今日も疲れました

興味ある記事をコメつきで

元いた職場から印刷会社の役員を介して暗に復職要請。まあ、部数はどうなっているか知らんが、特集号のページ数は、私がいた時の半分に激減し、広告は半分以下、額にすればおそらく3割ぐらいに激減していることが伺え、相当厳しいのだろう、と思う。

しかし、知ったことか! 何度も改革の必要性や口だけ社員排除の指摘、新入社員のスキルアップを長めにみて使い捨てないことを進言したのに真逆を行き、会社を腐らせたのはお前らではないか。
とうとう断末魔が近付いた古巣がどうなっていくのか外から高みの見物と洒落込もう。畳んでくれれば、それは紙媒体を作るチャンスだ。

多分、ファンディスクで個別エンドの後日譚を描くことになるのだろうが。
吹は誰の子供の名前として名付けられることになるのかな。

グランドルートで雫は稟の付き人見たくなっていたが、なぜそういう位置に収まったのか。直哉に救われた記憶はどうなったのか。色々もやもやし過ぎる。

読了(そう書くのがふさわしいと思う)。
結論。このゲームは少なくとも2周やらないとわからない。
というか1周やってあらましを知った後。2周目をやると節々での言葉の意味がつかめてくる
セッション終了、情報開放型のゲームの典型。
決して面白くないわけじゃない(というか面白い)。絵や芸術を題材にしながら生き方の様々な対比、または類似を描き出し、非常に内容の濃い物語になっている。
続編(サクラノ刻)が前提にあるので、伏線は未だ解消されてはいないが。
続編では藍と稟、どちらか(もしくはマルチエンドでどちらも)が直哉を幸せにしてあげるようなエンドを望みたい。ただし、寧という伏兵がいるので、寧が直哉の文字通り安寧を齎すものであるならば、説得力のある設定、幕間劇、そして再開後のシナリオを望む。また雫と吹、とりわけ感情を取り戻す雫と認識を望む吹の救済も望む。 雫編の吹は本当に健気で可愛かったので。

最後にサクラノ刻はできれば2,3年内に出してくださいすかぢさん。ファンディスクも買いますが、それよりも完結編をできれば間髪いれず出すことがユーザーという観客に対する絶対的な福音です。
 

喘息を患っていた息子が無事退院。良かった良かった。
娘も弟の帰宅が相当うれしかったらしく甲斐甲斐しく世話を焼く姿が見ていて微笑ましい。
息子も久し振りの我が家にハイテンション!

しかし、その前日、鞄を車中に忘れるハプニング。飲んでる時は本当に危ない。自戒。
中身は無事だった。ほんと怖い。

サクラの詩購入。1万超。エロゲーで1本にこんな金を使ったのは初めてだ。抱き枕カバー、これどうしろと(苦笑)。

 あれから仕事を再び変え、子供も2人育ててる状況。アニメを見る暇もねぇ。前期見たのはWORKING!!!のみ」という体たらくおたくじゃないね、オイラハ。

 むしろゲームに期待、こころリスタとサクラの詩は超期待。しかしやる暇はあるのか。アニメはうたわれ2の同人誌作りをするか否かを吟味中。

 仕事はまずまず、新規事業ながら前期は目標を達成。今期は1人雇いたいとこだがどうか。でも雇わないと倒れた時に仕事が回らない状況になるのは必定。営業も取材もできる人がほしいなあ。当業界の経験者ならなお可。

 前前社の馬鹿に業界の懇親会で絡まれる。気持ち悪いことこの上ない。古巣はまたまたお定まりの人事混乱があったようで、俺を追い出した馬鹿が失脚し、風見鶏が再任、つける薬がないとはこのこと、脱出できて良かったよ。今の会社は退職金制度や延長制度もあるし、いうことなし。

 事業を立ち上げて1年余。エンジェル投資家の7社の社長、役員の方々には感謝してもしきらない。まじめに仕事し、真摯に接すれば助けてくれるということが分かったのがこの2年の得難い経験だ。公的な立場の方の後援ももちろんありがたい。これからも自分の身近な人の役にたつために頑張っていきたいなぁと思う所存です。

