先月の四月十六日───



二度目の大石寺への登山。。。





今回は前泊は大石寺ではせず、当日の朝8時に着山しました。



本当に顕正会員の方々に
此の大石寺の地に行ってみてもらいたく思います。




静かで───



そして美しい───






顕正会時代、
大宮の本部会館には何度も足を運んだ身ですが・・・・





一度、大石寺を知れば本部会館を

「すごいね~~」

等とは語れなくなるかと思います。。




これは元・区長達を始め、初めて登山された元・顕正会員は皆、
思う所なのでは・・と思います。





勿論、景色や建物で宗教の正邪などを論じるつもりはありません。




ですが本当に素晴らしく美しいと思います。。。



そして広く、荘厳です──






今回駐車した場所・常灯ヶ峰 (とこひがみね) より撮影↓↓

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正面は総門、右手が常来坊↓↓
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総門をくぐった所。
右手は支部の宿舎だった常来坊。
中央奥に見える大きな白い建物の様なものは三門です。
改修の為に今は足場で囲まれていて、遠目だと建物みたいに見えます↓↓
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左手は広布坊。中央奥は三門
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三門の西側を回り、裏門と呼ばれる門を北側に超えた所より。
正面が六壺で右隣が客殿の屋根が見えます。
見えませんがこの左手に宗務院があります↓↓
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顕正会では有名な宗務院です↓↓
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巨大な建物が客殿です。
その手前が不開門です ↓↓

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戒壇の大御本尊様がまします奉安堂↓↓
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御影堂↓↓

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御影堂から下っている所です ↓↓
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日寛上人以降、次期 猊下になられる方が必ず学頭(住職) になられる蓮蔵坊です。

日顕上人も登座前に蓮蔵坊の学頭をされています  ↓↓

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今回、東北の元・区長達は初登山でしたが強烈に感動していました。

以下、、超簡単な感想のline (抜粋) です。。
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◆元・班長◆


どこ見ても規模が違いすぎて、
顕正会が宗門に相手にされていないのを実感したわ…😩

御開扉も二重の電動扉&御厨子も二重扉😲
奉安堂の出入りする扉も
横浜国際会議場の扉より厳重そうだったよ😍

御宝前のものも何もかもが大きくて、
奉安堂のロウソクは幼稚園くらいの子供くらいの大きさでびっくりだったわ😱

集会が行われるような坊は
顕正会の本部会館より大きい建物だし、何棟もあるし…

(以下略)





◆東京の元・副長◆

御開扉、うるうるでした





◆東北の元・副長◆

昨日から今日と終始感激で、有難い思いです(涙)
家族全員、感激で、こんなにも喜んだことがあったのかと思えるほどです😭
御開扉も驚くばかりで、想像を絶して感激よりも驚き‼️でした。
また、今回来れなかった方達と共に、参詣したいです😭✌️️




◆東北の元・区長◆

御開扉凄かったです😭😭😭
扉が何重にもなってて、まだか💧まだか💦と思いました。
秘蔵厳護で非の打ち所がないですね‼︎
心の底から大感激でした✨✨✨
人生変わりそうです😆





元・三区長 (別日程でしたがlineが来ました)

見るものすべてに感動してます!!!



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初めて登山された方はその広さや規模、美しさに圧倒されると思います。

とにかく綺麗で心地良い何とも言えない空気感があるんです。。





個人的に好きなのは、夜の参道です。。




沢の水の音と、
薄暗い灯かりに照らされた空間が本当に心地良いのです。。


何故か懐かしい気分になります。。








話は変わり、
今回は御開扉の前に支部の総会(会合)がありました。

会合は顕正会の雰囲気とはかなり違いがあります。


良い意味で柔らかい、という感じでしょうか。。

しかも約1時間程度と短く、登壇も少ないんです。


顕正会の様な、
無駄に長ったらしい不要な内容が続くといった登壇はないんです。

※終わった後の組織の打ち合わせもありません





今回、私は登壇に抜擢され、拙い経験ながら発表させて頂きました。



時間も限られる中での発表だったので、
相当にアバウトな形で私が顕正会から離れる経緯等を
簡単ながらざっくり紹介した様な内容です。



幻の総支隊長が動画を記事にあげておられましたが、、、
音声がスローだったり、モザイクがかかっていますが・・・・


その時の原稿は以下に貼り付けておきます。
(一番下にあります。
最初から私のblogを読まれていれば周知の内容だと思います)





