9/25、奉安堂において初めて大聖人様の出世の本懐たる、
戒壇の大御本尊様に御目通りをさせて頂きました。
此処に至るまで
邪教に縁をし、嘘を教えられ、そして信じ 実践したが為、本当に遠回りをしてしまいました─




顕正会の時分に於いては
”不敬の御開扉” と信じていた為、私が御開扉を受けるのは
「広宣流布の暁」
と思っていました。
広宣流布以前に戒壇の大御本尊様を拝するなど微塵も考えもしなかった。


顕正会時代、
「御在世の信心」
という響きに心を打たれ、
熱原の法華講衆を鑑として唯々広宣流布を急ぎ、勧誘に死力を尽くしました。
しかし、それはまやかし、そして誤魔化しの広宣流布でした。
現役時代のH.27年初頭の時点ですら外国人を狙い撃ちした大量勧誘が横行し、
また配布によって精神病の方々や、生活保護者・無職の方々もかなり増え、
教学不要の体質に乗じて、
唯、ついてくる人、言う事を聞くだけの人というのが非常に多くなっていました。

集会人数が増えた、入信が何名叶った、というくだらない話にしても、
その内容は非常に乏しく、逆に顕正会を去っていく人間は後を絶たない現実。

集会にしても自発の参加者よりも
幹部が足を運ばないと参加できないという人材を多く抱え、各所でピストン結集をよく見ましたが、
それを繰り返し続けた結果、”本当の信心”が増しているのでしょうか・・
本当にその場しのぎの「数集め」そのものを見てきたと思っています。

顕正会は本当に力をつけ、国家や国民、
そして戒壇の大御本尊様の御傍にある日蓮正宗を相手に戦える集団になっていますでしょうか?

会長の讃嘆、会の讃嘆ばかりの語り合い・・・
大聖人様の御振舞にしても表面的かつ、都合の良い所ばかりしか教えない隠ぺい体質。
戒壇の大御本尊様を恋慕渇仰していると云っても、
大石寺の史実も学べない、御書も学べない。
だから大石寺の古来からの化儀化法も全く知らない。
そして実は戒壇の大御本尊様を信じていても
逆に大謗法を犯している顕正会の実態・・・

それなのに
「自分たちは正しい」
と本気で思っている。
それが顕正会員のありのままの本当の姿です。


根拠も何もないのに、唯、
「浅井先生は正しい」
それだけしか拠り所がない顕正会員・・・
たったそれだけが唯一の頼りで「大確信」を口にするのですから危険極まりないのです。


私は顕正会の実態を経験を踏まえ、知った身です。
ニセ本尊を作製し、塔婆供養も否定した邪師・浅井会長が、
どのツラ下げて”広宣流布”などと口にできるのか甚だ疑問です。


顕正会の"広宣流布"が進めばニセ本尊は巷に溢れかえる事を意味します。
そして教学を学ばぬ盲信の者が邪師の讃嘆を繰り返し、
追善回向や葬儀にもまったく無智で、
大石寺の歴史も化儀化法すらもわからぬ者だらけになります。
御僧侶にも信をとらない顕正会員。
この時点で多くの御金言を破り、謗法を犯している事すら知らないのでしょう・・

正しきを学べぬ新興宗教が
どうして「正しく広宣流布」できるのでしょうか─


「一念信解」という響きに騙され、学を奪われている事に顕正会員は気付かねば
人生の大半、もしくは一生を邪教・顕正会に吸い取られる事になるのです。

中枢にいる者は本当に冷たいです。
いくら顕正会に貢献していたとしても簡単に首を斬るのですから。
それに臆病で卑怯です。
本気で顕正会の邪義を破してやろうと臨んでも中枢の者は逃げてしまいます。

対論が出来ないのなら文章で「ニセ本尊がニセではない」等、
志があるならば証明を送って来いとの旨をある幹部に通知していますが何の反応もありません。
当り前ですが志がないのでしょう。

