長い戦いの中には色々な事があると思います。

ですが立正安国論にある、
辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ 臭きを溷厠(こんし)に忘る
の状態に気付いて欲しく思います。

蓼(たで)の葉というのは辛みがあり、その辛い蓼の葉をいつも食べていると、
次第にその辛さを感じなくなる。
「臭きを溷厠に忘る」とは、溷厠(こんし)とはかわや、便所の事。
便所に長くいると臭いことを感じなくなる様、苦しみや間違いに慣れてしまうと、
苦しみを苦しみと、間違いを間違いと思えなくなってしまうのです。


顕正会の邪義に慣れてしまうと、邪義が邪義とわからなくなってしまいます。
顕正会が進めているのは”依法不依人”ではなく逆さまの
「依人不依法」で浅井会長に依って法に依らない信心ですから、その時点で大間違いです。


今回は記憶に新しい方も多いかと思いますが顕正寺の建て替え(典礼院)という事で
以下は落成の約一年前の会長の講義と、その翌年の落慶式の指導を並べています。


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<H.14.5.5顕正新聞>
※落成の約一年前、顕正寺を全面建て替えする発表

「顕正寺が建ったときのこと、知っている人はあまりないと思うので、少々述べておきます。
顕正寺が建てられたのは、顕正会が御遺命守護の戦いにおいて、
理不尽にも解散処分を受けた後、ほどなくしてです。

当時、顕正会は「妙信講」と称し、宗門の一末寺・妙縁寺に所属しておりました。
その妙縁寺の御住職が松本日仁というお方で、
宗門では能化という貫首に次ぐ高い位の老僧でした。
妙信講が解散処分を受けると、宗門は学会の意向を受けてこの松本御住職に圧力を加えてきた。
「妙信講を潰すのに協力をせよ」
「妙信講員を妙縁寺に出入りさせてはいけない。葬儀を頼まれても絶対にやってはいけない」
と、冷酷・非情な命令をしてきたのです。
松本御住職はそのご性格、まことに温厚で、律儀で、真面目で、
管長の命はすべてこれ堅く遵守するという遵法精神の強いお方でした。

しかし、正しい妙信講を理不尽に解散処分にした上、
さらに「潰すことに協力せよ」というこの無体な命令だけには従うことを躊躇された。
このときの宗門執行部は細井日達管長と阿部信雄総監代行(現・日顕管長)の二人だった。
早瀬日慈総監がいたが、
この人は、国立戒壇のゆえに妙信講の首を切るのが堪えられなかったのでしょう、
病気を理由に総監代行を置き、阿部信雄にこの役目をやらせたんです。

阿部信雄は「学会に点数を稼ぐは今なり」と、妙信講の撲滅に全力を傾倒した。
かくて、妙信講を庇う松本御住職に対して「何としても潰せ」という命令が下されたのです。
細井管長と阿部総監代行はついに松本御住職を本山に呼びつけ
「あんたではやれないだろう。住職代行を派遣してやるから、
これにすべてを任せて、妙信講との縁を切れ」
と迫った。
住職代行として示された人物は、浜中和道という学会の手先の悪僧だった。
これは事実上の隠居強要です。
そしてこのことを承諾させるべく、阿部総監代行は松本御能化を一室に閉じこめ、
「承諾の印を押すまでは帰さない」と威した。
このとき松本日仁御能化は八十三歳、お身体も弱っておられた。
ついに長時間の責めに耐え切れず、署名捺印をしてしまったのです。
その日、妙縁寺に戻られるや、松本御能化は直ちに私に電話を下さった。
夜中の十二時頃でした。

私はすぐに駈けつけた。
松本御能化は申しわけなさそうに、押印の止むなきに至った経過を説明された。
それから二・三時間、私は
「今の宗門がいかに学会におもね、大型人の御遺命に背いているか」
ということを、改めて強く申し上げた。
やがて松本御能化は「恥ずかしい」とおっしゃった。
「日蓮正宗の僧侶として、大聖人様の弟子として、まことに恥ずかしい」と。
そして「明日の朝、これを撤回する」と一言われた。
その決意をなさった瞬間、それまで疲労で土気色になっていたお顔に赤味がさし、
頬が少年のように桜色になったこと、私は今でもはっきりと覚えております。
やがて夜が明けるや、本山に電報を打ち
「昨日のことは本意でないから撤回する」
と一報された。
昭和四十九年十一月十五日のことでした。
その日のうちに、学会の弁護士が四人すっ飛んで来た。
そして「考え直さないと、住職罷免だけでは済まない、擯斥処分になりますよ」と一言って脅した。
だがこのとき、松本御能化は毅然と言い切られた。
「私はあと生きても一年くらいと思っている。
このわずかな命を、大聖人様に捧げる決意をしたから、もう何も怖くない」と。