また、、今現在の話ですが、
地元で心有る会員の方々が気付き出してくれています。



私が活動していた地域・組織は
本部職員のK沼より発せられた邪義・嘘が撒き散らされているので、
その中で私の声に耳を傾けてもらえる事、、本当に嬉しい限りです。。



私はK沼に撒き散らされた、
「SOPH...が逃げている」
という嘘に関しては、今後も折伏を通し、
徹底して断固まったく逆である事実を説明し続けます。



顕正会の本部職員・K沼は自分が逃げておきながら、
組織の中には私が逃げているなどとほざいた事。



こういう卑怯で汚い大幹部の実態は私は看過できません。



私の活動していた
尾道・福山・広島等の地域はまだまだ少人数ではあります。



ですが、、
着実に顕正会がおかしい事に気付きだしている方々は増えてきています。



顕正会の間違いに気付いた方々は
逃げる幹部を見て、更に「やはりおかしい」 と確信を強めます。



そして幹部のハッタリ、言い訳や嘘、また屁理屈を聞いては却って


「顕正会、言ってる事が違うじゃん」

「何で正しいのに幹部は出ていかないの」

「逃げてるだけじゃん」


という声が当たり前にあがってきます。


そこでまた懸命に強がったハッタリや嘘が出て言い訳をする幹部の姿を見て、
激しく気持ちが離れていくのです。




そんな顕正会の幹部がよく口にする事。。


「宗門は折伏をしていない」


・・・よく言えるなぁと思います。




しかし、、、

地元の正教寺を見てもガンガン折伏に当たっていますし、

その上、御住職自ら応援にすっ飛んで来てくれます。。



もし嘘だと思うなら
御紹介するので是非、行ってみて欲しく思います。


それに広島市内でも折伏活動は活発ですし、
顕正会の会館に突撃する案も盛んに出ています。



なので私達の前で日蓮正宗を指し、

「折伏をしていない」

「腐敗堕落」


などとは絶対に言わせません。





少なくとも、今、私が目にしている、

そして目にしてきた顕正会の大幹部の方がよっぽど、、、



「折伏をしていない」

「腐敗堕落」

「口舌の徒」

「臆病」




と、映っているのですが。。。。



※本ブログは騙されている顕正会員の方々の一助足り得る事を願い立ち上げるに至った次第です。
以下相談等の窓口ですので何か思い至れば御連絡下さい。
冷やかし等、悪意の内容には返信しない場合がございます。他、私事で返事が遅くなる場合があるかもしれませんがその場合は申し訳ございません。

連絡先 SOPH... (ソフ...)
→jitsujounoichizennikiseyo@gmail.com


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<以下、支部総会での登壇原稿(
人名等、一部修正)

私は昨年の平成二十八年五月、高知の下元さん、また樋田さん、
そして地元・広島県福山市の正教寺の××御尊師の折伏を経て、
邪教・顕正会より、四名の顕正会員と共に日蓮正宗に於いて御受戒を受けさせて頂きました。


私は平成十一年の四月より平成二十七年一月まで顕正会で活動し、
途上、中国地方及び香川県の一部の組織を預かる範囲で
「隊長」という顕正会内の幹部職を務め、多くの方々に邪義を弘めてきました。
 


顕正会とは元々は「妙信講」という名称で日蓮正宗の講中でありましたが、
昭和四十九年、御遺命を巡る戒壇論において、
「国立戒壇」に固執した妙信講は己義我見を譲らず、
宗務院の決定事項に従わなかった他、
禁止されている街宣活動等を繰り返し秩序・統制を乱した事で解散処分となった団体です。



