2009年10月02日
治水と利水の歴史
明治革命以来の入植者の歴史は「治水」と「利水」事業の繰り返しでした。
この中空知 Surachipt Data Stream の最大の問題は、昭和22年の関東の低地を洪水で押し流して、2000名近くの被害者を生み出したカスリン台風なみの水害が出た場合の対策をどうするかの問題です。
そのため、開基以来、さまざまな治水事業が行われ、日本では信濃川なみの長さを誇る石狩川が直線化されました。この地域を Google Earth などで見ると良くわかるでしょう。多くの三日月湖が地域に点在しており、現在は渡り鳥の越冬地として保護されています。
戦後までは「治水」を目的とした多くの事業がおこなわれました。81年の12号台風ではついに石狩川本流の水の進入を防ぎましたが、中小河川の氾濫により、市内の低湿地が被害を受けました。これらの中小河川の改修と、石狩川中流域の治水のために完成したのが砂川遊水地です。ここまでの多額の費用と多くの人々の努力を無駄にしないためにも、この土地を有効に活用できる手段を考えるべきです。
人間は考えて行動できる動物です。カスリン台風以来、東京が大洪水に見舞われないよう、関東大震災のような災害でも建物が崩壊しないよう、日々努力して、耐震、治水事業を行ってきました。
神戸や新潟の災害で被害に逢われた方々には申し訳ないのですが、最近の海外の災害を見ていると、「この程度で抑えられた」日本の災害対策は世界一だと誇れると思います。
水が多く寒冷地ということで、この地は地盤の問題もあります。地盤は泥炭地と砂礫が多くあります。上海の街にニョキニョキ立つような高層物の建築には向かないかもしれません。しかしこれらの問題も排水路の整備が進み、逆に豊かで水はけの良い農耕地として発展してきました。
砂川で一番高い建物と言えば、砂川火力発電所、3号機、4号機の煙突です。高さ約120メートルの巨大な建造物です。戦前からこの地で発電が行われ、今のこの発電所は2代目になります。このすぐ横には、北海道の地場産業である農業を、影で支えるハイテクバイオ飼料や、接着剤などを製造する北海道三井化学、農産物を加工して創られる事業用澱粉を製造する王子コンスターチなどが操業しています。
砂川は20世紀の日本の「農業と食文化」を支える陰の存在、内陸型の典型的な工業都市でした。加えて21世紀は人類の文化を支える「知の文化」を影で支える産業を興したいとの想いです。
キーワード
雪冷データセンター、省電力データセンター、低環境負荷データセンター
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