野伏翔日記!

劇団夜想会主宰、野伏翔の日々感じた事などをブログにて公開!

―親友より戦友!―

 桜の蕾もほころんで、もうしまっても大丈夫だろうと思いマフラーや手袋毛糸の帽子などを洗濯に出した翌日の3月20日、関東の気温が急に下がり花冷えの東京には雪が降った。東京町田市ではすでに桜が開花しており、雪と桜が同時に舞う「共演」を楽しめたと言う。

 雪と桜が同時に舞うと言えば、劇作家清水邦夫の「タンゴ冬の終わりに」という戯曲のことを思い出す。ストーリーは、全盛を極めていた中年の舞台俳優が、肉体の衰えと台詞の暗記力の低下によりノイローゼ状態に陥り、ある日シェークスピアの「オセロー」の本番の舞台上で突然引退を宣言し、郷里の北陸にある実家、古ぼけた映画館に帰ってしまうところから始まる。彼の妻は夫に正気を取り戻させようと思い、苦肉の策で、彼が書いたと見せかけた偽の手紙を出して元愛人を呼び寄せる。やってきた愛人は、今や他の俳優の主演する「オセロー」のヒロイン「デズネモーナ」を演じるスター女優になっていた。だが男にはその若い愛人が思い出せない。しかしあるきっかけで、彼は今自分がオセローの舞台上の本番の最中にいると錯覚する。同時に今目の前にいる若い女が、舞台上にいるデズネモーナに見えてきた。劇のクライマックスは、嫉妬に狂ったオセローが愛妻デズネモーナの不義を疑い、殺害してしまう場面である。男はその若い愛人の首に両の手を掛ける「見苦しいぞ!動くな、デズネモーナ!」と叫びながら・・・。そしてラストシーン、狂った元俳優は幻のダンサーたちに導かれ、タンゴを踊りながら映画館を出る。外には雪と桜が同時に乱舞していた。

 この芝居は蜷川幸雄演出、平幹二郎主演で上演され、その後イギリスでバネッサ・レッドリーブなどが出演し話題になった。私も「楽屋」「幻に心もそぞろわれら将門」などの演出で清水邦夫さんとはお付き合いがあり、ある日この「タンゴ冬の終わりに」の上演の許可を貰おうとした。だが「この劇の舞台は最初は田舎の分教場の設定で書いたんだが、蜷川君のアイデアで取り壊し寸前の映画館にしたんだよ。だから蜷川君以外の演出家に渡せないんだ」という答えだった。滅びの美学の極致を描くこのドラマに、地方の古びた映画館を舞台設定したとは大正解。さすがは天下の蜷川よ!と納得し、「よく分かりました。それなら、映画ではどうですか?」と申し出たら快諾してくれた。北陸にシナリオハンティングして私の書いた映画用のシナリオにもいろいろ意見を頂いていざ撮影という段になった時、予定していた映画会社、東宝企画が倒産してしまった。東宝創立五十周年企画「奇跡の山」という映画の興行的失敗の責任を取らされてのことと聞いた。映画用シナリオ「タンゴ冬の終わりに」は印刷されたま私の手元にある。余りにも純芸術的な企画なので、ATGの時代ならいざ知らずタイミングが難しいが、いつかチャンスがあれば撮影したいと温めている企画である。


 映画と言えば、今こそ、何としても実現したい映画がある。「めぐみへの誓い」である。横田めぐみさんや田口八重子さんを中心に拉致被害者たちの葛藤、朝鮮民主主義人民共和国と称する信じられぬほど人権を蹂躙している収容所国家の実態、同時に拉致という犯罪を許し隠ぺいしてきた日本国内の闇を暴き、更には引き裂かれても愛し合う親と子の絆の尊さ、人間の尊厳を描く感動作を世界に訴えたい。私がこの題材を舞台劇として書いたのは、2002年小泉訪朝により五人の拉致被害者が帰還したものの、その後政府認定の17名の拉致被害者に限らず、886名と予想される北朝鮮の拉致の疑いの排除できない特定失踪者たちを、ただ一人も取り返すことができない現状に一石を投じたいと思ったからである。紀伊国屋サザンシアター、俳優座劇場と、初めの二公演は自分たちでチケットを売りさばいての自主公演であったが、当時の拉致担当大臣古屋圭司氏の肝いりで、その後三年間は内閣府拉致対策本部の主催公演として全国を回り現在に至っている。お陰さまで劇場で観て頂いた人たちからの反応は良く、常に90パーセント以上の満足度というアンケート結果を頂いている。だが、いかんせん観た人の数が少ない。演劇とは空間の芸術であり、いわゆる「媒体」とは言えない。しかし映画は「媒体」でもあり世界を駆け巡るコミュニュケーションツールとして、武器としての力を持つ。

 かつてソ連はエイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」などの映画を革命成就のために有効に活用した。現代に於いても米、中、韓、その他各国が映画には力を入れて国際世論に自国の主張、自民族の歴史の正当性を訴えている。昨年韓国全土とアメリカブロードウェーで上映された「軍艦島」は、何と24億円という巨費をかけて作られている。その内容は戦前戦中の昭和二十年代に長崎県端島炭鉱で働く朝鮮人たちが、日本の労務管理者と軍人による不当な差別と強制労働に虐げられたという、事実には全く反する捏造話である。軍艦島に強制連行されてくる船の中で朝鮮人たちは船倉に押し込められ、めちゃくちゃに殴られ水をかけられる。島に着いたら眼鏡も指輪もすべてを没収され、集団生活する家は畳から海水が染み出す。だが史実はこの全く逆で、鄭忠海著「朝鮮人徴用工の手記」によると、月給は百四十円と言う当時としては高給取りで、子供たちを学校に通わせ、夜は酒盛りを開いて広島産の牡蠣やナマコ、ネーブルやミカンなどをよく食べていたという。幸いなことにこの映画出来が良くなく、あっという間に終息してくれたが、影響力のある名作を作られたら、日本にとっては極めて危険な印象操作がなされたに違いない。

