2012年03月

2012年03月30日


CIMG5489

















神奈川県藤沢市。
藤沢駅から藤沢橋のほうに行く道すがらで見つけました。

東海道53次の「藤沢宿」です。

遊行通りから藤沢橋間の467号線沿いの東電トランスボックスを浮世絵でラッピングしています。


CIMG5498




















「藤沢宿は
遊行寺の門前町として栄えていたまちが、慶長6年(1601)に東海道整備によって、5番目(後に、戸塚宿が追加になり6番目となる)の宿場として改宿され、410周年です。

遊行寺の東側に江戸方見附が、小田急江ノ島線の線路を越えたあたりに上方見附があって、その範囲が藤沢宿です。」

だそうです。

http://www.enopo.jp/mytown/8145.html#sub1

CIMG5491



CIMG5495



















CIMG5500

CIMG5497













CIMG5490

















提供は、「藤沢地区地域経営会議」でした。

ホームページに次のようにありました。
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/jiti/page100384.shtml

「地域経営会議は、昭和56年度からの地区市民集会、それを発展させた平成9年度からのくらし・まちづくり会議という、藤沢市独自の市民参加、市民協働の歴史を踏まえ、地域主体のまちづくりをさらに推進する新しい仕組みとして、市内13地区で平成21年度に始まったものです。
 
 各地区にはそれぞれ地域の魅力や特色があり、地域経営会議は、それらを生かしたまちづくりを展開するため、市民センター・公民館と連携して、地域のあり方や将来の方向性を検討し、地域特性に応じた永続的な地域のまちづくりを進めていきます。」

実際の行動部隊は、「藤沢地区地域経営会議」の中の「旧東海道藤沢宿まちそだて隊」です。
 http://www.enopo.jp/mytown/8145.html#sub1

「お蔵入りした藤沢宿のお宝を再び活かす、歴史ロマンを感じる本物のストーリーづくり」を目標にして、次の役割を担います。

  1. 地域資源を発見し、回遊する仕組みづくりを担う
  2. 安全安心の防犯まちづくりを担う
  3. 資産価値を高める商店街の活性化策づくりを担う
  4. ノスタルジックから新しい「まち育て」への移行を担う    」

なかなかおもしろそうです。(^_^)v




iso_hiramatsu at 22:35コメント(0)トラックバック(0) 
 
CIMG5460

















明日がさくら祭りですが・・・・。
まだこんなです。

一つの花びらもありません。

開花前線での開花というのは、
花びらが5~6枚咲いたら、開花前線での開花したというのだそうです。

CIMG5451

















一つくらい気の早いのが、フライイングしてもよさそうですが、どれもかたく蕾を閉じています。

CIMG5507

















でもきれいでしょう。(^o^)/

CIMG5483

















でもやっぱり、つぼみばかり。

これが1週間くらいで、薄紅色の、満開の桜になります。

その薄紅色をこの蕾中にずっしりと抱えて、はじけるのを待っています。

いっそこのままのほうがきれいかもれません。<(_ _)>

iso_hiramatsu at 21:55コメント(0)トラックバック(0) 

週刊新潮に次のような記事がありました。

 

「携帯ラジオと水の入ったペットボトル、それに携帯電話。その3つが災害時の三種の神器・・・・。」(週刊新潮 12.3.29)

防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実さんの話です。

 

「携帯電話」。


携帯電話は3.11のときは、ほとんどつながらなかったし、電池が切れてそのまま無用の長物となってしまった人が多かったてですね。
携帯メールはつながりましたが、電池が切れてはいたしかたありませんでした。
当日のコンビニほぼ全店で充電池は品切れでした。

 

しかし、携帯電話には、関連の電話番号がすべて入っているデータバンクの役割も担っています。公衆電話を使うにしても、電話番号がわからなければ掛けることはできません。

 

「水の入ったペットボトル」。


水は水道水が良いとのことです。
水道水を小さなペットボトルに小分けして冷蔵庫に保管する。


「3週間に1回程度、水を入れ替えれば、水道水には塩素が使われているので、いざというとき、開栓したミネラルウォーターよりも雑菌が繁殖しずらく、安上がり。」()

 

高い「ミネラルウォーターのペットボトル」を買う必要はないということですね。

 

「携帯ラジオ」


これは備蓄品リストの定番なのであえて解説は必要ないと思います。
情報量の多さと質がその後の行動を決めるポイントです。
適確な行動には質の高い情報が不可欠です。

 

備蓄品は2つに分けて保管するのが良いというのは、災害危機管理アドバイザーの和田隆昌さん。

「第1次持ち出し品は、あくまで避難所に安全に到着し、翌日までに過ごすのに必要なものです。(同 週刊新潮 12.3.29)

