2009年10月06日

舞い込んだ悲報

今日の朝、長崎から沖縄に戻って来た。長崎では東松照明さんの写真展&トークショーに来ていた人たちと知り合い、とても有意義だった。「日の丸を視る目」にも4人の人が出てくれてうれしかった。

でも、3日の朝、南風原(はえばる)文化センターの職員、平良次子さんからの電話には心臓が止まりそうになった。

「まおさん、平敷兼七(へしき・けんしち)さんが今朝の3時に肺炎で亡くなりましたよ」
「えっ!?誰がって言ったの?」
「平敷兼七さんです」
「ホント?信じられない・・・・。10日前に電話で話したばかりだよ」
「自分たちも仕事の打ち合わせで会ったばかりだったんですよ」

ショック、ショック、大ショック!!!晴天のヘキレキとはこのことだ。平敷さんとは私が20歳の時からの付き合い。もう36年になる。彼にはいろいろと世話になった。写真の写し方から現像の仕方など、とにかく昔からとても面倒をみてもらった頼もしいアニキだったのだ。

ついこの前も写真の引き伸ばし機の調子が悪かったので、「平敷さん、暗室貸して」と頼むと、「いいよ」と言ってくれたのに、その後、機械の調子が直ったので、結局、彼の暗室は借りないですんだのだ。あの時、彼の家に行っていたら最後に顔を見れたのに・・・・。

いろんなやばいところ(例えば売春宿とか)や、親父一人がやっている寂れた飲み屋や・・・・・、とにかくいろんな所に私を連れて行ってくれたのだ。話のやり取りからどの店の主(あるじ)も平敷さんのことが好きなんだなって分かったし。

平敷さんはドモリだ。しゃべり方もゆっくり。おしゃべりが好きで、人の話をよく聞いてくれ、酒とタバコが好きで、友達がいっぱいいて、とにかくいろんな人に愛されていた。彼の写真家としての才能を高く評価している人はいっぱいいる。私もその中の一人。

口の周りに長く伸びたひげを蓄え、ボサボサ頭にいつも帽子をかぶり、ジーンズをはいて手作りの皮のカメラバックを肩に、サンダルばきでどこにも出かける。昔からの彼の変わらない服装だ。その平敷さんが今はもうこの世にいないなんて・・・。家を訪ねても、そこにはいないなんて・・・・、信じられない。

高校生の頃からずっと写真を撮っていて、売春宿の女たちなど誰にも撮れない世界を撮る貴重な存在だった。いい仕事をずっとしてきたのに、なかなか評価されず、それが最近、東京のニコンサロンで開催された写真展、「山羊の肺」で「伊奈信男賞」という大きな賞をもらって、やっと脚光を浴びたばかりだったのに・・・、残念無念だわ。

仕事で、彼の悲報を聞いても沖縄に飛んで帰れなかった。あれほど世話になった先輩なのに。後ろめたい私がいる。これから彼に何ができるのか、考えてみたい。



ishikawamao at 20:53