2021年02月
2021年02月25日
持続化給付金、しっかり降りました。
今日、持続化給付金の平松のマイページを見たら、「支払済み」とありました。
しかしです。
申請を完了日した日が、1月27日(水)でした。
自分で申請の最終入力した日です。
それから今日は1月25日(木)ですから、約1か月受給までにかかりました。
当初1月15日が申請期限で、その最終日に自分のPCで入力を進め、最後に来てどうしてもPC画面が進まず、やむなく千葉のサポート会場まで行き、スタッフの方に替わりに入力していただきました。
それが、1月18日(月)。
そのときは1月の締切りを過ぎての申請なので、その理由をまず明確にしないといけない。
それを自筆で書いて、その後、受給要件を満たしているかどうか、必要書類は揃っているかなどスタッフの方にしっかり確認していただきました。
そして、私に替わってスタッフの方が入力していただいた。
一つ一つ、私に確認していきました。
その後1週間くらいで、期限を過ぎたことが承認されたかどうかの確認の電話がいくので、その後完了のインプットをしてくださいとのことでした。
1週間後に、許可されたとの電話が確かに来ました。
電話に出ることができなくて、無駄な日が過ぎ、自分で入力完了したのが1月27日(水)でした。
今日が2月25日(木)ですので、大体1か月くらいまでに入金がかかったことになります。
完了してから1か月です。
時間がかかりすぎです。
それも問題ですが、それ以上に実質の審査がサポート会場で行われているのに、なぜコンピュータでの審査が別に必要なのか。
何のための審査なのかさっぱりわかりません。
審査の基準は明確ですし、経産省のコンピュータシステムは、いったいどうなっているのでしょうか。
1か月間、コンピュータは何を審査していたのでしょうか。
受給の要件はすでに確認して入力され、実質的な審査は終了しています。
それが1か月かかるというのは、「無駄」というより、「異常」です。
考えられない。
eGavで電子政府というのは一体何なんでしょう。
あまりにお粗末な、政府のIT化。
「スマートシティ」や「スーパーシティ」。
ご存知ですか?
「スマートシティ」はスマートなまち、つまり「ICTなどをうまく使ったまちづくり」。
「スーパーシティ」になると、「AIやビッグデータなどをうまく使ってのまちづくり」とさらに話は大きくなります。
そして、「SOCIETY5.0」の推進。
狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く、5番目の社会。
「超スマート社会]といわれる社会です。
それらが本当に政府の「絵に描いた餅」であることが如実にわかってしまいます。
デジタル庁を創るわけですから、少し本気になって進むとも思いたいですが・・・・。
何せ、保健所への指示をFAXでしているとの、今回のコロナ対応ではっきりして、皆ビック
りしていると同時に、あきれてもいます。
菅義偉総理、大変ですが今こそあなたの剛腕、示すときです。( `ー´)ノ
2021年02月19日
今度、私の主催する中小企業診断士の「見える化研究会」でご講演いただく、元巨人軍の屋鋪要氏です。
氏は著名な元プロ野球選手ですが、実はかなりのSLファンでもあります。
(出版:日本鉄道企画 令和元年10月14日初版発行)
「なんと美しい蒸気機関車であろうか。
細いボディに175cm(動輪径)の長い脚。
現在は、さいたま市の「鉄道博物館」に保存されている、この1輛こそが、父と私と息子を繋いでくれた。
保存機撮影のきっかけとなった罐(カンフ)だ。」
【DATA】鉄道博物館(さいたま市大宮区大成町3,47)
アクセス:JR大宮駅からニューシャトル鉄道博物館(大成)駅から徒歩1分
製造:昭和15(1940)年・三菱重工業
全長20.3m・全幅2.936m・全高3.95m
「私は興奮していたに違いない。
記憶は薄れてしまったが、冷静でいられるはずがない1971年夏の北海道だった。
それまでは、ほとんどD51しか見たことがなかった私の経験を、見事に覆してくれたのが北海道の蒸気機関車たちだった。
同じD51でも「ナメクジ」を見たのは初めてだった。
マンモス機D52も長い貨物列車を牽引して悠々と眼前を走り過ぎて行く。
小樽築港機関区には、C12、9600、C62、D51も当然のように居て、50輛が所属していて蒸機が犇(ひし)めいていた。
函館本線の急行「二セコ」を撮影できたことに大満足したが、ひと際優雅に走る姿を見せてくれたのが、室蘭本線を行くC57形旅客列車であった。
1975年12月14日、国鉄が最後と定めた旅客運行列車に、135号機を晴れ舞台に送り出した。
