い情念。裏切られた者の悲哀と絶望・・・。昔も今も、人間の業の深さという奴は変わりのないものである。人は性懲りもなく争い、殺し合いを繰り返す。 


それでも私たちはこの「リア王」という演劇に触れ、どこかに精神の浄化を感じることができる。それはコーディ―リアやケントといった役によって表される、どんな汚濁に満ちた世界にも咲きつづける「善性」への深い共感であり、「愛」への信仰にも似た思い故に他ならない。


劇中、落魄し狂ったリアが語る「人間、生まれてくる時オギャアオギャアと泣くのはな、この阿呆どもの世界に引き出されたのが悲しいからだ」・・・。だがそれでも尚四百年の時を経て紗翁(シェイクスピア)は、この壮大な悲劇を通して私たちを励まし続けてくれているような気がする。
「人生は生きるに値するものである」・・・と。

夜想会ラジオシアター開設!

 来る7月1日より毎週金曜日の夜10時45分から11時まで、FM世田谷でレギュラー番組を持つことになった。その名も「夜想会ラジオシアター」最初の1クール3か月は「日本の神話」のラジオドラマだ。大人がきいても楽しめる、面白くてちょっと知的な刺激のある神話の世界を紹介したい。


 夜想会から育った声優は多いが、今回はスサノウノミコトに宮内敦士。ヤマタノオロチにアニメ「NARUTO」のオロチまるのくじら、というキャスティング。夜想会の若手声優たちもメインキャストで多数活躍する。番組にはトークコーナーもあるので、順次紹介していく。

 ラジオは懐かしい。我々の学生の頃は、なっちゃんちゃこちゃんの「パックインミュージック」とか城達也の「ジェットストリーム」なんてのが人気があった。学生はテレビなんかより、ぜひラジオを聞いて想像の世界に羽ばたいてもらいたいものだ。今の時代世田谷という地域に限らず、スマホでもアイコンに設定すれば世界中で聞けるそうなので、気合入れて楽しい番組を作りたいと思っている。ちなみに私は脚本と演出。プラス爺役でちょこっと声の出演も予定している。

心がけたい

 人の一生で本当に自分の成したものはこれだ、と言い切れるものが持てたら最高である。
別に特別な技術や学問や仕事での成果でなくてもいい。平凡な人生でも、例えば「家庭だけは守り抜いた」。などと言える人も人生の勝者である。
反対に人生の一時期は栄光を極めようが、引退後麻薬に手を出して逮捕された野球選手や、汚職に手を染めて辞職した政治家の末路は悲しい。
 
 実に人生の勝負は後半戦にあり、だ。先日のサッカーアジア杯決勝の日韓戦、先に二点取って小躍りしようが、逆転されたらお葬式のような韓国だった。まあスポーツは勝つときも負ける時もあるが、人生は一度。できれば笑って済ましたいものだ。
「生まれてくる時は自分が泣いて周りは笑っていた。死ぬときは周りが泣いて自分は笑っていられるよう生きるのだ!」誰だか忘れたが偉人の言葉である。

他人も自己も裏切らず、謙虚にしかも勇気をもって至誠に生きる。心がけたい。

核の時代をどう乗り切るか

 正月が終わったばかりの1月6日、お屠蘇気分をふっとばすニュースが流れた。北朝鮮による水爆実験だ。これが水爆か原爆か、真偽のほどはまだ分からないというが、いずれにしても北が核兵器を所有していることは確かである。米中露朝、我が国はこれで核保有4か国に囲まれた。
 以前「愛と不安の夏」という、原爆の被害を受けた広島の少女たちが渡米し、治療を受けた事実をもとにした演劇を作ったことがある。その脚本を作る際、広島の原爆ドームは基より、実際の被爆者やそのご家族から話を聞き多くの参考資料を漁った。・・・その時知ったあまりにも酷い原爆の爪痕、これは確実に悪魔の兵器、人類の狂気の産物である。


