2010年08月01日

さようなら

不慮の事故から性別も変わってしまった事だし、いっその事、リセットするのも良いかと、日記を引っ越してみる事にしました。
starman

しかし、くれぐれも、決して、見てはいけませんよ。






http://onthehilll.blogspot.com/

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2010年07月08日

初潮

鹵福紅から飛び降りた際に、杭の上に跨るような格好で着地してしまい、股関を強打。幸い睾丸を僅かにそれ、会陰を打ったのであるが、もし睾丸にヒットしていたら確実に破損していたであろう。危ないところだ。

ともあれ会陰が痛い。疼く。苦しい。
こんなに強く打って、性別が変わってしまったりはしないのだろうか。と、ふと見るとぱっくり割れて血が出ているではないか。もしかして、かなり遅い初潮?

ともあれ、死ぬのではないかというくらいの衝撃が全身に走ったが、とりあえずはまだ生きています。死んでもお葬式はしません。戒名は「ジギースターダスト」にしてください。
墓碑銘には「コンフュージョン」と、いや、墓に唾をかけておいて下さい、いや墓はいらない、遺灰はカリ肥料として芋類に施肥して下さい。里芋がいいなあ。


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2010年07月07日

乱れ街

鵐瀬哀薀后Ε機璽「悲しみは空の彼方に」見る。ヌーベルバーグからも評価されたメロドラマの名匠、だとか、で、期待して見た。

うーん。確かに面白い。ハリウッド大衆映画ではあるが妙なクセがある。

いかにも簡単に妊娠しそうな娘が2人も出て来たが、誰も妊娠しないのだ。
それは結構、この映画、この監督の本質かもしれない。見終わって残るのは強いモラルの感覚なのだ。登場人物は1人を除いてみなしっかりとしたモラルを持っており、そこから逸脱しない。映画自体にも強いモラルがあり、些細な部分でさえも決してそこから逸脱させない上品さ。

それが何だか妙なのだ。娘なんか、散々甘やかされていながら結構いい子で反抗もせず親を良く手伝い、さほど厄介な問題も起こさず、いや、本当はもっと厄介になるはずだったんだ。
親も女優の仕事に命を懸けて、娘にかまってやれずほったらかし、のはずだったのだが、結構娘と心を通わせて、理解ある良い母親ではないか。

かたや同居の黒人母娘。反抗する娘は話に亀裂を作って行くが、いや、むしろ敬虔なキリスト教徒の母親のエゴが問題。娘といえども他者なのである。一度でもそれを認め大切にしたろうか。人種問題ではなく普通の親子の関係として見たとき、破滅を招いたのが決して娘だとは言えないのがわかる。

また、メロドラマでありながら、情緒に過不足ないという作りに、映画作法としての強いモラルも感じる。過剰であることがメロドラマなのに、決して過剰にならない清潔感。余計に引っ張ってウンザリさせたりはしないのだ。

最後にマヘリア・ジャクソンが出て来て歌うのが見られたのはちょっとラッキー。

鵑気蕕貌唄篤帖崚靴倭瓦撞し給う」見る。ジェーン・ワイマン主演。ヒッチコックの「舞台恐怖症」に出てた人。
ビル・ワイマンはこの人のファンだったので芸名をワイマンにした、のだった筈。と、また余計な知識に脳のメモリを使っているなあ。
ともあれ、ビル・ワイマン氏はファニーフェイスの年増がお好みかあ。

で、映画ですが、これが良い具合。一見、大衆的なメロドラマながら、見事な傑作です。
「悲しみは…」のオープニングでも模造ダイヤがほろほろと落ちてくる映像がとても綺麗だったのだけれど、そういういかにも作りものといった薄っぺらい人工的な美しさを却って儚く綺麗に見せる人のようだ。
何故そんなにまでピカピカ美男ロック・ハドソンが年上のどっちかと言えば不細工な未亡人ワイマンをいきなり愛して止まらなくなるのか、全くわからないのだが、それこそメロドラマの醍醐味、人工的な美空間なのだ。

内容は「マディソン群の橋の下のぬるい水」と少し似ている。ぬるい水は余計か。

鵑気蕕貌唄篤帖嵜瓦里箸發靴咫弩る。
またワイマン&ハドソン。
「乱れ雲」と「街の灯」を合体させたような話。成瀬とチャップリンを同時に見られるとは何とお得な!

