石井の黙想ブログ

大阪のぞみ教会牧師の石井和典が、聖書から得られる力を毎日お届けすることを目的としたブログです。黙想、黙想、黙想。毎日欠かさず。

イザヤ書28章3節
エフライムの酔いどれの誇る冠を/御足で踏みにじられる。

5節
その日には、万軍の主が民の残りの者にとって/麗しい冠、輝く花輪となられる。



酒自体は悪いものとして描かれるわけではないが、

酔っぱらいは「悪しきもの」として描かれる。

欧米人と日本人との酒の飲み方の違いというのを考えてほしい。

酒をコントロールできる人にとっては、時に食卓を彩る良いものになる。

しかし、コントロールできないものにとってそれは放蕩の入り口を大きく開く罠である。


かつて酒に溺れていた私は、酒は酔っ払うために飲んでいた。

というか、殆どの日本人が酔っ払い憂さ晴らしするために飲んでいる。

分別を無くし、欲望に我が身を任せる道具となる場合が多い。



神さまは、何がなんだかわからなくなり、

神を冠として抱くべき信仰の民が、

誇りや、自分が建て上げたものを冠としているものを、

分別を失った、酔いどれとして裁かれるというのである。




私は二年前に酒をすっぱりと全部止めた。

というのも、やはり酒は私にとっては

放蕩に我が身を開く道具でしかなかったからだ。

日本人は消化酵素の関係上、、、

酒をコントロールするのが難しい、そのことを肝に命じる必要がある。



万軍の主を冠としつづけるために、

何が必要で何が不必要か判断する必要がある。

石井拝

イザヤ書26章4〜5節
どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。主は高い所に住まう者を引きおろし/築き上げられた都を打ち倒し/地に打ち倒して、塵に伏させる。


傲慢になっている時は、

傲慢であることにさえ気付かない。

自分に関しても、人を見ていても思うことである。

だからこそ、御言葉の前に毎日朝一番で向かい合い、

打ち砕かれない限り、

頭をたれて、主の前に跪かない限り

傲慢さを拭えるとは思えない。


高ぶっているものを必ず引きずり降ろされるのが主である。

この方がおられるからこそ平和なのだ。

他のもので平和は得られない。


石井拝

イザヤ書25章6節
万軍の主はこの山で祝宴を開き/すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。

油。

豊かな国、日本にあると。

油は、飽食の象徴。

しかし、渇いた民にとっては油は命そのもの。


命そのものの油を満たしてくださる。

肉体がいかに弱っていようとも、

油を注ぎ、その心に光と力を与えてくださる。


聖霊(神の霊)を油とも表現する。

主イエスを信じるものは、

聖霊の宿る宮。

油で満ち、神の力で満ちている場所。


酒は人生を喜び楽しむためのもの

酒をもう止めて久しいが、(もう二年ぐらいになるか)

酒を飲まなくても主の霊に満たされ、

酒を飲む以上に楽しい。

主は楽しみもご準備くださっている。


世が変化しても、主が砦となり、

主が必要なものを備えてくださる。


主に感謝をささげ、主を賛美する日々を歩もう。

石井拝

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