2006年07月31日

作家 大城立裕

※毎日新聞のお仕事(写真撮影)、第4弾が掲載されました。

大城立裕

















写真家・石川真生さん撮影

■人物略歴 ◇大城立裕氏(おおしろ・たつひろ) 1925年、沖縄県中城村生まれ。45年、中国・上海の東亜同文書院大学中退。琉球政府経済企画課長などを経て、83〜86年同県立博物館長。93年「日の果てから」で平林たい子賞。ほかに「小説 琉球処分」「水の盛装」など多数。

特集ワールド:この国はどこへ行こうとしているのか
 沖縄から     作家・大城立裕さん 

◇ 愛国より、人間愛を ◇
◇ 管理社会へのけん怠感、その先に今の沖縄ブームがある

 琉球王朝の都・首里に残る石畳が、沖縄の強い日差しを反射していた。「大アカギ、見た?見てないの。じゃ、こっちこっち」。こちらは汗びっしょりでバテ気味なのに、大城立裕さん(80)はいたって元気だ。写真撮影後、導かれるままに小道を入って行くと雰囲気が一変した。空気が冷たく、澄んでいる。 
 うっそうとしたがけを背に、樹齢200年以上の大アカギが、ホウビカンジュやハブカズラなどを枝に宿して、立っていた。首里の山は沖縄戦で丸坊主になったと聞いたが……。大城さんは「残ったんだな、これは」と静かに言った。  
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 小説「カクテル・パーティー」で、芥川賞を受賞したのは1967年、沖縄の日本復帰5年前だ。沖縄初の受賞に地元は沸いた。大城さんは当時と同じ、首里(那覇市)の一角に住む。こげ茶色の木で内装された応接間は、まるで深い木陰のようだ。どうしてだろう。沖縄ではスーツでいても、Tシャツに短パンでいるようなくつろいだ気持ちになるのは。
 「沖縄の人の生き方は、本土の人とは違ったんです。沖縄の歴史が始まるのは大体12世紀、本土と約10世紀ずれている。歴史は大体、原始共産制から武家社会・封建社会と移行していくけれど、沖縄は武家社会が生まれないうちに日本の一員になった。戦いや刀は無論あったが、武家社会が生まれていないから、刀に美学が伴わなかった」 かりゆしウエアでゆったりと腰掛け、落ち着いた声で語る。 
 「よく『本土では床の間に刀を飾るが、沖縄では三線(さんしん)を飾る』と言う。うまいことを言ったもんだね。私は、テレビの水戸黄門は沖縄に来られないと言っています。水戸黄門には武士道や封建社会、お家騒動やヤクザが必要だが、沖縄にはそれがなかった」 かみしも(スーツ)を着ても心は短パンの原因は、このあたりにあるらしい。 
 「だから明治以降、日本が富国強兵に向かった時、沖縄県民はついていきかねた。それで『日本人としてはおかしいよ』と差別が始まる。昭和にはいると一人前の日本人として認められたいがため、政府の強制はないのに沖縄の教員、官僚が方言をなくす運動を推し進めた。太平洋戦争では学徒たちが死ぬほど働いた。彼らの遺書には『一人前の日本人として、お国のために』という言葉がいっぱい出てきます」
 せつない話をさらりと語り、戦後へと話は続いた。 
 「一方、本土は敗戦や高度経済成長を経て、精神的価値を軽視し、物的価値や生産力信仰へと流れていった。その先が今の管理社会。最たるものは、死者107人を出したJR西日本福知山線の脱線事故ではないかな。日本の鉄道の時刻は正確だと自慢のタネにしてきたが、それが事故のタネにもなった。管理社会へのけん怠感を逃れるための沖縄ブーム。ところが沖縄の若い思想家たちは、基地問題をそのままにして沖縄の文化が消費されている、と言う。切実です」 
 沖縄から、日本全体を鮮やかに見渡してみせた。  
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 「オヤジが小役人で金がなかった」から、学費補助が出る中国の学校に進学した。小説を書くきっかけは19歳での敗戦。神国だった祖国を失い、日中親善のための母校は閉鎖された。「何のために生きればいいのか。それを探ろうと思った」。琉球政府(沖縄県)職員と二足のわらじを履き、沖縄を描き続けた。 
 「カクテル・パーティー」の舞台は米軍占領下の沖縄。沖縄人の私、本土出身の小川、米国軍人・ミラー、亡命中国人・孫の4人がカクテルを楽しむ夜、「私」の娘は米兵にレイプされ、しかも傷害容疑で逮捕される。親善は崩れ、日米、日中、日琉の抜き差しならぬ関係が立ち現れる。 
 小説の中で孫は言う。「終戦直前に蒋(介石)総統が軍隊をはじめ全国民に訓辞をたれたのです。(中略)勝ったら日本の国民とは必ず仲よくせよ。われらの敵は日本の軍閥であって日本の人民大衆ではない」。これは終戦後、大城さんが中国軍人から聞いた言葉そのままだ。一方、「私」は米兵を告訴することを選び、叫ぶ。「孫先生。私を目覚めさせたのは、あなたなのです。お国(中国)への償いをすることと私の娘の償いを要求することとは、ひとつだ」
 自らの罪をあがなう者だけが、他者に罪のあがないを求めることができる−−。テーマは今読んでも深く、そして驚くほど新しい。 「うーん。残念なことなんでしょうね。あれが新しいということはね」 
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 71年、新聞にこう書いた。「過去、現在、未来を通じて、沖縄は日本の“軍事植民地”なんだ」
 「今もそうです。変わりませんね」。現実から目をそむけず、さりとて失望もせず、言い切る。
 在日米軍再編協議は「沖縄などの地元負担の軽減」を大義名分に進む。だが、計画通りに進んでも沖縄には依然全国の7割以上の米軍基地が集中し、基地機能は強化すらされる。多くの日本人は、日本に“軍事植民地”があるとは夢にも思わない。 
 「もういいかげん、総論賛成、各論反対はやめてもらいたい。最も顕著なのは、日米安保への姿勢です。沖縄の基地負担の重さに同情はする、でもわが県に移すのは困る。要するに各論反対で、安保容認のジレンマに立ち止まっている」。本土の人への注文は厳しい。「一方、政府はこう主張する。『沖縄を基地として米国に差し出すことで、日米安保体制を守り、アジアでの紛争を防ぎ、中国や北朝鮮の核に対する抑止力になる』。ところが実際は、沖縄の基地からどんどんイラクに兵隊が送りこまれている。米国に対する付き合い以外の何ものでもない」 
 何のために生きるのか−−。終戦時の問いの答えは、見つけたのだろうか。 「教育基本法の改革問題にもつながるんですけれど、それは『人間を愛する』ことです。人間というのは、自分もあるし、他人もある。愛国心以前に人間への愛を育てるのが教育の基本であるべきだと私は思っています。人間愛の先に愛国があってもいいけれどね。人間を愛する。もうそれだけですね。永遠の価値は」 
 戦争による加害と被害。ともに水に流すのでなく、どちらも決して許さないという信条は、それが逆に人間をより大切にし、愛することにつながるからなのだろう。 
 もうすぐ夏本番。大アカギは変わらずに揺れ、この国を見つめている。
                          【太田阿利佐】
                   毎日新聞 2006年7月28日 東京夕刊


         


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