2009年08月

2009年08月31日

岡山県道22号倉敷玉野線と彦崎道路事情。

95cf5ca4.jpg県南の視野で見ると県道22号線は倉敷・玉野間を結ぶ主要道路だ。現在の22号は彦崎交差点から七区入り口までの通称「農道」は中学入学時は存在していなく、喫茶「道」から喫茶「夢眠」すぐ突き当たりを自然と左にながれている旧22号線しかなかった時代。なので歩道もないような狭い旧22号線が灘崎中学の通学路となる。当然この道路が倉敷から玉野に抜ける主要道路なわけなので車は頻繁に行き交うわけだ、たしか路線バスも通り、玉野競輪のお兄ちゃんも走るわけだ。そんな道路の危険を危惧したのか灘崎中学は片岡のホームタウン開発とともに道路工事を宇野線南側に進め、いまの明石踏切から入る山のコース。いわゆる「福江木工所」の横を通り、山沿いを走り川張にはいり片岡駅前の住宅街を抜ける安全コースができたのだ(山は山で10年前は痴漢が出没していて危険コースにと姪・甥に聞く)。・・・続きを読む

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2009年08月30日

8素子マスプロFMアンテナと彦崎FM電波事情。

2c00cfe9.jpg「カリリ〜ン、トクトクトク」とサントリーロイヤルがコップに注がれる音がFMラジオから流れる。土曜日のひととき。

以前彦崎9チャンネル(西日本放送)写りわりぃ〜事情をお話しました。それはアンテナをどれだけ高く上げても東西南を200メートル級の山にコの山に囲まれいるため、かなり画面は砂の嵐が舞うのだ。その運命も線路を挟んで南北に運命が分かれる。当時はラジオ時代。AMラジオの昼時間はNHK第一、二と山陽放送、そしてなぜか大阪の毎日放送、朝日放送、ラジオ大阪が受信可能だ。ちなみに岡南興業工場(こうば)ではミシンのけたたましい音と共に「ありがとう浜村純です!」「ごめんやすばんばひろふみです!」「横山ホットブラザーズの爆笑昼寄席」が放送されていた・・・・・・続きを読む

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2009年08月29日

ココを見よ!岩本ナオ「町でうわさの天狗の子 1巻」P137。

1a27d796.jpg「俺らんとこ学校帰りに小林文具店しかなかったのにさ〜」

とイケメンのタケル君が電車(たぶん宇野線)の中で語ります。これは見逃せません。「小林文具店」。学校帰りでなくても、授業中でも、休み時間にも行きましたね。私じゃないけど。土曜日は半ドンで給食がないので、簡単な弁当を作ってもらい、「小林文具店」で買った「スプライトのホームサイズ」でお米を胃の中に流し込むのだ。中学生なのでもう駄菓子は卒業だが、同級生の中では休み時間に買ってきた「糸飴」を食べてましたね。長い糸が口からぶら下がっていました。灘崎中学校を挟んで迫川側に「小林文具店」。彦崎側に「原野文具店」。原野文具店に関しては灘崎小学校と灘崎中学区の丁度真ん中の地の利をイカシ、「一石二鳥」または「一粒で二度おししい」をもくらんでいたのかしれない。・・・・・続きを読む

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2009年08月28日

生涯一の写真。彦崎小学校旧1-2-3年校舎玄関前。

57ac9d22.jpgでた!女子が男子をサンドイッチにした「目暗まし作戦」。数少ない男子を大量の女子に紛れ込ませて、見てる人を混乱させる作戦だ。男子は戦後を漂わせた襟付きの詰め襟。皆アイロンがけの形跡がなくシワシワだ。ひろくんの上から二番目の釦がないがこれもご愛敬。女子は各自ファッションを争っているのか、白襟のデザインが違う。釦も二列、一列、見えないモノもあり、割烹着タイプも見受けられる。黒、赤。とカラーも様々。今後12年間制服にお世話になる、記念すべき最初の集合写真だ。・・・・・続きを読む

ita2424 at 00:17|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 70年代がかおる 

2009年08月27日

彦崎水事情。井戸どうでしょうか?「札場」(彦崎防災情報マップ)

