2011年03月16日
We who live in Pangaea continent - パンゲア大陸に生きる私たち
If you want to read in English, here.
私は不謹慎なことを書こうとしています。
この巨大な地震の後、Surachipt に住む妹に連絡したところ、幼い甥、姪達は初めての地震に興奮していたそうです。
私にも思い出があります。1968年の十勝地震です。丁度、朝のミーティングで幼稚園のホールに子供たちが集まっていました。子供たちは初めての地震に大変興奮していました。
北海道は日本列島でも地震の少ない島です。台風もありません。私たちは非常な自然現象を見てみたいという密かな楽しみと、恐怖との間に生きています。私は台風の目を見てみたいという子供らしい興味を満たすことはできませんでした。
私は東京に住み始めて30年で、この街の地震と台風の多さに慣れてしまいました。もしあなたが雷の多い地域に住んでいるなら雷の後、どれくらいの間隔で音が鳴るかで、天候が悪化するのかどうなのか判断できるようなものです。今回の地震は初めの垂直の振動から始まり、長く横の揺れが続きました。東京からは明らかに遠いところでかなり大きな地震が発生したことを直感しました。
大きな地震だが、建物の被害は少ないだろうと予測しました。実際に地震の後の最初のニュースでは、何人かが落ちてきた物で怪我をしたりショックでお亡くなりになったお年寄りの情報が報道されました。
私はその後の津波の被害は全く予測していませんでした。なぜなら、今回被害を受けた「三陸海岸」は地震が多く、「津波」の被害がもっとも多い地域だからです。美しい海岸通りのドライブウェイには山に囲まれた牡蠣の養殖場や、小さな漁港、シーフードのマーケットがあります。道路わきには多くの「津波に注意」の看板を見ることが出来ます。丁寧にもこれらの看板には最寄の避難所の矢印が書いてありました。矢印に沿って急な石段を登ると、必ず小さな広場があり非常用の倉庫があります。今回の津波は人々の過去の人々の経験を裏切るほどの巨大さでした。この地域の人たちは「津波」がもっとも恐ろしい災害であることを知っているにも関わらず、彼らの想像を超えた全く巨大な災害が発生しました。日本の地震学者や歴史学者が古い文書を調べた限りでは、日本の歴史時代最大の災害です。広い河口をさかのぼって防潮堤を超えて田畑を満たす津波の映像に最大のショックを受けました。この付近の町は必ず巨大な防潮堤があります。また広い海岸を襲う津波というのは想像を超えました。
災害は私たちが想像した範囲以上のトラブルを引き起こします。スイスアルプスの山の中で、本来水中にいるはずの生物の化石を見つけた考古学者は、この高い山々がかつて水の底だったことを教えてくれます。地球には安全な場所はないと言うことです。
日本には、地震が起きるとすばやく山に逃げた人達、原子炉を守ろうと命を掛けて働いた人達、電源不足の中で必要な電力を供給しようとした人達。ネオンサインを消して小さな明かりで営業した飲食店の店主たちがいます。日本は災害が多い土地ですが、災害に積極的に向き合う人達が住んでいます。
Surachiptは海岸や石狩工業団地の広大な河口からも遠く、地震が少なく、冷涼で水が豊富だという点で、コンピュータビジネスにはよい環境だと思いました。しかし安全な土地かどうかは私たちの後の世代が決めることかもしれません。
I thought Surachipt to be a good environment in the computer business in the point that it was far from a vast mouth of a river of the coast and the Ishikari industrial estate, the earthquake was few, and water was abundant in [hiyaryou]. However, it might be what whether it is safe land the counterplan will decide at our world beyond.
私たちはパンゲア大陸の残骸の上で生きているのです。
My Site
私は不謹慎なことを書こうとしています。
この巨大な地震の後、Surachipt に住む妹に連絡したところ、幼い甥、姪達は初めての地震に興奮していたそうです。
私にも思い出があります。1968年の十勝地震です。丁度、朝のミーティングで幼稚園のホールに子供たちが集まっていました。子供たちは初めての地震に大変興奮していました。
北海道は日本列島でも地震の少ない島です。台風もありません。私たちは非常な自然現象を見てみたいという密かな楽しみと、恐怖との間に生きています。私は台風の目を見てみたいという子供らしい興味を満たすことはできませんでした。
私は東京に住み始めて30年で、この街の地震と台風の多さに慣れてしまいました。もしあなたが雷の多い地域に住んでいるなら雷の後、どれくらいの間隔で音が鳴るかで、天候が悪化するのかどうなのか判断できるようなものです。今回の地震は初めの垂直の振動から始まり、長く横の揺れが続きました。東京からは明らかに遠いところでかなり大きな地震が発生したことを直感しました。
大きな地震だが、建物の被害は少ないだろうと予測しました。実際に地震の後の最初のニュースでは、何人かが落ちてきた物で怪我をしたりショックでお亡くなりになったお年寄りの情報が報道されました。
私はその後の津波の被害は全く予測していませんでした。なぜなら、今回被害を受けた「三陸海岸」は地震が多く、「津波」の被害がもっとも多い地域だからです。美しい海岸通りのドライブウェイには山に囲まれた牡蠣の養殖場や、小さな漁港、シーフードのマーケットがあります。道路わきには多くの「津波に注意」の看板を見ることが出来ます。丁寧にもこれらの看板には最寄の避難所の矢印が書いてありました。矢印に沿って急な石段を登ると、必ず小さな広場があり非常用の倉庫があります。今回の津波は人々の過去の人々の経験を裏切るほどの巨大さでした。この地域の人たちは「津波」がもっとも恐ろしい災害であることを知っているにも関わらず、彼らの想像を超えた全く巨大な災害が発生しました。日本の地震学者や歴史学者が古い文書を調べた限りでは、日本の歴史時代最大の災害です。広い河口をさかのぼって防潮堤を超えて田畑を満たす津波の映像に最大のショックを受けました。この付近の町は必ず巨大な防潮堤があります。また広い海岸を襲う津波というのは想像を超えました。
災害は私たちが想像した範囲以上のトラブルを引き起こします。スイスアルプスの山の中で、本来水中にいるはずの生物の化石を見つけた考古学者は、この高い山々がかつて水の底だったことを教えてくれます。地球には安全な場所はないと言うことです。
日本には、地震が起きるとすばやく山に逃げた人達、原子炉を守ろうと命を掛けて働いた人達、電源不足の中で必要な電力を供給しようとした人達。ネオンサインを消して小さな明かりで営業した飲食店の店主たちがいます。日本は災害が多い土地ですが、災害に積極的に向き合う人達が住んでいます。
Surachiptは海岸や石狩工業団地の広大な河口からも遠く、地震が少なく、冷涼で水が豊富だという点で、コンピュータビジネスにはよい環境だと思いました。しかし安全な土地かどうかは私たちの後の世代が決めることかもしれません。
I thought Surachipt to be a good environment in the computer business in the point that it was far from a vast mouth of a river of the coast and the Ishikari industrial estate, the earthquake was few, and water was abundant in [hiyaryou]. However, it might be what whether it is safe land the counterplan will decide at our world beyond.
私たちはパンゲア大陸の残骸の上で生きているのです。
My Site