不幸な目に遭いながら、明るくお洒落なワイマンが凄く良い。

「乱れ雲」の加山雄三的立場のハドソンが、司葉子的立場で目の見えないワイマンに、「街の灯」のチャップリン的献身をする。
そして実は僕は加山雄三なんだと告白するハドソン。凡庸なメロドラマなら必ずそこでガーンと音楽が鳴り、泣いたりわめいたりするのだが、「前から何となくわかっていたわ」と全くさらりと流してしまう、でも心の中には何かが。。このあたりのスマートさ上品さがこの監督の素晴らしいところだね。

ワイマンの魅力たっぷりの名作です。


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2010年07月04日

ニーナ・シモン


歌詞を見ながら聴く。感動に打ち震える。

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2010年07月02日

クルーズ/自由

麋で、カメムシくらいの大きさの恐怖の吸血昆虫にひっつかれる。でかい。良くいるのは1ミリくらいなのだが。
すぐに剥がして石で潰したものの、一旦噛みつくと、絶対に取れないのだ。服の中を這って行き、必ず睾丸に寄生するのだ。こいつに睾丸をチュウチュウ吸われたらひとたまりもなく、自慢の美睾丸も台無しである。くはばら。

麋睾丸って船の名前みたいだね。
この夏、美睾丸でクルーズっていうのも悪くないね。

鵐ラヴィコード、という楽器の音をまだ聴いた事が無かった。鍵盤を揺らすとヴィヴラートがかかる、というかなり原始的な感じだが、試聴してみてびっくり。
子供の頃、よく空き箱なんかに輪ゴムを数本引っ掛けて、ビンビン鳴らして遊んだりしたのだが、あの音にそっくり。輪ゴムが切れたら、痛いんだよなあ。古楽器恐るべし。

鶺泙縫皀鵐はいいなあ、と思ったり。ピアノの不協和音って涼しい。クラシックばかりで頭の中がちょっと窮屈になっていたので、頭が隙間だらけになる感じが心地良いのだ。自由っていいね。


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2010年06月29日

ウォルフィ/ドルフィ

鵝屮▲泪妊Ε后廚離妊レクターズカット版というのがやっていたので見てみる。
なんと、可愛いコンスタンツェの乳見せシーンが追加されているではないか!衝撃!

鷯し暑いのでさらに蒸し暑く、と久しぶりにコルトレーンを聴いてみた。
結構、破れかぶれな人だね。音も汚いし、どこへ向かっているのか自分で全然わかっていないみたい。ドルフィのパートへ来ると、急に安心する。

鵑匹Δ笋蘿澑時はピグミー音楽が合うみたい。ボーっとなる。


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2010年06月27日

メモ/ざくろの色

fdafa005.jpg麋稟重、批評的である事は偉い事でも何でもない。むしろ肯定的でストレートでいる事の方がずっと大切で、ずっと難しい。
自分の目で見る事は批評的であるという事ではない。
捻れた人、詰まった人を見ると、不快。

最近、一つの、気の集まり、気の流れとして人を認識するようになった。
サーッと流れている人は気持ちいい。

麑し、という言葉が嫌いな人も、結構いるよね。そういう人に一番必要なのだろうけれど。
本当は、抱え込んだものが流れてしまう事への恐れがあるのだろう。恐怖感の塊みたいな現代人。

鵝屮襯優汽鵐構ゞ偽塀検織ΕД好肇潺鵐好拭実臉仔伽参梁癲廚箸いCDを借りて来た。アンチクライストなので、前はこういうものは嫌いだったのだが。アレグリのミゼレーレという曲を以前ラジオで聴いて、また聴いてみたかったのだ。
これがかなり当たりだった。ただただ、気持ちいい。闇の中の光のシャワー。闇が前提なんだけど。

鷓廼瓠古楽関連の本ばかり読んでいて、中世ヨーロッパの、楽器を演奏している絵に魅せられている。
遠近法以前の絵、というのが兎に角、楽しい。
この時代の絵の手法やモチーフを使った映画に、パラジャーノフ「ざくろの色」という伝説的名作があった。

鷽佑六匐,虜△乏┐鯢舛場合、まず平面的に描き、遠近法というものは、教わって初めて「発見」するのではないか。
という事は、つまり人の目には物事は遠近法では見えていない、本来、人はそのように定点からは世界を把握しない、という事なのではないか。

遠近法を使わない絵は、曼陀羅に似ている。人は本来はそのように世界を曼陀羅的に把握している。
目、という定点を設定するという事は五感をそれぞれ機能により切り離した、近代的な発想の出発点と言えるだろう。

