2020_01_17_02









出典:https://kininarun.com/post-1680

おととい昨日の2回に渡って、「日本もそうだけど、外国人の姿を街の中で普通に見る時代なんてのは望むと望まざるに関わらずそのうち来るんだろうねえー」みたいなことを書いた。
(参考記事:『勇気を出して「国際化」ということについて語ってみようか。(前編)』
(参考記事:『勇気を出して「国際化」ということについて語ってみようか。(後編)』

そもそも「国際化」ってなによ

4年生も後半を迎え、単語のテストとか、ぼくでもお腹が痛くなっちゃうような難しい単語が出てくるようになった9歳児。

そんな彼が、おととい、ブログを書いているぼくの横に来て、パソコンの画面を見ながらこう言った。

「パパこれなんて書いてあるの?」
「『こくさいか』だよ」
「『こくさいか』ってなあに?」
「『こっきょう』ってわかる?『Border』」
「わかる」
「今まではみんなその国境に囲まれた中だけで自分の国の人とだけお付き合いしてきたんだけど、時代が変わってきて、いろんな国の人がいろんな外国に行くようになって、いろんな国の人となかよくしたり、いろんな国の文化を受け入れたり、これからはもっと大きな範囲で物事を考えていかなきゃだめですね、って事だよ」


「…Globalizationのことか…」

これですよ。これが「国際化」ってことですよ(ケッ)。


…それにしてもアレだね。軽ーく複雑だよね。

「親父を超える」「息子に超えられる」と言うこと

このブログのコアな読者さんならおそらくぼく以上にぼくのことをよくご存知だと思うんだけど(笑)、ぼくの親父はぼくが16歳の時に42歳で亡くなった。

当時ぼくは16歳だから当たり前だけど高校1年生で、その頃のぼくにとって親父はただの「親父」でしかなく、ものすごく漠然としていて、その漠然とした「親父」と言う像が、42歳のままぼくの頭の中に残った。

その「漠然とした像」は、あまりにも漠然としていて、「親父の姿」というものを具体的に残してくれる、例えば「数値」みたいなものは、そんなになかった。

「42歳まで生きた」、「42」とか。
「1軒家を建てた」、「1」とか。
「子どもがふたりいた」、「2」とか。

だから何がどうなってどんな感じになれば親父を超えられるのか、その前に親父に並べるのかとか全然ぴんとこなくて、それ以来、ぼくの人生と親父のそれとは全然別の路線を進むことになってしまった。

…あ、とりあえず年齢の「42」だけはとっくに超えたけどね(泣)。

もちろん、親父に「俺に超えられた、と思うことって今まであった?」とか聞けないし、ぼくも「ああ、これで親父を超えたな」って思ったことは今までに一度もない。年齢以外は(←しつこい)。


そんな、「親父を超えたこと」のないぼくが、いきなり「息子に超えられる」というような予感がしている。

「自然と勉強になる」なんてのはまやかしだ

9歳児の、それこそ単語の勉強とか見ていて、「お腹が痛くなる率」が特にここ最近超右肩上がりのぼくは、もちろんちょっと「危機感」みたいなのを持っていて。

「ぼくも英語もっともっと勉強しなくちゃなあー(棒読み)」っていつも思ってる。

だから、意識してお客さん(もちろん英語圏の人ね)と会話するようにしたりするんだけど、やっぱり全然違うんだよね。「お客さんとの会話の英語」と「学校で勉強する英語」ではさ。
「お客さんとの会話」の中で、まず「Globalization」が出てくることないもんなー(泣)。

「スカイマーク飛んだねー」
「飛んだねー」
「日本人いっぱい来るようになった?」
「なったねー」
「忙しくなったでしょ?」
「まあまあだねー」


こんな会話じゃあ「勉強」とかそう言うレベルの足元どころか靴の裏にも及ばない。


「海外に入れば英語なんて自然とできるようになる」とか「子どもは放っておいてもすぐ自然と英語を覚える」とか言う人いるけど、嘘だね(キッパリ)。あんなのは、まやかし。

「自然と」なんてのは、あり得ない。

みんなちゃんと勉強しているのだ。



9歳児だって勉強しているので、確実に最近はぼくを超えつつある。

生意気にも父親を越えようか、いや、もしかしたらすでにもうはるか遠くに超えてしまったかと思われるのは、「耳」ね。

間違いなく彼の耳は国際化している(キリッ)。

あと女子の好みも国際化し

言葉はなんとかなる

ただ、一応言っておくけど、9歳児だって、「いやあ、英語のお勉強楽しいなあ、もっともっとお勉強しなくちゃなあ」って言って自ら進んで喜んでお勉強しているわけでは決して、決してないのだ(泣)。

学校に行かなくちゃパパに怒られるから学校に行って、周りのみんながやってるから一緒に授業聞いて、テストでへんてこりんな点数とったらパパにぶっ飛ばされるからテストのお勉強して、お友だちが日本語できないから仕方なく英語喋って。

前にも言ったけど、いくら「仕方なく」でも「いやいや」でも、毎日毎日8時間以上英語しか通用しない環境に身を置けば、「自然と」勉強せざるを得ない環境ではあるので、その意味だけで言えば「自然と」は間違っていないかも知れない。


ただね、ちょっと乱暴な言い方だけど、「言葉はなんとかなる」のよ。

話す人話される人、みんな目的が一緒だからね。

話す人は、「伝えたい」。
話される人は、「受け取りたい」。

話される人=聞く人は、話す人がなんとか伝えようとして話しているのがわかるし、話す人は聞く人がなんとか理解しようと必死に耳をそばだててくれているのもわかっている。


皆さんもあれでしょ? 日本で外国人に道訊かれた時、外国でその国の人になにか尋ねた時、いくら「その国の言葉はちょっと…」みたいな感じでも、結局はなんとなく意思疎通できちゃったでしょ(笑)?


そう、だから、「言葉」はなんとかなるのよ。まじで。




…問題は、「文化」なのだ。



  2/3に続く。



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