【評  価】(M.I)
作  画 :9(戦闘シーンは特に良い。BDはさらに良くなるらしいのでこの評価)
ストーリー:10(ほむほむ可愛い。ほむ杏可愛い)
演  出 :10(ほむマミの戦闘シーンカッコイイ)
Q B   :1(末路だねぇ)

【あらすじ】希望を願い、呪いを受け止め、戦い続けたものがいる。それが魔法少女。かつては、戦いの末に魔女となってしまっていた彼女たちを、一人の少女が犠牲となり「円環の理」として救済するよう世界を作り変えたはずだった。魔法少女たちは、その「叶わぬはずの願いの成就」と引き換えに人の憎しみや不安が具現化した「魔獣」を倒し、いつか訪れる救済により、この世界から消え去ることで絶望の因果から消え去る――はずだった。
 しかし、ここ見滝原では、また「あの時間」が繰り返されていた。鹿目まどか、巴マミ、美樹さやか、佐倉杏子が魔法少女として共闘していた。戦っている相手は「ナイトメア」。そしてあの巴マミを殺した魔女であったはずのシャルロッテも「ベベ」として味方になっている。一方キュゥべえは意味のある言葉を発してはいない。
 翌朝、転向してきたのは暁美ほむらだった。マミと旧知の仲である彼女もまた、魔法少女だった味方の能力を増幅できる能力のある彼女はすんなりと受け入れられ、それから1か月、彼女たちは、戦いつつも穏やかな時を過ごす。しかし、ほむらは一人、自分たちの戦いに疑問を抱いていた。
 ある日、ほむらは最も人格イメージに違和感を持つ杏子を連れ出す。なぜ見滝原に来たのか、今はどこに住んでいるのか、中学への転入時期はいつか、杏子は最後の問いに答えられない。ほむらは杏子と共に風見野行きのバスに乗るが、全て見滝原に戻ってしまう。ほむらは魔女の仕業であることを確信した。
 一番怪しいのは以前も魔女であったベベ。そう考えたほむらはマミのマンションへ行き、隙を突いてベベを襲う、しかし、そこにマミが追いつき戦闘が開始され、互角の戦いが続く。ほむらは自決すると見せかけマミを慌てさせ、マミの戒めから逃れ、時を止める魔法を発動し、マミの足を打ち抜くが、それも罠だった。打ち抜いた標的はパペットであり、ほむらはマミに捉えられる。なぜベベを襲ったのか糺すマミにほむらは、ベベの正体を説明するが、マミは困惑する。次いでほむらは「あなたは何と戦っているのか」問い質す。マミから出てきた答えは「魔獣」だった。ではナイトメアとは何なのか? マミの隙を見逃さずほむらを助けたのはさやかだった。一方ベベは魔法少女「百江なぎさ」としての姿をマミに現す。
 さやかは、この世界を作っている魔女が「現状維持を願っている」ことに言及する。そして「この世界を作った魔女を突き止めてあんたはどうするつもりなんだい」。問いかけるさやかはさらに「これって悪いことなの?」とたたみ掛ける。ほむらは魔女の肩を持つさやかに驚き、あり得ないものを3つ挙げる。「この世界を作った魔女」、「ベベ」、「そして魔女のことを知っているさやか」。あなたは何者なの? さやかは自分の魔女としての正体を誇示し、「この見滝原を壊していいのかじっくりと考えてから決めることね」と遺し、その場を去る。
 まどかの尊い犠牲の下成り立っているこの世界で、自らの殻の中に安住する。「そんな行為許されていいはずがない、魔法少女は(まどかの犠牲に酬いるためにも)戦い続けなくてはいけない。こんな茶番劇許されていいはずがない」。静かに怒るほむらの前に現れたのはまどかだった。「一人ぼっちになっちゃ駄目だよ」。まどかの裏表のない真心に絆されるほむらは、抱えていた想いを吐き出す。「私ね、とても怖い夢を見たの」「あなたが遠い所へ行って」魔法少女が戦い続ける中「私だけがあなたのことを覚えている」。「さびしいのに、悲しいのに」、いつしか本当にまどかがいたのか、実は自分が空想した絵空ごとだったのではないかと疑ってしまった、と。嗚咽するほむらをまどかはそっと抱きしめ、そんなことあるわけがない、ほむらが耐えられないことに私が耐えられるはずがない、みんなをおいて一人でいることに耐え切れるわけがない。
 そのまどかの告白にほむらは愕然とする「それがあなたの本当の気持ちなら私、なんて間違いを犯してしまったのか、やっぱり認めちゃいけないことだったんだ、どんな手を使ってもあなたを引き止めるべきだった」。
ほどなく落ち着いたほむらは、まどかに「もう一度優しくしてくれてありがとう」と礼を述べ、「遣り残したこと」をしに、再びバス停へ向かうのだが・・・・・・。