C57 135は、父と私と息子を繋いでくれた蒸気機関車そのもので、さいたま市の『鉄道博物館』で永久に保存される。」

早朝の出会い。
岩見沢へと向かうC57 135牽引の旅客列車とD51牽引の貨物列車がすれ違う。
栗山―栗丘/昭和50(1975)年11月2日(撮影・林曉)

岩見沢を猛然と出発する室蘭行222列車。
撮影に訪れたファンも見える。
(同書 p40 /41)
私平松はSLにはあまり興味がないのですが、今回屋鋪さんと知り合って、優美さにひかれるものがありました。
優美と同時に、水蒸気にはエネルギーと激しさを感じます。
講演会のパンフレットです。

ZOOM参加ご希望の人は、平松までご連絡ください。(^O^)/
2021年02月16日
心配です。
今回の新型コロナウィルス。
私は高齢者で、病気持ちですので、感染すると必ず死に至ります。
私の専門は哲学で、卒論がキェルケゴールだったのですが、その主著は「死に至る病」。
こちらの「死にいたる病」は「絶望」なのですが、今回の新型コロナは「フィジカルな死」、「物理的な死」です。
私はキリスト教徒ですから、今回のコロナは「サタン」だと考えています。
イエス・キリストが、40日間荒野で断食をした話有名ですが、そのときいったんサタンは退きます。
しかし、その後、何度何度もサタンは「誘惑」します。
イエスキリストの「サタンの誘惑、」が、2000年前の話。
そして 今回の100年に一度のパンデミック。
100年前はスペイン風邪でした。
猛威を振るい、多くの人を苦しめました。
今回は180度の「行動変容」を迫ってくる「サタン」です。
2000年ぶりのものすごい「サタンの誘惑」・・・。
何が誘惑なのか、今考えています。
このあたりまたブログにし、メルマガ発信します。( `ー´)ノ
2021年02月13日
私は小さい頃、左右の足の長さが少し違うこともあり、徒競走でいつも大体5番目、つまりビリから2番目でした。
負けず嫌いの平松君は何とか一番になりたくて、頑張りましたが、前から2番が最高でした。
そんな運動にはコンプレックスがある平松徹君、大学生の頃に当時「横浜大洋ホエールズ」だったと思います、屋鋪要選手知りました。
加藤博一選手、高木豊選手とともに「スーパーカートリオ」として活躍したことは有名です。
また、巨人軍の選手として、長嶋監督の初Vにも貢献しました。
その屋鋪要さんと松戸ロータリークラブの例会で、偶然お会いしました。
昨年の4月です。
昨年の松戸RC会長N氏とのご縁の来訪でした。
私にとっては、昔まぶしかった屋鋪さんです。
その屋鋪さん、大学野球部でのコーチとしての選手指導についてご講演され、とても興味深い内容でした。
そのときから、私の主催している「見える化研究会」でも、ご講演していただきたいと考えていました。
それが今回実現しました。

大学野球部のお話しですが、コーチは監督の下、選手の上のいわば中間管理職です。
今回もですが、そのあたりについて話していただく予定です。
中小企業診断士の研究会である「見える化研究会」のZOOM公開講演会ですから、野球の話ばかりではなく、組織のマネジメントに直結する「中間管理職」についてお話をしていただきます。
私も、再度お話が伺えるだけに、とても楽しみです。
公開講演会であり、ZOOMで実施、もちろん参加費無料です。
私の方にご連絡していただければ、私の方でZOOM参加枠確保しますので、ご興味のある方は、ご連絡ください。
屋鋪さんは、親子3代のSLファンでもあります。
「ラベンダー」が趣味とのこと。
このあたりについては、また、このブログでご紹介いたします。(^O^)/
2021年02月11日
私の故郷、大分市に住んでいます。
関サバで有名な佐賀関から車でもほんの10分くらいの所です。
昨年の4月に九州出張のときに訪問し、ほとんど意識もなく、介護の方が、「息子さんが来たよ」と揺り動かすようにして、少し目を開けて、わたしのことが分かったのか、少しにっこりしました。
そのときはまだ99歳でしたが、100歳おめでとうございます、との当時の安倍総理からのお祝いの賞状や、記念品なども届いており、これで100歳まで頑張れ…、との励ましなのかなと、感慨深いものがありました。
そして今回は本当に100歳、大分市からのお祝いの賞状もあり、老人ホームでもお祝いをしていただいたようです。
今は、ほとんど寝たきりの状態なのですが、住友化学大分工場の守衛をしていた関係で、剣道2段ととてもたくましく、強い父でした。
それ以上に私にとっては、文学の指導者でもありました。
父は、北原白秋の門下で、白秋死後は宮柊二氏に師事しコスモス短歌界の創設に参加し、コスモス賞など幾つかの賞もいただきました。