しかし、顕正会の中では、
この一連の状況が浅井昭衛という会長によって巧みに美化されており、

「妙信講は正しい事を主張したが為に不当の解散処分を受けた」

と本当の解散処分の理由を隠し、全くのウソで固められています。



しかし、会員はその事実を全く知る事もなく
「浅井会長は正しい。顕正会は正しい」
と本気で思い込み、
「自分達こそが日蓮大聖人の仏法を正しく実践している唯一の団体」
と頭から信じているのです。



為に、創価学会は勿論の事、日蓮正宗の事も

「御遺命を曲げた団体」
「御僧侶は腐敗堕落している」

と微塵も疑わず罵り、挙句の果てには

「日達上人から日顕上人の血脈は断絶している。
しかし、この機に日目上人の再誕が出現して血脈は蘇る」

という内容が組織にまことしやかに伝えられているのです。



それに輪をかけて馬鹿げた事ではありますが、顕正会は

「広宣流布の暁には日目上人が顕正会の本部会館を訪れる」

と教えられ、会員に信憑性を持たす為、
本部会館には日目上人を広宣流布の暁に御迎えする
通称「貴賓室」と呼ばれる一室まで設けているのです。



御書もなく、またインターネットに寄せられる顕正会に関する情報は見るな、
又は信じるなと指導される組織もあり、
多くの会員は浅井会長の話と幹部の話のみを
「日蓮大聖人の仏法」と信じて育つ為、事実を全く知る機会がありません。



情報もない環境下で

「顕正会だけが正しい、浅井会長だけが正しい、
正宗や学会は大聖人様の御遺命に背いている、僧侶は腐敗堕落している」

と、十数年間ずっと聞き続け、

「浅井先生の指導だけ聞いていれば間違いない」

と教えられた私は、それを忠実に信じ、実行しておりました。




自分達こそが「地涌の菩薩」と確信し、

「浅井会長と共に広宣流布を成し遂げるのだ」

「宗門を正し、晴れて大聖人様の御褒めを頂くのだ」

とのデタラメの使命に燃え、人生を懸けての活動でした。




今、考えれば全く恐ろしい事ではありますが、
顕正会の内部にいれば本当にそう思い込んでしまうのです。
そして不幸な事は、そう思い込んで信仰している会員は今も少なくないという事です。


顕正会員は本当に真面目で、親切な方が多いです。


その方々が間違ったものを信ずるが故に生活を狂わせ、
人生を狂わせ、ひいては法を著しく乱し、
悪道に堕ちる因を積んでいる事が本当に悲しく、
今、多くの会員に顕正会が邪教である実態を自身の経験を元にブログを作製し、
事実を訴える戦いを起こしています。
 


 私が顕正会から離れた理由と経緯ですが、
きっかけは顕正会中枢の幹部の振舞と実態でした。



顕正会は会員には隠していますが、
顕正会の代表役員は会長の浅井昭衛ではなく、
息子であり、理事長であり、
男子部のトップである●●●●が代表にH.22年から代わっております。



この
●●●●の無力、無責任、無慈悲を長期間に見た事と、
在家でありながら葬儀を執行している本部職員の×××という者の
どこまでも内容の無い信心と冷酷さ、
そして、中国四国地方を束ねる▲▲という男子部の元・部長の不徳、
そして現在、日蓮正宗の誹謗を繰り返す顕正会内で頒布されている
顕正新聞の発行人の■■■■という、
嘘で会員を煽動する下劣な幹部連中に不信・不満が抑えきれなくなった事でした。



