いしいさん家便り

いしいさん家で 日々感じたこと。思ったこと。

ここ最近、看取りが続いた。

僕はスタッフを育ててないと
高口さんにボロクソ言われてる笑

いや、僕も自負してます(^_^;

………

でもね、キチンと

どんな人でも断らないで相談に乗るとか
とりあえず関わってみようよとか

鍵を閉めないで
とことん付き合っていく中で

目の前の人を
ウンコ、シッコをなるべく最後まで
トイレでやってもらう。とか

美味しいものをなるへく
最後まで口からたべることとか

あぁ湯船が気持ちよかったとか

そして、
身体を縛らないこととか
向精神薬をつかわないこととか

自然の摂理に任せ
老いに医療は無力だと
付き合っていき

「生ききった」と
思えてもらうこととか

僕らと家族が
「介護しきった」と思えることの
できる体制があるのが一番大切で

これが若い子を育てる
一番の近道かなと思うのです。

考えてみれば
医療が発達する前は

みーんなこんなことは
生活の中で普通にしてたことなんです。

………

25歳のある男スタッフは
大好きなじいちゃんが
カウントダウンに入ったとき

「水を口に含ませたほうがいいですか?」と
ミーティングで質問してきた。

もう僕が言うまでもなく、管理者が
「あなたがしたいことをすればいいのよ」

男の子はその場で話を聞きながら号泣。
僕はウンウンと頷くだけ。

高口さん。
その管理者というのは
リーダー研修に出てた人よ😆

…………

次の次の日。
彼が夜勤だった。

「覚悟」してる顔だった。
笑顔さえある。落ち着き払ってる。

そして、夜中に手を握りながら
看取ったんだ。

彼がじいちゃんにしたいこと
キチンと言語化して行動に移してた。

口が乾いてるから
少しでも潤してあげたいなと思ったから
声をかけて、そうしたんです。って。

……

看取りが
介護職的にも
人間的にも

成長させてることは
間違いないということ。

この体制こそ
トップは作るべきである。

もちろん、
全てのじいちゃんばあちゃんが
こんな穏やかな豊かな看取りは
できないことは分かってる。

家族の想いはそれぞれ違うし
病状の重たさだってそれぞれ違う。

でも、家族と
話し合いを重ね、

一体、誰の人生なんだと
ところで、主体は誰なんだと

突き進むのではなく
倫理的なところは
一旦立ち止まることが専門家であって

ラオウの言葉のように
我が生涯に一片の悔いなしと
言えるような

少しでも最適解を探していくことが
何よりも大切なんだと思う。

ありがとう。
25歳の男スタッフ。

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少し遅れました。



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………

昨日、あの100歳のばあちゃんが旅立ちました。
お昼過ぎの事
スタッフから電話が入りました

「逝っちゃったみたい」
「すぐ行く」

色々用事があったけど
全てキャンセルして向かいました

あのワイワイギャーギャーとにぎやかな
日常の中でのことでした

10分前にばあちゃんに会った
スタッフの話しによると
手も握り返して、手も振ってくれて
はにかんだ笑顔も見せてくれて

じゃ、そこに停めた車が邪魔になるから
移動してくるねと、少し外に出てたんです。
そして、戻ってきたら…

あれ?息してなくない?

と誰もが気づかないうちにでの
旅立ちでした

7月で101歳。
本当にあっぱれです

ばあちゃんらしい。って
みんな言っています

息子さん夫婦は出かけていたので
お孫さんに連絡。なんと介護職

湯灌も同意してもらい、積極的に
最後の介護をしてもらいました
手際が良いっす。さすがです

ふー。幸せでした

そうなんです
こんな日常の中の看取りの何が良いのかって
改めて考えました

今回のばあちゃんは2つのお土産を
置いてってれました

ーーー

①他の利用者さんも涙してくれる

ご家族さんが言いました。
「家族でない生活を共にしてきたばあちゃんが、一緒に悲しんで、偲んでくれる。こんな幸せなことないです」

なるほど、僕らはほかのばあちゃんたちに「死」を見せると、お年寄りは悲しむ、動揺しちゃうのではないかと「勝手」な思いこみがあるのかもしれないですね

全くそんなことはなく、皆さん受け入れている。
もっとすごい経験をしてきた人生の豊さがあるのですね

②ボラで来ているご家族さんの
「不安」が少し和らぐ

お泊りしている方の家族が毎日ボラで来てくれてます。その家族さんは、これから先どうなっていくのだろうと「不安」があります

「不安」というものは、
見えないから不安であって
こういったことを見て、聞いて、触れると、



うちの人もこうなっていくのかな…
うちの人もこうやって穏やかに逝けたらいいな
医療を介入しなければこうやって穏やかに逝けるんだ



と将来の道筋が、少し見えるのです

………

介護職さん、僕は「~するべきだ」という言葉は
こっちが主体の言葉であるので好きでないのですが
でも一つだけ言えることがあります

「看取りはするべき」です

若い頃、介護の仕事はありがとうって
思える仕事だよって誰かに言われたことがあって

胡散臭いなーと思っていましたが
今は、本当に心から「ありがとう」って言えます

その一つは
このことなんだなと思います

ありがとうの連鎖で、
僕らは成長できています

怖い、不安と思っている
介護職の方が居ると思いますが…
自然の摂理です

プロの僕らが、
ドンと構えていなくてどうする。
家族や本人が余計に不安になるだけ

「覚悟」と「寄り添う」のみ。
いや、それだど疲れるから笑
「添う」くらいのニュアンス。
村瀬さんは「沿う」と言いましたね

ここまで来たら
医療はどうにもならないんだから。

モノが無くても心が豊かだった
一昔前まではこれが普通だった訳ですから

責任なんか取れるわけないです
本人しか取れないこと

ばあちゃん
本当にありがとうございました

ご冥福をお祈り申し上げます。

100歳のばあちゃん。

食べなくなってきた。
もう厳しいかなーと思ったことも何回もあって

でも復活して…
またまたまた
食べなくなってきた。

今度は
息も荒くなってきた。

7月で101歳なんだけど
どうかな…

………

外に出ていく人
子どもがウロウロ
種々雑多のセカセカしてる中での

この
ジワジワ、ゆーったり、
ジーッと見入ってしまう

セカセカと
見入る、この交錯。 
時間は伸び縮みする。

たまらん。

やっぱり
現場はやっていきたい。
ばあちゃん。ありがとう。1749424896007

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