 昨今所謂「従軍慰安婦強制連行」「南京虐殺」「徴用工強制労働」と言う明らかに捏造の歴史を世界に吹聴し、日本の歴史を貶め、英霊たちを辱めようとする中韓の活動は激しさを増すばかりである。習近平の権力掌握により益々外に敵を作らなければならない宿命を背負った中共。南北統一により核を持った一大反日国家高麗連邦の誕生も危ぶまれる昨今、日本が道徳的、人道的に許せない国家であるという自国民及び世界各国への印象操作は、彼らの日本国家及び日本民族殲滅の大義となり得る。
全体主義、独裁主義の国に比べ我々自由を尊ぶ民主主義国家では、反対者の意見も聞くため全ての決定が遅いという弱点がある。映画制作でも、敵は国及び国主導の企業グループが制作資金を出す場合が多い。だが例えば日本で国が映画に資金を出したら、それは一般の映画館で入場料を取って上映するわけにはいかないという難しさがある。

 そこでこの度秋田県の「救う会秋田」の人たちが中心となって「映画めぐみへの誓い実現プロジェクト」なるフェイスブックサイトを立ち上げ、運動を開始している。資金集めからロケ協力、宣伝、動員の協力などを真剣に討議してくれている。キャッチフレーズは「僕らはミサイルは打てないが、エンターテイメントを武器にする!」「政府も、マスコミも、映画会社も、誰もやらない。ならば俺たちがやるしかない。義のための映画作り!!」と頼もしい。舞台公演で全国を回り私は各地に素晴らしい知己を得た。地方には拉致という同胞の悲劇を自分の家族の不幸と捉え、愛する日本国の存続と繁栄のために真剣に粘り強く行動している、しかも極めて優秀な人材が数多く存在する。この人たちとスクラムを組んでいく限り、日本がやすやすと中韓の餌食になどなる筈がない!と思える日本人たちである。そして本紙の存在意義も彼らと同じくその点にあると思う。

 男にとって真に必要な友は、親友ではなく、戦友である。

映画「めぐみへの誓い」実現に向けて

この度、映画「めぐみへの誓い」を企画し、シナリオを執筆したところです。

「拉致問題は決して過去の事件では無く、現在進行形の拉致監禁の悲劇である」という視点から、映画では目の前で起こる北朝鮮工作員たちによるリアルな拉致シーンをドキュメンタリータッチで表現します。

人間の尊厳と自由を奪う収容所国家北朝鮮の現状を告発し、それでも生き抜き日本への帰還を切望する、横田めぐみさんたち拉致被害者たちの胸を打つ数々のシーン、そして絆を引き裂かれた家族の尊くも痛切な思いを描きます。

今、朝鮮半島がどう動くか?と世界中が注目しています。米朝接近か?決裂か?高麗連邦成立か?第二次朝鮮戦争勃発か?正直言って誰にも分かりません。

しかし、何としても世界中の人々に理解して欲しい事は、北朝鮮という異様な国家の現実です。北朝鮮とは、あらゆる人々の自由を奪い、公開処刑、強制収容所での奴隷労働を強いるキム家の繁栄だけを守る中世的独裁国家でり、対外的には核ミサイルの脅威だけでは無く、暗殺、テロ、偽札作り、そして拉致を繰り返す犯罪国家であるという事実です。

このような体制を許す事は人類の恥であり。800人以上の同胞を奪われたままのわが日本は、何としても声を大にしてこの不正を世界中に告発し、同胞を救出しなければなりません。

内閣府の調べでは、この演劇での公演は毎回満足度90パーセントを超えるアンケート結果が出ているそうです。もしこの演劇に勝るとも劣らない感動を呼ぶ映画ができ、外国の映画祭に出展すれば、必ず世界中で拉致被害者救出を後押しする声が湧き上がる筈です。そう思いこの映画を企画しました。

然しながら、拉致問題に関わる事を躊躇する企業は多く、俳優の出演交渉なども他作品に比べると困難が予想されます。だからこそ、やらなければならない事と思います。

応援の程よろしくお願い申し上げます。

日本を奪還

 最近は差別的とされトンと聞かなくなった「裏日本」という呼称がある。太平洋側が表で、日本海側を裏というのは確かに失礼な気もするが、今年は日本海側が日本の裏側であることが痛感された年であった。昔から泥棒は表玄関からではなく裏庭からこっそり入ってくる。

