2020_01_15_04










出典:https://www.liber.co.jp/knowhow/careerlab/wa/002.html

昨日の前編の最後のところで、「成人式に出てくれる外国人って、もしかして日本のこと大好きでいてくれてる人たちばかりなんじゃなーい?」みたいなことを書いた。
(参考記事:『勇気を出して「国際化」ということについて語ってみようか。(前編)』

批判的な意見も多い

もしそれが当たっているなら、ぼくは実はすごくいいことだと思っていて。

正直ね、このことに関連する記事をいくつかパトロールしてると、批判的な意見みたいなのもけっこうあるのよ。…いや、「ものすごくたくさん」あるのよ(笑)。

「日本のカネを外国人のために使うな」とか。
「学生は勉強終わったらさっさと自分の国に帰れ」
とか。
「イスラム教の奴らだけは勘弁して欲しい」とかさ。

…まあ、そう言う言葉が出てくる心境みたいなもの、全然理解できないというわけではないけど、やっぱり思うのは、「こういうこと言える皆さんって外国に行った事あるのかな」「外国人の人と個人的に話したことあるのかな」って言う事。

このことも何度か書いてきているけど、ぼくは中国人の人とも韓国人の人ともイスラム教の人とも個人的な親交があったし、今でも何人かの方と仲良くさせてもらっているけど、「あーあ、こいつらの民族いなくなってくんねえかなあーww」なんて思ったことない(笑)。
(まあ、「仲良く出来なさそうな人とは個人的にあまり話さないポジショニングをする」っていうのも間違いなくあるとは思うけどね(小声))

「個人的な親交」とまでは及ばなくとも今も毎日のように多国籍の人がOLEAIを訪れてくださっているけど、言葉を交わしてみて、中国人以外の人たちに「ああ、やっぱりこの人たちはあの国の人たちだからこんななんだとか思ったこともない。
(まあ、「言葉を交わして気分が悪くなりそうな予感がする人たちとは言葉を交わさない」っていうのも間違いなくあるとは思うけどね(小声))

あ、「中国人以外の人たち」って書いたのは、中国人の人たちとはあまり言葉を交わせないからさ(笑)。向こうは英語さっぱりだし、こっちは中国語「私は医者です」しか話せないしww

まあ、そっちはそっちで超面白いけどねww

これは未来予想図なのか

もう一度昨日の写真を見てみる。
2020_01_15_02















出典:https://www.asahi.com/articles/ASM1G5QBXM1GUQIP00B.html

望む人望まざる人、意見は様々だろうけど、結局はこの写真が新宿の、そして東京の未来予想図になってるんじゃないのかな、って言う気は少ししている。…あ、田舎の人は安心していいと思

まあ、さすがに民族衣装は年がら年中着ないだろうけど、外国の人が、「旅行者」としてではなく、「居住者」として街のそこここにいる、と言う光景。

これはもう、ある意味「待ったなし」なんじゃないのかな、って言う気がする。

でも、ぼくはあまりそのことについてああだこうだ言う気もあまりなくて(苦笑)。

だってもう「ぼくらの時代」ではないからさ。

「時代の流れ」は止められない

9歳児、サイパンの現地校に通っている。

20人いるクラスの中に、日本人は9歳児ひとり。

彼のクラスメイトは、アメリカ人(チャモロ人)、フィリピン人、中国人、韓国人と多士済々で、瞳の色も髪の毛の色も肌の色もみんな少しずつ違う。

だけど、彼らの関係性、すごく自然なんだよね。

…たった今、↑上の文章で「だけど」って言う逆説の接続詞を使っているということからわかるのは、「この文章を書いている人間が『多国籍の人間が集まるとその人間関係はぎくしゃくするもの』だと思っている」と言う証左にほかならず、ひいては「ももももしかしたら差別主義者なのかも(ゴクリ)」なんてこともにおわせる感じなんだけど、それは今日の本題ではない。


9歳児は5歳まで日本の幼稚園で過ごして、日本で言う「年長さんの3学期開始(1月)」からサイパンの現地校に通っているんだけど、どうなんだろう、そういった「自己」とか「感受性」が芽生える頃にそう言う環境にいたからなのかどうなのか、まあ見事にそう言う「人種」とかのことを口にしない。

ぼくらのような薄汚れた大人たちは、長い時間をかけて知らないうちに「〇〇人→全員こんなやつに違いない」みたいなレッテル貼りをしてしまっていて、それに当てはまらない人に出会っても「例外」として撥ね付けてしまったりするけど、9歳児や9歳児のクラスメイトたちには、幸運なことにまだ「〇〇人」と言う「分類項目」はないみたい。
ほんとね、9歳児と話して、友だちの話とか聞いていると、すぐに「その友だちってどこの国の人?」って聞きそうになる、つまり無意識のうちにレッテルによって分類しようとしている自分を抑えるのが大変(苦笑)。


そんなだから、贔屓目じゃなくても、この先世界がどんなに「国際化」されていろんな人たちが交錯する社会になっても、9歳児はたぶん対応していけると思うし、もしこの先、更に日本に外国人が増えていくのであれば、9歳児のような環境に順応できる子どもたちも日本にいながらにして増えてくるとも思われるし、ぼくらがどんなに何を言おうとも、おそらくもう「時代の流れ」みたいなのは止められないのだ。

個人的に思う「条件」みたいなもの

ただし!

個人的に思う「条件」みたいなのがひとつだけある。

冒頭に書いたように、日本に住む外国人にはそのスタート地点として「日本が好きだから」「日本に住みたいから」日本に住んでほしいというのが最低条件としてあって、間違えても「日本の若者、生意気に『給料安くちゃ働けません💦』とか言いやがる。このままだと給料あげなくちゃならなくなってくるから、外国人労働者が日本で働くためのハードルをぐっと下げてやろう。低賃金で働く外国人労働者が増えれば仕事がなくなって、日本の若者も安い給料で働かなくしかなくなるww」みたいな頭ちょっとおかしいとしか思えない理由で外国人が増えていくのは大反対。


ぼくはね、日本にはね、多くの人に「いいなあ、ぼくも日本に住みたいなあ」と言ってもらえるような国でいてほしいのだ。



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