【解  説】見れば見るほど味わいが深くなっていく映画だ。1度目は映像美に圧倒され、2度目は初見では理解できなかったストーリーの機微に気付き、3度目にして漸く自分なりにこの映画のテーマを見つけられた気がしている。
 テーマは「寄り添うこと」だ。テレビ版では、全員が「自分が頑張れば」という感じで力んでいるか、挫折により孤立していた。だからこそ相手を尊重しすぎていた。それが、踏み込みが遅くなった故の破局に結びついていたように思える。
 この世界はほむらが作った幻想世界だったわけだったが、この世界をほむらが形作るに至ったのは「一人で戦い続けることへのさびしさ、悲しさ」であり、「いつしかこの世界にまどかがいたと覚えていることすらも自分自身の絵空事であったのではないか」という疑いへの反論の場であろうことは想像に難くない。
 他の魔法少女と、ほむらが違う点は何かと考えてみる。それは恐らく1点に集約できる。「まどかの存在を知っているか否か」ではない。「やりきったという満足感を得て円環の理に旅立てるか否か」である。他の魔法少女は総て、願いは事前に成就されている。つまり消える際に後悔は(あるだろうが)、納得する理由があり観念して旅立つことができる。しかし、ほむらはそれができない。なぜならば彼女はまどかという存在を立証することのみに生きているから。だから生き続けなければ行けない。そうした理由から彼女は、闘いの仲で共に寄り添う存在を見つけることができない。便宜上、共闘する仲間はいても立つ場所が違うから寄り添えない。否、まどかの犠牲の下に成り立っているこの世界を守護するために戦い続ける存在であると規定している以上、かりそめの馴れ合いも不可能なのだ。分かち合うことのできない孤独。仲間が自らの親友の下に旅立っていく様を、実は一番会いたいのは、ほむら自身であるのにそれができない悲しさの総転移があの魔女空間なのだろう。
 では、魔法少女5人を中心とした「現状維持」という方策を望んだのは、何故だろう。それはあそこがほむらにとって一番輝いていた好ましい時間だったからだろう。こうすれば良かった、こうなれば良かった。取り返したい。それが「茶番劇」のような空間になった理由だろう。ある意味後悔の念だ。戦いも魔女空間のような危険もなく、魔獣のような無味乾燥なものでもない。仁美の癇癪のような念を敵とし、それを浄化することで、ソウルジェムも浄化される。ある意味本当に乙女チックな場だ。
 しかし、ほむらはその場を自らの疑いにより壊していく。その理由は彼女自身の潔癖さ。これがやるせない。ひきこまれた方のマミやさやか、杏子は寄り添う相手を得て、慈しんでいるのに、ほむらだけはそれに違和感を持つ。この教条さには切なくなっていく。とりわけ、まどかすらも最後の最後まで自らが作り出していた幻想と思っていたという言葉は、どれだけほむらが自分を律していたのかが垣間見える。
 そしてまどかの本心を知るに至り、彼女は遣り残しを済ませにバス停へ向かう。唾棄すべき最もさもしい望みを叶えようとしたのは誰なのかを確かめに。私はここでは、ほむらは未だ去就を決めかねていたように思える。「もう一度(こんな私に)優しくしてくれてありがとう」「私はそれだけで本当に幸せだった」。この言葉からは、正直私には「自決」という言葉しか浮かんでこなかった。なぜならまどかとの会話から類推されるに、自らが魔女化したということは、まどかという存在に疑いを抱き、まどかとの約束を守りきれなかった責任をとるためだ。
 ほむらが、まどかを捉えることを決断したのはキュゥべえが円環の理、即ちまどかを観測し支配下に置こうとしたからだろう。まどかをとらわれ、魔女空間を復活させてしまう。元の木阿弥、ならば汚れた私がその手を汚そう、私と同じように寂しさを抱いていたに違いないまどかに寄り添おう。まどかの危機が、くすぶっていたほむらの導火線に火をつけたのではないだろうか。