会社退職後には、大分合同新聞の選者や朝日カルチャーセンターの短歌の講師などをしながら、短歌の世界で頑張ってきました。
私も宮柊二氏には一度だけお会いしました。
東京の大学に行った私を訪ねて父が来京した時に。井之頭公園の近くの宮先生のご自宅にお伺いし、もう多分80歳を超えていらしゃったと思うのですが、白いひげを伸ばして、「あなたの息子さんですか」とか何とかよく覚えていないのですが、そのときのことはいまだに鮮明に記憶しています。
宮氏柊二の短歌については、そのリアリズムの凄さをしっかり感じていて、ぜひ一度書こうと思っています。
今回は父のことで、周防灘に建てられた父の歌碑につい書きます。
「海にさす年始の光戦ひに水漬きし者魂に及ぶか」。
昭和54年元旦に、父が詠んだ歌です。

大分県豊後高田市(真玉町浜) 平成6年建立
大分合同新聞の平成6年4月11日の記事には次のようにあります。
「昭和17年7月、大分第47連隊の第3大隊第11中隊に所属していた平松さんら初年兵を乗せた輸送船「青葉丸」が、カムラン湾(ベトナム南東部)で魚雷攻撃を受けた。
船は沈没を免れたが百数十人の若者が命を失つた。
この話は、酒に酔うとと父から何度も聞かされました。
またその話???
それでそのうち話さなくなりましたが、この体験は父の人生における原点だったと、今は思います。
心と心がつながるとはどういうことか…。
もう30年以上も前のことがずっと心の底に残り、それが人生をいろいろと左右していくことはよくある話です。
そのとき亡くなった人は100人以上。
その方たちの何人かは、いまだに父の心の中に生きている。
この歌は30年以上の時間を超えて、初日の出が亡くなった方たちの魂に届いているということ。
大分県の国東半島から周防灘は、もちろんベトナムのカムラン湾につながっています。
言葉は人と人をつなぎます。
短歌もその意味で、父と亡くなった戦友の方たちをつないでいます。
100歳になった父ですが、また会いに行こうと思っています。
もうほとんど意識のない父ですが。
「コスモス短歌会選者や大分合同新聞の読者お文芸/短歌選者などをしている歌人の平松茂男さんの作品を刻んだ歌碑が、周防灘を一望する真玉町浜に建てられ、十曰に現地で除幕式があった。
平松さんの孫の美穂さん(大分市・大分鶴崎高一年)ら三人が除幕すると、平松さんが昭和54年の元日に詠んだ「海にさす年始の光戦ひに水漬きし者の魂に及ぶか」を刻んだ碑が姿を現した。」
2021年02月09日
環境保護を行う上での重要な考え方として「Think Globally, Act Locally」(地球規模で考え、足元から行動せよ)」という言葉があります。
環境問題には、「地域環境問題」だけでなく「地球環境問題」もあります。
例えば「大気汚染」一つとっても、周りを走る車が出している「NOX」「SOX」。
道路周辺周りの大気を汚染する「地域環境問題」ですが、それだけにとどまりません。
「硫黄酸化物(SOX)」「窒素酸化物(NOX)」は大気中で「硫酸」や「硝酸」に化学変化し「酸性雨」などになって降り、全世界に影響を及ぼします。
1国の取組みではとうてい「地球環境」は救えないということです。
だから、Think Globally, Act Locally」(地球規模で考え、足元から行動せよ)」。
環境問題は、大気汚染だけでなく、地球温暖化、生物多様性、水質汚染、エネルギー、森林破壊、砂漠化、オゾンホール破壊による紫外線の問題‥‥。
本当に幅広く、それぞれの国によっても必要な取り組みがかなり違います。
それでです。
「eco検定」ってご存知でしょうか。
eco検定(環境社会検定試験)は、東京商工会議所および各地の商工会議所が主催している、環境に関する知識を問う検定試験です。
その目的は、環境に対する基礎知識を持ち、行動できる人を増やすこと。
環境問題の基礎を知ることにより自分の生活・仕事の環境への影響を理解し、環境改善行動へとつなげることが期待されます。
私はISOの審査員をしていますが、このeco検定試験、審査先のほとんどが知りません。
特にISO14001は環境教育がとても大切です。
それにピッタリなのに…。
そして、ISO9001、品質ISOについても、とても有効です。
パリ協定に米国が復帰し、日本も2050年「脱炭素化」を宣言しました。
ビジネスの流れが、一気に環境ビジネスの流れになっています。
「菅義偉内閣総理大臣は10月26日、就任後初の所信表明演説で、「菅政権では成長戦略の柱に『経済と環境の好循環』を掲げ、グリーン社会の実現に最大限注力していく」と述べ、「我が国は2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことをここに宣言すると表明した。」(環境ビジネス誌記事)