 顕正会は表向きには

「尊敬し励まし労りあい麗しい団結」
「白蓮華の様な団体」
「顕正会は正しいから強いのだ」

などと謳っています。



しかし実態は全く違い、真逆です。
これは内部で、ある程度の幹部になれば見えてくる事実です。


顕正会は「法戦」といって、
期間を区切って組織ごとに「折伏誓願」と称して
勧誘数の目標成果を決め、活動しています。



この「折伏誓願」の数字には
「浅井先生が広宣流布の逆算から決められている」


などという馬鹿げた意義付けがされており、●●●●を始め、
中枢の幹部がそう喧伝するので中堅幹部から末端まで
「浅井先生の戦い」
「広宣流布の逆算の戦い」
と思い込み懸命に戦います。



そして、この誓願に負ければ
「広宣流布を遅らせる事になる」
「先生に恥をかかせる事になる」
などと中枢の大幹部から追及を受けるので
中堅幹部はとにかくこの誓願達成を文字の如く、死に物狂いで達成に突き進みます。


 しかし、この誓願の数字の組織への割り振りが適当で、組織力や現状を把握していない
●●●●や無能な中枢の幹部連中が決める為、理不尽に数字が不適切な組織があったりするのです。
それが私の受け持った組織でした。


隊長という責任職にあった平成19年七月、誓願は三か月で28名だったものが
翌年の平成20年序盤には三か月で倍の60名、そしてその年の秋には四か月で90名。


平成22年春には、たった二か月の期間で90名の誓願に膨れ上がり、
それにも関わらず数字は増え続け、平成23年には四ヶ月で120名となりました。


 以降は三、四ヶ月の間で120名が定着し、
これは当時全国的に見てもトップクラスの数字だったと思います。



組織力と合わない大き過ぎる数字を背負い、本気で多くの同志が苦しみました。


しかも顕正会は毎週「月曜報告」といって、
班長という役職以上はその上の幹部に報告事項をまとめ、
メール及び電話報告等をする決まりがあります。



私はこの月曜報告を本部職員の×××という者に数年にわたり報告していましたが、
その内容は法門の指導は一切なく、激励でもありません。
唯々、ひたすらに数字の追及でありました。


勝手に決められた大きな誓願であるのに、
進捗が遅れると法戦序盤から執拗に厳しい追及が続けられました。曰く、

「っていうかさ、わかってないよね」

「で、どうすんの」

「これ、総男子部長に報告できんの」


いくら組織の状況を説明しても、
単調な追及の内容の会話しか得られない事が数年続きました。



また、大きすぎる誓願なる故に、組織の中で離脱する同志が多く、
私を含め多くの同志が愚痴や不満、疲労も激しく重なり、
沈滞の一途を辿っていきました。


そういう状況をこの×××に相談した時などは

「それ、隊長の愚痴じゃない?」

と、責任はすべて私に押し付けてくる始末で、相談にもならない状態でした。



顕正会の表向きの建前である、
「尊敬し、励まし云々」など、
微塵も幹部の間では実行されていない事実を現身に受け続けました。


私の中でこの平成19年~平成25年、
本部職員である×××と交わった事で激しく顕正会への不信が募った事は間違いありません。



そして平成25年の途中より、
今度は中四国をまとめる▲▲部長という者の元での活動となり、
それを統率する幹部が
現・顕正新聞の発行人で嘘を撒き散らす■■■■という破廉恥な男でありました。


