2007年03月

2007年03月15日

私の好きな女の子

32ef6951.jpgと言うタイトルの、クラリネットオーケストラの為の作品があります。1999年に作曲、そして初演されました。
タイトルがタイトルだけに、結構注目を集めましたが、初演のプログラムノートも少しばかり話題になりました。
こちらでご紹介しましょう。
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君と初めて会ったとき
君は一番前の席で
小さなクラリネットを持って
大きな目をくるくるさせながら
僕の話を聞いていたよね

君はこの小さなクラリネットが
大好きだと言っていたよね
僕が作った新しい曲では
この小さなクラリネットが大活躍するよ
君がフルートと音を合わせるのに苦労していた
高い「ミ」よりもっと高い音も出てくるよ

コンクールの会場で
小さな手を大きく振って
元気な声で僕の名前を呼んでくれたよね
あのとき君がうんうん言いながら運んでいた
バスクラリネットよりもずっと大きくて低い音の出る
コントラバスクラリネットって言う楽器も登場するよ

君のいた学校にはなかったけれども
アルトクラリネットって言う楽器もあって
僕の作った曲はどの楽器にもいっぱいメロディーがあるんだ

先輩のクラリネットの音は優しい風のようで
私の音は遊園地みたい
そんなことを君は言っていたっけ?

でもクラリネットって
楽しい音や悲しい音
そしてとっても優しい音
本当に色々な音が出せるんだよ

だから僕も広い緑の原っぱを吹き抜けていく優しい風
遊園地で楽しそうに回るメリーゴーランド
そして君とあった時のこと
色々な場面を思い浮かべながら
この曲を作ったんだ!

今日はこの曲を
君と同じようにクラリネットが大好きで
毎日一生懸命この楽器を勉強している
お兄さんやお姉さん達が演奏してくれるよ

素敵な演奏がきっと君のところまで届きますように!
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1996年。当時、大学院をなんとか修了し「たなばた」「おおみそか」と2曲の吹奏楽作品が出版されてはいたものの、作曲だけで食べて行くにはほど遠く、主にピアノのバイトに精を出していて(ピアノを弾くのも好きだったので)作曲することへの情熱も失いつつありました。
でもそんな時、ふとしたことで、私の「たなばた」を演奏すると言う中学校の吹奏楽部の指導に出向くことになりました。そしてそこで出会ったのが、このプログラムノートに登場する「小さなクラリネットを持った女の子」でした。
本当に可愛くてエスクラが大好きで、そして私の作品を愛してくれていることが、素直に伝わってきて、嬉しかったです。と言うか、自分の曲をあれだけ「大好き!」と言われたことがそれまでなかったので、ちょっと信じられないくらいの幸福感に包まれて、作曲に対して自信を失いかけていた自分にとって、心強い存在でした。
そして、彼女が大好きだったエスクラ!実は私、高校時代、吹奏楽部に所属していたものの、私の学校にはエスクラは無く、高校時代に書いた「たなばた」と言う曲のエスクラは、かなりぞんざいな扱いだったりします。音大に入って多少その存在は認識したものの、ひとつの楽器としては大して注目していませんでした。
でも、彼女に出会ってからは私もエスクラと言う楽器に興味を持つようになりました。当時彼女は中2でしたが、エスクラがとても上手で彼女のチャーミングな音色、何より目を輝かせて生き生きとエスクラを演奏する姿に心から惹かれました。
そんな彼女に元気を貰えたこともあって、私はまたポツポツと作品を書くようになりました。

そして1998年、私は奈良県吹奏楽連盟の委嘱で新作を書くことになりました。しかも初演は大阪市音楽団!自分の作品が大舞台でしかもプロのバンドで演奏して貰える!もちろん嬉しかったです。
その時にふと思い浮かんだのが、あのエスクラの女の子です。出来れば初演を聴きに来て貰いたい!
私は、彼女の出身中学校の先生に連絡を取りました。「あの子はどうしていますか?どちらの高校に進学されましたか?新作の初演を聴きに来て貰いたいのですが連絡は取れますか?」