c0be22b8.jpg「交番と御殿のトコに在ったのは『広大な池』じゃなく『潮回し』です」バイのんさん

どうやらこのあたりは田圃だったのもあるが、当時はあまり人気場所とは言えない。というのも「水」だ。それも自宅にあった井戸の水。これの出かかなり悪い。水脈の悪い所にほったのか?この井戸がガンガン稼働しているところを残念ながら見たことがない。水量も乏しい。水質も悪く、大きく言えば泥臭い。のんさんから聞いてぴんと来るのは「この札場あたりは塩回し」だったから、とのこと。「塩回し」いわゆる塩田であったいうこと。みんなの所はどうだったか?水はおいしかったか?どうも自から出てくる水がおいしいていうのは山沿いだけかも知れない?なので「札場」住むのに適してないのかも知れない・・・・・・。岡山市HP(http://www2.wagamachi-guide.com/okayama/?dtp=3)防災情報マップの地震危険度マップが興味深い。駅から磯、馬場あたりは建物全壊率が10-20%が広域に渡っているが、札場、我が家、マルタカ等宇野線を挟んだ南北の地域がポッカリ建築物全壊率はムラサキゾーンの
20-30%とド〜ンと跳ね上がる。これは当然地質との関係があるでしょう。「塩回し」。そうこのあたり一体が塩田としての「塩回し」だとすると、その地質も頷ける。子どもの頃、生ゴミ穴を1-2メートル掘るのだが、1メートルを超えるあたりから黄色の土の下から、砂利のようものが出てくる。これは宇野線を作るための盛土なのだろう。と考えたものだが、もしかしてここ一体の「塩田」埋め立てのための処置だったのでは?とにかくこの一体の地番は緩いのかもしれない。ちなみに今流行の土石流危険渓流マップを見てみよう。彦崎は明石山より片屋、明石の明石団地方向。一番危険とされているの「大谷」。風邪引き山周辺から数カ所「大谷」になだれ込む。そして熊山、とんきりから「用木」にむけて勝負谷から「大久保」。一番興味を引くのが蜂峰山から秋葉山はすべて林、植松、木見側になだれ込む。岡山市HPの防災情報マップ。念の為チェックしておくとよいかも知れません。0993


。岡山市HP防災情報マップ(http://www2.wagamachi-guide.com/okayama/?dtp=3)


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2009年08月26日

ミッシェルの会(日本短波放送出演記念番組「ハロージーガム」)

085cf387.jpg「たかさん(ジョージ君)、まきちゃん、いたちゃん(ミッシェル会)世界の電波に乗る」

これも事件です。あれは中学1年。いや小学校6年?夕方、高本邸に集まるようにジョージ君から連絡。なんかのことかさっぱりわからないまま奥谷の坂を登る、もうすでにマルタカの5時のサイレンが鳴り終えて小一時間になるだろうか。薄暗い座敷に通される、大きな黒のテーブルの上座に知らない大人がテープレコーダーを前に微笑む。なにやらジョージ君がいつものよそ行きの声で説明をしている(このよそ行きの声でいいためしはないと悪い予感)・・・・続きを読む

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2009年08月25日

灘崎中学校幻のバンド「ヘッドトータス」

fed13342.jpg「ちょっと、とっておきの中学のお話」

あれは中学校2年生の夏ですか。野球部2年生の唯一の3人が一学期に退部。野球部に2年生がひとりも居なくなる灘崎野球設立以来の珍事。土曜日の午後は野球の練習だが、いつのまにか土曜日午後は常山の裾野にあつまっている。常山U西邸だ。宇野線沿いにあるその自宅は、ほぼ正方形の2階建てまるでお城のようでもあり、四方から攻められても守り切れなさそうな寨(とりで)のようだ。その二階にドラムセットが置かれている・・・・・。続きを読む

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2009年08月24日

彦崎保育園と彦崎小学校遠足事情

d297b526.jpg「彦崎出身者でも、さすがに少し飽きてきましたか?」
では遠足総決算。

保育園・小学校の記憶は怪しいが、遠足となると1枚5円の写真が残っているので記憶は鮮明だ。あの遠足終了後に張り出されるあれだ。気になるあの子の写真があるのだが、自分はその中に写っていない。試案の挙げ句、断念した人も多いのでは・・・続きを読む

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2009年08月23日

とんきり山と勝負谷と用木川池【ラスト11ノック長文】

7eed85ee.jpgこのあたりから少し血なまぐさい。熊山の隣があの彦崎屈指のお城「とんきり城」のあったとんきり山(標高108メートル)だ。血なまぐさいのに「とんきり城」とは?少しふざけている。まさに「スナックぶす」に匹敵する命名だ。NHKの「ひょこりひょうたん島」にもおなじにおいが。標高の高い山に囲まれた急斜面の富士型。要害の城である。城主、築城等の詳細はいまだわからずじまい。といういか調べるつもりなし・・・・・・・・続きを読む