 

「第1次持ち出し品」。

500mlのペットボトルの水2本、公衆電話で使用する10円玉多めに準備。粉じんや感染症対策のためのマスク、防寒具などの衣類、雨具、懐中電灯、ウェットティッシュ、ナイフ、携帯ラジオ、地図、油性マジック。


・持病のある人は薬やそれに合わせた非常食。
幼児のいる家庭ではオムツや粉ミルク。

 

・10kgが目安。
リュックに背負って走れる重さにする。
リュックに入れて、ヘルメットと一緒に玄関に用意しておく。

 

「第2次持ち出し品」。


これは自宅に閉じ込められたり、避難所からいったん戻って自宅で生活しなくてはいけない場合などに必要。


「飲み水のほかに、レトルト食品や缶詰などの非常食、医薬品、寝袋、食器類、カセットコンロ等々・・・・。
カセットコンロは火力が弱く、ご飯をうまく炊くのは至難の薬です。
なので、カセットコンロでお湯を沸かし、それでお湯を注ぐだけで食べられるアルファ米を食べたほうがコストパフォーマンス的にも割安。
おこわや五目ごはんがおいしいのでお勧めです。
春と秋に、『防災食デー』を決めて保存食を家族で消費するようにしたらいかがでしょうか」()

 

再度、渡辺実さん。


深刻なトイレの問題について。
これは、ネコのトイレ用の砂を準備すれば解決です。
ごみ袋に猫砂を入れて便座で押さえる。
排泄物は猫砂によってすぐに固まるのでにおいもしません。
おからを材料にした猫砂ですと復旧後に生ごみとして処理もできます。

 

避難生活では、懐中電灯などを使い、ろうそくは使わってはいけない。
倒して火災になるケースが多発しています。

 

以上は家庭対象の記事ですが、会社の備蓄品についても参考になります。

 

再度備蓄品について見直すことが必要です。

後で後悔したくありませんね。(>_<)



iso_hiramatsu at 10:39コメント(0)トラックバック(0) 
ビジネス 

2012年03月28日

CIMG5461

















自宅前の「さくら通り」です。
今週の土曜日、日曜日に桜祭りがあります。

昨年は3.11の震災で中止になりました。
だから2年ぶりです。

CIMG5458
















でも、まだ一つの蕾も咲いていません。

0分咲きです。(>_<)

CIMG5456























さくら祭りは、3/31(土)4/1(日)です。

あと、3日しかありません。(>_<)

CIMG5464

















私のうちの梅です。

こちらは咲いています。

まっ、いいか(^^)/




iso_hiramatsu at 10:40コメント(0)トラックバック(0) 

2012年03月27日

「均衡待遇・正社員化推進奨励金」でびっくりすることがありました。


これは厚生労働省の助成金で、今一番使いやすい、もらいやすい助成金の一つです。
その中の「正社員転換制度」の助成金の話。

期間契約社員やパートさんを本人の希望に基づいて正社員に転換すると、最初の1人に40万円、その後9人まで1人当たり20万円の奨励金が出ます。

 

この奨励金本当にとても使いやすいのですが、ある会社の支給申請で窓口担当者から次のようなことを言われました。

 

正社員の転換制度について就業規則に入れ、労働基準監督署に届け出ないとといけないのですが、それを間違いなく実行しないと助成金は出ないというのです。

 

この助成金では、非正規社員として6カ月以上の人が、正社員に転換することが支給要件ですが、その会社では1年以上が正社員への転換の条件でした。

 

該当の労働者が入った年月日を確認してきて、1年未満ですと、不支給になるとのことでした。

 

この助成金のパンフレットには


・支給対象労働者は「正社員転換前に6カ月以上の期間、パートタイム労働者または有期契約労働者として支給対象事業主に雇用されていること」


不支給になる要件としては「労働保険料の滞納がないこと、過去3年間に助成金の不正受給がないこと、過去1年労働関係法令の重大な違反がなかったこと」の3点しか記載されいませんでした。

 

これでは、その気になって二階に上がったはいいが、梯子を外されたようなものです。

 

何のための助成金なのかです。労働者が助成金のおかげで、正社員になってよかった。1年以上の条件で正社員転換だが、能力があるので1年未満でも正社員にすることよいのではないでしょうか。
しかし、その場合は助成金は不支給です。

 

このようなことけっこうあって、すべて不支給になったとのことでした。

 

就業規則で決めたらその通りに実行しないと助成金は出ません。

事業主の皆さん、社会保険労務士の皆さん、要注意ですよ。(;一_一)

