前回の続きになります。

二日目は午前二時半より客殿にて丑寅勤行でした。

前日の出発日もそうですが、この日も ほとんど眠れませんでした。
疲労が重なり、
かなり際どかったのですが不思議と気合が入り、二時には元気になっていました。

実は前日はとんでもない大雨で、傘が水圧に耐えれない程で、
傘の縫い目から雨水が圧し入ってくるくらいの豪雨でした。
しかし、丑寅勤行の時にはすっかり雨はあがっておりました。

そして午前二時過ぎ、本住坊を出たのですが既に参道には多くの人が客殿に向かって
歩き出しており、相当な人数が参道を埋めておりました。

そして顕正会で云う所の衛護隊にあたる、誘導にあたられる方々の手際よく、
また溌剌とした挨拶や振舞に清々しさを覚えるばかりでした。
深夜二時過ぎなのにまったく明るい表情で任に徹されている姿は
本当にかたじけないとの思いになりました。


客殿の玄関に入ると既にかなりの人数が入っており、
階段をあがり、着座する時には前にも後にも人だらけでした。
私が着座したのは結構前の方だったのですが、
その時点でざっと見ても千人はゆうに超えていたのではと思います。
それでも続々と後ろが詰まっていくのです。


そして席が埋まり切った頃、丑寅勤行の心得がアナウンスされ、
「猊下様の勤行に御供させて頂く」
という心得を言われ、故に咳払いや暴走的な読経・唱題は慎む事を注意されました。
そう、私達信徒は御慈悲で御供させて頂くだけなのです。


そして猊下様を静かに待つ中、多くの御僧侶が客殿に来られて着座され、
そのすぐ後に猊下様が着座されてより、厳粛なる五座三座の勤行が始まりました。
本当に厳粛なんです、丑寅勤行─


そして五座三座の後、猊下様が御本尊様に向かって左側の遥拝所の席に移り、
本門戒壇の大御本尊様への遥拝として一座と唱題があり、
それを終えられ 猊下様は六壺へ移動され、御僧侶も続けて客殿から移動されました。


信徒は客殿の丑寅勤行のみの参加なので、そのまま坊に帰るのですが、
その際 客殿の隣にある六壺では猊下様が勤行を申し上げているので
帰りは静かにする様、指示がありました。

実際、何人の参加だったのかはわかりませんが結果的にとんでもない人数が集っていました。

尚、「丑の刻」は夜中の一時から三時まで、「寅の刻」は三時から五時までの事ですが、
この時間は闇から明への移り変わりの時、正に「丑寅」の時刻です。
これを仏法では「三世諸仏成道の時」と言い、『上野殿御返事』に、
「三世の諸仏の成道は、ねうし(子丑)のを(終)はりとら(寅)のきざみ(刻)の成道なり」

また日寛上人は『当流行事抄』に、
「問う、古より今に至るまで毎朝の行事、丑寅の刻み之れを勤む、其の謂われ如何。
答う、丑の終り寅の始めは即ち是れ陰陽生死の中間にして三世諸仏成道の時なり。」

と丑寅勤行の意義を明かされています。

丑寅の時刻は三世の諸仏が成道する時であり、また仏様が悟りを開く時刻なので、
仏法上まことに意義のある時刻になります。
大石寺ではこの時刻に合わせ、
この厳粛なる丑寅勤行が日興上人の時代から七百年以上も毎日粛々と行われているのです。
(他、丑寅(艮)は方位の意もあります)




そして、坊に帰った後、車の方で仮眠をとり、朝、6時半から坊で五座三座の勤行を行い朝食、
その後、御住職が御開扉まで少しばかり大石寺のガイドをして下さるという事でついていきました。


まず参道に出て、中央の縦列の石畳(4石分だったか・・)は江戸時代のもの、
そしてその両側の石畳は昭和のものと仰っておられました。

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また両脇に並ぶ坊の外壁の石垣も上の写真を見ると1m弱より上は色が白く変わっております。
これも作られた時代が違うからだと仰ってました。

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尚、これが私たちが泊まった本住坊です。


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↑は本住坊の門をくぐった所のショットです。
左側が御堂で右が宿泊できる建物になっています。




そして御影堂へ向かう為、参道を北上していくと、その御影堂の前に二天門が見えてきます。
この二天門の手前の左側に鬼門(改修中でした)、
そして右手側には
顕正会員には知っておいて頂きたい蓮蔵坊(れんぞうぼう)という坊があります。

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↑写真は参道から東側の明鏡池の方から撮影した蓮蔵坊です。
この坊は学頭寮とも呼ばれ、日寛上人来、
次期法主上人が代々 登座前に この蓮蔵坊の住職を数週間~勤められております。

日顕上人もまた登座前にこの蓮蔵坊の住職を勤められているのです。
血脈を否定している顕正会には会長の話以外の大石寺の史実こそ是非知って欲しいものです。


そして二天門。
屋根の側面に写真は撮っていませんが菊の御紋があります。

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今は扉が開いた状態にありますが、ある事態が起こった時、
この扉が閉まるそうです。
何だったか、、ちょっとウロ覚えで違うかもしれませんので控えます。。

