石井の黙想ブログ

大阪のぞみ教会牧師の石井和典が、聖書から得られる力を毎日お届けすることを目的としたブログです。黙想、黙想、黙想。毎日欠かさず。

雅歌1章12〜14節
王様を宴の座にいざなうほど/わたしのナルドは香りました。恋しい方はミルラの匂い袋/わたしの乳房のあいだで夜を過ごします。恋しい方は香り高いコフェルの花房/エン・ゲディのぶどう畑に咲いています。


神との関係は、「恋愛以上」

なぜなら、主は心の全てを知っておられるから。

人に見せたくない部分、隠れて行ったことすべて、どす黒い部分も、

すべて知った上で、「にもかかわらず」

愛すると言ってくださるから。


条件付きの不完全な愛でしかない、

人間の「恋愛の愛」でさえ、

集中し、喜び、楽しむ。

相手と結ばれるために命を注ぎだすほどである。


ならば、もっともっと大きな喜びが神との関係の中にはある。

この祈りの世界を知っている私以上に幸せなものはいるのだろうか、

そのように言いたくなるほど、ある意味周りからみたら、

おかしなほどの愛の関係だろう。


すべてを知った上で、「にもかかわらず」愛する愛。

これを知ってしまったら離れられない。

石井拝

雅歌1章6節
どうぞ、そんなに見ないでください/日焼けして黒くなったわたしを。兄弟たちに叱られて/ぶどう畑の見張りをさせられたのです。自分の畑は見張りもできないで。

雅歌1章8節
だれにもまして美しいおとめよ/どこかわからないのなら/群れの足跡をたどって羊飼いの小屋に行き/そこであなたの子山羊に草をはませていなさい。


ユダヤ教の皆から尊敬され、

その神学的思考が現代にも受け継がれている指導者

ラビ・アキバによれば、

雅歌の1章から3章6節は

「出エジプト、シナイ山、そしてカナン征服」

を念頭に置かれた言葉として理解すべできであるということ。


この雅歌は過越の祭りの時に歌われるようである。

出エジプトを記念する祭りで、


「日焼けして黒くなったわたし」

この一つのワードだけで、かつての先祖の苦しみを思い起こしたのだろう。


人間が見るようには神は見ない、


日焼けして重労働につかれてボロボロになっていても

そのものを王宮に迎え入れてくださると主は言ってくださった。


その叫びたくなるような喜びがここに書かれているというのである。



石井拝

ナホム書3章12節

お前の要塞はどれも/初なりの実をつけたいちじくの木だ。揺さぶれば、実が食べる者の口に落ちる。


国々の興亡は主の思いのまま。

主は国を滅ぼすことがおできになる。

滅ぼすと決意されたとき、

いちじく(簡単に収穫できるらしい)の実のように

一瞬で敵に餌食とされてしまう。



いくら城壁をこしらえても、

人生でこれだけ持っていれば安心というものをもっていても、

それらに力はない。


運命、命運を握っているのはただ主お一人である。

だから、ただ神の義を求めるべきである。

他者を搾取し、策略で奪い取り、偽りで満たし、

不正で得た食物、酒で決して腹を満たしてはならない。


石井拝

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