 



iso_hiramatsu at 22:14コメント(0)トラックバック(0) 
ビジネス 

2012年03月25日

私の周りの役所の方はそのような方はいらっしゃいませんが、「休まず、遅れる、働かず」が役人の普通の心情とよく言われます。

 

役所関連の効率化が言われて久しい。
消費税を上げるには、まず役人の効率化・・・。
それもたぶん間違いないところです。

 

それを解決する一つとしての橋本大阪市長の人事査定評価と解雇の仕組みは参考になります。

 

橋本さんの主張には良いところ、そうでないところなど私もいろいろと意見があります。


ただ、この人事制度の構築はうまいところを押さえています。


最低の人事評価を2年連続すると解雇の要件を一つ満たす。
その後研修をして、改善が見られなければ、解雇、免職になる。

 

役人さんの世界がすべてぬるま湯とは思いません。
しかし、その傾向があるのは事実です。
今回のこの仕組みは、確かにこれをうまく解消する方法です。

 

そしてこれは民間も同じ。
民間の普通の会社でも簡単に解雇はできません。
パートさんであれ、もう1年も働いている名前ばかりアルバイト君であれ、「明日からもう来なくてよいよ」などといえば、「解雇権の乱用」ということで会社が負けるのはほぼ間違いありません。

 

労働法により労働者はかなりの程度守られています。

 

心のへち曲がった社員がそのような状況になれば会社はただではすみません。
訴えられ、途中で和解、相応の和解金をふんだくられて、ジエンド…。

 

今回の大阪府と大阪市の人事評価化制度と解雇の仕組み、民間でも使える仕組みです。

ただ、これはこの仕組みをしっかりと就業規則に入れ込んで明確にすることが必要です。
それと組織に合った人事評価制度とフォローの仕組みを構築すること。

 

そして、
「従業員がしっかりと働くことで企業も充実し、付加価値が上がり、それを従業員にもしっかり分配して、その結果皆がハッピーになる」ことが大切です。
そのような考え方を経営者が語ることもなども本当に必要です。

 

そうしなければ、就業規則を変えても「就業規則の不利益変更」ということで、労働契約法の違反になります。

 

気をつけてください。m(__)m



iso_hiramatsu at 15:18コメント(0)トラックバック(0) 
ビジネス 

2012年03月21日

防災アドバイザーの山村武彦さんが,非常に示唆の富む話を雑誌に書いていました。


「『揺れを感じたら机の下に潜り込む』のではなく『ドアを開けるなどして避難口を確保し、直ちに安全ゾーンに移動する』というのが正解だ。」(週刊サピオ3.14号)

 

阪神淡路大震災ではなくなった人の87.8%が家屋倒壊による圧死でした。

机もろとも家の下敷きになってしまったのですね。

東日本大震災の時も、耐震性があった1600校なのに、校舎の天井や照明器具が落下したそうです。

震度6強ですと、ドアは約30%が何らかの損傷を受け開かなくなるそうです。

だから閉じ込められてしまう。
そうするとガス漏れや火災が発生するとそれから逃れられなくなります。

 

それと、山村さんは防災行動としてまずいのは、大きな震災が起きると、避難所に避難するパターンが一般的に浸透していること。

皆が避難してしまったら、火を消す人もいなくなるし、生き埋めになって人を助ける人もいなくなってしまいます。

 

「身の安全が確保できたら、避難所でじっとしているのではなく、可能な限り救助活動に当たるべきだ。それは地震列島日本に住む者としての作法である。」(同 山村武彦さん)

 

もう一つ。「凍りつき症候群」というのがある。


「地震は最初に初期微動(P)が来て、その後に主要動(S)が来る。
初期微動では、ほとんどの人は『どうせいつものように小さな揺れで収まるに違いない』とたかをくくり、地震の大小を見極めようとする。
大きな主要動が来たら逃げようと考えるが、大揺れになったときはもう逃げられない。
未曾有の事態に遭遇したため、脳から指示がいかなくなり、体が硬直してしまうのだ。
この状態を『凍りつき症候群』と呼ぶ。」(同 山村武彦さん)

 

東日本大震災の時ですが、津波が来ているのにゆっくりとした足取りの人が多かったそうです。
「足がすくんで前に出なかった」というのが原因といいます。

 

「凍りつき症候群を克服するには訓練しかない。
小さな揺れでも訓練と思って目の前に火があるなら火を消し、ドアを開けて安全な場所に移動するように心がけることだ。」(同 山村武彦さん)

 

最後に・・・・。
改めて今至急考えなければいけないのは、よくいる場所で地震に襲われたときの「安全ゾーン」です。それがどこなのかを今のうちからしっかり特定ないといけません。<(_ _)>

 