脅せば言いなりになると思っていた老僧の、この毅然たる態度に、弁護士どもは唖然とした。
宗門は直ちに処分を実行した。
それは僧籍剥奪・擯斥処分という、冷酷そして理不尽きわまる処分でした。
まさに松本日仁尊能化こそ、国立戒壇のゆえに妙信講と運命を共にして下さった、
宗門でただ一人の僧侶であられた。
そして、この擯斥処分を受けた松本尊能化を
お守りせんとして建てたのが、この顕正寺であります。
ゆえに顕正寺は御遺命守護の戦いの、一つの象徴ともいえる寺なのであります

そしてこの寺に納骨堂があり、広宣流布の途上亡くなられた同志の遺骨がそこに納められればこそ、
全顕正会員は今日まで後顧の憂えなく戦うことができたのです。
その納骨堂が、もういっぱいで、どうしょうもなくなった。

そこで今回、全面的な建て替えを、決断したわけであります。
新しく建つ顕正寺は相当大規模です。
地下一階・地上三階の鉄筋コンクリート造りで耐震耐火も完壁。明るい近代建築です。

礼拝室は最上階の一部にあるが、それでも従来の本堂よりも広く、エレベーターもついております。
設計は地方会館のすべてを手がけてきた練達の溝口一級建築士。
それに顕正会幹部の建設委員が加わり、討議に討議を重ねて、
このたび設計が完成し、建築許可も下りました。
先日、私は初めて設計の説明を受けましたが、素晴らしいものですね。
これが納骨堂なのかと思えるほど、明るく近代的で、従来の納骨堂とは全くイメージが違う。
ロッカー式です。
そしてその一つ一つに一扉がついており、その扉に「〇〇家」という墓標も書けるようになっている。
そのロッカーの前で、お題目を唱え回向することもできる。
私はこの設計図を見て、これからはこういう形式が最も時に叶っているのかなと思った。
一人ひとりがお墓を造るのはたいへんなことでしょ。

だから、心ならずも先祖代々の邪宗の寺に遺骨を納めている人もあるかも知れない。
これからは、こういうスッキリとした形が最も時に叶っているんだと、つくづく思いましたね。
しかも、顕正会の同志と一緒に入れるわけでしょ。総班単位で入れるかもしれない(大爆笑)。
総班長の隣なんてどうです(爆笑)。
今生だけでたくさん?(大爆笑)。
溝口建築士が実物のロッカー見本を見せてくれたが、
扉を開けると、中は大理石模様の化粧板できれいにできている。
あまりに立派なんで、早く人りたくなっちゃう(大爆笑)。
完成は明年の四月。
もうこれで、後顧の憂えはない。広布最終段階の戦いを、
勇躍して前進したいと思っております。
                     (以上)
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以下はH.15.5.18の落慶式の指導の一部です
(H.15.5.25顕正新聞)

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<H.15.5.25 顕正新聞 / 典礼院落成式>

広宣流布への新しい役割を持つ典礼院がここに落成し、
ただいま、富士大石寺第五十五世・日布上人御書写の御本尊様がお出ましになったこと、
感激でいっぱいであります。
まことに立派にできましたね。世間一般の納骨堂などとはイメージが全く違う。
新しいスタイルです。
これが、広宣流布に戦う唯一の仏弟子の集団・顕正会に相応しい、時に適った姿なのであります。
もうこれで、後顧の憂いは全くない。
以前はよく折伏のとき、
「顕正会に入るのはいいけれど、葬式はどうなる」
「お墓はどうなる」
などということが出て来た。
そこで入信の決意がぐらつく(笑)。
「信心はしたいけど、墓がないから」なんて。
しかし今度は、信心がなくても(大爆笑)
「納骨堂に入りたいから入信する」(大爆笑)
なんていうのが出てくるかもしれない。

