2006年01月

2006年01月31日

スターヘリコプター(糸巻き)

63d5b58b.gifこのコメントは一週間前に書いています。だから現在ライブドアの堀江氏は逮捕されて拘留中1日目。ウワサでは10+10で2月の中頃まで事情聴取。暖房もない部屋に拘留されているとテレビでは評判。ライブドアの株価は下がり、人事は変わり、蜂の巣をつついたような状態とはこのことでしょう。その影に隠れて「ヤマハ発動機のヘリコプタ対中不正輸出」はホッと一息。そんなお祭り騒ぎのなか来月は2年目。パターンのガラッと変えていきます。このライブドアのブログが残っていたらの話だけど。0244

ita2424 at 18:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このプログのお話 

2006年01月30日

今月の一番(晩飯何倍たべてたか/サウスバウンズ)

968b8ce6.gif35年前も昔。10才の頃。何杯ぐらい飯を食べてたか?考えたことありますか?忘れましたか?奥田英朗「サウスバウンズ」の主人公小6の二郎はどんなに辛いことがあった時でも4-5杯はご飯を常に食べる。お腹が空く。大事なのは何が起きようがお腹が空くってこと。二郎の基準は今日ごはん何杯食べられるかにある。そうあの感覚。食べてもて食べてもお腹かが空く。寝ても寝ても飽きることがない。出来れば大人になるまで寝ていたい。そんななんでもアリの12歳。羨ましいような、いとおしいような。ちなみに当時の私平均4杯が基本。現在2杯。0243

ita2424 at 09:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の彦崎小学校 | 70年代をたべる

2006年01月27日

モーヤン

8f70c2d9.gif1973-1977年関西テレビ制作「どてらい男(やつ)」。主人公・西郷輝彦の名前が「モーヤン」。脇役で田村良なんかが出ている。大阪イタチボリを舞台として関西方面では大ヒット。我々は中学時代の真っ只中。第2部で「モーヤン」は戦争へ。戦場先の宿舎で故郷を思い同僚が何をおもったか夜中に「か〜さん」「か〜さん」と連呼する。このシーンを修学旅行の宿舎でサンタニヤが再現。その音源は近く公開。「モーヤン」を好きだった今は亡き藤原トオルの想い出も込めて。0242

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代のテレビ/ラジオ 

2006年01月26日

サウスバウンズ

d4bb7806.gif最近「東京タワー」「オールウエーズ」となかなか1960-70年代ブーム花盛り。そこで私の一押しは奥田英朗(05/12/01にも書く)「サウスバウンド」(板橋のトオルさんのお奨めでもある)。主人公は現代の小学6年生。なのだが周りの環境は70年代と錯覚するほどの環境。よくあるタイムトラベル話ではない。主人公が「あしたのジョー」のバックナンバーを読みあさっていたりする。主人公が一年先輩にいじめられるのだけど、そのいじめかた。友達との関係。親父の関わりが35年前などの昔と違和感がなく非常に泣かせる。
すごいな奥田英朗はやっぱり。0241


ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ★★★★★ 

2006年01月25日

高崎五六

0cd380a4.gif弥生時代。中国地方では「たたら製鉄」が盛んになり製鉄に必要な燃料確保のため大量に樹木を伐採。岡山3大河川である高梁川、旭川、吉井川より大量の土砂が瀬戸内海に流入。そして遠浅にそれを利用しようと奈良時代に小規模な干拓が始まる。そして数世紀を経ること明治時代(1880年)岡山県勧業課職員の「生本伝九郎」が児島湾全域干拓構想を立ち上げ当時の岡山知事「高木五六」が具甲。大阪商人「藤田伝三郎」の藤田組が着工。そう。斯くして「藤田」と「高崎」はそのまま地名となるわけです。でも構想を立ち上げた「生本伝九郎」はどこにもない。職員のかなしいサガか。0240

