2005年03月

2005年03月31日

3月の話題

3e132f6a.gif今月の話題は「チビクロ」やっぱり我々の年齢はこの話をすればハズレがないというほど。この「チビクロ」1899年インド在住の英国の主婦が子供のために書いた作品。英国人がインドに在駐していた時期に書いたというのがミソ。そう周りは真っ黒で裸同然のインド人でいっぱい。イギリス人もびっくり!したのでしょう……。0032続きを読む

ita2424 at 13:39|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 60年代の彦崎保育園 

2005年03月30日

過去のプログ

7851d177.gifちょっとこのプログのお話を。このプログは2005年2月21日の月曜日から始めました。とりあえず1000本を目指します。とりあえずです。なんとか今はまだ毎日更新できていますが、そのうち間隔があいてくることでしょう。内容的にもすごく私的な事が多いですが興味のある方はお付き合い下さい。というか参加してください。各項目に投稿できるようなっています。盛り上がる話、さらに思い出した話は記憶がとぎれるまで話し続けたいとおもいます。また過去のプログも見ることができます。無料プログなのでいつまでのものが見ることが出来るがわかりませんがその月のカレンダーの一日目のボタンを押すとその月プログは全て見ることができます。30日の日は「インフォメーション」の日と決めました。0031

ita2424 at 14:04|PermalinkComments(3)TrackBack(0) このプログのお話 

2005年03月29日

かめぶち

f44b29ce.gifべつにライブドアーのブログをただで使わせていただいてるからこの話題にしたわけじゃないけど、ニッポン放送の亀淵社長はあのあこがれの「カメアンドアンコー」のカメちゃんですね。おひさしぶりー。当時は長髪で眼鏡桂文珍張りの風貌。洋楽を得意とするDJでした。オールナイトニッポンもやっていた。そして、アグネスちゃんとコンビを組んで「チャンチャンポップス」なる深夜番組もなんだか凄く懐かしい。でもつかの間の出逢いでした。すぐにプロデューサーになったと人づてに、今テレビで拝見するカメちゃんは現場たたき上げの生え抜き社長の雄志。がんばれ。0030

ita2424 at 18:38|PermalinkComments(7)TrackBack(1) 70年代のテレビ/ラジオ 

2005年03月28日

真夏の野外映画

a358f691.gif覚えてるだろうか?小学校校庭にたて5メートルよこ8メートルの白い布製のスクリーンが出来上がる。もう今は見ることのない野外映画の出来上がり。蚊もでる蛾もでる真夏。そんなことなんかへっちゃらの魅惑のある日。映画の内容はチャンバラ映画とかほとんど大人のための映画、昔は大人が偉かったのだ。大人が楽しんでたのだ。でも子供は映画の内容なんてどうでもよい。夜の暗闇で友達とまた遊べるからだ。なんだか暗くて白いスクリーンだけがぽっかり明るくそこに展開するものは非現実的なもの。映画なんかそっちのけでドキドキする夏の夜のひとときなのだ。0029

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2005年03月26日

さよなら児島郡。さよならミノル橋。

a96e4cd5.gifそういえばミノル橋を歩いて渡った記憶ってあんまりないな。ミノル橋を境になぜが渡ってはいけないものが向こうにあるような。こっちで守られてるというか。あんなに未知の裏山はほとんど制覇したのにあの水色のミノル橋を渡るってことはほとんどなかった。あの水色の橋をわたったからって何もないのだけれど、なぜか遙か彼方のミノル橋のあちら川。どんな人が住んでるかさえもわからないミノル橋のむこう……。0028
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ita2424 at 17:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の彦崎観光 

2005年03月25日

味野駅

f9446ccd.gif知らなかったのだけど昔、彦崎駅は「味野駅」とう名称。明治四十三年6月に宇野線味の駅が完成するのだが、駅前の地上げをするために秋葉山の土を大量に削り利用したらしい。だから秋葉山の北側斜面は緑の映えること無い禿げ山だったのか。完成当時の味野駅は見渡すばかりの田畑で主要な交通機関は馬場のさくら土手ぐらいのものだったらしい・・・・・。0027続きを読む

ita2424 at 19:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の彦崎観光 

2005年03月24日

氷の出るコーラ

baaecf90.gif万国博でお金を入れるとたしか50円ぐらいだったとおもうが、紙コップがストン!氷がガラガラ。コーラがジャー。と出てくる。ベンダー型のペプシコーラの自動販売機だ。2005年今では全然珍しくもないこどだが、当時はまだ缶ジュースも登場して無く、主流は瓶の販売機。そんな時代に氷まで出てくるのだ。岡山の田舎から出てきた私はもうそのストン!ガラガラの虜。ことあるごとに。ストン!ガラガラ。ストン!ガラガラ。これがまたおにぎりによく合う。うそ。左はペプシ館のつもり。0026


ita2424 at 18:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 大阪万国博覧会完全閲覧 

2005年03月23日

えんぴつけづり係

6f9f428f.gif私の小学校1年生時の係り。さて誰の鉛筆をけずったのか、いやいや、たぶんえんぴつけずり機のたまったゴミを捨てる係りのことでしょう。まーどのような業務をあたえられたのか定かでないが、なかなかほのぼのとした係りだったのでしょう。ちなみに当時の通信簿の2学期の担任岡先生の私に対する寸評は「態度におちつきがなく、学習中、人のじゃまや、手悪さが多く、学習に熱中できない。正直ではあるが乱暴である。」……………。ちなみに当時身長120.5cm体重21.8。0025

ita2424 at 20:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の彦崎小学校 

2005年03月22日

八の字肉弾

e3accaf5.gifすごい名前だけどこれは子供の遊び。1チーム4−5人(というか同級生の男子は9人しかいなかった)敵と味方に分かれて宝物(石)を取り合う遊び。1.地面大きな8の字を書く。入り口のために少し開けておく。2.足休めの島を書く。3.自陣に宝物をおく。スタートはお互い八の字中からスタート作戦を練って敵陣に攻め込む、八の字の入り口から外はケンケン歩行、敵と遭遇すると両腕を組んだ形で戦う。両足を着いたらその選手はアウト。そんな戦いをしながら敵陣に攻め込む頭脳的な遊びなのだ。0024

ita2424 at 10:53|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 60年代の彦崎保育園 