 「核のない平和な世界を!」という理想は美しいが、世界中に拡散してしまったこの悪魔の兵器を手放す国はあり得ないであろう。世界の平和のために、そして私たち日本人が再び核の犠牲に遭わないためにはどのような手立てがあるのだろうか?・・・真剣に考えなければならない時が来た。いや、本当はとっくに来ていたのだ。
北朝鮮は誰もが信じられなかった犯罪をやってのける。日本人の拉致監禁然り、大韓航空機の爆破然り、いったい何のために?と誰もが信じない犯罪行為を国家ぐるみでできる国、核を使う可能性も十分にある。シールズの誰かが言ったようにお酒を飲んで仲良くできるわけもなし、9条が守ってくれるわけでもない。ここで出てくるのが日本も核を持つべしという議論であるが、これだけは自分も含め日本人の核アレルギーが拒否するだろう。第一、内心では広島長崎の報復を恐れるアメリカが許さないだろう。ではどうすればよいか?・・・私には腹案がある!が、ここでは書かない。が、核は持った者のほうが危険にさらされる、という方法である。


 もっとも科学の知識は小学生レベルの俺のアイデアが通用したら、奇跡のノーベル平和賞だが。

日本の神話

 ラジオ&ドラマCD「日本の神話」の制作が始まっている。神話は神話、荒唐無稽な古代人の空想であるとか、権力者の権威づけのために作られた物語でしかないと否定する向きがある。まあその節にも一理はあり全否定はしない。しかしそれでも神話には民族固有の個性があり、固有の教訓がある。現代の日本人の特性にも、神話の時代から脈打って流れている精神があることを知るのは興味深い。

 日本最初の男女の神、女神イザナミは「私の体には成合わぬところが一つある」と言い、男イザナキは「私の体には成り余ったところがひとつある」と答え、互いを補い合って子をなした。つまり日本の男と女は、初めから相互補完性を有したのである。この点、アダムの肋骨からイブが作られたという聖書の世界とはだいぶ違う。

 しかし、イザナキとイザナミが「では一緒になりましょう」と誓い合ったまでは良かったのだが、女神イザナミが最初に「ああ、美しい男よ云々」と声をかけてから夫婦の契りを結んだところ、その子供は流れてしまった。そこで「女が先に言ったのがよろしくなかったのか?」と、今度は男のイザナキから「ああ美しい、いい女よ」と言ってから抱き合ったら、淡島をはじめ次々と立派な子供が生まれた。これが日本の「国生み」のお話し。やはりプロポーズは男から、男がしっかりしなくては国が亡びるという教訓でしょう。

 ちなみに「キミ」という言葉は「君」という漢字が入ってくるずっと以前からの大和言葉で、その意味はイザナキの「キ」とイザナミの「ミ」からきているそうである。互いに誘い合う男と女「キ」と「ミ」で「きみ」。「キミが代は千代に八千代に」・・・日本人とは、なんともロマンチックな民族と言える。

ハロウィン

 昨夜西早稲田の交差点を曲がったところで、顔中に血染めの包帯を巻いた男と出くわした。一瞬ギョッとしたが、その後ろから頬に切り傷のある女や、頭に斧が食い込んだ男たちがぞろぞろ出てきた。ハロウィンだ。中には笑える者もいたが、やっぱり「なんだかなあ」と思ってしまう。

 元はキリスト教布教以前のケルトの収穫祭であったとか、悪魔崇拝の名残であるとか言われ、今も西欧では子供の遊びというか習慣としてあるという。日本にも古来「新嘗祭」と言いお米の収穫を祝う祭りがある。村の鎮守のお祭りで秋の収穫を祝う祭りはほのぼのと温かい。ハロウィンも小さな子供が可愛い仮想を楽しむ分には結構だが、いい日本の大人が化け物の恰好を楽しむのはやはり「なんだかなあ」と思ってしまう。

 あれは早稲田の大学生だろうか?昨日は韓国から日本の安倍首相が呼びつけられ、南シナ海では米艦隊と中共軍がにらみ合い、ヨーロッパではドイツが難民を追い返し、ISが三百人も欧州各国に姿を消した。・・・あれは早稲田の学生だろうか・・・そうとしか考えられない。あれが将来は日本のエリートとしてマスコミや教育界や法曹界で活躍するのか?・・・なんとも情けないやら心配やら・・・でもさもありなんと納得できるやら。


 とまあ、ゴチャゴチャ文句言っても仕方がない。ゴミだけは散らかすな!
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