すると、遠近法という把握方法は人間の目をカメラのレンズ程度のものにおとしめる練習、と言える。

遠近法以前の絵が最近やたら新鮮に感じられるのは、多分、その誤って学習させらた世界の把握方法をリセットするだけの力が、瞑想の経験などにより湧き上がったのだろう、と思う。

鵐櫂螢侫ニーとは、ポリフォニー的世界観とは、という事についても考えてみたい。少し。

鷁晋虜、古楽なのか。という事にはかなり意味があるのだが、音楽論で論じると全く意味をなさない。

鵐侫譽奪肇錙璽という古楽の先鋭的なグループがある。その、バッハ「フーガの技法」のCDが欲しいのだが、ジャケットが格好悪いので買うて気にならない。意味的にも間違っている。「迷路」の写真なのだ。
間違えやすいのだが、フーガの技法は迷路ではない。曼陀羅なのだ。
こうした誤解もまた、遠近法的な、耳という定点を設けた際の誤った把握方法によると言えるのではないか。
出口と入口があり、そこを線的あるいは時間的になぞって行くのではどうしても迷路になってしまう。

そうではなく、ホログラフィックな、部分が全体であり全体が部分である、といった感覚で捉えた場合、そこに、どんと大きな曼陀羅が現れる。

鵑垢襪肇櫂螢侫ニーとは何だろう。これもまた、非近代的な世界の把握方法なのではないか。

鵐悒鵐襦璽世硫屬龍丹枦な美しさ。


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2010年06月23日

地獄と天国

鵐謄譽鵐后Ε泪螢奪「天国の日々」見る。
なんと、あの超名作「地獄の逃避行」のヴァリエーションといえるものであった!
テレンス・マリックがどういう人かは全く知らないが、体質的に、ものすごくわかるのだ。

鵝崚曚蕕鮃發吊せ」見る。有名だが、全然良くなかった。一番の見せ場が絞首刑では、映画内で絞首刑見物を楽しむ群集と、映画を見ている我々も無理矢理同罪にさせられているではないか。悪趣味な構造。

鵐螢凜Д奪函屮薀鵐献Ц爵夫人」見る。ぐじやぐじやした昔のフランス人の話。

かなりリヴェットらしい演出だが、むしろリヴェットはこんな風にしか撮れないのではないかと思う。
2人が共にどこかへ行こうするが結局はどこへも行けない。という映画ばかり。もうお歳なのだからどこかへ行ける映画を撮ればいいのに、と思う。

キャストは豪華。
ビュル・オジェもミシェル・ピコリも随分お歳を召されましたな。と思うとこの2人、ブルジョワジー達が食事をしようと集まるのに変な事ばかり起こってなかなかディナーにありつけないあの人々の内の2人ではないか!
やたら色っぽかったオジェも小さなおばあさんに。。。

夏なので、丁度オジェの出て来る映画が見たかったのだ。夏が来れば思い出す、遥かなオジェ。というくらいなので。

まあ、フランス映画もフランス文学も、もういいかなあ、という気にさせる映画であった。なにしろ、そんな事やっていてもどこへも行けないのだから。そう知らしめる意味で、出来の良い映画なのだと思う。


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2010年06月22日

発掘写真

ついに発見されたバッハの写真。golem

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時間と空間

鷓篷槊彊譴糧崛函音楽の学校を飛び飛びながら見ていたのだ。この人の、いかにも腰椎3番の捻れた攻撃性の泌尿器型、という人間性も、音楽のセンス自体もあまり好きではない。しかし、音楽を時間と空間の広がりの中でマクロに俯瞰できる視野、姿勢、というものは偉いものだ、と思う。

むしろそうでない人が多すぎるのだ。
最近、クラシック関連の本をいくつか読んで、ウンザリしている所。だってクラシックを演奏する人も論じる人も、アホばっかりなんやもん。音楽論や技術論としてしか語れない人は駄目。

鵐丱奪蓮カンタータ41番。カッコ良すぎやしないか。完全にスパイダーズフロムマーズ感覚、あるいはデトロイトホイールズ感覚で聴いてしまう。前にグングンとつんのめる。
そんなに人気曲ではないみたいだが。

鵐泪縫侫カートも烏賊酢是。翳りを帯びたソプラノの美しい調べにうっとりしていると突如ブツッとオカルト映画的コーラスに切り替わり、ぞんぞこぞんぞこぞんぞこぞんぞこ、と迫り来るのがゾクゾクするわい。

