2011年03月19日
道政主導の北海道データセンター誘致
悪意を感じる不快な文章になるかもしれません。ご容赦ください。
東日本大震災で一番ショックだったのは、名取川の堤防を越えて畑を多い、ビニールハウスをなぎ倒す津波の映像でした。北海道出身の私にとっては、93年の北海道南西沖地震に襲われた奥尻島の悲惨な映像を思い出します。また83年の日本海中部地震では地震よりも津波によって秋田を中心に100名余りの命が失われました。日本海には巨大地震を引き起こすプレートは存在しませんが、日本列島がアジア大陸に押し付けられる「シワ」が数多くあります。この映像を見てショックを受けたのは私だけではないでしょう。石狩浜のデータセンターを建築する決定をしたさくらインターネットさんはもっとショックだったと想像します。私にとっても「日本のIT産業」が全て押し流されるようなショックでした。
道庁の北海道のデータセンター立地環境についてという資料には、確かに「過去に津波、高潮の災害」があったか、という記述はあります。彼らはこのレポートをまとめる上で奥尻島の悲惨な映像を覚えていたのでしょうか。
石狩湾口/苫東ありきの誘致計画
道が洞爺湖サミットで注目を浴びた環境問題にまじめに取り組んだひとつのアイディアとして「北海道にデータセンターを」という取り組みは非常に評価しています。行政が真面目に取り組んだひとつのよい結果です。しかし、システムエンジニアとしての経験として、「石狩湾口」が注目されはじめたのは、道の、あるいは日本政府の政治的な意図を感じざるを得ません。奥尻島津波の映像を記憶している身としては「何故あんなところにデータセンターを誘致するのか」という不吉なものを予感していました。
道都札幌の外港としては既に小樽港があり、特に石狩湾工に港を作る必要性はありませんでした。しかし港を作ってもフェリー航路さえない港である以上、工業団地を作って産業を誘致せざるを得ません。何しろ同様な苫小牧東部工業地区は1970年代に開発されたにも関わらず、企業誘致に大失敗しました。漁業と農業が主流のバラバラな町村を線で括った石狩市という平成の大合併によって生まれた「大都市」にふさわしい産業を誘致する必要があります。合併したばかりの小さな町村を先導してまとめるには、道の力が必要です。
またこの資料が全て「工業団地」を調査している点に通信IT業界からみるとすばらしいほどの素人さを感じます。通信IT産業は三次産業で、特に工業団地に作る必然性は全くありません。事実、金融機関などのデータを処理する「事務処理センター」などは普通の住宅地の真ん中にあります。別に港に近いから、原料の搬入、製品の搬出に便利だという必要性もありません。情報IT産業の「製品」は細い信号ケーブルで「搬入」され「送出」できます。
札幌の大都市化
経済の論理なので仕方がないのですが、北海道の産業リソースは札幌に集中してきました。冬季オリンピックではやっと100万都市になった札幌はこの40年でほぼ倍増しています。周辺都市も合わせた「札幌圏」を考えると300万誓い人口密度で、北海道の住民の半分が「札幌」に住んでいると言ういびつな構造です。その札幌市のすぐ隣に一次産業が中心の「町村」が札幌の隣にあるのが不快だったのでしょうか。
明治以降の開拓の歴史から、北海道の212の市町村はそれぞれ具体的な特徴がありました。明治政府主導で作られた入植者が作った町、財閥をはじめ民間資本が開発した町。自らの意思で新天地を求めた失業士族や貧しい農家の三男坊たちが切り開いた町などです。札幌は明治政府によって開発された以上、中央の意向を伺う目で「支店経済、政治都市」として成功しました。平成合併では屯田兵村と没落士族村は当然仲が悪く失敗し、民間人が開拓した村から発展した町村合併はおおむねうまく行ったようです。また、集落がまとまって移住した新十津川町のような結束が強く独立を選んだ町村もあります。
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さくらインターネットさんが北海道に新しい産業を持ち込んでくれたことは幸いなことです。今回の大震災を経験に、北海道では当たり前の「三尺以上の地上基礎がある建物」泥炭を掘り起こして深い基礎打つ、必ず3F以上にディスクストレージをおく事、石狩川の大改修で明治以降に埋め立てられた土地を調査し通路の液状化対策などを検討していただければ幸いです。また、さくらインターネットさんの誘致に成功した以上、道は石狩湾口の防潮対策をしっかりお願いします。北海道に新しいビジネスをもたらしたさくらインターネットさんの今後の動きに期待してます。