 先日福井県小浜市に「めぐみへの誓いー奪還」の公演に行ってきた。東京発の新幹線を米原で北陸本線に乗り換えて敦賀で下車、バスで約一時間走って小浜市のホテルに着いた。ホテルは日本海の海岸に面していて、寄せては返す潮騒の音が窓を閉めても微かに聞こえてくる。すぐ近くに小浜公園という立派な公園がある。春は桜が咲き乱れるという公園の展望台からは若狭湾が一望できる。1978年7月7日、地村さん本人の証言によるとこの小浜公園展望台で、地村保志さんと当時は婚約者であった浜本富貴恵さんが北朝鮮に拉致された。七夕の夜、星を見に来た二人はその一週間前に結納を交わし秋には結婚する予定だった。犯人は四人組だった。展望台の一階ベンチにその四人組はいた。駐車場にある自分の車から煙草を取ってきた地村さんは二階の富貴江さんの元に戻ったが、何となく嫌な予感がしたので帰ろうとして立ち上がった。と、目の前にさっき見た四人組が立っていた。階段を昇ってくる足音は全く聞こえなかったそうである。次の瞬間地村さんと富貴恵さんは倒されうつぶせにされて口には猿ぐつわ、後ろ手に手錠をはめられ、両足も縛られた。顔に袋をかぶせられた。そして男たちの肩に担がれ浜に運ばれた。息が苦しかった。工作員が息ができるようにと、袋の布をナイフで裂いてくれた。その裂け目から見えた風景は、両脇に岩、正面には真っ黒な海、その奥に漁火が光っていたという。
 その地村保志さんがこの度の小浜公演を観に来てくれた。芝居が始まる前の式典で地村さんはご自分の体験を踏まえて拉致被害者の救出を訴えた。私も作品解説のために壇上で話をしたので、ご挨拶する前からお互いがお互いを知っていた。芝居が跳ねて楽屋に飛んできた地村さんは開口一番「あの田口八重子さん、本人そのままですね。いつも明るく張り切っていて、突然泣き出すところが、そっくりです!」と驚いておられた。このシナリオは横田めぐみさんのストーリーを縦軸としながらも田口八重子さんについても金賢姫(キムヒョンヒ)との交流の場面を設定して時間を割いている。田口八重子さんは三歳と一歳の幼子を日本に残したまま北朝鮮に拉致された。23歳の若い母親が拉致されてきた当時は、泣きながら自分で自分の乳を絞っていたという。その田口さんと地村さんご夫婦は一時北朝鮮の招待所で同居していたそうである。であるから地村さんが田口さんの性格をよく知っているのは当然である。そして私の書いて演出している田口八重子像はそのほとんどが金賢姫の証言と著作を信じて作ったものである。つまり金賢姫が拉致被害者田口八重子さんから日本人化教育を受けていたことは間違いなく事実と言うことである。北朝鮮は現在に至るも1981年の「大韓航空機爆破事件」への関与を否定し、金賢姫とは北朝鮮に存在したこともない人物である。金賢姫という女の言っていることはすべて韓国のでっち上げであると主張しているが、このような恥知らずの嘘は、いとも簡単に暴かれるのだ。

 芝居の終わった夜、劇団のスタッフたちと町に食事に出た。小浜駅に向かって十五分ほど歩いたが、見事に人っ子一人いない。小浜市は原発があるせいか町はきれいに整備されている。城下町らしい格子戸のある店が並び、その風景には不似合いな派手なイルミネーションの通りはあるが、とにかくすれ違う人がいない。中心部から少し離れると真っ暗な闇に自分たちの足音しか聞こえず、今にも北朝鮮の工作員に取り囲まれそうな気がする。小浜に限らず秋田でも感じたが、地方の過疎化は深刻である。特に日本海を隔てて朝鮮半島と対峙している裏日本では、今年だけで千を超える漂着船があったという。夜陰に乗じて工作船で日本に侵入することなど、北の工作員たちにとっては昔から朝飯前のことであったのだ。アメリカの二倍以上と言う長い海岸線を持つ我が国への侵入を完全に防ぎきるのは難しい。だからこそ侵入者には厳罰で処さなければならない。今に至るもスパイ防止法さえなく、領海内の漁場を荒らされても警告と放水ぐらいしかできない日本と言う国は、どう見ても国民の命と財産を本気で守ろうとはしていない。
 明治の昔、台湾で琉球の人間が殺害される事件が起きた。その時清国の北京に乗り込んだのは大久保利通全権であった。大久保は清国に謝罪と賠償を要求し、それを拒否した清国政府に対し、それならば清の台湾に対する支配権を認めぬ。と実際に軍事力を持って台湾に報復した。またロシアに対しては、樺太のアイヌ女性強姦事件に際し榎本武揚公使が一歩もひかずに謝罪と賠償と実行犯の引き渡しを要求し、押し通した。当時日本よりはるかに大国であった清とロシアに敢然と立ち向かい、琉球とアイヌという日本の辺境の民に対してさえ分け隔てなく持っていた、当時の日本人の同朋意識に私は感動する。これこそ真の八紘一宇の精神ではないだろうか。「たった一人の同胞の人権を守るためには総力を挙げて立ち向かう」これが文明国としての矜持を持つ近代国家間の国際法である。憲法9条に縛られた現在の日本は国際法にも違反している。

 この原稿を書いている12月19日、これから「めぐみへの誓いー奪還」の公演のため宮城県多賀城市に出かける。つい最近拉致被害者増本るみ子さんの母信子さんと、曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんが亡くなられた。横田めぐみさんの父横田滋さんや田口八重子さんの兄飯塚繁雄さんたちも、ご高齢のため公演に同行してくれることも少なくなった。空しく時だけが過ぎていく。だが拉致の問題は決して時が解決してくれることはない。北朝鮮による拉致の疑いの濃厚な特定失踪者の数は、警察の発表でさえ880数名に上る。このまま拉致された同胞を救い出すことができなければ、我が国は主権の放棄を世界に宣言するに等しい。そのあとに来る事態は、想像もしたくない。

 今年こそは何としても全拉致被害者奪還の年にしたい。そして日本を奪還したい。

花も嵐も踏み越えて

 10月21日土曜日、東京虎ノ門にあるニッショーホールで「正論シネマサロン」が開催された。この映画会は毎年一度産経新聞社が主催しているもので、昨年も日本トルコ共同制作映画「海難1890」と言う社会性の強い映画を上映しているが、今年は拉致被害者横田めぐみさんが13歳の中学生だった時新潟の海岸から北朝鮮に拉致されて丁度40年と言うことで、私の作った「めぐみへの誓い」を上映した。この作品は正確には映画ではなく舞台劇の記録映像である。私は自分の作った舞台劇の記録映像を見ることは先ずない。舞台劇は劇場と言う空間で演者と観客が作り出す濃密な空気を共有する喜びにわざわざ劇場まで足を運ぶ価値があるのであり、記録された映像には舞台照明の微妙な色具合で光と闇の奥に想像するプラスアルファ―の何か、と言うものがなく、映像を見ることによって本来の舞台劇の鮮明な記憶が薄れることを恐れるからである。だから本来映像は映像を目的に創られた「映画」でお観せしたかったが、現時点ではこの舞台映像で我慢して頂くことになった。