自分に不利な事は一切言わない。
しかし相手の悪口やデマばかりは並べたてる。
そして正常な判断ができぬ様に正しい教学を奪い、嘘を教え、情報操作をする。


第二次世界大戦での白人の植民地の支配構図を思って下さい。
白人は原住民から学問を奪い、文化や歴史を奪い、教育を彼らに施しませんでした。
欧米列強の白人は原住民を唯、食料などを搾取するだけの対象に扱っていた事が知られます。
学ぶ事を奪われ支配されたフィリピンなどでは
武器はおろか鉛筆を造る事も出来なかったといいます。


今、顕正会が行っている事は私から見れば、上記に似ている部分があります。
正しき大聖人の仏法を学ばせない─
それは力を根から削ぎ取り、つけさせないという事に他なりません。
イエスマンばかりを幹部に仕立て、何も知らない力なき方々を騙す支配体制。

良識ある人材は顕正会のタブーたるニセ本尊などに気付き幹部に問い合わせますが
幹部は誤魔化しの指導を行うだけで、
もし追及すれば除名・謹慎等になり排除の対象となるのです。

支配する側の顕正会は、学があり、力がある人材は必要ではあるものの
将来の邪魔者になるというジレンマを常に抱えています。
だから一般的なステータスをしっかり持ちながら
「おとなしく盲信的に従う者」
こういう人材が顕正会では非常に喜ばれるのです。

だから本当に力強い方というのはかなり少なくなってしまったと思います。
教育を施さない事で会員の力を無力化し、唯、ついてくる者だけを取り入れる体制。
内部にいればこの体制はなかなか見破れません。

だから今の顕正会員の幹部のほとんどは論に詰まれば

「宗門は御遺命を破壊したではないか」
「日顕(上人)は逃げたではないか」

と繰り返すのが関の山です。
上記を述べる者は本当に教義がなく力がない連中です。

浅井会長が言った事だけを鵜呑みに信じ、事実を深く知りもしないから
事情に通じた法華講員に当たれば
頭の髄から足先まで上記の内容など徹底的に砕かれます。
そしてニセ本尊から始まる邪義の数々を突き付けられ反論不能─
これが顕正会の真実です。

それ故に法華講員とは
「話しても平行線、時間のムダ」
「現証が出る」
「謀略だから相手にするな」
などと言って逃げ出す指導を促す糞幹部が溢れるのです。


顕正会が「謗法を対峙する」旨の御金言を重んじていない遁走の現証の姿を
私はこの僅か約四か月の間で多く見ました。
そしてその内に再度、顕正会員へ諌暁を始める事になるので、
また多くその醜態を見る事になるかもしれません。


もう、邪教・顕正会はいらないんです。


学ぶ事を奪われた顕正会は既に”仏法”では戦えません。
もうそこで勝負はついています。
現に本部職員が逃げる団体なんですから
残された末端は悲惨です。




「浅井会長だけが正しく御書が読め、正しく伝える事ができる」
と、昔はよく聞きました。
では、浅井会長がいなくなったら
この宇宙法界には正しく御書を読める人が一人もいなくなるのでしょうか。。

まったく馬鹿らしい事です。
そんな事がある訳がない。

皮肉を言うならば
確かに浅井会長だけにしか読めない御書の拝し方は存在しています。
「ニセ本尊OK、塔婆供養の廃止、勤行の改変、葬儀は適当」
などなど。
こんな御書の読み方・拝し方を浅井会長以外できるのは池田大作などの有数の邪師くらいです。


大聖人の正しき仏法を学ばず、
ひたすらニセ本尊に縁をさせる勧誘ゲームが繰り返される邪教活動。
本当に騙すのは辞めにしてもらいたい。



先日のH.28年9.5の顕正新聞の「守護付嘱」に関しても、最初一読した際に

"仏法の守護は僧侶にだけは付嘱せず,国王ならびに力ある在家だけに付嘱云々

という箇所を読み、「あれ?」と、非常に違和感をもった所、
桜梅桃季さん、並びにセロリさんが即座に
突っ込んでおりました。。(この方々には全く敵いません・・)