「安全ゾーンとは、建物の損傷が少ない場所で、ガラスなどが飛散せず、転倒落下物の少ない、何かあればすぐ脱出が可能なスペースのことである。」(同 山村武彦さん)



iso_hiramatsu at 09:44コメント(2)トラックバック(0) 
環境 

2012年03月19日

今の不況と震災後のさまざまな苦難がずっしりと重い日本経済で、企業にもいろいろと影を落としています。しかし、この苦難こそチャンスとの考えがあります。

 

松下電器の創業者松下幸之助は、生前次のようによく言っていました。

「不景気になって、はじめて商売を知る。不景気になって初めてなすべきことを知る。不景気になったことは、松下電器のために非常に幸せやと、思うてんのや。」(ロータリーの友243月号「松下幸之助・成功の発想と危機克服の心得」 元松下資料館長川越森雄から)

 

「不況はチャンスやで、不況やからこそ、新しいものが生まれるやないか。不況やからこそ、人も育つ。」・・・。


 逆転の発想です。

しかし、これは決して突飛な考えではない。

 

「『起ってしまった現実から、われわれは、逃げることができへんのや。あるがままの現実をそのまま率直にまず受け入れんと、しょうがないわな』ということです。受け入れてそれをどう乗り越えるかという知恵を、いかに発揮するか、ということです。『人間の知恵だけは無限やで。知恵を出そうと思ったらいくらでも出る。解決の道はいくらでもある』と言っていました。」(同「松下幸之助・成功の発想と危機克服の心得」)

 

だから、「不況またよし」。

 

幸之助の経営哲学には3つあるといわれます。

「自主責任経営」「衆知経営」「ダム式経営」です。

 

「自主責任経営」は、具体的には事業部制として昭和8年にスタートしました。この制度も幸之助が非常に体が弱かったので、「わしは体が弱いからしょうがなかったのや。しょうがないから部下に仕事を任せるやり方を考えついたんや」とのことでした。

 

「ダム式経営」。ダムは、水を貯めておいて、渇水時に備えることが基本的な役割です。ヒト、モノ、カネ、技術、サービス。ゆとりがなければ不況を乗り切れません。

 

「衆知経営」。

「簡単にいえば、わからんことは人に聞きながらやっていく、ということです。多くの人に知恵を借りなさいということです。幸之助は教えてくれへんか、と我々新入社員にもよく聞きました。『わし学校行ってへんから何も勉強してへん。なにも知らへん。知識がない。全部、人に教えてもらいながら、ずっとやってきただけなんや』」(同「松下幸之助・成功の発想と危機克服の心得」)

この「衆知」ということ。幸之助の人間哲学の上では最も大切なキーワードのようです。

 

「周知」ではありません、「衆知」です。

 

77歳のときの「新しい人間観の提唱」で幸之助は次のように宣言しました。

「人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖を始め幾多の人びとの知恵が、自由に、何の妨げも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である。」(人間を考える 松下幸之助)

 

そして「衆知」にはポイントが2つある。

「その基本的な心がまえとして大事なのは、先にも少しふれたように素直な心というものです。・・・・。素直な心とは私心なくくもりのない心といいますか、一つのことにとらわれずに物事をあるがままにみようとする心なのです。そういう心からは物事の実相をつかむ力が生まれてきますし、それに基づいて、なすべきことをなし、なすべきでないことを排する勇気というものも湧いてきます。」(人間を考えるp78 松下幸之助)

 

まず私心なく素直に物事を見、洞察をする中で「知」を獲得する。

 

「ある問題について自己の利害得失や感情にとらわれている二人の人が、対立した意見を持っているという場合、それをそのまま集めたのでは、そこに二つの異なった意見があるだけで、それは衆知にはなりません。その二人が、自分の考えに固執することなく意見をかわし、そこから二つの考えが融合調和されていく時、はじめてそれが二人の間の衆知だといえるのです。」(人間を考えるp74 松下幸之助)

 

そして、最後は「感謝」です。

 

川越森雄さんですが、松下電器に入社してPHP研究所に配属されました。その2週間後、新入社員8人が集められ、幸之助と2時間の懇談会が設けられました。

「『君らには、これからここで仕事をしてもらうのやけれども、感謝ということをしっかり考えながらやってほしい』と、にこやかな笑顔でわれわれの顔を見回しながら話しかけてくれました。・・・・。幸之助という人はどういう人であるかを一言で表すとすれば、「あらゆる人、あらゆるものに、感謝をし続けながら、人生を生きた、商売をしてきた人」ということがだんだんとわかってきました。(同「松下幸之助・成功の発想と危機克服の心得」)

 