 この「めぐみへの誓い」と言う舞台劇は2010年に私の主宰する劇団夜想会の自主公演として上演したものである。その二年後に加筆しタイトルを「めぐみへの誓いー奪還」として再演。その公演を観た当時の拉致問題担当大臣古屋圭司氏の発案で、現在は内閣府拉致対策本部主催の啓発活動としての公演で全国を回っている。
 さて当日は衆議院議員選挙投票日の前日、しかも大型の台風が東京に接近とあって朝から雨風が強く観客の入りが危ぶまれたが、まずまずの人数が入った。上映に先立ち私は短い作品解説をし、その後客席に移りこの映像を鑑賞した。作品は心配していたより丁寧に編集されておりほっとした。内容は横田めぐみさんと田口八重子さんを中心に被害者とその家族の悲劇と救出に向けての戦いを描いたものであるが、外務省の怠慢や心ない政治家の姿、無知で理解のない自称リベラリストの心無い中傷と妨害等、日本国内の敵の姿も遠慮なく暴いたものであり、上演後、壇上で講演された元サンケイ新聞記者の阿部雅美氏も「皆さんこの作品は二回観ましょう。辛くなるので三回は観なくていいから二回観てください」と仰っていた。
 阿部氏は1980年に日本で最初に「拉致問題」の存在を記事にした新聞記者である。その功績は私の芝居でも明らかにしているが、拉致の存在に気づきながらも触らぬ神に祟り無しとばかりに無視し沈黙を続けてきたメディアの中にあって、「アベック三組謎の蒸発」の記事を書いた阿部雅美氏と「これでも白を切るのか北朝鮮」の著者大阪朝日放送の石高健二氏の存在がなかったら、拉致の存在は更に長く闇に葬られたままになっていたかもしれない。
 北朝鮮による日本人拉致は古くは1963年能登半島沖で漁に出たまま拉致された寺越武志さんから始まり、70年代がそのピークであった。現在の警察による「拉致の疑いの排除できない日本人行方不明者」の数は860数名、国連の人権委員会の発表では優に千人を超える拉致被害者のいる可能性があるという。そして1980年には阿部氏が記事を書き、1988年には梶山静六国家公安委員長が国会で拉致の存在を認めているにもかかわらずメディアは拉致の存在を無視し、2002年小泉訪朝時に金正日が拉致の事実を認めるまでは拉致事件をあくまでも「拉致疑惑」と称していた。朝鮮労働党の友党であった社会党や共産党は言うに及ばず、当時の自民党の古狸議員も同罪である。訪朝時に拉致に全く言及しなかった金丸信は勿論、横田早紀江さんたちの必死の懇願を無視して野中広務、河野洋平、加藤紘一と言った議員たちの推進したコメ支援の額は、何と1673億円にも上る。この米が北朝鮮の人民に行き渡るわけはなく転売され、核開発に使われたことに間違いはない。
 拉致問題を探っていくと、戦後日本の醜悪で卑劣な裏面に突き当たる。当時の日本政府はシン・ガンスという、日本人原さんを拉致した大物スパイが韓国で逮捕されてもその罪を追求しようとせず、菅直人に至ってはシンの助命嘆願書にサインまでした。韓国情報部から田口八重子さんの情報を受けているにもかかわらず、北朝鮮の「そんな女はいない」の一言であっさり引き下がる。朝鮮銀行が破綻した時我が国は日本国民の血税を1兆4000億円も注ぎ込んでいる。これは日本人一人当たり1万円を超える額である。どう考えても異常である。様々な利権と、捏造された歴史観に対する間違った贖罪意識が拉致問題をここまで長引かせ、マスコミを牛耳られ、芸能界を食い物にされ、教育を破壊され、政界に進出され、今や法曹界まで支配されつつある。 北朝鮮の核ミサイルによる脅威が表から迫っているが、裏では様々な工作活動が進行し、今や半ば成就していると言っても過言ではない。戦いはとうに始まっているのだ・・・・!


 この「正論シネマサロン」と同時にもう一つの演劇公演があり、実は昨夜が千穐楽だった。「黄昏のメルヘン」と言って戦前から戦中を通しての、ある作家夫婦の愛の葛藤を描いた純文学的な作品であった。特に歴史や政治と関係があるわけではないが、「愛すれば時には身を引くことも愛」という日本的美徳に溢れる芝居だった。劇中古い歌謡曲が数多く流れるが、今もこの歌詞が私の中でリフレインしている。
 「花も嵐も踏み越えて  行くが男の  生きる道  〜」


ゴー フォア ブローク=当たって砕けろ

 先月末の4月22日を以て、ハワイのホノルル国際空港がダニエル・K・イノウエ国際空港と改名された。ハワイといえばアメリカ人にとっては決して忘れることのできない真珠湾攻撃を受けた屈辱の地である。その州都にあり世界中から観光客の訪れるホノルル空港を、日系二世であるダニエル・K・イノウエ氏の名前に変えるとは正に奇跡的なことである。私たち日本人もその理由を、彼の偉業をもっと理解したいものである。