<守護付嘱につき>
桜梅さん→http://kenshokai-hashaku.com/protect-hand-over/protect-hand-over/
             →http://kenshokai-hashaku.com/protect-hand-over/mahaparinirvana-sutra/

セロリさん→http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/14802188.html
 

上記の記事を読めば明らかに浅井会長はわざと僧侶を否定し、
自らの在家の立場を上げている事がわかります。

会員が仏法の教義に疎いのをいい事に、浅井会長は仏法自体を曲げるのです。
池田大作よりも巧みに浅井会長は都合の良い様に曲げています。
そして、「わかっていて曲げる」のですから─

盲信していれば残念ながら 会長の邪義はまずわからないと思います。
今回でも違和感すら感じなかった顕正会員の方は危険信号かと思うのです。
教学を持たない顕正会員では嘘も嘘と気付けない・・・という場合が本当に多く起こります。

だから今、「正しい信心をしている」 と顕正会員の方々は思われていると思いますが、
間違いなくそうではありません。
却って大謗法を行じています。



今回、私は初めて御開扉を受けさせて頂きましたが、
浅井会長は自らが日蓮正宗から除名され、
二度と戒壇の大御本尊様に御目通りが叶わないからこそ会員に対し、
「不敬」と言って会員の方々を騙し、戒壇の大御本尊様から遠ざけているだけです。


戒壇の大御本尊様は生身の御仏と拝す以上、
今、大聖人様がいらっしゃいましたら当然、足を運びませんか?

大聖人様は上野殿に
「参詣遙かに中絶せり。急ぎ急ぎ来臨を企つべし」
という御文を御返事された事があります。

これは病床に伏していた上野殿に対して尚、参詣を求めたのであり、
また上野殿はこの時 参詣を一年も開けていなかったのに
「遥かに中絶せり」と申されているのです。

また日寛上人は寿量演説抄に

  「未だ時至らざる故に、直ちに事の戒壇これ無しと雖も、
既に本門の戒壇の大御本尊在す上は、其の住処は戒壇なり。
この本尊に打ち向かい、戒壇の地に住して、南無妙法蓮華経と唱ふるは、
則ち本門の題目なり。
志し有らん人々は登山して拝み給へ


と、「志し有らん人々」 に対し しっかりと御登山を奨励されております。

御開扉は決して謗法ではありません。
現に浅井会長も除名までは何度も御登山をしていますし、
正本堂落成後の昭和四十九年にも御開扉を願い出ております。


奉安堂は本当に大きく、そして堅牢です。

新潟の暖楽鳥さんが初の御開扉の模様をかなり詳細に書いておりました。
http://blogs.yahoo.co.jp/danrakucyou/18111354.html


私も初の御開扉を経て、様々思う事がありました。
少なくとも想像していた事とは全く異なりました。
それよりは勤行の際は戒壇の大御本尊様の御姿が思い浮かべる事ができます。

顕正会では「眼前に戒壇の大御本尊様を拝する思いで」 遥拝をしていましたが、
そもそもが顕正会員は末寺に御安置されている正師の板本尊の御姿も知らないのに、
どうやって戒壇の大御本尊様を思い浮かべるのでしょう・・・


また違う機会に色々と御話しようと思いますが、
本当に顕正会員の方々には大石寺に足を運んでみて頂ければと思います。

顕正会で人生を狂わせてしまっては本当に不幸ですし、成仏もできません─
勇気を出して顕正会から離れ、戒壇の大御本尊様を求める事を本当に願っています。

残念ながら顕正会に連なり、勧誘する事は
「ニセ本尊の広宣流布」を進めているだけにしかなっていないのですから─






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