それぞれが主役になり、衆知をし、それぞれが尊敬をし合う中で、感謝する。それが「繁栄を通しての平和と幸福」につながるということですね。「PHP」です。・・・・・。



iso_hiramatsu at 08:53コメント(0)トラックバック(0) 
ビジネス 

2012年03月14日

私の主知医のD先生が書いたものがありましたので、ご紹介します。

 

認知症の予防法についての10カ条です。それ少し長いので、勝手に3カ条に縮めちゃいました。

 

1.高血圧・糖尿病や高脂血症などの生活習慣病はシッカリ治療する。

2.野菜や果物、青見魚、カレーを食べる。

3.脳を鍛える

 

・野菜や果物は、ビタミンEやビタミンC、ベータカロチンがあり良いし、イワシ、サンマ、サバなどの青見魚はDHAEPAがあり、認知症の原因になる脳に沈着するベータアミロイドの量を少なくする。

 

・カレーのスパイスには、ウコンが含まれており、その中のポリフェノールが認知症の原因になるベータアミロイドが脳に蓄積されるのを防ぐ。

 

・認知症予防の脳の鍛え方は3つ。

 

・「計画などを考えることで脳を鍛える」。

「旅行を計画する」「パソコンを打つ」「囲碁や将棋、マージャンをする」。
考えることが脳を鍛えることになる。

 

・「エピソードについての脳機能を鍛える」。

体験したことを思い出す機能を強くする。
日報を書くとか、日記をつけるなどが良いようです。

 

・「注意分割機能を鍛える」。

2つ以上のことを同時に進めるときに気を配る機能です。
料理をしながら洗いものをする、歩きながら人と話をするなど。

 

・「「料理をしながらご主人とけんかする」と脳は実に活発に働くそうですと、」その紙にはありました。(;一_)

 

・そして、タバコは厳禁だそうです。


・お酒は少量はストレス解消効果もありよし。(^^)/

 

最後にまとめ・・・・。

・「野菜や青身魚中心のバランスのとれた食事をし、慢性疾患などの生活習慣病をコントロールし、いろいろなことに関心を持ち積極的に生きることが認知症を防ぐ」。(^_^)v



iso_hiramatsu at 09:55コメント(0)トラックバック(0) 

2012年03月10日

男女ともに仕事と家庭が両立できる働き方の実現を目指し、厚生労働省では、平成21年に育児・介護休業法を改正した。

従業員数100人以下の事業主には、
適用が猶予されていまが、今年7月1日からは全ての企業が対象となる。

 あらかじめ制度を導入した上で就業規則などに記載し、従業員に周知する必要がある。


 【平成24年7月1日から適用となる改正育児・介護休業法の主な制度概要】


(1)短時間勤務制度

 3歳までの子を養育する従業員に対して一日の所定労働時間を原則として6時間に短縮する制度を設けなければならない。


(2)所定外労働の制限

 3歳に満たない子を養育する従業員が申し出た場合には、所定労働時間を超えて労働させてはいけない。


(3)介護休暇

 家族の介護や世話を行う従業員が申し出た場合には、事業主は、1日単位での休暇取得を許可しなければならない。(介護する家族が1人ならば年に5日、2人以上ならば年に10日)


 【改正育児・介護休業法の全面施行のパンフレット】
   →
  http://krs.bz/roumu/c?c=6408&m=18051&v=86bb94c3



皆さんのところの就業規則大丈夫ですか?

 

 

 



iso_hiramatsu at 17:22コメント(0)トラックバック(0) 
社労士業務 

西川如見(1648~1724)は、海外貿易に携わった長崎商人。「町人」は貝原益軒の「養生訓」とともに江戸時代にたびたび版を重ね人々に愛読されました。


その西川如見が次のように書いています。


「満つるということは奢りとなり、その奢りは万悪の基となる。欲を薄くして、満ち足りることのないようにしなければならない。」(「ドラッカーに先駆けた江戸商人の思想」平田雅彦著からp104))

 

又次のようにも書いています。

「天理とは天が示す道理であり、自然の摂理である。人間が最も弱い点は、おごりの心が起き始めるとそれを抑える制約力を失いがちになることである。人間は欲を持っている。その欲は限りなくふくらむ。充たす限度がわからなくなる。奢りの心である。』」(「ドラッカーに先駆けた江戸商人の思想」平田雅彦著p106))

 

天理に従うことが大切ということ。

松下幸之助も「運命」ということをしきりに言います。

 