 オバマ元大統領はイノウエ氏の訃報に際して「米国は真の英雄を失った」と哀悼の意を捧げた。ダニエル・K・イノウエ(以下敬称略)は、アメリカ大統領継承順位第三位という地位にまで上り詰めたハワイ選出の上院議員。氏は長きに亘り日米関係の調整に力を尽くし、まともな軍事力を持たないまま中国の脅威に晒されている現在の日本の防衛を常に懸念していたと言う。
 ダニエル・K・イノウエ=本名・井上健は1924年ハワイ州ホノルルで日系2世として誕生した。彼はハワイ大学で医学を専攻していたが、真珠湾攻撃に始まった日米間の戦争で日系人は差別と迫害を受けることになる。そしてアメリカ政府は日系人のアメリカ国家への忠誠を試す意味と敵性移民隔離の目的で、日系人だけの部隊を編成することになり志願兵を募集した。多くの日系二世と同じくイノウエもこの日系人部隊を志願した。アメリカの二級市民として屈辱の人生を歩むよりは、命に代えても日系人の誇りを守り、日系アメリカ国民としての名誉を打ち立てようとしたのだ。
 この日系人部隊をハワイ臨時大隊=第100大隊と言ったが、後にアメリカ本土で徴収された部隊と合体し442部隊となる。442部隊は主にイタリア戦線でナチスドイツの軍隊と戦ったが、アメリカ軍の歴史上最も大量の勲章を受けた連隊となった。彼らの合言葉はゴー フォア ブローク=当たって砕けろ。正に命知らずの軍団であった。受けた勲章の数は合計一万八千百四十三。名誉勲章一、殊勲十字章四十七、銀星章八百十、名誉負傷章三千六百・・・。その代り九千四百八十六人が死傷し、その内六百名が戦死している。イノウエも大尉としてドイツ軍の陣地を攻略。右腕を吹き飛ばされながらも部下を指揮して敵の稜線を占領している。442部隊がアメリカ中にその勇名を馳せたのは、テキサス大隊の救出に成功した時である。ドイツ軍に包囲され絶体絶命のテキサス州部隊を救出することはどの連隊にも不可能であった。しかし442部隊は見事に戦い友軍を救出した。しかし211名のテキサス大隊の白人将兵たちを助けるために、442部隊の日系人216名が死傷し、600名は手足を失った。・・・壮絶の一語に尽きる。彼等は皆日本の武士道精神を持って、アメリカという祖国に忠誠の証を立てたのだった。

 私は戦後日本が外国から攻撃を受けてこなかった理由は、間違っても憲法9条のお陰などではなく、また米軍の核の抑止力だけでも無いと思っている。現在の日本が未だ諸外国に一目置かれる存在だとしたら、それは特攻作戦まで敢行して最後まで戦い抜いた過去の日本人たちの敢闘精神への畏怖の念の賜物だと思っている。そしてこの442部隊の鬼人の戦いぶりも又欧米人たちに衝撃を与え、日本人という人種に対して畏敬の念を抱かせたことは確かである。

 そしてもう一人、この442部隊で戦った日系二世に特筆すべき人物がいる。モンタナジョー、またの名をトーキョージョーと呼ばれた人物だ。イノウエの本名は井上健だが、この男は衛藤健という。偶然に二人とも健さんである。戦闘で片腕をなくしたイノウエは戦後医者になる夢を断念し、政治の道を邁進することになるが、この男は違う。何と、シカゴマフィアの大幹部になってしまったのだ。
 衛藤健こと後のモンタナジョーは、1919年カリフォルニア州生まれの日系二世。父は日系移民に対する日本人宣教師であったが、14歳の時に家を飛び出して放浪する。ブランケットボーイと呼ばれる、毛布を担いで大農場を転々と移動する季節労働者となるが、その間に博打と喧嘩の腕を磨いた。そして真珠湾攻撃による日米開戦。アメリカ本土の日系人はハワイの移民たちよりも更に過酷な差別を受けた。敵国日本のスパイの可能性があるとして私有財産を取り上げられ、砂漠の真ん中の強制収容所に叩きこまれた。連日炎天下での重労働。番兵の白人たちにジャップ、ジャップと小突き回される毎日であった。そんなある日、日系人だけの軍隊442部隊の志願者募集があった。ハワイでは三千人の定員に対して約一万名の応募があったが、本土ではアメリカ政府の理不尽な仕打ちに対して反発する者も多く。定員を千五百人に設定したが、志願したのは千百八十一名であった。だが収容所にいたモンタナジョーは迷わず志願した。アメリカへの忠誠の為などではない。自由を得たい一心からであった。
 そして終戦。戦後間もなくは442部隊の英雄たちも敗戦国のジャップと蔑まれ、再び酷い差別を受ける。イノウエはそんな日系人や他の人種的マイノリティーへの差別を撤廃しようと、真正面から政治家としての人生を突き進んだ。一方モンタナジョーは、モンタナファミリー7人衆と呼ばれる日系人不良グループを結成。イタリアンマフィアの世界に殴り込みをかけていく。そしてシカゴに十件以上のカジノバーを開き、自家用飛行機を乗廻す羽振りの良さだったが、麻薬と売春にだけは手を汚さなかったという。そして1882年、ジョーは突然FBIの公聴会でイタリアンマフィア社会の全貌をばらしてしまう。マフィアの掟は組織の秘密を守ることにある。裏切り者のジョーは頭に二度の銃撃を受けたが奇跡的に助かり、FBIの保護観察の下静かにその人生の幕を閉じた。ジョーの行動は謎に満ちている。宣教師の父との決別、イタリアンマフィアへの裏切り・・・劇作家的興味は尽きない。いつかこの二人の物語を書いてみたい。

 ダニエル・K・イノウエとモンタナジョーの生き方は正に対極、表と裏の人生を歩んだ。しかし私はこの二人に共通する男の潔さに惹かれる。巨大な白人社会に徒手空拳の戦いを挑んだ小さな日本人、いや日系アメリカ人の心意気に敬礼する。

 ゴー フォア ブローク!・・・・・大和魂よ永遠に!