https://www.kankyo-business.jp/news/026409.php
ある方がおっしゃっていました。
「環境ビジネスはお金になる」…。
今一つ、好感度は良くない言葉ですが、この側面あると思います。
地球規模で考える視野と、足元から行動するための知識を広めるために、eco検定を活用すること、とても有効と考えますが、いかがでしょうか。
2021年02月05日
(2021年2月3日朝刊記事です。)
https://mainichi.jp/articles/20210203/dde/012/010/018000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210203
「「首相に忠告できる側近がいない」「すべて一人で判断している」(自民党国会議員)。
菅義偉政権の支持率下落が続く中、永田町でよく聞かれる声である。
安倍晋三政権時代の菅氏は、宰相を支える官房長官として存在感を放ったが、今はかつての自身のような人物が首相周辺に見当たらないのだ。」(同記事)
そして、例の菅総理や二階幹事長ら8人が東京銀座の「ステーキ会食」、昨年12月14日でのこと・・・。
新型コロナウイルスの感染拡大により、政府が国民に5人以上の会食を控えるよう要請する中、政界トップらの大人数の集まりには批判が噴出した。
「「いくら二階(俊博)さんに誘われても、あんな危ない会合に出たらまずいと思って、『私が頭を下げて断ってきます』と羽交い締めにしてでも止めるのが本当の側近ですよ。
店の外には100人ぐらいの報道陣がいて、大きなニュースになるのは分かりきっているのですから」。
そう語るのは、政治評論家の森田実さん(88)である。
「『自分のことは棚に上げて』と思われるかもしれませんが」と前置きをし、会合の様子を語り出した。
「菅さんとは以前電話で話をしたことはありましたが、お会いしたのは初めて。
首相からは『二階幹事長とはいつごろからのお知り合いですか』などと声を掛けられました」
「政権を担うということは、すなわちチームで対応するということです。
菅さんは横浜市議時代から首相になりたいと言っていた。
それなのに、同志の集団を作らないまま首相の座に就いたことが致命的な欠点です」
森田さんは「一人の人間が判断すれば間違いも起こります。
ミスを起こさないために参謀と組むのが鉄則ですが、そういう人がいない内閣はもろい」と、弱点を挙げる。
さらに、「最近の首相の表情は、どうも自信がなさそうに見えます。早晩行き詰まるのではないでしょうか」と、政権の先行きすら不安視するのだ。 」(同記事)
トップに補佐役がいなければ、組織はうまくいきません。
松下電器の松下幸之助翁に対しては大番頭の高橋荒太郎さん、田中角栄元首相には二階堂進官房長官、セパ両リーグで4度日本一に輝いた広岡達朗監督にはヘッドコーチとしての森祇晶氏…。
二階堂進氏などは趣味が田中角栄氏ともいわれました。
そこまで行くと、本当にため息が出るばかりですが、ここで大切なのは、補佐役はマネジメントが役割であり、トップはガバナンスが仕事ということ。
マネジメントは、組織がうまく回るようにPDCAを意識しながら事業を進めることであるのに対して、ガバナンスは統治であり、組織を治めることです。
戦略、基本理念、方向性などを指し示し、組織を丸ごと見ていくこと。
それを確実に押さえたうえで、事業運営をその方向性に沿って進めていく、それがマネジメントです。
「トップと補佐役では、おのずと役割が違ってくる。
「老舗学研究会」共同代表の前川洋一郎さんは「番頭がトップになる場合、マネジメントをする立場から、ガバナンスをする立場に生まれ変わらないといけません。
企業の場合、マネジメントは利益を出し、人を雇い、税金を納めること。
ガバナンスは統治をすることです。
菅首相は相変わらずマネジメント役で、細かいことに口出ししてばかりのような印象を受けます」と語る。
確かに菅首相の記者会見や演説では、デジタル庁の新設や携帯電話料金の引き下げなど、個別政策に触れることが多い。全体の政策を貫く基本理念や国造りのビジョンが乏しいのだ。 (同記事)
「菅首相は周りの人間を大事にするというよりは、ドライに切り捨ててしまうところがある。
恐怖支配では一時的には抑えられるが、困難に直面したときに『菅さんのためなら命を捨ててでも守る』という人が出てこない」と森田さん」。(同記事)
このままだと、早晩菅政権は崩壊してしまいます。
期待していただけに、とても心配です。(>_<)