「『人間がそれぞれ、異なる持ち味を持って生まれたということは、運命やと思う。この運命は90%与えられたもの、決められたものなんや。自分で選んだものやない。これが与えられたものであるということを、われわれは素直に受け入れんといかん。受け入れて、自分に与えられた持ち味をどう前向きに生かすか、120%活かしきるかどうか。そこに人間としての真の成功を得ることができるかどうかの分かれ道がある。ここが大事なポイントやと思う。』と雑談や研究会で話してくれました。」(「松下幸之助・成功の発想と危機克服の心得」 元松下資料館長川越森雄さん ロータリーの友243月号から))

 

松下幸之助はないことだらけだった。小学校を4年で中退、19歳のときに血を吐いて肺結核、94歳で亡くなるまでずっと体が弱かった。8人兄弟の末っ子で次々に親兄弟がなくなった。松下電気器具製作所を創業して3年目の26歳のときに、最後の一人一番上のお姉さんのイワさんも亡くなってしまった。

 

学歴もない、健康もない、親兄弟もない…。(>_<)

 

「『起ってしまった現実から、われわれは、逃げることができへんのや。あるがままの現実をそのまま率直にまず受け入れんと、しょうがないわな』ということです。受け入れてそれをどう乗り越えるかという知恵を、いかに発揮するか、ということです。「人間の知恵だけは無限やで。知恵を出そうと思ったらいくらでも出る。解決の道はいくらでもある」といっていました。」(同 川越森雄さん )

 

だから、「不況またよし」です。「不況はチャンスやで、不況やからこそ、新しいものが生まれるやないか。不況やからこそ、人も育つ。」と生前よく言っていた。

 

次は、ご飯のこびりつかないしゃもじで有名な蟒貉唆箸梁膸骸O魂馗垢力叩

大山さんは、昭和35年の暮れに絶体絶命のピンチに陥っている。年末に支払うお金がない。仕入先への支払いはもちろん、従業員に支払うお金がまったくない。それで仕入先である、三条のパフ卸問屋に借りに行った。本来支払わないといけないのに借りに行った。相手の社長は烈火のごとく怒り、追い返された。工場に帰って中をそっと覗くと、ストーブを囲んで6人の従業員が、のどから手が出るほどほしい年越しのお金を待っている姿が見えた。だからあてどなく、また歩きだした。

「中之口川の黒い川面を眺めながら本気で死のうと思った。そのときです。『大山治郎はそんなに弱い人間か!そんなに意気地のない人間なのか!たった一人でも信じてくれる人がいたら、その人のために生きるのだ!』ストーブで暖を取りながら無言で待ちわびている従業員一人ひとりの顔が浮かんできた。妻の顔が浮かび、子供の無邪気な笑顔が脳裏をかすめた。」(「試練も恵みなり」大山治郎著 p92)


そして降り積もった雪の上に「昭和三十五年十二月三十一日、大山治郎ここに死す。」と指で書き、「死ぬ気になって」もう一度さっきの社長に頼みに行った。そして頼んだ。


「問屋の社長は、雪も落とさず玄関先に立った姿を見て、あきれ顔で上から下までなめるように見て、『お前さんの根性には負けたよ。これしかあげられないが,お金を持っていきなさい。』頭を下げたままで、聞いていた。奥から社長の奥さんが、「子供さんもいるんでしょう?このお金も持っていって」とやさしく声を掛けてくれた。
涙が止まらなかった。このときばかりは人の情けが身にしみた。今こうして生きていられるのもすべてこうした人々のおかげだと思っている。」(同 p92)


苦しい出来事は多くの人の支えで、それを自分を作るための大切な力になった。そのおかげで今の恵みがある。曙産業が35周年を迎えたとき、粗品に次の一文を添えた。


「試練も恵みなり、すべてに感謝です。」



iso_hiramatsu at 10:30コメント(0)トラックバック(0) 
ビジネス 

2012年03月05日

今、中小企業診断士の仲間を集めて「企業の見える化研究会」を毎月1回東京都中央区の八丁堀で開いています。

現在の研究テーマは、「江戸CSR」です。

CSR(
企業の社会的責任)が良くいわれるこの頃ですが、日本には江戸時代からすでにCSRがしっかりありました。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」は近江商人の合言葉としてあまりにも有名です。

 

三越や大丸、伊藤忠商事、丸紅・・・。今だに江戸時代から300年続いている企業がかなりの数ある。これは世界的に見てもあまり例がありません。

 

平田雅彦さんの書かれた「ドラッカーに先駆けた江戸商人の思想」(日経BP)をテキストにして研究しています。

 

2月の例会はテーマが「共生」でした。自分だけが良ければよいのではない、自分も周りもともに良くないといけないというのが共生です。共に生きていくという意味です。できれば「共存共栄」が一番良いに決まっている。

 