そしてこの二天門の奥には大聖人様の御影が在す御影堂です。
これは徳川家康を養父に持たれ、
徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮の正室・敬大院様の御寄進の堂宇です。

とても優美なのです。(↓この写真は当日のものではないです)
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また外の天井付近には中国の故事の有名な場面の彫刻が多く飾られていました。
※小さく人型の人形がそれです。

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そして中は写真を撮ってはいけないのですがとにかく豪勢で荘厳でした。
中央まで御計らいで入れて頂き、須弥壇の上の御宮殿を近くで見たり、
宮殿の屋根の裏に天女の絵が描かれていたり、また壁の上にも天女や鳳凰が三面に描かれており、
とにかく荘厳な場所だと誰しもがわかる場所だと思われました。
此処で御大会 等、重要な法要が行われます。


そしていよいよ戒壇の大御本尊がまします奉安堂です。
奉安堂は御影堂の裏手にあります。
御影堂の横を通り、抜けると
右手に熱原三烈士墓碑と富士山、奉安堂が見えてきます。

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私達は朝10時からの御開扉でした。
そして驚いたのは奉安堂の大きさ、そしてとにかく人の多いこと、多いこと・・・
この日は後で聞いたら13,000人が登山されたとのことです。

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とにかく大きいという事もですが、
顕正会では浅井会長に嘘をつかれ、「安普請」等と言われていましたがとんでもない。
奉安堂の頑丈な作りには定評があり、大日蓮 平成13年8月号には

『耐震性能の向上

 奉安堂の耐震設計におきましては、超高層建築物と同様の設計手法により、
一般の鉄骨造のビルの約二倍の強度を確保しております。
これは超高層建築物の検討地震レベルとして規定されています
「レベル二」の地震の一・五倍の地震に対しましても、
建物の安全性を確保した結果です。
 その解析に際しましては、「レベル二」の地震として、
「東海地震」と「富士川河口断層地震(マグニチュード七級)」を模擬波として作成し、
検討いたしました。
レベル二地震(四〇〇~五〇〇ガル ※4)とは、
四百年から五百年に一度の確率で発生すると言われる、
きわめてまれな地震のことを示し、
レベル二の一・五倍の地震(七〇〇ガル以上)とは
千年に一度の確率で発生する地震を示します。
奉安堂は、レベル二の一・五倍の地震でも崩壊しないよう計画されています

とあるのです。

東海地震の1.5倍の耐震強度を持つ奉安堂を安普請と罵る浅井会長─
また基礎も正本堂の時のものをそのまま使ったと顕正会では聞いていましたが、
それも嘘で、更に強固な基礎を造っています。

詳しくはトチローさん(桜梅桃李さん)の記事を見てみて下さい。。
http://houonbou.blog.fc2.com/blog-entry-123.html



奉安堂は本当に大きく立派です。
また不審者を入れない様、内拝の券を複数人の係りの方が確認しています。
顕正会なんかより余程万全を期しているのです。
実際、日蓮正宗を体験してみれば浅井会長の言っている事が
如何に欺瞞が多いかがわかる事ばかりなのです。



本門の戒壇の大御本尊様に御値いするのに
顕正会という邪教に長く組みしたが為に大きく大きく遠回りをしてしまいました。

そしてその間、多大な罪も積んでしまいました。
そして未だに騙されている多くの知人がいます。

顕正会のあの数集めの「戦い」でどうして正しいと言えるのか・・

残念すぎますが自分たちが「正義」と思っている為、
「日蓮正宗を正義に戻そう」
等と思っているのだからとんでもない勘違いです。

御金言から見れば明らかに背信しているのは顕正会であり、
また大恩の日淳上人には血脈なき会長はバッサリと
師伝曖昧にして我見に堕ちた「救い難い」者であり「仏法の怨敵」と斬られています。

顕正会は1000%邪教です。
「外には弱く、中には黒い」 のが実際の体質です。

時間が経過すればもっとその邪教の姿は露わになります。
一分一秒に邪教・顕正会に浴すが故に、会員は時々刻々に罪障を積んでいます。

その上、顕正会のままでは永遠に戒壇の大御本尊様から離れたままです。
顕正会の罪の深さは此処にあると思います。


大石寺は謗法ではありません。
そして繰り返しますが信徒でなくても境内は自由に散策ができます。
またその場で疑問があれば境内にいる御僧侶に話しかけても大丈夫だと思います。

百聞は一見に如かずです。
此の清浄な空間に
本当に一度でも訪れてみれば感じる事は多々あると思えてやみません。





※本ブログは騙されている顕正会員の方々の一助足り得る事を願い立ち上げるに至った次第です。
以下相談等の窓口ですので何か思い至れば御連絡下さい。
冷やかし等、悪意の内容には返信しない場合がございます。他、私事で返事が遅くなる場合があるかもしれませんがその場合は申し訳ございません。
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