麑霏永吉の新譜のジャケット見て笑った。バンドブームの頃みたい。一回転してこういうのがカッコ良い時代がまた来たのだろうか。それとも。

麝名な古い心霊写真などを画像検索して背筋が寒くなる。


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2010年06月20日

けんもほろろ

0cdf52c2.jpg麑粥5楮蠅△いと鳩山前首相の二本立て。さらに少しだけ宮崎あおいのアンコール。
ときたま夢に現れる宮崎あおいはいったい何の象徴なのだろう。 特にファンという訳ではないし、実際、出演した映画など全く見た事がないのだが。

けんもほろろに冷たかったな今朝のあおい。

鵐泪蹈Δ硫屐


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2010年06月17日

イーストウッド三昧

鵝嵜臣襪了狷」見る。クリントイーストウッド、舎利撒く霊園。
尼僧姿で小さな驢馬に乗る舎利撒く霊園のでかい尻がいい。

鵐リントイーストウッド「アウトロー」見る。これはとてつもない傑作。フォードから正しく受け継ぎながらも、その先を見せようという姿勢が素晴らしい。イーストウッドってこんなに凄い人だったんだな。

顔がやたら逆光になって真っ黒になるのが良い。助演の細い女優の内気な感じがたまらなく良い。
それにしても、ひっきりなしに唾を吐きまくるイーストウッドの唾の出る量が半端でない。唾映画決定版と言えよう。

鵑気蕕縫リントイーストウッド。「許されざる者」。
西部劇、そして西部劇のヒーローを演じ続けてきた自分自身への批評。よくもこんなとてつもない映画が撮れたものだ。兎に角、西部劇のくせに人の命が重いのだ。一人一人が自分たちの命を持って生きているのだ。撃つやつも撃たれるやつも生身の人間なのだ。

しかも単なる批評でもパロディでもなく、結局は批評する側される側をも包み込む深く大きな西部劇になっている。

最後の方。吠えるばかりでいざとなると全くの腰抜けだった仲間のクソガキにクリントイーストウッドが言う「お前を殺しはしないよ。たった1人の友達だからな。」というセリフに泣けてしまう。これ、凄いセリフだよ。
キャプラみたいにみんな友達仲良し楽しいな、という友達もいれば、こういう、嫌な奴だが何の因果か道連れになり、しかもこの世にいる唯一の友人知人の類、そういう友達もいる。

多分、もうこれ以上素晴らしい西部劇を見る事は無いだろうとさえ思う。


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2010年06月15日

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サントリナ。
オキシペタラム。
どくだみ。


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2010年06月12日

遠い

?HMVから、今月中にポイントを使わないと破滅するぞ、と脅迫メールが届いたので、しょうがないので買い物をする。

そもそも、HMVは無理矢理三枚買わせたりして、嫌だ。ポイントを使い切って断然、縁を切るべし。

と、グールドのベートーベン、バッハ、バード&ギボンズ作品集、など購入。

?リュートやらヴァージナルやらフラウトトラヴェルソやらヴィオラダガンバの音色を愛でていると、古楽っていうのは民族音楽なんだなあ、と思う。
リュートの弦のゆるさやわらかさ。ガンバの遠いような箱鳴り。


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2010年06月10日

セックス大好き/こっそり

鷄卆献謄譽咾妊丱奪呂離乾襯肇戰襯をサックスで吹いているのを見た。
ブラスセクションにコントラバス、まるでディキシーランドみたいに聴こえたりもして、なかなか楽しいものだが、物足りなさもある。
曲間がぶつぶつ切れるのがテンポを悪くしているし、皆さん頑張ってわざわざ上品な音を出している感じもする。
ピアノ一台で演奏しても、グールドの方がずっとスイングしてジャズっぽかったのだから、もっとスイングしてもかまわないのではないか。

鷓監K彦というリュート奏者のバッハのCDを借りてみた。

訥々とした、一歩一歩、独りで山道を歩いて行くような表情で紡がれるシャコンヌが素晴らしく、ヴァイオリンの縦横無尽な表現より、心に染みる。

バッハのリュート曲、もっと聴いてみたい。

鵝崑膾邏焚箸寮こ 1 バロックの巨匠」という本を読んでいる所。
「…アンナ・マグダレーナは休む間もなく妊娠していたからである。彼女は13年間に11人の子供たちを産み…」う〜ん、凄いな。バッハってセックス大好きな人だったのだなあ。。