次は、1603年の江戸幕府成立の直後に作られたといわれる、角倉素庵の「船中規約」の一節です。

「およそ貿易の事業は、お互いの有無を通じあって相手に喜ばれ、自分も喜ぶことができるもので、そこにこそ意義がある。他人に損失を与えることによって自分の利益だけを図るものではない。自分にも相手にも利益があるということは、一見自分の取り分が少ないように思うかもしれないが、実際には大きな利益があるものだ。相手と利益を共にせず自分だけ利益があるのは、大きな利益を得たように思われるが、実際は小さな利益しか得ていないものである。

利益という言葉の真の意味は、喜びの寄合のことで、皆が喜び合うことに意義がある。

それだから言うではないか、『貪欲な商人が五のものを求めるとき、清廉な商人は三のもので満足する』と。よくよく考えるべきことである。」(平田雅彦著「江戸商人の思想」p80)

 

「利益は喜びの寄合で、皆が喜び合うことに意義がある。」と言いきっている。

 

角倉素庵は、朱印船貿易第1号の角倉了以の息子です。素庵の使った角倉船は乗員397人でかなり大きかった。これだけの人数の船員をマネジメントするわけですから、乗員の規律を守るために、「船中規約」を制定した。

 

当時の朱印船はベトナムなど東南アジアを行き来しました。その中で西欧人がアジア人を蔑視し、人種差別を行っていた事例をたくさん見てきた。そこから、次の一節が生まれました。

 

「異国とわが国を較ぶれば、その風俗や言葉は違っていても、人間の天から与えられている基本的な天性は昔から同じものである。その同じということを忘れ、異なる点を強調して、いつわり欺いたり、高慢な態度をとって罵ったりすることはいけないことである。」(平田雅彦著「江戸商人の思想」p80)

 

これは人はみな平等との思想です。


「上は天、下は地の間にあって、民という民は同じ兄弟であり、ひとしく愛情を注ぐべき存在である。」(平田雅彦著「江戸商人の思想」p81)

 

だから、共生です。同じように共に大切な存在だから、お互いが大切にしあいながら生きていく。

 

今、ご飯のつかないしゃもじで有名な曙産業会長の大山治郎さんの本を、読んでいます。曙産業は新潟県燕市の会社です。

大山さんも曙産業の企業理念として「共生」を大切にしています。

 

昭和35年あたりからの話です。フォークの柄の部分にプラスチックをつけた姫フォークが、フォークの輸入制限枠の網の目をくぐるということで、生産のポイントになっていた。その素材のフォークの元請け業者だった大山会長の友人がコストダウンかすごい「姫フォーク完全自動化装置」を発明し、昭和45年に第23回新潟日報文化賞を受賞した。それでその友人が卸値のダンピングを始めた。姫フォークの素材を当時2020銭が相場だったのを1550銭で出した。

 

「安い工賃で同業者をつぶして、姫フォークを独占するというのであった。取引していた関係もあって忠告した。『それは違うのではないか。産地は共存共栄していかなければならない。自分だけ生き残ることはできない。あんたが姫フォーク屋をやれるのは、他の人たちも姫フォークを一生懸命作って販路を広げているから、今の仕事が成り立っているのではないか。人をつぶして得た資金など自分の力にならないし、そもそも趣旨が違うのではないか。せっかく文化賞をもらうくらいの機械を考えたのだから、資金は同業者をつぶすために使うのではなく、体力をつけて次への準備のために使うようにすべきだ。そのためにも、みんなが成り立っていくように考えるのが先ではないのか。』と。しかし、彼はいうことを聞かなかった。(大山治郎著「試練も恵みなり」p107)

 

この友人一時は飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、最後には、実家から本家の田畑などなくした挙句、倒産してしまった。生産の自動化で人件費は大きく圧縮できたが、もともとのステンレスの材料では、他の業者は「ステンレスの器物を抜いて残ったクズを集めてきて生地を抜いている」材料を使ってさらに値段を安くすることができた。

値引き競争はそのうちに粗悪品を生み、返品も相次いだ。そして、1718件あった姫フォーク屋がすべてつぶれてしまった。

 

そして、ダイエー・松下戦争の話です。

 

「価格破壊は1964(昭和39) 年松下電器産業とダイエーの値引き販売を巡るダイエー・松下戦争に端を発している。松下幸之助は中内に、「覇道はやめて、王道を歩む」ことを諭す。相手を滅ぼすのではなく、ライバルと共存するという方が賢者の行き方ではなかと。しかし、中内は受け入れなかった。私は、学ぶべきは松下だと思っている。(大山治郎著「試練も恵みなり」p109)

 