世間の人達はただ世間体で葬儀にこだわり墓にこだわるが、
邪宗の坊主の実態を見てごらんなさい。
ハゲタカみたいではないか。 葬儀につけ込んで、カネを儲けようというだけだ。
こんな葬式坊主は、早く一掃しなければいけない。
葬式坊主だから、戒名でまず儲けることを考える。
院号を付ければ百万円以上だとか、そして墓は一メートル四方でも数百万円以上。
墓石でもピンハネをする。
葬儀こそ坊主の収入源だから、この時とばかり貧るのです。
本宗の僧侶も、その心根においては全く同じですね。※
だから、葬儀、戒名、塔婆を僧侶の特権として、やはりハゲタカのことく貪ってる。
これらの禿人には、成仏のこと広宣流布のことなどは眼中にない。
これを「法師の皮を著たる畜生」というんです。
このような輩に、どうして広宣流布ができましょうか。

そこに広布の前夜、地涌の流類の大集団に、自然と時に適った形が出来てきたのです。
それが顕正会における、清らかな儀礼室であり、この完壁なる納骨堂なのであります。
もう職業僧侶も、戒名もいらない。
すべからく本質に立ち戻らなければいけない。
御在世の信心に立ち戻らなければいけないのです。
御在世に、いまのような大仰な戒名がありましたか。
だいたいおかしいでしょ。死んで戒名もらうというのは。
死んだら名前が変わっちゃった(大笑)。これはおかしい。
御在世においては、大聖人の弟子になったとき、仏法上の名前を頂いた。
これは法号※というんです。
上野殿の法号はわずか「大行」の二丈字だけですよ。
だから過去帳には「大行尊霊」とある。
すべからく御在世に立ち還らなければいけない。

生前の信心こそが大事なのです。
ですから俗名で「何某精霊」と記入されればそれでいいではないか。
私は思う。
広宣流布になったら、いまのような禿人が巣くう末寺制度というのは、壊れると思っております
いまの末寺は、華道や茶道の家元制みたいで、
檀徒からカネを巻き上げるだけの制度ですよ。

死身弘法の精神などは微塵もない、
こんな堕落の制度でどうして広宣流布ができようか。

信心のない坊主などは追放しなきゃいかんのです。

※法号とは戒名の事です。何言ってんでしょうか。
※また日蓮正宗は戒名料などとっていません。

この指導は宗門に対し誤ったイメージを持たせる悪意を感じます
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浅井会長の一方的な話だけを聞いていれば如何に
宗門・学会が汚く松本能化を威し、浅井会長が護法の精神に立っているのか─

そして浅井会長が如何に松本能化を思い、また会員を思われているのか─

と思います。
そして、邪宗の坊主は元より、御遺命を破壊した宗門僧侶は正に金儲けの体質で
邪宗と全く同じ。ハゲタカの如くで「法主の皮を著たる畜生」。
そこに広布の前夜、地涌の流類の大集団に、自然と時に適った形が出来た─
それが顕正会における、清らかな儀礼室であり、この完壁なる納骨堂─
有難い、本当に有難い。
大聖人様が浅井先生の戦いを正に後押しして下さっているから
こんなにも環境が整ってきたのだ─ 

・・・という思考だったと思います。少なくとも私は。。



ですが法華講員の樋田さんはこの顕正寺・典礼院につきまたまたバッサリ斬っております。
(一番下に添付しておきます)

他にも浅井会長と松本能化の関係は本当に良好であったのか、
またS.53.3月・顕正寺建立時の初代住職だった八木住職がS55.7.24に姿をくらまし、
たった二年弱で事実上の解任となっていますがこの時の会長の説明は

「活動家僧侶の煽動、一寺族の寺院私物化の妄想、
不純分子の跳梁という、三つの背景による(顕正新聞S53.8.25)」

というもので、その後、所化の村松氏を住職代行に迎えましたが、
この方もH.17年11月まで本部職員として在籍させたものの解雇しています。
(八木元住職はその後日蓮正宗に謝罪し復帰しています)

しかしあくまでも浅井会長の一方的な意見であり、浅井会長の御遺命守護の戦いも
多く嘘が指摘されていたり、日達上人も言っていない事を浅井会長がねつ造して
組織内に吹き込んでいた事を怒られていたりと、
浅井会長には常に嘘がまとわりついていると考えざるを得ません。

