2011年04月04日


このブログ、しばらく鍵を掛けようと思います。
一旦、整理をします。

こんな陳腐なブログでも、長年続けていると
長い髪を切るときのような決意が必要なんですね。

でも区切ることも必要な時期ってあると思います。
またどこかで、なんらかのかたちで。


再来!












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2011年03月26日

一剣天に倚つて寒し

〜〜
考が乱れていては外的状態の奴隷となる。
絵を作らんと意図して、熟思し、しかるのち筆を走らせるものは、
絵画の術からはなはだしく外れる。

曰く、十年間、竹を描け、
そして自身が一本の竹となって竹を描け、
このようにして描く時、竹に関する一切を忘却せよと。
間違いなき技術はすでに手にはいっているので、
いまはただ天来の興に身を任せるのだ。

ーー「中国の神秘思想と近代絵画」ジョージ・ダスイット
(「禅と日本文化」鈴木大拙より)



数ヶ月間、氣が低迷していた。

低迷する時期は、月に2、3日は襲ってきていたので、
しばらくすればもどるだろう、と放っておいたが、
今回はやたらと長くつづいている。
途中で震災ショックも重なった。

実際に被災しているわけではないけれど、
精神に影響がなかったとはいえまい。

救いはなく、呆然と床に沈む。
世の中を世の中たらしめる矛盾は受け入れているつもりだけど、
現実はそんなに甘くはない。
不条理に背を向けてばかりじゃ生きてけない。

こういうときこそ、何事かに身を投じることにしている。
あれこれやっているのは、己をふりはらうためかもしれない。
自己の内側に意識を向ける時間をつくらないように。

そんな迷いの淵にある己を救ってくれたのが、
禅を紹介する本だった。

一瞬で迷いをぬぐいさってくれる。




以下は、前出の「禅と日本文化」にある一節。


楠正成が湊川で足利尊氏の大群を迎えようとしたとき、
兵庫のある禅院にきて、和尚に尋ねた。

『生死交謝の時如何』
(人の生死の岐路に立った時はいかにしたらいいでしょうか)

和尚が答えた。

『両頭ともに截断すれば、一剣天に倚つて寒し』
(お前の二元論を断切れ。一本の剣だけを静かに天に向かって立たせよ)




















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2011年03月23日

追跡注意



ーーいちばん厄介なのは、おもいを追跡すると自発的な編集の流れが壊れてしまうということだ。(知の編集工学)



ーー惟(おも)えば、事はおこっている。それが「事柄」というものだ。事柄は「事」よりも「柄」を見たほうがいい。(半巡通信六十六号)





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2011年03月22日

欠けたモデル



ーー自分に自信がないときは、歴史にも世の中にもまだまだ「欠けたモデル」があるのだと思えばいい(千夜千冊1304夜)。








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2011年03月18日

消息の海


いまこんなに動き回っているのは深海へ沈みそうになるカラダを必死に浮上させようしているようなもの被災地に玄氣を浴びせたいココロから笑顔になれる日まで歩む覚悟で支え合いたい脆弱な日本列島で生まれたんだから受け入れ生きねばならない切ない言葉に胸がつぶれるだからあすは逃げずに向き合うつもりです。








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