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 昔おきたであろうこと 

2006年01月24日

エチオピア館

4cc9ed9e.gif2-3時間待ちの人気パビリオンを後目に、いつでも入館ゴーなのが各マイナー国のパビリオン。エチオピアの歴史とが物産の陳列。当然10才の坊やにはちとつまらない。というかほとんど興味がない。でもここエチオピア館では、あのコーヒーがある。世界でも一番ではないかと思うほどのどろどろ状の苦くて濃いコーヒー。小学生にはちと刺激が強すぎる。なのだがその印象的なエチオピアコーヒーはトラウマとなりいまでも濃い香りの高いコーヒーがお気に入り。0239

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 大阪万国博覧会完全閲覧 

2006年01月23日

せっけんでてをあらおう。

c577ddb7.gif「せっけんでってをあらおう〜♪」と校内放送で大々的にアピール。いっせいに生徒は洗い場に集合。冷凍ミカンのメッシュ袋に入った黄色いメロン石鹸で手洗うのだ。ゴシゴシと来る日も来る日も。後でなにかで呼んだのだが、パン中心の給食制度は米国の小麦粉輸出の一環で、この「せっけんでておあらおう〜♪」もこのレコードをどこぞの会社が全国的に無料配布して展開したと言うお話らしい。そんな大人の策略とは裏腹にそれはそれで結構楽しみにしていたのだ。0238

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の彦崎小学校 

2006年01月20日

半鐘木

442a5ced.gif火事の時に鳴らす鐘がつるされている10メートルばかりの塔。彦崎駅前のマップによると中村の川池、大久保の馬場池磯の前川のほとりに、そして札場・丸高の角にあると記されている。なのだがこのマップもいい加減ですでに片屋にも半鐘木があった事を確認済み。もしかして探せばもっとあるのかもしれない。半鐘木。男子にとっては物心ついてまずどこまで上れるかの度胸試しの格好の場所。登りはどうないかこうにかだが、実は下りが怖い。のだ。0238


ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の彦崎観光 

2006年01月19日

おひるねの時間

05e086a6.gif「おひるねのじかん」「おやつのじかん」。幼稚園では「〜の時間」おおい。そのなかでも不思議なのが「おひるねのじかん」。なんで友達がいっぱいいるのに寝なきゃなんないの?せっかくの貴重な時間を・・・と思っていても、『オバQのマクラ』は眠りを誘う。そしてしっかり、ぐっすり夢の中。んでなんだかきっかり誰彼となく1時間ごくらいに自然と起きてゴソゴソしてしまう。本当に不思議だ。でもまー確かにこの頃は寝てたね。確かによくねてた。0237


ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 60年代の彦崎保育園 

2006年01月18日

ロゼッタミクロゲンパスタ

0c93fffd.gifといってもスパゲティではない。「あ〜ら、白子さんの肌、いつもおきれいねぇ〜」と温泉に入った黒子さんと白子さんの会話でお馴染みの『ロゼッタ洗顔パスタ』。大きな目と目の下がすぐ口という強烈なキャラクターは当時の子供を唸らせた。最近ではドモホロンリンクルだのファンケルだのにぎにぎしいが、この『ロゼッタミクロゲンパスタ』は日本初の洗顔クリームだ。それも1930年に発売されたのだから、かれこれ80年。因みにきになる「ミクロゲン」。これは発毛促進剤だとか。昔は眉毛だ体毛だと濃くする方向だったらしい。だから洗顔とは別物?0236

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代のテレビ/ラジオ 

2006年01月17日

ベストテン

60a89b7c.gif当時はパープルだー。ツッペリンだー。と粋がっていてもしっかりと tbsの「ベストテン」の八神純子だ。チャーだの、はたまた原田真二の「キャンディー」だと一喜一憂してたりするのだ。大人になってツイストの「銃爪(ひきがね)」なんて絶対カラオケで歌ったりする。「引き金」なんて文字も絶対「銃爪」の当て字のほうでないとしっくりこなかったりする。「宿無し」「性(さが)」の荒くれ三部作もツインギターの意味あんのかなーとか考えながら見てたっけ。0235

