2006年10月24日

第111回 化粧品に使われてきた植物の力〜植物の力が、再び、見直される(その2)

1960年代にフランスの医師ジャン・バルネが精油や植物療法について体系的な著書を出しましたが、それは単なる民間療法としてかたづけられてきた植物療法が再評価される大きなきっかけとなりました。
さらに最近では、環境問題が深刻になってきたことから科学への信頼が薄らぎ、植物療法に目が向けられるようになってきました。そうした時代の中で、再び、化粧品においても植物の安全性とパワーが見直されつつあります。
今、女性たちが、植物の知識を持ち、それを日々の生活に活用することは、自然がくれる計り知れない恵みについて、もう一度、思い出すことになるのではないでしょうか。

  

2006年10月20日

第111回 化粧品に使われてきた植物の力〜植物の力が、再び、見直される(その1)

古代から蓄積されたヨーロッパの植物の知識は、大学や国の中央の教育機関ではなく、むしろひっそりと地方に住む、つつましやかな主婦の台所に残ったようです。それは、ハーブの料理として、手作り化粧品として、お母さんがハーブから作る薬として残ったのです。1920年代まで、医療の中で、そして化粧品の中で、身近な植物が果たす役割は小さなものでした。ベジタリアンやナチュロパシー(自然療法)に関心を抱くことは、わざわざ科学の進歩に背を向け、迷信を信じるに等しいことでした。それでも徐々に植物の力が再び、公の場でも認められるきざしが見えてきました。

  

2006年10月17日

第110回 化粧品に使われてきた植物の力〜見失われた植物の力(その2)

 それでも12世紀頃あたりまでのヨーロッパでは、古代の慣習や知識に理解がある風潮が残っていました。たとえばラインランドの修道女、聖女ヒルデガルドは、治療のために植物を含めた自然のものを活用する著書「フィジカ」を書いて名声を博しました。しかしその後の中世では、魔女狩りの嵐が吹き荒れ、ヨーロッパの公の場から、多くの貴重な植物の知識が失われてしまったのです。

  

2006年10月13日

第109回 化粧品に使われてきた植物の力〜見失われた植物の力(その1)

 しかし古代から連綿と、おもに女性たちによってつちかわれてきた植物の知識は、ちょうど二千年前あたりから、徐々に舞台の陰のほうへと追いやられていきます。ローマ帝国がキリスト教を国教にして以後、それまでヨーロッパ各地にいた植物に詳しいヒーラーは、しだいに軽んじられるようになっていきました。たったひとつの宗教しか認めないキリスト教徒にとって、古代世界に数多くあった各地の大地母神信仰は邪教とみなされたのです。当時は、ローマ帝国のもとに入ったエフェソスのアルテミス神殿も、キリスト教徒の攻撃の対象になり、神殿や周りの森が破壊されました。そして薬草を調合する巫女や女性たちは魔女として迫害されるようになっていきました。

  

2006年10月10日

第108回  化粧品に使われてきた植物の力〜古代から植物の知識を育ててきた女性

 アナトリア(現在のトルコのアジア側)には、世界最古の都市シャタル・ユユクがあります。それは約八千年前の遺跡と言われていますが、平和な母系社会であり、すでに農業が始まっていたことが明らかになっています。つまり農業は、もともと植物の採集者であった女性たちが発明したものであることが考古学的にわかってきたのです。

 紀元前7世紀頃からローマ時代にかけて、アナトリアには、有名な月の女神アルテミスの町、エフェソスが栄えました。月の女神アルテミスの神殿に住む巫女たちは、植物を使って病気を癒すヒーラーでもあり、産婆でもあり、そして美容家でもありました。神殿では、訪れる人の悩みに応じて、巫女たちが薬や化粧品を調合して、分け与えていたようです。

 ちなみに月の女神アルテミスの名は、植物名のアルテミシア、すなわち蓬の意味です。日本でも蓬は、たいへん滋養の高い植物とされていますが、お産した後の女性に飲ませるという習慣がアナトリアにもあったようです。アルテミスがお産の女神であることを考えるととても興味深く思われます。

 古代から女性たちは植物の力を知り、それを生命力を高めるために使い、その知識を育てる主体者であり続けたようです。

  

2006年10月06日

第107回 化粧品に使われてきた植物の力〜植物原料の化粧品はエジプト時代から(NO.3)

「エーベルス・パピルス」が書かれたのとほぼ同じ頃、女性のファラオ、ハトシェプスト女王があらわれ、エジプトに芸術と大繁栄の時代をもたらしました。彼女はミルラの香木を求めて、はるばるとプント(今のソマリア)まで大船団を送りました。

エジプトでもっとも美しい建造物と言われるハトシェプスト葬祭殿には、プントから運んだミルラの木が植えられ、葬祭殿の壁には誇らしげにこう記されています。  

「私は、世界で最初に平和貿易をした王である」と。

エジプト人は、古代世界の中でも、もっとも博識な植物の知識を持っていた民族と言ってほぼ間違いないでしょう。それにしてもなぜ、ほぼ五千年前に始まったと言われるエジプト文明が、それほどまでに膨大な植物の知識を持っていたのかは謎です。もしかしたら文明の起源は、今、私たちが考えている以上に古いものなのかもしれません。

エジプト王朝において最後の王となったクレオパトラは、ローマの軍人を前に、植物について長い講議をし、その知性ゆえに感動を呼び起こしたというエピソードが残っています。おそらく絶世の美女と言われたクレオパトラの美貌もまた植物の力をおおいに借りたものだったのに違いありません。  

2006年10月03日

第106回  化粧品に使われてきた植物の力〜植物原料の化粧品はエジプト時代から(NO.2)

それは今日の中近東でも、コフと呼ばれる化粧品として残っています。コフは、ハーブや樹脂を黒く焼いて細かな粒子にしそれを粘性のある植物オイルで溶いたものです。ただ美しく見せるだけではなく、当地の強い陽射しから目を守るためにも有効なものであり、目の病気にもいいものです。つまりコフは、日本の紅花の口紅のように、美と薬を兼ねた化粧品であったわけです。
また香りについても、エジプト人は、洗練された文化を持っていました。悲劇の若き王ツタンカーメンの墓からは、精油が入った瓶も発見されていますし、またミルラや白檀などの香木は、神殿の儀式にとって欠かせないものでした。
19世紀には、ドイツ人学者エーベルスが、紀元前1500年頃にエジプトで書かれた「エーベルス・パピルス」を発表しましたが、そこには、いくつもの植物療法や香りの使い方について記されていました。

  

2006年09月29日

第105回 化粧品に使われてきた植物の力〜植物原料の化粧品はエジプト時代から(NO.1)

人の外見を美しく保つための化粧品は、もともとは、聖なる儀式のためのものだったと言われています。今のところ、世界で残っているもっとも古い化粧品というと、エジプトの遺跡から発掘されたものです。発掘品を眺めると、細工された鏡や化粧品を混ぜ合わせる石のパレット、香水瓶、カツラなど、今、使われている化粧品や美容器具のほとんどがエジプトで使われていたものであることがわかります。
化粧品の原料は、孔雀石などの美しい鉱石を砕いたものや、穀物やハーブ、オイルなどのさまざまな植物が主成分になっていました。
アイラインを引くことは、今日では誰もがするメイク方法ですが、それもエジプトで始まっています。エジプトの壁画に残っているように、女性だけではなく、男性もまたアイラインを引いていました。