子どもを守るために。
限界?
義理のお父さんが
自然の摂理には逆らえずに
老いてきている。
少し前まではフラフラになり
トイレに行っていた。
お義母さんはその度に起こされ、
疲労の色が濃い
大丈夫ですか。と尋ねると
「老いてくる幸せってあるのよ」
「限界でもないし。ありがとね」
そうか。
在宅の限界は
他人が決めることじゃない。
制度や法なども大切。
だけど、それ以前に、
その人の人生というのが前提なんだから
好きな人と
好きなことをして
好きに死ねたら
いいだけなのだ。
出会って少ししかたっていない
ケアマネや包括の人に
「もう限界ですね。施設をすぐ探しましょう」
なんて決められたくない。
誰の限界なんだ?
ケアマネの仕事の限界?
気持ちの限界?
他人の声があるから限界?
…人は、その年齢になって
「老いる」とは、こういうことなんだなって
初めて分かるのだろう。
ホント
押し付けの仕事になりかねない。
気をつけよう。
ーーー
パートナーとの最期。
限られたその時間は
その夫婦や、その人の人生の集大成。
支える専門家であるならば
もっとどっしり構えないといけない。
つまり、立ち止まることだ。
すぐ解決したがる脳は
介護には全く似合わない。
ーーー
お義父さんお義母さん
改めて気付かせていただき
ありがとうございました。