Surachipt Datastream
東日本大震災で一番ショックだったのは、名取川の堤防を越えて畑を多い、ビニールハウスをなぎ倒す津波の映像でした。北海道出身の私にとっては、93年の北海道南西沖地震に襲われた奥尻島の悲惨な映像を思い出します。また83年の日本海中部地震では地震よりも津波によって秋田を中心に100名余りの命が失われました。日本海には巨大地震を引き起こすプレートは存在しませんが、日本列島がアジア大陸に押し付けられる「シワ」が数多くあります。この映像を見てショックを受けたのは私だけではないでしょう。石狩浜のデータセンターを建築する決定をしたさくらインターネットさんはもっとショックだったと想像します。私にとっても「日本のIT産業」が全て押し流されるようなショックでした。
道庁の北海道のデータセンター立地環境についてという資料には、確かに「過去に津波、高潮の災害」があったか、という記述はあります。彼らはこのレポートをまとめる上で奥尻島の悲惨な映像を覚えていたのでしょうか。
石狩湾口/苫東ありきの誘致計画
道が洞爺湖サミットで注目を浴びた環境問題にまじめに取り組んだひとつのアイディアとして「北海道にデータセンターを」という取り組みは非常に評価しています。行政が真面目に取り組んだひとつのよい結果です。しかし、システムエンジニアとしての経験として、「石狩湾口」が注目されはじめたのは、道の、あるいは日本政府の政治的な意図を感じざるを得ません。奥尻島津波の映像を記憶している身としては「何故あんなところにデータセンターを誘致するのか」という不吉なものを予感していました。
道都札幌の外港としては既に小樽港があり、特に石狩湾工に港を作る必要性はありませんでした。しかし港を作ってもフェリー航路さえない港である以上、工業団地を作って産業を誘致せざるを得ません。何しろ同様な苫小牧東部工業地区は1970年代に開発されたにも関わらず、企業誘致に大失敗しました。漁業と農業が主流のバラバラな町村を線で括った石狩市という平成の大合併によって生まれた「大都市」にふさわしい産業を誘致する必要があります。合併したばかりの小さな町村を先導してまとめるには、道の力が必要です。
またこの資料が全て「工業団地」を調査している点に通信IT業界からみるとすばらしいほどの素人さを感じます。通信IT産業は三次産業で、特に工業団地に作る必然性は全くありません。事実、金融機関などのデータを処理する「事務処理センター」などは普通の住宅地の真ん中にあります。別に港に近いから、原料の搬入、製品の搬出に便利だという必要性もありません。情報IT産業の「製品」は細い信号ケーブルで「搬入」され「送出」できます。
札幌の大都市化
経済の論理なので仕方がないのですが、北海道の産業リソースは札幌に集中してきました。冬季オリンピックではやっと100万都市になった札幌はこの40年でほぼ倍増しています。周辺都市も合わせた「札幌圏」を考えると300万誓い人口密度で、北海道の住民の半分が「札幌」に住んでいると言ういびつな構造です。その札幌市のすぐ隣に一次産業が中心の「町村」が札幌の隣にあるのが不快だったのでしょうか。
明治以降の開拓の歴史から、北海道の212の市町村はそれぞれ具体的な特徴がありました。明治政府主導で作られた入植者が作った町、財閥をはじめ民間資本が開発した町。自らの意思で新天地を求めた失業士族や貧しい農家の三男坊たちが切り開いた町などです。札幌は明治政府によって開発された以上、中央の意向を伺う目で「支店経済、政治都市」として成功しました。平成合併では屯田兵村と没落士族村は当然仲が悪く失敗し、民間人が開拓した村から発展した町村合併はおおむねうまく行ったようです。また、集落がまとまって移住した新十津川町のような結束が強く独立を選んだ町村もあります。
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さくらインターネットさんが北海道に新しい産業を持ち込んでくれたことは幸いなことです。今回の大震災を経験に、北海道では当たり前の「三尺以上の地上基礎がある建物」泥炭を掘り起こして深い基礎打つ、必ず3F以上にディスクストレージをおく事、石狩川の大改修で明治以降に埋め立てられた土地を調査し通路の液状化対策などを検討していただければ幸いです。また、さくらインターネットさんの誘致に成功した以上、道は石狩湾口の防潮対策をしっかりお願いします。北海道に新しいビジネスをもたらしたさくらインターネットさんの今後の動きに期待してます。
Surachipt Datastream