力無き正義は無力なり

 4月18日に来日したアメリカのペンス副大統領は、安倍首相との会談の後の記者会見で「平和は力によってのみ達成される」と言い放った。ニコリともしないペンス氏は、現代の日本人にはなじみの薄い「非常時」の気配を漂わせていた。彼の言う「力=FORCE」とは軍事力の意味に他ならず、これまで「軍事」と「平和」とを、対立する概念としか捉えてこなかった我が国マスコミ人にとっては、ショッキングな一言であったようだ。にも拘わらず私がテレビで見た限りでは、誰もこの言葉を正面から全否定はしていない様子である。誰もがこの言葉の中にある真実を、いやいやながらも認めざるを得ないからであろう。

 「平和は力によってのみ達成される」・・・第二次大戦の敗北以降、まれにみる平和を享受してきた多くの日本人にとっては抵抗のある言葉であろう。しかし戦後長きに亘る日本の平和とて、特攻攻撃に代表される日本軍人と一億国民の玉砕を覚悟した奮戦に、恐れと畏敬の念を抱いた戦勝国の宥和政策により得たものである。ペリーの砲艦外交に開国を決意し、明治から昭和にかけて、清、ロシア、アメリカ、シナ、イギリス、オランダという世界の強国と戦い抜いてきた「力」が全く無かったとしたら、日本人もオーストラリアのアボリジニと同じように、狩猟動物の代わりに白人たちのハンティングの獲物になっていたかもしれない。

 平和の維持に力が必要なのは国内の刑事事件においても同様である。犯罪の抑止に刑罰は欠かせない。千葉県でベトナム国籍の小学生の少女リンちゃんが誘拐され、殺害され死体遺棄された。体には性的暴行を受けた痕跡があった。逮捕された容疑者は子供たちの登校を見守る保護者会の会長というのだから救いようのない事件である。このような悪魔的な猟奇趣味を持つ変質者は、実は非常に多い。幼い少女の手足を切り落として喜ぶような劇画の出版がビジネスとして成立している。破李拳竜の「プリティエグゼクタ―」、大塚英次の「多重人格探偵サイコ」などはその代表的なものであり、映画でもヒット作「鉄男」などのスプラッターものというジャンルがあり一定のファン層が存在する。実は私も昔一度だけそういったビデオ映画の撮影に立ち会った経験がある。その世界ではスター扱いをされている原作者が監督をしたものの、映画経験がないため実際の撮影が進まず、版元になる会社に頼まれて監督の補佐に出かけたのだ。撮影の遅れを取り戻すために毎日が徹夜に近いスケジュールとなった。ある夜、というか朝の四時近くであったがその日の解散を告げると、原作者の取り巻きで助監督のようなことを手伝っていた連中に「これからいいことをしますから撮影してください」と頼まれた。聞いてみると、人間の生首の模型を二つ用意してあり、この人形の目をくり抜くシーンを撮りたいという申し出であった。「そんなシーン台本にないぞ、解散!」と言って帰り支度をしていると、撮影はあきらめた連中五六人と原作者が、奇声を発しながらその首人形を破壊しにかかった。原作者が長髪を振り乱しながら人形の両目に手指を突っ込む。目から血が吹き出す。頭を床に叩きつけ踏み潰すとぐちゃりと脳みそが飛び出す。暴行の度に連中が悦びの奇声を発する。脳みそは豆腐に劇用の血糊を混ぜて作ったそうだが、私はこのような人種がこの世に多く存在する事実を目の当たりにして、誇張抜きに背筋にゾゾーッ!と悪寒が走った。

 つまり、猟奇的殺人を犯しかねない人間は相当数いるということである。発行部数から見ても国内だけで一万人近くの変質者予備軍が存在するであろう。そして彼らの犯罪を抑止するためにも矢張り「力」が必要である。無抵抗の少女を凌辱し殺害するような大人は厳罰に処すべきである。だが、日本の刑法は異常に軽い。このような事件を犯してもそれが初犯である場合、懲役十五年以上の刑が普通の判例であり、死刑や終身刑になる可能性は殆どない。又、以前「女子高生コンクリート詰め殺人事件」という最悪のリンチ殺人事件があったが、複数の犯人が一人の人間をなぶり殺しにした場合、まず極刑になることはない。
 これはどう考えてもおかしい。殺された親の気持ちは当然犯人を殺しても飽き足りない筈だ。明治になるまで、日本の武士は身内を殺されたら仇を討つ義務があった。現代のように情報も交通手段も未発達の時代に仇を探し出し討ち果たすという過酷な義務があったのだ。しかし明治の世になり仇討禁止令が出されてからは、国が法の裁きにより仇討を代行するという、国民との約束がある筈である。私は法律に関しては素人だがこう考える。日本の裁判は、その論理の出発点が間違っているのではないかと。裁判が加害者にも人権がある。というところから出発し、なぜこんな事件を起こすに至ったのか?原因はどこにあったのか?家庭か?社会か?と推理し弁護していく。これってどこかで聞いたことがある。・・・「人は家庭から、社会から、国家から抑圧されている。そこからの開放こそが人間を自由にする」という考え。正に左翼の論理なのである。
 自分のかけがえのない子供を凌辱され殺害された親に復讐の権利を与えず、加害者の「人権」を守る現代社会よりは、「卑怯」を断罪する江戸時代の方が日本人は幸せだったのではないだろうか。
 死刑でも軽すぎる。そう絶対に死刑でも軽すぎるのだ。しかし今更獄門、磔、市中引き回しの刑が復活するとは思えない。公開銃殺なんていうのも北朝鮮のようで悪趣味である。  