 「この時をずっと待ってた」まどかを捉える際にほむらが発するこの言葉は、この映画を理解することを難しくする最大の言葉だが、私はその起点はあの花畑での会話ではなく、ほむらの根源、まどかを手放してしまった時そのものではないかと考えている。「やっぱり認めちゃいけなかったんだ」というほむらの言があるが、この「やっぱり」というのは、認めたときもこれで良かったんだろうか、彼女の意思を尊重することが、実は彼女のためではなかったんではなかろうか、他に方策はなかったのだろうか、そうした意味を持つ。長い時間を過ごす中で、相手の意見を尊重しすぎ、寄り添うことができなかった悔恨。これが起点だったのだろう。(というかスタッフもあのストーリー的強引さには悔恨の念を持っていたのかも知れない(笑))
 そして描写される糸巻。まどかの色だったことから当然まどかの力だろう。糸で描写しているのは当然「意図」に通じるから。つまりまどかの意図。花畑でほむらがまどかを戒めた「どんな辛いことも選択できる勇気」を閉じ込めていると思われる。重ねられている糸の量はまどかとの時間を表したものか。これを堅牢な自らのジュエルの中に封じ込める。自らの所業を「愛」と名付けたが、好きなのに(知られたら)嫌われる役を買って出るところは確かに「愛」かもしれない。
 キュゥべえは、まあ自業自得。
 そしてエンディング。彼女たちは大人に(なれるかもしれない)未来を手に入れた。さやかは、魔女の力をほむらび奪われることで新たな世界でも妄執をなくし、恭介と仁美を祝福することができた。杏子とも寄り添うことができている。一方でなぎさとマミは指輪をしておらず、もはや魔法少女ですらない。まどかはテレビ版最終話で魔法少女全ての決断を尊重したが、ほむらはそうしなかった。他人への干渉も敢えてやる、ここにも尊重しすぎたことへの後悔が垣間見える。やらないよりはやって後悔したい。優しく傲慢な悪魔「暁美ほむら」の思想が。
 ラストシーンを完全に理解することは何人にもでき得ないだろう。私はこう考えている。ほむらはまどかと世界改変前のような親友にはなれなかったのだ、と。生き死にがかかった世界で仲間として戦った時とただのクラスメート。これでは関係性が希薄になることは当たり前だ。それでもほむらはまどかの力が発動しないために見守り続ける。否、同じ時代を過ごすことが出来るだけで幸せ。ほむらの言を借りれば、その「焦燥感すらも愛おしいのかもしれない」。しかし、あの花畑で草擦れの音に期待感を膨らませる乙女なほむらを見るとやはり切なくなってくる。そこにまどかが来る時は恐らく破局の時なのに期待せずにはいられないほむら。そしてまどかの力を収めたジュエルと共に落ちていく描写は、何を意味するのか。次回作に期待せずにはいられない(本当に作ったら蛇足です)。
最後にキュゥべえさんお疲れさまでした(M.I)

飯が食えれば良いがね。
内容が悪く無ければ問題ないとは思うが。
構成に口を出されるのは面倒臭いね。

しかし、その頃から社長は焦ってたな。売上が毎年一割下がり、このままじゃもう駄目だ、を連呼する始末。不可侵だった、業務内容まで介入した結果、上司は正月早々辞めてしまった。納期も目前の時に辞められて、あの時は本当に焦った。何て非常識なと憤ったくらいに。でもね、今は分かる。理不尽な介入に嫌気が差してたんだよね。

遮二無二働いて、5年過ぎ、一行に俺の後輩は定着しない。短ければ数日は論外だが、一年内外で辞めていく人間の多いこと。思えばその時から気付いていたのかも知れないね、この会社がおかしいって事に。業界も激変期を迎えていた。特殊会社は民営化、予算は激減し、分かりやすいくらい苦境にあった。でも、俺自身の売上は減らなかった。何故って? それを見越した技術を開発した会社をずっとフォローしてたからだよ。真摯に接していれば、苦境時にも切られるのは1番最後だ。会社も変わった。そりゃ、売れる見本がそこにあれば真似をするよね。これだけは胸を張って言える、俺のビジネスモデルがあったからこそ、生き延びれた、と。

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