返って来た言葉は…信じられないものでした…

急性の血液疾患で中3の時に亡くなった、と…僅か15年の生涯…

私、泣きました。今でもあの時の事を思い出すと涙が浮かびます…。それまで親しい人の死を経験したことが無かった訳でも無いのに、「あの子に二度と会えないの?」「もう二度とあの子のエスクラを聴けないの?」「もう二度とあの子に私の新しい曲を吹いて貰えないの?」そう思うと悲しみが止まりませんでした…
もう、作曲を続けても仕方が無いような気すらしました…

でもそんな落ち込んだ私に、母校である大阪音楽大学Clarinet科教授の本田先生が「クラオケの新作を書いてくれない?」と頼んでくれました。その時に書いたのが、「私の好きな女の子」と言う曲です。
エスクラの魅力を私に教えてくれたあの子。
作曲を続ける私の心の支えとなってくれたあの子。
彼女に「ありがとう」の気持を込めて書きました。そして今度は彼女が私に伝えてくれたように、私がエスクラの魅力をみんなに伝えたいと思いました。そしていつか、エスクラと吹奏楽の為の協奏曲を書いてみたいと思っていました。そして書いたのが、18日に東京芸術劇場で開催される、第10回「響宴」で初演して頂く「ちびクラと吹奏楽の為のちっちゃな協奏曲」と言う作品です。

初演でエスクラのソロを引き受けてくれた、小谷口直子さんから、私のエスクラ観を知りたい、と尋ねられましたが、私のエスクラ観は、その彼女の人生です。小さな身体で、可愛くてチャーミングで、でもとても素直で何事にも前向きで、とにかく健気で…
小谷口さんが練習のときにエスクラを持って「可愛いでしょう!」と私に楽器を持たせてくれたことがあったのですが、そのとき小谷口さんと彼女のイメージが重なって、少し胸が熱くなったことがあります。
今でも元気にしていれば今年で25歳になっていたのかと思うと、なんともやりきれない気持もありますが、今でも私の心の支えとなっている子で、私の曲の中で生き続けてくれている。そんな気がします。

小谷口さんは、このブログでも何度か紹介していますが、第71回日本音楽コンクールのクラリネット部門で優勝し、2003年4月に京都市交響楽団に入団。そして2006年4月からは首席クラリネット奏者を務める、日本を代表する若手クラリネット奏者です。もちろん私も、京響の定期演奏会で何度も素敵な演奏(首席になってからはA管B管が中心でEs管を聴く機会は少なくなりましたが)を聴かせてもらい、大ファンでもあるので、今回、私の新作を演奏してもらえることになり、とても嬉しく、光栄に思っています。小谷口さん曰く「エスクラの弱点を集中攻撃してくる、酒井さんの曲じゃなかったら二度と吹きたくない超難曲」らしいですが、並クラに比べてはるかにコントロールの難しいエスクラに、京響の激務もこなしながら、真正面から向き合ってくれています。
バックを務めるのは、これまた私が大変お世話になっている龍谷大学吹奏楽部。指揮はもちろん、若林義人先生です。
こんな素敵なメンバーでの初演。本当に夢のようです。私って幸せかもしれません。

「素敵な演奏がきっと君のところまで届きますように!」

きっと、届くような気がしています。

写真は、「ちびクラの魅力をみんなに伝えるプロジェクト」に大きく貢献してくれた、龍谷大学吹奏楽部の名ちびクラ奏者(2002年春から2006年春まで在籍)入谷真由子さんと。彼女も1回生の時から「三角の山」「森の贈り物」「七五三」と、コンクールで私の難しい?エスクラのパートを見事に演奏してくれましたが、なんと言っても「七五三」のチャーミングなソロがとても印象的です。もちろん、「私の好きな女の子」の一人。(笑)

ismusic at 03:00|PermalinkComments(9)TrackBack(0) 私の作品について | ┣管弦楽のための作品