6月上旬の一週間東京六本木の俳優座劇場に於いて、拙作演出による演劇「祖国への挽歌」の公演を打った。この作品は実在した日系二世のマフィアのボス、モンタナジョーの生涯をフィクションを交えて創作したものだが、幸いなことに連日満員札止め状態で幕を閉じることができた。大入りの原因には企画の娯楽性や、松村雄基、原田大二郎たち俳優の好演もあるが、それ以上にこの作品の持つテーマである「アメリカと日本人の関係」というものに関心を寄せる観客が多かったせいではないかと思う。

 主人公のジョーは日系移民排斥の最も激しい時代にカリフォルニアで生まれた。16歳の時、宣教師で非暴力主義の父親に反発して家出。ブランケットボーイ時代に博打の腕を上げたが、1941年の日本軍真珠湾攻撃の直後、日系人強制収容所に監禁される。その後日系人のみの軍隊442連隊を志願し、ヨーロッパ戦線を転戦し凱旋する。しかし戦後ますます酷くなった日系人差別に反発し、アメリカ初の日系マフィア組織「モンタナファミリー」をシカゴで結成する。モンタナファミリーは破竹の勢いで勢力を広げ遂にはロスからハワイにまで事業を拡げたが、やがてFBIに目を付けられるようになる。ジョーがFBIに逮捕され組織の秘密をばらされることを案じた、上部団体のニューヨークマフィアのドン、カルロ・ガンビーノの配下に拳銃で後頭部を二発狙撃されるが、正に奇跡的に助かる。だが彼は自分を裏切ったイタリアンマフィアを許すことはできず、FBIの公聴会でマフィア世界の全てをぶちまけた。構成員のフルネームから住所は勿論、組織にまつわる秘密の全てを。・・・・・・その後足を洗ったジョーはFBIの保護下身を隠し、数年前静かにその生涯を閉じた。
 ジョーはアメリカ人に成りきろうとした。マフィアの生き方に徹しようとした。だが出来なかった。マフィアにはオメルタと言うものがある。掟のことだ。マフィアのオメルタで最も大切なものは「ファミリーを裏切らない。ファミリーの秘密をばらさない」と言うことだ。だが彼は自分を殺そうとした白人マフィアたちを許すことができなかったのだ。

 この主人公の人物造形に私は戦前の日本人とアメリカの関係を投影した。アメリカと戦争した日本がアメリカを嫌っていたかと言うと、とんでもない。それどころか戦前の日本人はアメリカが大好きだったのである。ちょうど私の父親とそれより少し上の大正生まれの世代は西部劇を楽しみ、ロバート・レッドフォードやジョン・ウェインの大ファンだった。モボ(モダンボーイ)モガ(モダンガール)のファッションに身を包み、アメリカ映画ではチャップリンの「モダンタイムス」や「街の灯」に酔い、大作「風と共に去りぬ」に喝采を送った。・・・・・・ジャズ、西部劇、自由と民主主義・・・・・・アメリカと戦争をしたいなどという妄想を抱くものは、まずいなかった。だがその片思いはルーズベルトのオレンジ計画により無残に踏みにじられ、真珠湾だまし討ちの汚名を着せられたまま、最後は焼夷弾と原爆で叩きのめされた。

 そして戦後生まれの私たちは更にアメリカを身近に感じて育った。私は昭和27年生まれ。私が小学校3年生の頃から各家庭にテレビが普及した。しかしその当時のテレビドラマはまだ日本製のものは少なく、殆どがアメリカから無償で提供されたものだった。「名犬ラッシー」から始まって「ララミー牧場」「拳銃無宿」「ローハイド」「アニーよ銃を取れ」「怪傑ゾロ」と言った西部劇に毎晩胸を躍らせた。極め付けは力道山のプロレスと隔週で放送される「ディズニーランド」!・・・・・・これではまるでアメリカの子供である。見事に洗脳されるところであったが、一方で未だあの当時には戦前の日本人の心意気を持つ映像作家たちがいて「月光仮面」や「少年ジェット」「少年ケニヤ」「ハリマオ」と言ったテレビドラマを作り初めた。少し遅れたが「笛吹童子」「銭形平次」「水戸黄門」等の時代劇も始まり、ギリギリセーフで、私たち子供はアメリカ人には成りきらなかった。それでも私は「ララミー」と言う行ったこともないアメリカ西部の町の名に、未だに郷愁のようなものを感じてしまうのである。
今月安倍首相がアメリカと対峙するイランを訪問した。その際イランのマスコミから「日本の安倍首相はなぜ自分の国に原爆を落としたアメリカを信じることができるのだ?」と言う疑問の声が出たそうだ。至極当然の疑問である。だが私たち日本人はそれでもアメリカのどこかを信じているのである。アメリカの理想とする「神の下における自由、平等、正義」と言った概念には共感しているのだ。そしてその原因は日本民族が古来より持っている人間観、聖徳太子の十七条憲法の精神にも通底するものがあるからではないかと私は思う。正直言って日本人はイランよりアメリカが好きなのだ。勿論ロシアよりも中国よりも朝鮮よりもアメリカが好きなのだ。だが決してこのまま全ての決定をアメリカに任せておいて良いと言うものではない。アメリカは二重人格国家と言っても良い。世界一善良でお人よしな部分と、世界一無慈悲で残酷な部分が混在している。かの国への単純な期待と依存は、手ひどいしっぺ返しを受ける可能性大なのだ。私たちは先のアメリカとの戦争から、そして芝居の主人公モンタナジョーたち在米日系人たちの歴史からも、アメリカと言う抜き差しならない関係の国民性をもっと知るべきであろう。アメリカは決して独裁国家ではなく選挙で大統領を選ぶ国である。大統領は国民の支持がなければ大きな決定はできない。戦前「戦争はしない」と公約して大統領になったルーズベルトの陰謀に対し、アメリカ世論に、当時の戦争を嫌うアメリカの一般大衆に直接訴える術はなかったのかと悔やまれる。今後我が国がアメリカと共に国際社会で生き抜いてゆこうとするならば、アメリカを深く知ると同時に、日本の良さをアメリカ人にもっと知って貰うことも大切である。かつて黒沢明監督の「七人の侍」はアメリカ人を唸らせた。スピルバーグはじめ多くの名匠に多大な影響を与えた。欧米人の日本のサムライに対する畏敬の念には、こちらが恐縮するほどである。・・・・・・「万引き家族」だけではいけないのだ。


 今月21日から私用でニューヨークに出かける。アメリカ本土には実に26年ぶりの旅となる。前回は妻と一緒に、ロスからアリゾナ、ラスベガスまでがレンタカー。その後は飛行機とバスでニューヨーク、フロリダからアメリカ最南端のキーウエストと強行軍を敢行した。その当時は「ジャパンアズナンバーワン」の時代。日本がアメリカの富の象徴エンパイヤステートビルを買収し、日本企業や日本ヤクザを描いた「ブラックレイン」や「ダイ・ハード」という映画が大ヒットし、バブルの怪物日本にアメリカが脅威を感じていた時代であった。旅行者の私たちにも風当たりが強かった。ラスベガスのショーを見た時は、芸人がトークの中に私たちを揶揄して笑いの種にしていたことがある。キーウエストの海でシュノーケリングを楽しんだ時、わざと船が私を置き去りにしようとしたこともあった。

 その当時と現在は日米の関係も大分違ってきた。今回の旅はニューヨークとボストンと都会ばかりだが、何かを感じることはできる筈。又ご報告したい。