 ところでヨーロッパには死刑廃止の国が多いが、これがあながち人権の擁護という意味ではないと耳にした。ヨーロッパにおける「終身刑」とは、「死刑くらいで楽に死なせてなるものか!」という発想から出てきたものだそうである。罪を悔い、反省させて尚、一生陽の目を見ることの出来ない過酷な生活を遅らせることにその目的があるそうだ。そうだとしたら・・・一考に値する。

 リンちゃんを始め、変質者の毒牙にかかり恐怖の中に命を失っていった全ての子供たちのご冥福を心から祈りたい。そして我が国が同胞を守り、救い、平和を達成するための「力」を持つ社会になることを切に祈る。

生い立ちを振り返って・・・

 平成29年、世界が激変する。1月21日、アメリカではトランプ新大統領が就任した。翌22日、大関稀勢の里が優勝、19年ぶりの日本人横綱が誕生する。そして今日、この原稿を書いている1月23日、小生は65歳の誕生日を迎えた。晴れて高齢者の仲間入りである。フェースブックをやっていると自動的に誕生日が広報され、朝から知っている人や知らない人からまでお祝いのメッセージが届いている。元々誕生日なるものがあまりありがたいものとは思わない私ではあるが、節目の年齢でもあり、一年前にこの世に私を生み出してくれた母が他界したこともあり、たまには自分の生い立ちを振り返ってみたいと思う。

 昭和27年と言えば、20年の終戦から7年間と言う長きにわたった進駐軍の支配がようやく終わり、サンフランシスコ条約に調印して日本がようやく曲がりなりにも独立を手にした年である。お産は自宅でお産婆さんの手によるものだったという。家庭用の暖房は火鉢がせいぜいの時代であり、親父は外で七輪を使ってお湯を沸かしていたそうだ。生まれたのは茨城県の古河市だが、我が家は古河の人間ではない。元々は結城紬で知られる結城市外れに室町時代以来の、本名野口家のやけに広い墓がある。言い伝えによると京の足利幕府に盾突き、鎌倉を追われた関東管領足利持氏の子春王、安王が結城市の庇護を受け、名を野口と変えて、結城近在にある桑絹村の庄屋として生き延びたという。と言って証拠があるわけではないが、墓場を守るように無縁仏たちがうちの墓を囲んでいるので、当時戦死した郎党たちを供養したのかなと勝手に思っている。ではどうして戦後はそこにいなかったかと言うと、戦前から戦中にかけて我が家は朝鮮にいたからである。明治生まれの私の祖父は、幼年学校から陸軍士官学校を出た筋金入りの職業軍人であった。二二六事件で暗殺された永田鉄山の同期である。このお爺さんがシベリア出兵後の軍縮で退役し、当時できたばかりの京城帝国大学に日本史の講師として赴任した。大学には軍服を着て、毎朝馬蹄が馬ひいて迎えに来ていたそうだから、所謂配属将校と同じであろうが、大学の場合は配属将校とは呼ばず先生と呼ばれていたそうである。日本史は勿論徹底した皇国史観であった筈である。だがその息子である私の父は体が弱い文学青年で、なんと徴兵試験に丙種失格。軍隊には入れず朝鮮総督府に勤務していた。


後世特別ノ御高配ヲ

 
 沖縄県浦添市で、拙脚本演出による「めぐみへの誓いー奪還―」の公演があり、12月20日前後の五日間沖縄に行ってきた。警察が北朝鮮による拉致の疑いが排除できないとする「特定失踪者」の数は沖縄県では34名に上る。これは人口比率で見ると石川県に次ぎ全国第二位の数である。
 会場の「てだこホール」は客席数千百の大劇場。音響や照明の設備も良くデザインも美しい、全国レベルで見ても有数の素晴らしい劇場であった。因みに「てだこ」とは「太陽の子」という意味であり、古代琉球の時代が始まった時に王子が生まれた土地、と言う言い伝えがあるそうだ。その立派なホールでの公演だったが、観客の動員はちょっと寂しく七割弱と言ったところ、これまで全国どこで公演しても満席であったので、少々残念に思いその原因を探ってみた。

 どうも沖縄県の人たちは、拉致問題は他府県の問題と捉えていて、34名の被害者の存在を知る人など殆どいないようである。これは被害者家族の必死の訴えを無視する、沖縄県の行政とマスコミの怠慢に他ならない。通常地元紙は公演の取材に来るものだが、沖縄タイムズ、琉球新報と言う地元では有力な新聞が今回の公演には来なかった。おそらく公演の告知にも協力しなかったのだろう。それどころかこの公演は内閣府拉致対策本部と沖縄県の共催であった筈だが、当日県知事も副知事もその代理も姿を見せず、一通のメッセージも届かなかった。県による完全無視である。公演に協力してくれたのは、保守系の浦添氏の市長だけと聞いている。基地問題以外に県民の興味を向けさせたくないという意図があるのか?それとも政府のすることには一切協力しないという意思表示なのか?とにかく今の沖縄県政が、拉致の疑いのある34名の県民の命を真剣に考えていないことは確かである。