この組織では、もう数字の話と浅井会長の讃嘆しか記憶にありません。


殊に部長からは数字の成果については

「負けたら切腹もの」

「負けたら成仏に関わる」

「休みないよ」

と、くだらない話が本当に延々と繰り返されました。



会話は全く仏法ではなく、
本当に勝つか負けるかの数字ゲームの実態を此処で身に受けました。


殊に不信を極めたのは、
現在、顕正会の中では外国人の勧誘で数字を稼ぐ組織が余りに多く存在する事です。


知っている所では誓願の八割~九割を
言葉すら通じぬ外国人の勧誘で達成するという所もあり、重複入信も数多くあります。


宗教に抵抗が少ない外国人勧誘は入信がたやすく、
数字が莫大に稼げる為、部長はこの外国人勧誘をベタ褒めし、
「爆発」と呼び喜んでおりました。


また、私の組織の者の子どもで
当時4歳だった子が脳腫瘍の難病を患った事があります。

私はこの子を訪ね、
一週間の内に複数回病院に御見舞いに足を運んでいる時期がありました。


しかし、部長は微塵も心配などせず、
この間も常に組織の数字の追及ばかりを繰り返しました。

たった一度、
「あの病気の子の件で体験発表ってないかな」
という内容を言ってきただけで、心配をしている様子はなく、
会合で発表する登壇のネタ探し程度の扱いだったのです。

その子は結局、病気の発覚より八か月後、他界しました。



私は顕正会への入信の動機は成仏を願っての事でした。


しかし、大幹部が脳腫瘍の子どもがいる事を知っていて、
まったく心配もせず、数字の追及や集会のネタ探しをする態度を見て、
本気で顕正会に異常を感じました。


そういった異常な体質や幹部を目の当たりにした経緯から、
幹部職を降格になった平成26年の五月末、幹部との関りを断ちたく、
翌月の六月に全ての役職を解いてもらおうと降格願いを自ら出しました。


すると、無道心の幹部の部長より意味不明の怒りの電話があり、その内容の中で

「俺は●●総男子部長の命で電話している。
(SOPH...は)弟子ではない。叱り飛ばせ」


●●●●が吐いたと言ってきたのです。



当時の心境を申し上げれば、
十数年に亘って時間も人生も尽くした顕正会の男子部の長に
ここまで励ましも理解もなく、冷酷に突き放されるとは思っていなかったので
数か月、本当に苦しみました。


そしてその後は組織の長より放置・降格・隔離、
また活動停止処分を警告する旨の本部通達を受け、
組織の不信が極まった為に
自らH.27年の元旦を最後に顕正会の全ての活動を停止しました。


そしてH.27の初頭、遂にネットを閲覧したのです。

そこで
「顕正会の本尊はニセ本尊」との記事と初めて出会いました。


最初は
「何を馬鹿な。浅井先生がそんな事をする訳がない」
と思って読み進めました。



しかし、そこに書いてある内容の余りの具体性と裏付け、
そして私も不思議に思っていた顕正会の本尊が常に真新しい不思議。


何よりも導師曼荼羅の御形木など世の中に絶対に有り得ない事・・
記事を読み、手が震えました。


「顕正会は本尊を複製したとんでもない邪教かもしれない─」


初めて浅井会長への信頼が激しく揺らいだ瞬間でした。



唯、容易に相談できる内容ではない事から一年以上、自分なりに調べていた時、
縁あって顕正会時代に同じ組織にいた高知の下元さんが
既に妙相寺の信徒に移っていた事を便りに、
三名の顕正会の同志と共に尋ね、話を伺いました。


その後、下元さんの手引きで樋田さんを招いて頂き、
私達の抱く疑問を四時間にわたり答えて頂き、
国立戒壇の誤り、血脈断絶の嘘も氷解しました。


そして後日、福山の正教寺に招かれ、
〇〇〇御尊師同席での深夜に及ぶ折伏を受け、
晴れて数名の同志と共に法華講員の一員とさせて頂いたのです。


この日を境に私は顕正会員としての清算をせんと準備を進めました。
多くの顕正会員にニセ本尊の事実と顕正会の間違いを伝えねばと思った故です。

私が日蓮正宗に移った旨をかつての同志にメールで一斉に連絡すると、
すぐに除名通告が組織の隊長なる者から送られてきました。
そして組織の中には恥ずかしげもなく

「SOPH...からの連絡はとるな」
「返事もしなくていい」

また、
「SOPH...の連絡先を消せ」
という指示が出されました。


そういう状況の中で隊長・部長といった組織を束ねる幹部を折伏せんと直接連絡をとりましたが、これも返事がなく、初めて顕正会の弱さ・卑怯さを目の当たりにし、本当にショックを受けました。