2005年03月19日

ちびくろサンボ

5b5472e6.gif「チビクロさんぽ」これが現在のタイトル。表紙はなんと黒い犬が赤いTシャッツ来てます。くろんぼって言葉は差別用語だから80年代半ばで発禁。この世の中から幼い頃慣れ親しんだ「ちびくろサンボ」は永久に消えるのです。そして90年代になって再編発行。いぬさんに変わって登場。話は「ちびくろサンボ」と同じ。ただ主人公はいぬさんに変身。最後に虎バターもできあがるし、そのバターでパンケーキを焼いてママクロは27枚。パパクロは55枚。チビクロは169枚も食べるのです。いぬさんだもんたべられるけど。サンボも169枚食べたのかな?そんなことを考えてしまう一冊。でも左のイラスト前にみたな。0023続きを読む

ita2424 at 16:55|PermalinkComments(3)TrackBack(1) 60年代の彦崎保育園 

2005年03月18日

あんときテコ

e61c75d0.gif「あんときテコじゃったろ〜」と小学生のマキちゃん。なんの時?でも当時「テコの原理」の授業を受けてたわけで、というかこの「テコの原理」っていうのが結構ショッキングで他の授業の内容は忘れているがこの「テコの原理」はしっかりと頭の中に記憶されてる。たぶんコレまでの生活の中に度々登場し、密着してるからなのでしょう。ビールを抜くとき、缶をきるとき、大きい岩を動かすとき思わず「あんときテコちゃったろー」とマキチャン風に心で呟く。現にライブドアがフジテレビを買収しようとするLBO(キリンヴィバレッジみたいなやつ)はまさにテコの原理らしい。そう「あんときテコじゃったろ〜」。0022

ita2424 at 09:28|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 70年代の彦崎小学校 

2005年03月17日

タイムトンネル

1cd790ae.gifちょっとあぶない絵になってしまったけど、これはタイムトンネル。学校から帰るとその時間帯は洋物ドラマのパラダイス。宿題もそっちのけで見放題。おとうさんもかあさんもいないもんね。それに当時はSFの全盛期。双璧は「タイムトンネル」と「巨人の惑星」。「タイムトンネル」はその名の通り時間を超えてあらゆる問題を解決する。SFアドベンチャー。時間を超えたい場合この絵のトグロの中心向かって疾走するわけだ。当然帰りもこのトグロだ出口となる。0021

ita2424 at 10:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代のテレビ/ラジオ 

2005年03月16日

美術の宿題

126a4ca0.gifキャンバスに描く授業。題材は自由。そこで私は美術教室前の画材洗い場の蛇口と排水溝を描いた。近場ですませようという魂胆みえみえなのだが。暗い茶色とグレーと白で描いた暗い絵。出来はともかく花壇の花とか校舎とか山とか描くところを蛇口と排水口というのがなんだか少し反逆的でこの世代にありがちな独りよがり。案の定美術担任定金先生の採点はたしか5段階評価で「3+」だったような。まー良くもなく悪くもなくふつうって感じがなかなか良い。0020

ita2424 at 10:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の灘崎中学 

2005年03月15日

放送室

2fedbb13.gifすこし灘崎中学の話をしよう。木造の旧校舎の1.2年生の棟は校庭が見渡せていてずーっと遠くに七区が見える?見ないか。の踏切の方からホンダのシャリー(たぶん)に乗った行本君が初登校。確かにドロップハンドルは禁止だけどバイクで来てはいけないとは生徒手帳に書いていない。そんな話はどうでもよいか。そうその棟の隣は職員室のある棟その校庭よりに放送室。運が良ければ掲示板のテコさんのアドレスからいくと当時のそうじ時間の音源にであえるかも。岡本先生の放送室からの怒鳴り声と。みんなの当時の声がきこえるかも。記録者はミッシェルの会の会長ジョージ君。0019


ita2424 at 14:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の灘崎中学 

2005年03月14日

やきうどん

9e5e3355.gif彦崎話がつづくけど。青空ストアーの前身はおいしい「フーフーまんじゅう」と「やきうどん」を食べさせてくれる貴重なお店でした。名前はわすれたけど。「フーフーまんじゅう」はたぶん「夫婦饅頭」じゃなくて「ふーふー」して食べるからフーフーまんじゅうなんだと思うな私は。それと双璧を気づいていた(自分にとってだけど)のが「やきうどん」。当時どのくらいの値段でしたか50円ぐらい?こどもの一日がんばって使えるお金が5円か10円。大人といっしょに行かないとありつけなかったからたぶん50円ぐらいかな。でその焼きうどんは具はほとんどなかったかな。申し訳ない程度のキャベツ。絡めているソースは醤油方向にあるソースといったらいいのかな、薄味ででもしっかりと甘辛いかんじ。それに鰹節がかかってた。竹の船の器。新聞紙にくるまっていた。いや竹の船はなくて新聞紙にそのままだったかな。そんな感じもしてきた。まさかー。0018

ita2424 at 10:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代をたべる