 それでも本番は熱い反応に湧いた。初め私は役者がアドリブを言ったのかと思ったがそうではなく、登場人物の台詞に対して客席から声が飛んだのだった。「日本に帰りたいね・・・」等と言う役者の台詞に対して「そうだ!」「頑張れ!」「帰ってこい!」と客席から激しくも悲痛な声が上がった。終演後、私に涙ながらに握手を求めてきたその声の主は、お兄さんを拉致されたご家族の方であった。
 国からの補助金が格別に多い沖縄の街は、どこも清潔で美しかった。夜の国際通りも明るくて女性や子供でも安心して歩ける。公演後はレンタカーを借りて沖縄本島を回った。夜は居酒屋で人々の声に耳を傾けたり現地スタッフたちと食事したりしたが、ニュースで見る反基地闘争をしている活動家たちと同じ沖縄県民とは思えない、南国的な落ち着いた感じの人たちが多く見受けられた。
非礼にも、米軍基地の一部返還のセレモニーを欠席してまで翁長知事がこだわるオスプレイとは、抜群の航続力と運搬力を持つ離島防衛には最適な軍用機である。アメリカでは大統領を運ぶ。事故の危険が多い筈はない。つまり翁長知事はオスプレイの配備を中共が嫌がるから嫌がっているのであり、中共が怖がっているから怖がっているに過ぎない。あまりにも分かりやすい翁長知事の行動は、いくら沖縄二大新聞がヨイショしようと、県民の多くからその肚を見抜かれる日も近いのではないかと思われる。

 中国共産党は沖縄を革新的領土と公言し、琉球独立を唆す。だが沖縄の方言は紛れもない日本語の文法であり万葉の日本語と通ずる部分が多い。チャイナ語とは根本から違う。明への朝貢の時代は確かにあったが、それを言うなら足利幕府の足利義満も朝貢したことはある。おおらかで優しく明るい大多数の沖縄の同胞たちを、ウイグルやチベット、南ウイグルのように文化を抹殺され、民族を根絶やしにする悲劇に合わせるわけにはいかない。
琉球処分に始まる数多くの沖縄と本土との確執、沖縄県人から見た本土への不信、戦中の日本軍、戦後の米軍基地の問題を、彼らの一部が日本本土からの「差別」と捉えていることは私も知らないわけではない。しかし安室奈美恵や仲間由紀恵などを通して沖縄を知った現代の若者たちにとって、今の沖縄県民に対する「差別」などは思いもよらないであろう。
 大東亜戦争末期、人口43万人の沖縄県民は、その総人口を上回る米軍将兵54万8千人を相手に徹底抗戦を試みた。米軍による無慈悲な爆撃と火炎放射器で家屋や財産を焼き払われても尚、婦人、女学生、子供たちまでもがその持てるもの全てを投げ出して、日本の守備隊に協力して戦い抜いた。それは決して日本軍による強制の結果ではない。大日本帝国沖縄県民としての誇りと日本防衛の責任を背負い、日本人としての自己の存在を証明するための、命を捨てきった激闘であったのだ。
 当時の海軍司令官・太田実少将の最後の電文は「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」というものであった。私たちは今一度この言葉を思い出し、真の八紘一宇の精神で沖縄の問題を考えたいものである。


 沖縄から東京に戻った翌日23日の天皇誕生日に、沖縄県那覇市では今上天皇陛下の誕生日を祝うプラカードと日の丸を掲げた一団の行進があった、とフェースブックの記事と写真で知った。・・・暖かい南国の風が届いた。


三越劇場「リア王」公演を終えて

「リア王」の稽古を続けたこの梅雨の時期は、前都知事の辞任劇に始まり、参議院選、新都知事選と続く政治の季節であった。海外では英国のEUからの離脱の決定、無差別テロの続発、一触即発の南シナ海、と解決の見通しが立たない対立が激化し、世界は先の見えない不穏な時代に突入した。

「リア王」という芝居は、古代ブリテンにおける王国の崩壊のドラマであり、野望と陰謀の渦巻く暴虐の世界を描いた政治劇の一面がある。栄光を極めた権力者の挫折と転落。裏切りのし上がろうとする側の黒い情念。裏切られた者の悲哀と絶望・・・。昔も今も、人間の業の深さという奴は変わりのないものである。人は性懲りもなく争い、殺し合いを繰り返す。 


それでも私たちはこの「リア王」という演劇に触れ、どこかに精神の浄化を感じることができる。それはコーディ―リアやケントといった役によって表される、どんな汚濁に満ちた世界にも咲きつづける「善性」への深い共感であり、「愛」への信仰にも似た思い故に他ならない。


劇中、落魄し狂ったリアが語る「人間、生まれてくる時オギャアオギャアと泣くのはな、この阿呆どもの世界に引き出されたのが悲しいからだ」・・・。だがそれでも尚四百年の時を経て紗翁(シェイクスピア)は、この壮大な悲劇を通して私たちを励まし続けてくれているような気がする。
「人生は生きるに値するものである」・・・と。

夜想会ラジオシアター開設!

 来る7月1日より毎週金曜日の夜10時45分から11時まで、FM世田谷でレギュラー番組を持つことになった。その名も「夜想会ラジオシアター」最初の1クール3か月は「日本の神話」のラジオドラマだ。大人がきいても楽しめる、面白くてちょっと知的な刺激のある神話の世界を紹介したい。


 夜想会から育った声優は多いが、今回はスサノウノミコトに宮内敦士。ヤマタノオロチにアニメ「NARUTO」のオロチまるのくじら、というキャスティング。夜想会の若手声優たちもメインキャストで多数活躍する。番組にはトークコーナーもあるので、順次紹介していく。

 ラジオは懐かしい。我々の学生の頃は、なっちゃんちゃこちゃんの「パックインミュージック」とか城達也の「ジェットストリーム」なんてのが人気があった。学生はテレビなんかより、ぜひラジオを聞いて想像の世界に羽ばたいてもらいたいものだ。今の時代世田谷という地域に限らず、スマホでもアイコンに設定すれば世界中で聞けるそうなので、気合入れて楽しい番組を作りたいと思っている。ちなみに私は脚本と演出。プラス爺役でちょこっと声の出演も予定している。
GyaOデイリーランキング総合ベスト5
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