先月末の4月22日を以て、ハワイのホノルル国際空港がダニエル・K・イノウエ国際空港と改名された。ハワイといえばアメリカ人にとっては決して忘れることのできない真珠湾攻撃を受けた屈辱の地である。その州都にあり世界中から観光客の訪れるホノルル空港を、日系二世であるダニエル・K・イノウエ氏の名前に変えるとは正に奇跡的なことである。私たち日本人もその理由を、彼の偉業をもっと理解したいものである。

 オバマ元大統領はイノウエ氏の訃報に際して「米国は真の英雄を失った」と哀悼の意を捧げた。ダニエル・K・イノウエ(以下敬称略)は、アメリカ大統領継承順位第三位という地位にまで上り詰めたハワイ選出の上院議員。氏は長きに亘り日米関係の調整に力を尽くし、まともな軍事力を持たないまま中国の脅威に晒されている現在の日本の防衛を常に懸念していたと言う。
 ダニエル・K・イノウエ=本名・井上健は1924年ハワイ州ホノルルで日系2世として誕生した。彼はハワイ大学で医学を専攻していたが、真珠湾攻撃に始まった日米間の戦争で日系人は差別と迫害を受けることになる。そしてアメリカ政府は日系人のアメリカ国家への忠誠を試す意味と敵性移民隔離の目的で、日系人だけの部隊を編成することになり志願兵を募集した。多くの日系二世と同じくイノウエもこの日系人部隊を志願した。アメリカの二級市民として屈辱の人生を歩むよりは、命に代えても日系人の誇りを守り、日系アメリカ国民としての名誉を打ち立てようとしたのだ。
 この日系人部隊をハワイ臨時大隊=第100大隊と言ったが、後にアメリカ本土で徴収された部隊と合体し442部隊となる。442部隊は主にイタリア戦線でナチスドイツの軍隊と戦ったが、アメリカ軍の歴史上最も大量の勲章を受けた連隊となった。彼らの合言葉はゴー フォア ブローク=当たって砕けろ。正に命知らずの軍団であった。受けた勲章の数は合計一万八千百四十三。名誉勲章一、殊勲十字章四十七、銀星章八百十、名誉負傷章三千六百・・・。その代り九千四百八十六人が死傷し、その内六百名が戦死している。イノウエも大尉としてドイツ軍の陣地を攻略。右腕を吹き飛ばされながらも部下を指揮して敵の稜線を占領している。442部隊がアメリカ中にその勇名を馳せたのは、テキサス大隊の救出に成功した時である。ドイツ軍に包囲され絶体絶命のテキサス州部隊を救出することはどの連隊にも不可能であった。しかし442部隊は見事に戦い友軍を救出した。しかし211名のテキサス大隊の白人将兵たちを助けるために、442部隊の日系人216名が死傷し、600名は手足を失った。・・・壮絶の一語に尽きる。彼等は皆日本の武士道精神を持って、アメリカという祖国に忠誠の証を立てたのだった。

 私は戦後日本が外国から攻撃を受けてこなかった理由は、間違っても憲法9条のお陰などではなく、また米軍の核の抑止力だけでも無いと思っている。現在の日本が未だ諸外国に一目置かれる存在だとしたら、それは特攻作戦まで敢行して最後まで戦い抜いた過去の日本人たちの敢闘精神への畏怖の念の賜物だと思っている。そしてこの442部隊の鬼人の戦いぶりも又欧米人たちに衝撃を与え、日本人という人種に対して畏敬の念を抱かせたことは確かである。

 そしてもう一人、この442部隊で戦った日系二世に特筆すべき人物がいる。モンタナジョー、またの名をトーキョージョーと呼ばれた人物だ。イノウエの本名は井上健だが、この男は衛藤健という。偶然に二人とも健さんである。戦闘で片腕をなくしたイノウエは戦後医者になる夢を断念し、政治の道を邁進することになるが、この男は違う。何と、シカゴマフィアの大幹部になってしまったのだ。
 衛藤健こと後のモンタナジョーは、1919年カリフォルニア州生まれの日系二世。父は日系移民に対する日本人宣教師であったが、14歳の時に家を飛び出して放浪する。ブランケットボーイと呼ばれる、毛布を担いで大農場を転々と移動する季節労働者となるが、その間に博打と喧嘩の腕を磨いた。そして真珠湾攻撃による日米開戦。アメリカ本土の日系人はハワイの移民たちよりも更に過酷な差別を受けた。敵国日本のスパイの可能性があるとして私有財産を取り上げられ、砂漠の真ん中の強制収容所に叩きこまれた。連日炎天下での重労働。番兵の白人たちにジャップ、ジャップと小突き回される毎日であった。そんなある日、日系人だけの軍隊442部隊の志願者募集があった。ハワイでは三千人の定員に対して約一万名の応募があったが、本土ではアメリカ政府の理不尽な仕打ちに対して反発する者も多く。定員を千五百人に設定したが、志願したのは千百八十一名であった。だが収容所にいたモンタナジョーは迷わず志願した。アメリカへの忠誠の為などではない。自由を得たい一心からであった。
 そして終戦。戦後間もなくは442部隊の英雄たちも敗戦国のジャップと蔑まれ、再び酷い差別を受ける。イノウエはそんな日系人や他の人種的マイノリティーへの差別を撤廃しようと、真正面から政治家としての人生を突き進んだ。一方モンタナジョーは、モンタナファミリー7人衆と呼ばれる日系人不良グループを結成。イタリアンマフィアの世界に殴り込みをかけていく。そしてシカゴに十件以上のカジノバーを開き、自家用飛行機を乗廻す羽振りの良さだったが、麻薬と売春にだけは手を汚さなかったという。そして1882年、ジョーは突然FBIの公聴会でイタリアンマフィア社会の全貌をばらしてしまう。マフィアの掟は組織の秘密を守ることにある。裏切り者のジョーは頭に二度の銃撃を受けたが奇跡的に助かり、FBIの保護観察の下静かにその人生の幕を閉じた。ジョーの行動は謎に満ちている。宣教師の父との決別、イタリアンマフィアへの裏切り・・・劇作家的興味は尽きない。いつかこの二人の物語を書いてみたい。

 ダニエル・K・イノウエとモンタナジョーの生き方は正に対極、表と裏の人生を歩んだ。しかし私はこの二人に共通する男の潔さに惹かれる。巨大な白人社会に徒手空拳の戦いを挑んだ小さな日本人、いや日系アメリカ人の心意気に敬礼する。

 ゴー フォア ブローク!・・・・・大和魂よ永遠に!