その内に顕正新聞の発行人の■■■■から電話がありました。

この者は全国の多くの組織を束ねる会の中では名の通った大幹部の本部職員です。

私はこの■■■■という本部職員の汚さを自身が幹部時代に知っており、
電話対応だと必ずこの者は逃げると最初から思っていたので、
この者は眼前で叩きたいという思いから逃がさない様に、
文章において証拠をとりながら徹底して眼前での対論の申込を迫りました。


■■■■は電話で解決しようとしていたのでしょう。

眼前での対論を迫ると彼は強がりながら逃げるという卑怯・臆病そのものでした。


しかし■■■■は組織の中では格好つけて、

「SOPH...の件は私が対応する」
と言い回しており、

更には対論を迫る私から逃げ続けたクセに組織内には
「SOPH...と会いたい」
と言いふらしていたのです。


その矛盾した嘘を突かんと再度私から

「会いたいというならば会って邪正を決しよう」

と対論を迫ると◼◼◼◼は平成十七年に浅井会長が日顕上人に対し、
不遜なる対決を申入れ、その対論が実現しなかった事を挙げて


「(宗門は)私と対論する資格がない事を知れ」


などとほざきながら、徹底して何度も対論を避けてきました。


組織内には「SOPH...に会いたい」
また「SOPH...と対論する為に文証を集め準備している」
と会員には言いふらしておきながら、いざ迫られれば

「対論する資格がない事を知れ」

と言って逃げる二枚舌には呆れを通り越し、苦笑いしかできませんでした。



結果、■■■■はニセ本尊の説明や、勤行の改変、塔婆供養・戒名の否定、
御僧侶抜きでの葬儀法要の執行と、顕正会が抱える問題に何一つ返答せず、
黙秘を決め込み対論から遁走したのです。


尚、腹いせかどうかわかりませんが、この
■■■■が新聞発行人になった昨年より、
正宗の事を悪く書き連ねた記事が
かなり多く盛り込まれる様になっている事は悪意を感じるものであります。


この顕正新聞を発行する立場にある本部職員が逃げ去った事を以て、
私は地元の折伏と並行し、
ブログにて幹部の実態を体験と事実を以て書き連ねていきました。


すると、心有る現役の顕正会員の方々から段々と声が集まり出し、
地元の元同志で顕正会員からも信頼の厚かったKさん、
また青森で昨年まで区長という大役を担っていた◆さんという聡明な方々の入信が相次ぎ、八戸、東京、広島の地域で本年に入り、現在系列で20名を超える弘通が叶っております。



そして、今も尚、現役の顕正会員の方々との交流や情報交換があり、
顕正会の組織内の腐敗や心離れは激しいと思わざるを得ません。

 今、正宗に移ってより思う事は、
顕正会で語られる日蓮正宗の姿は全くのデタラメだったという事と、
本当の広宣流布の戦いはこんなにも楽しいものなのかと思う事です。


私を始め、顕正会から移ってきた方々が一様に思う事は、
情報を制限された中で理不尽かつ無制限な活動に身を置いてきた為に、
今、自由に学べる事が本当に楽しく、
また騙されているかつての同志に正しきを伝える事に心の底から喜びが込み上げ、
自然に折伏の念が沸いてくる事です。
これは顕正会時代ではまったく味わった事がない感覚です。


「大聖人様の仏法が正しく学べる」

そして何よりも

「戒壇の御本尊様に御値いできる」

長く邪教に身を置いた私達にとって、
これは本当に当たり前の事ではありませんでした。


近くて遠い道のりではありましたが、
今、縁あって正法正師に帰依する事が叶った以上、
未だ多くの会員が戒壇の大御本尊様から遠ざけられ、
邪義をばら撒き続ける邪教・顕正会に、大折伏の戦いを敢行し、
以て、疑い、迷い、躊躇する顕正会員と戒壇の大御本尊様の架け橋になって、
多くの方々を救って参る決意であります