別角度からの意見として松本能化に関しては
元創価学会顧問弁護士・山崎正友氏が『慧妙』紙に連載した手記に

『妙信講顧問弁護士が委任権限を行使して
「松本が妙縁寺に遺してきた銀行預金1億2500万円を、
日蓮正宗側は、松本に引き渡すべく所定の口座に振り込む

との和解条件を受け入れ、この訴訟は取り下げられた。
妙信講顧問弁護士が指定してきた口座は「顕正寺建立準備資金」名義の銀行口座であり、
松本の死後、この1億2500万円が、顕正寺建設の資金等として使用された。
松本の遺族らは抗議したが、すでに後の祭りであった


という黒い話もあります。

思うに浅井会長は知っているのです。
葬儀や法要は御僧侶が必ず必要な事を。
だから顕正寺の当初には御僧侶を招き住職と為し、
また修業半ばの所化の僧まで引っ張り住職代行としたのです。

しかしニセ導師曼荼羅に手をつけ、また血脈の否定をした事や
元々の僧侶軽視も相俟って段々と変質し、遂には仏法の本義まで捻じ曲げ、
僧侶を不要とまでしてしまいました。

そして上記の典礼院の落成式の指導の如く、
かつて自分が在籍していた日蓮正宗の御僧侶まで邪宗と並べ
「塔婆・葬儀・法要等を使った金儲け」
と言い切ってしまったのです。
この変質ぶりには一貫不変の信仰姿勢など微塵も見えません。

しかし、浅井会長はニセ本尊を手掛ける事が出来る以上、
何をやってもおかしくありません。
だから嘘など簡単につけるものだと思われます。

本部職員においても対論もできず、平然と組織内に嘘をつく大幹部を見た以上、
私は顕正会は絶対に邪教と判じます。

騙されないで下さい。
会長含め、彼らこそ大聖人の仏法をねじ曲げ隠し、浅井会長を祀り上げる事で
宗教ビジネスを運営している連中です。
茶寮にしても出仕と称して会員を食事一食分で働かせてますので、
相当な利益を生んでいるのではないでしょうか。
また、班長から自宅拠点を申請できるのもニセ本尊の在庫処理を含め、仏壇ビジネスを目論んだ風にも見えます。(経机の販売宣伝にしてもそうです)

仏法の本義を曲げ、ニセ本尊を作り、
勤行や葬儀・法要等の化儀も変えた浅井会長。
一連を知った今、
私は顕正会こそ金儲けに走っている風にしか思えません。



※では以下樋田さんのHPからです
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<以下法華講員の樋田さんのHPより>

■顕正寺にまつわるさらなる矛盾
   浅井会長は顕正寺建立について、
 ▼「この擯斥(ひんせき)処分を受けた松本尊能化をお守りせんとして建てたのが、
   この顕正寺であります」(顕正新聞 H14.5.5号)参照
 
 と言っていましたが、その翌年の典礼院御入仏落成式講演では、
 
 ▼「もう職業僧侶も、戒名もいらない。(中略)御在世の信心に立ち戻らなければいけないのです」
(顕正新聞 平成15年5月25日号)参照
 と言っています。
 
 なぜ
 ▼「僧を守るための寺」 → がいきなり 
 ▼「僧を排除する納骨施設」 に変貌したのでしょうか。
 また僧を排除することがどうして「御在世の信心」 なのでしょうか。
 
 まったく意味不明なので、顕正会の方、どなたかまともに答えてください。

 また、かつて浅井会長は、
 ▼「顕正寺建立を以って御遺命守護に斗(たたか)う真の僧俗一体の体制は整い
   講中一結、何ら後顧の憂いなく邁進する時を迎えた」(顕正新聞 S52.8.25号)
 と言っていましたが、
 
 ▼「僧俗一体」の体制 はいつの間にか、曖昧なまま 「不要」 になり、
    「もう職業僧侶も、戒名もいらない」 と、
    とうとう 「廃止」 されてしまいました。

 このように浅井会長は、
 ▼「顕正寺を御遺命守護完結の後には
     時の御法主上人へ御供養する(趣意)」
(顕正新聞 昭和五十三年三月十五日)

 と宣言していた事実をうやむやにしてしまいたいという意図の元、 
『顕正寺』 を、事実上消滅させるために、
新たに『典礼院』 という納骨堂として作り変えて、かつての約束を反故にしたのです

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以下、大白法639(h16.2.16)号より転載

 ▼ 「顕正寺は御法主上人に御供養申し上げる」
            困り果てた浅井のとった対策とは
                       一顕 正 会一  