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代のテレビ/ラジオ 

2006年01月16日

ハイドン

8aab52f8.gif中学二年の担任は音楽の原先生。いまになって本気で受けておけばよかったと思うのが「音楽の授業」。女子のなかではピアノなんか弾けたりするけど、いまではうらやましい。ハイドンやシューマンもヘアーが印象的で結構名前でも更に笑えたりするけど、本来の音楽の楽しみってあるはずだ。原先生がっていうことではないのだけど、いきなり先生がファンキーなピアノなんか弾いたらあの騒いでいた私たちも一目おいただろう。でもねあの原先生も文化祭にむけて音楽部の3人にギターを教えてくれたことあった。結局3人は挫折して「第九」を原語でうったのだけど。覚えてないでしょ?0234

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の灘崎中学 

2006年01月13日

またまた。現地「疾走」

068ae4ad.gif行って来ました。日本の夏が。いや八浜に。一時間に一本の宇野線にのって。片道約15分。以外と近いのね。宇野線の車窓から見る「七区」はどこまでも続く農道にさらに遠くに見える白い町並み。もしかしたらの期待に胸ふくらませ。下車。駅前には酒屋さんが開いたコンビニエンスもどきのみ、シュウジが親父とふやけたカツ丼を食べた定食屋もない。小高い山の方を望み見ればシュウジの燃えたはずの自宅も有るはずもない。さらに海側にあるくこと30分。帰りの電車のことを考えれば限界。ここまで。昔、ばあさんといった与太郎神社などのメインスポットはほど遠く5キロほど先の先、やっぱり徒歩は限界があると実感。0233

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) メディアに見る児島郡灘崎町 

2006年01月12日

ゆうかり

26137b66.gif彦小といえばあの甘ったるい匂いのする「ゆうかり」(そうコアラの大好物の。そういえば灘崎周辺の田圃に今でも出没する大ネズミ「ヌートリア」も共にオーストラリア原産。まさかヌートリアの「うんち」から………じゃないよね。)がシンボル。というかシンボルだった。たしか校歌にも出てきたと思うが………。なのだけどあれはいつごろか?1970年代中盤にはなくなっていたのか。いや終焉は悲惨で高さ10メートル。円周2メートルはあった堂々とした「ゆうかり」はシロアリの害を受けて最後は1メートルばかりの切り株に。そして撤去。小学校のシンボルなのにそんなことに執着しないクールさがまたにくいね〜。ということで校舎も場所を変え。あの「ゆうかり」は校歌の中だけに生き。後地は札場部落のゴミ収集所。年末の燃えないゴミを捨てに行ったお袋さん曰く「あの大きな木のあったとこ、札場で一番とおいんよ〜」だって。大した距離じゃないのだけど。0232

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 70年代の彦崎小学校 

2006年01月11日

生姜糖

7b638632.gif高松最上稲荷にお参りの際のおみやげは「ゆずぜんべい」か「生姜糖」。決して高価な天津甘栗なんか夢のまた夢。ドリームオンドリーム。庶民はリーズナブルに『生姜糖』!生姜をそのままスライスしたところをグラニュー糖をオシャレにトッピング。「ゆずせんべい」のまずさはさることながら、あの生姜糖のふやけた感じを想像するだけでよだれが〜。確か物心ついたときはまだお菓子といってもせいぜいライスチョコレートぐらい。なので「生姜糖」だって「ゆずせんべい」だって『喜んで!』なのだけど。年を重ねていくうちにあのクドサがたまらん!。いや。まずいって事よ。そんなこんなであの初詣の人混み・渋滞の中でやっと手にれた『生姜糖』そうは簡単に手放さな〜い。0231

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