やっぱり、「情けは人のためならず」ですね。(^o^)



iso_hiramatsu at 10:36コメント(0)トラックバック(0) 
ビジネス 

2012年03月04日

今大山治郎さんの本を読んでいます。

ご飯のこびりつかないしゃもじで有名な蟒貉唆箸梁膸骸O魂馗垢亮伝的な本です。


「私は、板前が器用に扱っている木製のしゃもじに視線をやりながら、次第にくぎ付けになっていた。使い込んだ古びた木製しゃもじに、ご飯が全くといっていいほどくっつかないのである。なぜだろう?」(p150)


大山さんが、大ヒットしたご飯のつかない「マジックしゃもじ」のアイデアが浮かんだ瞬間です。


そのしゃもじの表面は凹凸があり、誰でもそのことはわかる。それまではご飯粒がこびりつくのは常識、表面はできるだけつるつるに磨くことが商品価値だった。


そこで大山さんは曙産業で持っていたスクリーン印刷の技術を使って、凹凸のあるしゃもじを作り、試作品を作って従業員に使ってもらった。


その試作品最初はシッカリこびりつかなかったのですが、1カ月ほどたって、こびりつきだした。それで改良を重ねたのだが、どうしてもくっついてしまう。


営業社員は1カ月でもくっつかないのは大変な発明なのだからと、販売を主張した。


しかし大山さんは、「せっかくくっつかないしゃもじの商品化を目指したのだから、最後までこれを追求しなければ売り出せない。信念であった。」(p152)


「それでもう一度寿司屋を訪れた。

『しゃもじを手に取ったまま、まじまじと見せてもらった。
そのときに大きな見落としに気付いた。表面から見ていた年輪と年輪の間の木目を、斜めにすかして観察すると木目に1ミリほどの高低差があったのだった。ただ1つの段差ではなく二重の段差ができていたことに気が付いたのである。』

寿司屋のしゃもじは長い間使いこんでいるうちにできた二重の凹凸でご飯粒との接触面を小さくし、気泡や水分をその段差の中に蓄えることでずっとご飯粒がつかなくなるようになっていました。』(p153)


これは、「現場・現物・現実の三現主義」の良い事例です。
「現場」に行き「現物」を見ることで初めて本当の「現実」がわかる。


「デカは犯罪の現場にいつも戻れ」です。


そして、二重の段差を作る技術が曙産業にはあった。大きな突起の上に小さな突起をつける「ダブルエンボス」という技法です。

これで「いつまでもずっと」、ご飯がこびりつかないマジックしゃもじはできました。


そして空前のヒット商品になった。「2000年ヒット商品100」にノミネートもされ、平成13年までに1300万本売れました。


まさに「試練も恵みなり」だった。


実は大山さんは、昭和35年の暮れに絶体絶命のピンチに陥っている。


年末に支払うお金に窮した。仕入先への支払いはもちろん、従業員に支払うお金もない。


それで仕入先である、三条のパフ卸問屋に借りに行った。本来支払わないといけないのに借りに行った。相手の社長は烈火のごとく怒り、追い返されました。

工場に帰って中をそっと覗くと、ストーブを囲んで6人の従業員が、のどから手が出るほどほしい年越しのお金を待っている姿が見えました。
だからあてどなく、また歩きだしました。

「中之口川の黒い川面を眺めながら本気で死のうと思った。」


そのときです。

「『大山治郎はそんなに弱い人間か!
そんなに意気地のない人間なのか!
たった一人でも信じてくれる人がいたら、その人のために生きるのだ!

ストーブで暖を取りながら無言で待ちわびている従業員一人ひとりの顔が浮かんできた。
妻の顔が浮かび、子供の無邪気な笑顔が脳裏をかすめた。」(p92)


そして降り積もった雪の上に「昭和三十五年十二月三十一日、大山治郎ここに死す。」と指で書き、「死ぬ気になって」もう一度さっきの社長に頼みに行った。
そして頼んだ。


「問屋の社長は、雪も落とさず玄関先に立った姿を見て、あきれ顔で上から下までなめるように見て、『お前さんの根性には負けたよ。これしかあげられないが,お金を持っていきなさい。』頭を下げたままで、聞いていた。

奥から社長の奥さんが、「子供さんもいるんでしょう?このお金も持っていって」とやさしく声を掛けてくれた。
涙が止まらなかった。このときばかりは人の情けが身にしみた。
今こうして生きていられるのもすべてこうした人々のおかげだと思っている。」(p92)


苦しい出来事は多くの人の支えで、それを自分を作るための大切な力になった。そのおかげで今の恵みがある。


曙産業が35周年を迎えたとき、粗品に次の一文を添えた。


「試練も恵みなり、すべてに感謝です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



iso_hiramatsu at 11:21コメント(0)トラックバック(0) 
livedoor プロフィール
最新コメント
記事検索