平成十年四月、正本堂に厳護されていた本門戒壇の大御本尊は、奉安殿へ御遷座された。
この出来事に、一喜一憂した男がいた。
 顕正会会長・浅井昭衛である。
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   ■ 目的を失った顕正会
  浅井会長は、かねてから大御本尊が正本堂から御遷座されることをもって
 「御遺命守護の完結」 と叫び、顕正会の年来の大目的としてきた。
それが浅井会長にしてみれば、何の前触れもなく、大御本尊が御遷座されてしまった。
慌てふためいた浅井会長は、この出来事を「還御」と称し、
顕正会の戦いによって大御本尊を守護できたとすまし、
「御遺命守護完結奉告式」なる式典を開いている。
 
ここにおいて、まさかの御遷座の出来事によって、
組織の存在の意義を失うこと(解散)を恐れた浅井会長は会員に
「顕正会が新しい時代に入った」 などと言って、適当にごまかしている。
 
このことからも、大御本尊が正本堂から御遷座されないことを一番願っていたのが、
実は浅井会長だったと言える。
 
なぜなら、正本堂からの御遷座など永遠にありえない事態と思えばこそ、
組織を永続させるための生命線にしてきたのである。
いわば一級品の誹謗ネタだ。解散の意思など、初めからあるわけがない。
 
故に、大御本尊御遷座を聞きつけた浅井は、表面上は感涙すれども、
その心中たるや、けっして穏やかでなかったに違いない。
 ましてや、浅井会長による宗門への諌暁(?)によっての御遷座でもなく、
さぞやカッコもつかなかったことであろう。
もはや、本来の目的を失った浅井会長。顕正会を即刻解散させるのが筋ではないのか!
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   ■ 『顕正寺』 はどうなった?
 
さて、浅井会長には、大御本尊御遷座に伴う組織の解散とともに、果たすべき事柄がまだある。
顕正会には独自で建てた 「顕正寺」 という、寺まがいのものがある。
 
 昭和五十三年三月に行われた同寺の落慶式で浅井は、
 ▼「このお寺は誰のものでもない。(中略)御遺命守護完結のその日には、
この顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げる」
 (顕正新聞 昭和五十三年三月十五日号)
 と、実直さを装い、顕正寺の寺院規則をペラペラ喋っている。

 爾来二十年、大御本尊は御遷座され、「御遺命守護」なるものも完結されたはずだが、
浅井会長は顕正寺の件には何も言及せず、頬被りを決め込んでいた。
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   ■ 実体無くし、会員欺く
 
ところが浅井会長は、平成十四年になると、
突然、顕正寺の老朽化と納骨堂の収容能力の限界を理由に、
同寺の全面建て替えを 「新顕正寺建設」 と、ひとまず発表している。
 (顕正新聞 平成十四年五月十五日号・取意)
 
しかし、それから一年後の五月には、驚くことに顕正寺を、
何食わぬ顔で 「冨士大石寺顕正会・典礼院」 という、
納骨専門の会館に全面的に建て替え、寺自体を完全に消滅させたのである。
 これが浅井会長の手口である。
 
 ▼「これが、広宣流布に戦う唯一の仏弟子の集団・顕正会に相応しい、時に適った姿」
(顕正新聞 平成十五年五月二十五日号)
寺を壊した浅井会長の言い訳だ。
「顕正寺」 の実体を無くすことにより、自らの約束事も忘却の彼方へと追いやる浅井会長。
会員を欺く姿は詐欺師も顔負けである。
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   ■ 浅井会長の三つの魂胆
 
 浅井会長の納骨堂建設のカラクリは穢れている。
 一には、顕正寺落慶式での発言を反故にしたことを会員にばれないよう美化し、うやむやにするため。
 二には、在家教団として不都合な寺院を廃棄処分できるチャンスのため。
 三には、組織運営に必要な財源作り。
 生前から予約できるこのロッカー式の使用料は、
一体用が二十万円、二体用が三十五万円らしい。
 会員は全員入れ、と言わんばかりの浅井の納骨ロッカー勧誘は、
ハゲタカが貪りつくかのようだ。
顕正会員達よ、顕正寺を消滅させた浅井昭衛に騙されるな!








※本ブログは騙されている顕正会員の方々の一助足り得る事を願い立ち上げるに至った次第です。
以下相談等の窓口ですので何か思い至れば御連絡下さい。
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