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 平成31年(2019)2月24日(日)、旧杉田劇場の思い出を語るトークショーを開催しました。会場は磯子区民文化センター杉田劇場のリハーサル室(定員60名)。

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 客席に余裕を持たせるため募集人数を40名としたのですが、思った以上に応募者が殺到、仕方なく5人増やし、10人増やし、としているうちに、とうとう55名に達してしまいました。
 これ以上はもう無理ということで、56人目からは申し訳ありませんがお断りすることになってしまいました。


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 開会前には先ごろNHK福岡放送局で流された美空ひばり没後30年の番組をDVDで放映。九州地方だけでしか視聴できないドキュメンタリーで、美空ひばりが初舞台を踏んだ杉田劇場から、最後の舞台となった九州厚生年金会館を訪ねて、加藤登紀子さんがひばりに対する思いを語っています。

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 まだ開会前ですが、続々と入室してこられるお客様たち。皆さんに見ていただきたい資料をたくさん用意したのですが、客席が広がってしまい、ゆっくりご覧いただくスペースがなくなってしまったのが残念ですが・・・

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 この日のスピーカー。右から田中耕多さん、水野直春さん、関フミ子さんです。田中さんと水野さんは浜中学校の同級生で、学生時代に杉田劇場を借りて学芸会をやったという経歴の持ち主。関さんは「菓子一」のご主人・相原一郎さんの妹で、子ども時代には美空ひばり(加藤和枝)さんと一緒に遊んでいたという思い出のある方です。

 田中さんと水野さんが学芸会で演じたのは「勧進帳」でした。お二人は浜中5期ということなので、昭和26年の入学ですかね。
 その年に学芸会をやったとしたら、昭和26年にはまだ、杉田劇場があったということになります。確かに昭和26年まで劇場が営業していたことは、「葡萄座」の公演記録を見れば確認できるのです。
 磯子区民文化センター杉田劇場の公式HPでは、<旧「杉田劇場」は昭和25年10月3日に閉館しました>と書いていますが、どうやらこれは修正しなければいけないようです。少なくとも昭和26年4月までは営業していたのですから。


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 関フミ子さんの思い出は、加藤和枝(のちの美空ひばり)さんと一緒に石けりなどをして遊んだということでした。旧杉田劇場に出演した彼女は杉田商店街によく寄っていたようで、戦後の統制により「菓子一」がまだ和菓子屋を再開できないとき、相原さんが貸していた店に来てお汁粉を食べたあと、歌を歌っていったということです。
 似たような話を「菓子一」の隣の「芝時計店」でも聞いたことがあります。戦後まもなくの頃、加藤和枝・喜美枝親子が店にやってきて、「お金はいらないから店頭で一曲歌わせてほしい」といって、ミカン箱に乗り歌を歌っていったということがあったそうです。
 この日のお客さんの中には港北区から来られた方がいました。その男性の話では、やはり加藤親子が港北区内の神社に来て、秋まつりの奉納舞台で歌っているのを見たということでした。


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 休憩時間に展示資料を見る参加者たち。壁に貼ってあるのは、昭和21年から23年ころまでの新聞に掲載された劇場広告。
 その下に置かれたパネルは葡萄座のポスターで、昭和21年から26年まで、旧杉田劇場で公演した時のもの。
 壁に張り付けた大型のパネルは、旧杉田劇場の平面図と、昭和34年ころの周辺地図です。
 みなさん、トイレに行く時間も惜しんで、地図やポスターを見ながらお話に夢中でした。


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 手前左に置いた横長のポスターは、昭和23年10月に葡萄座が杉田劇場で公演したときのもので、演目は「ヴォルガ収容所」と「犬(結婚申込)」。前者は磯子の作家・神谷量平が書き下ろしています。

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 休憩時間中には、杉田劇場の中村館長によるピアノのBGMが流れました。曲は、もちろん美空ひばりのメドレーです♪

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 この日は思わぬサプライズが!
 なんと、旧杉田劇場にたびたび出演していた市川雀之助のお孫さんが駆けつけてくれたのです。
 このブログでは、かつての雀之助のことを少しだけ記事にしているのですが、お孫さんはたまたまそれを読んでくださって、今回のトークショーの情報も知るところになりました。嬉しいことですよね。

 しかも、この日のスピーカーの一人、水野直春さんは大の歌舞伎ファンで、当時は市川門三郎、市川雀之助を何度も観劇しに行っていたといいます。
 今回のイベントを通じて、かつて旧杉田劇場に何度も出演していた雀之助のファンと、その雀之助のお孫さんが、現代の杉田劇場で顔を合わせたなんて、大変すばらしい出会いになったと思います。


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 さらに、こんな発見もありました。なんと、昭和27年に旧杉田劇場の庭園で撮影したという浜中学校生徒たちの集合写真です。持ってきていただいた方は、杉田商店街の鮮魚店「魚七(閉店)」の元ご主人。
 当時、講堂のなかった浜中では、杉田劇場を借りて学芸会をやっていたといいます。この写真では分かりづらいでしょうが、左端に劇場の一部が写っています。ということは昭和27年までは、少なくとも建物自体は存在していたといえます。
 写真のコピーを杉田劇場でご覧になれますので、足を運んでいただけると、さらにいろいろな資料が確認できますよ。


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 また、旧杉田劇場に関する新しい証言もありました。建物は借地の上に建っていたそうです。その土地の地主の息子さんから、こんなお話が披露されました。
 『当時は上大岡方面に住んでいて、地代をいただくため、親と一緒に日野の山をエッチラオッチラと超えて杉田劇場まで行きました。しかし、経営が苦しかったようで、いつも地代をもらえず、来た道を引き返して行ったことを思い出します』

 実際、旧杉田劇場は資金面でのやりくりが大変だったということが、いくつかの本や資料に書かれており、劇場の客席が税務署に差し押さえられ持って行かれてしまった……なんて話が伝わっています。

 まだまだ、いろいろな話がありましたが、続きはまた後日に。
 乞うご期待♪


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