と、バッハの生涯について一通り読んでみたのだが、何だか泣けてきてしょうがないのだ。生前には単なるマイナーな作曲家だったバッハ。
生前にその偉業が正当に評価され、報われたとは言い難いのだ。
それでもこつこつと地道に作って行った沢山の曲に、数百年も後、世界中のどれだけの人々が癒され救われている事か(日本なんて国を知っていたかどうか!)。
まさかそんな未来に、そんなに沢山の人々に聴かれるとは思いもしなかったろう。こっそり、それを本人に教えてあげたいものだ。


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2010年05月30日

駄目/滅茶滅茶

?ナメクジを300匹余り退治す。大量発生していて、ものすごい。
しかし、向こうも決してやられっぱなしではなく、反撃してくる。足からずんずん這上って来ては、肛門に侵入する。さらに耳の穴へも入って来る。ニュルッと冷たいものに入られる感覚は、ゾワゾワゾワッと、正直言って、大変に気持ちよいです。癖になります。体内がナメクジだらけで、もう駄目かもしれません。

?ヴィルヘルム・マイスター。
「こんな絨毯の上に立ってどうしようっていうんだ。だめにするぞ。滅茶滅茶にするぞ。おれの不幸がしたたるんだ。おれの踏みにじられた運命がこれを汚すんだ」

?バッハ、半音階的幻想曲の狂おしさ。ロック以外の何ものでもない。
結局のところ、時代が違うだけでロックは昔からちゃんとあったのだと認識。

?あろうことか、声楽が良くなってきた。ソプラノの頭にキーンと来るのを心地よいと思えるのだから不思議。

みんな同じ声にしか聴こえない、と思っていたので、特に歌手の名前なぞ気にせずに聴いていた。
しかし、いいなあ、と思って聴いていた複数のものが、たまたまエリー・アメリングという人である事に気付き、おお、と何かがぱっと開けたような。


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2010年05月24日

2.オーラをクリアにする総合演習E. 図6

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2010年05月23日

象徴/相対

鵐織凜アーニ兄弟「ある貴婦人の恋」見る。こんないい加減なタイトルだが、ゲーテ「親和力」である。
かなり忠実な作りのはずなのに、これを見て内容が解る人がいるのだろうかと思う。象徴と象徴が重なりあいながら姿を変えていく、音楽的な話であって、それを散文的な映像でどこまで説明できるかといえば何もしていないに等しい、と、そういう映画なのかもしれない。

鵐轡А璽スピアものの映画「から騒ぎ」見る。豪華キャストで、きっちりと作りった出来の良い映画ではある。しかし、シェークスピアは好きになれないと、はっきりわかった。
たとえばモーツァルトのあまりシリアスでない曲、特にディヴェルティメントなんかに時たま見事な嘘臭さを感じる時がある。好きな人にはそれが魅力なのだろうけれど、シェークスピアはそれが常に全開なのだ。
多分、そういう性質がリアルに再現されているからだろう、鼻について楽しめない。
他者、というものは騙したり騙されたりする為にいる訳ではないし、騙されていなければすなわち真実、という訳でもないだろう。シェークスピアには相対化されない真実というものは理解できないものだったのではないか。

エマ・トンプソンの馬面も嫌い。やたらシワを寄せて、大袈裟な演技だと思う。


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2010年05月21日

2932ec55.jpg鷄の日の虞美人草。

鶺廚靴屬蠅忙業院

鵑茲發パンケイク焼く。


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2010年05月19日

霊感/首をすっぱり

鷄。図書館へ。
よその図書館から取り寄せた久司先生の手のひら療法の本が入ったので。欲しいが絶版なのだ。
他。ヴィヴァルディ「調和の霊感/ファビオ・ビオンディ」、バッハ「ミサ曲ロ短調/レオンハルト」。

調和〜、はヴィヴァルディの中でも一番好きなのだが、このビオンディという人のものは爽やかで瑞々しく、リズムがしなやかで軽快。素晴らしい。バロックを聴く醍醐味というのはこういう演奏にあるのだと思う。凄いわ。弦と弦の重なる感触に大興奮。

鵐侫Д鵐優襪魄譴勅穫。こういうものは野菜ではあるが、かなり存在感がつよく、生き物、という感じで、包丁で根からすっぱりと切り取るのが首を落とすような残酷感。

鵐劵奪船灰奪「泥棒成金」見る。グレース・ケリーの日焼けした肌が生々しく、見てはいけないものを見たような気持ち。

鵐劵奪船灰奪「島」見る。ああ、しんど。彼ら彼女らの行動の軽率さにストレスが溜まってしまう。


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