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2009年08月22日

現在よりデカイ熊山(標高238.7メートル)と旧彦崎小学校講堂1965年

a22e0d71.jpgこの写真が何年のものかわからない。たぶん1963-5年のものだろう。
彦崎の南の山「熊山」。現在よりもかなりデカク見える。レンズのせいだけではないだろう。
たしかに昔の「熊山」はドッシリデカい。その名前のようにどっかり腰がすわっていて、まるで熊の大きな背中のようだ。山の表面が薄く広域に広場のようになっているのが特徴だそれにはちょっとした理由が隠されている・・・・・続きを読む

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2009年08月21日

彦崎牧場発見と彦崎の山事情

474ae90e.jpg0986ノックでの明石山に続く山がこれ。大きく分けて彦崎には「明石山」。南に「熊山」。そのとなりが飛行塔の「蜂峰山」そして西に船着岩の「秋葉山」となる。そのほか明石山の手前の小山「天神山」。熊山裏に彦崎最高峰の「タコラ山」となる。なのでこの「明石山」に続く山はまだ明石山なのか?だったら明石山はかなり長い蛇山だ。なので当時この山をどう名付けたかと言うと「風引山」。これはジョージ君がこの山を登って風邪を引いたからだ。ただそれだけ。彦崎山全制覇を目論む我々に大きく立ちはだかったのがこの「風邪引山」だ。それ以来登ることもなかった「風邪引山」・・・・・・・続きを読む

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2009年08月20日

東にそびえる奥谷の明石山土蜘蛛伝説・実写版1977【昔おきたであろうこと】

af4c2745.jpg1977年12月末の夕方。この撮影位置はさてどこでしょう?そう答えは「船着岩のテッペン」ということになるのです。写真の明石山は「灘崎町史」によると、【彦崎明石山に疫病病院があり大きな岩があった。夜の十二時頃になると、その岩から土蜘蛛が出てきて、尻に火をともして常山の上に糸を張っていたいたと伝えられる。】。マジっで!なんで対面の「船着岩」じゃないんだろう。常山遠いし。かなり灘崎の方に迷惑かかけるがっ、朝に大量のネバネバ蜘蛛の巣が落ちたりして、プール貸してもらっているのに!とにかく明石山にも大きな岩があったと言うこと。その岩はどこにいったのか?そしてどのぐらいの大きさだったのだろう?すごく気になる。まさかそれも船着岩だとすると・・・・・・・・・続きを読む

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2009年08月19日

男子11人。女子25人。彦崎小学校転校事情。写真は1977年

af73e1d6.jpgほとんど現在と変わらないが、よく見ると彦崎倉庫(彦崎通運?)が見える。なので老人憩いの家もまだない。左端にまだ森永石油も健在だ。駅の周りはまだ緑が生い茂り鬱蒼としている。そう遠く馬場・桜土手横もまだ一軒も家が無く、緑の田圃の様子が見える。小池電気もたしか出来て間もない頃だ。昔は平屋の二軒長屋でマルタカ側の細い路地を入ると小さな橋があり、渡ると玄関だ。・・・・続きを読む

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2009年08月18日

なんとくったくない店名「大空ストアー(旧駒屋)」1977。

3dfee249.jpg「私、ずっと青空ストアと思っていました」

余りにも「大空ストアー」という名前がインパクあったため、か小学生に覚えやすかっったのか(覚えてないし)。前身のお店の名前を忘れてしまった。調べてみると昔は「駒屋」だったこと。これで彦崎では「かどや」「寿屋」「駒屋」とあるわけだ。彦崎のこの通りの昔は宿場としても商売としても盛んな土地柄だったらしい。このことが屋号で伺えます。・・・・・続きを読む

ita2424 at 00:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 【集まれ!マルタカ社宅広場】 

2009年08月17日

彦崎工業地帯の音事情。札場部落編でも「磯」のお話。

a9f59292.jpg「ちょっと耳をすまして聞いてみよう」
カエルの大合唱はこっちおいといて、

聞こえてくるのは「マルタカ」の撚機のカタカタという音。と当然、岡南のミシンのブーンブーンという音。時折聞こえる宇野線踏切の信号のカーンカーンという音の向こうから国代材木店のキーンキーンという材木を切る音がほぼ日頃のこのあたりで聞くことの出来る音だ。田舎だと思っていたが、意外とこのあたりは工業地帯なのだ。・・・・・続きを読む

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