2020年10月30日
道元禅師にお会いできました。
先日、焼津に行ってきました。
そこの古刹(こさつ)である「林叟院(りんそういん)」を訪問しました。

「林叟院」は曹洞宗のお寺です。

参道にある「経蔵堂(きょうぞうどう)」。
中に「林蔵」という、回転式で「一切経」などの経典を収める棚があります。

有名な「林叟院」の「鐘楼」です。
1706年(寛永3年)の建立。

坐禅のご案内です。
「お前は何者と自分に問う。これが禅」
「問う我」と「問われる我」。
フリードリッヒ・ニーチェは、この2つの「我」が交錯する中で発狂しました。
ただ、私は「この世の我」と「あの世の我」と考えます。
仏教ではこの世を「此岸」、あの世を「彼岸」と言います。
私もカトリック教徒ですので「此岸」がありそして「彼岸」があると信じています。
曹洞宗は、私の尊敬する道元禅師が開祖です。
「正法眼蔵」は道元禅師が書かれた素晴らしい書ですが、とても難解です。
その中の「有時の巻」に、私が今書きつつある「時間論」についての記述があります。
「時間論」、とても難しい。
ビッグバンで60億年前に宇宙がスタートしました。
そして、いまだにドンドン広がっています。
しかしです。
ビックバンの前に、それでは何あったのでしょうか?
もしあれば、その前、その前、その前と永遠に時間を遡ることになります。
「時間」はその前にはなかった?
仏教ではそれを「虚空」といいます。
ちょっと難しいでしょうか。
中世キリスト教の教父アウグスチヌスが、時間」は神が創ったと書いていると、大学時代の今でも親しい友人から、聞きました。
今は私も、それしかないと考えています。

途中の山間(やまあい)に、ちっちゃな石の仏像がたくさんありました。
目が二つの右の像わかりますか?
かわいかったので、思わずシャッターを切ってしまいました。
実はこれは目ではなく、目のところがくりぬかれての「窪み」でした。

秋の風情豊かな焼津駅から、巡回バスで20分くらいのところにある「林叟院」でした。
そこの古刹(こさつ)である「林叟院(りんそういん)」を訪問しました。

「林叟院」は曹洞宗のお寺です。

参道にある「経蔵堂(きょうぞうどう)」。
中に「林蔵」という、回転式で「一切経」などの経典を収める棚があります。

有名な「林叟院」の「鐘楼」です。
1706年(寛永3年)の建立。

坐禅のご案内です。
「お前は何者と自分に問う。これが禅」
「問う我」と「問われる我」。
フリードリッヒ・ニーチェは、この2つの「我」が交錯する中で発狂しました。
ただ、私は「この世の我」と「あの世の我」と考えます。
仏教ではこの世を「此岸」、あの世を「彼岸」と言います。
私もカトリック教徒ですので「此岸」がありそして「彼岸」があると信じています。
曹洞宗は、私の尊敬する道元禅師が開祖です。
「正法眼蔵」は道元禅師が書かれた素晴らしい書ですが、とても難解です。
その中の「有時の巻」に、私が今書きつつある「時間論」についての記述があります。
「時間論」、とても難しい。
ビッグバンで60億年前に宇宙がスタートしました。
そして、いまだにドンドン広がっています。
しかしです。
ビックバンの前に、それでは何あったのでしょうか?
もしあれば、その前、その前、その前と永遠に時間を遡ることになります。
「時間」はその前にはなかった?
仏教ではそれを「虚空」といいます。
ちょっと難しいでしょうか。
中世キリスト教の教父アウグスチヌスが、時間」は神が創ったと書いていると、大学時代の今でも親しい友人から、聞きました。
今は私も、それしかないと考えています。

途中の山間(やまあい)に、ちっちゃな石の仏像がたくさんありました。
目が二つの右の像わかりますか?
かわいかったので、思わずシャッターを切ってしまいました。
実はこれは目ではなく、目のところがくりぬかれての「窪み」でした。

秋の風情豊かな焼津駅から、巡回バスで20分くらいのところにある「林叟院」でした。