彦崎牧場発見と彦崎の山事情とんきり山と勝負谷と用木川池【ラスト11ノック長文】

2009年08月22日

現在よりデカイ熊山(標高238.7メートル)と旧彦崎小学校講堂1965年

a22e0d71.jpgこの写真が何年のものかわからない。たぶん1963-5年のものだろう。
彦崎の南の山「熊山」。現在よりもかなりデカク見える。レンズのせいだけではないだろう。
たしかに昔の「熊山」はドッシリデカい。その名前のようにどっかり腰がすわっていて、まるで熊の大きな背中のようだ。山の表面が薄く広域に広場のようになっているのが特徴だそれにはちょっとした理由が隠されている・・・・・

遠い昔は頂上に牛、馬を祀っている堂宇があり、病気(牛・馬)を癒すために、かなり最近まで馬・牛を追いあげていたと言われている。そのためか山肌が薄くなっているのだろう。彦崎小の最南に位置していたプレハブ5・6年生教室からこの山は一望でき、雪が降るとどのぐらい積もるか?の目安になる山でもある山。「熊山」。そして手前の旧彦崎小学校の講堂だ。そして向かって左が便所である。現在の彦崎コミュニティハウス「ゆうかり館」。ユーカリはとうの昔にないのだけれど。学年の記念写真をとるのもこの講堂前。映画を見るのも、誕生会の芝居をするのもこの講堂だ。そう。一輪車ピエロをみたのもこの講堂ということになる。また、この講堂の裏側に「チャボ小屋」があり、毎朝4-5時に第一報を近隣住民にけたたましく伝えるのもこの場所からだ。当時の彦崎小学校すべて木造平屋建て、敷地があまりないせいか少し薄暗いイメージがある。白い石垣が組まれた少し小高いところに彦崎小学校はある。写真で言えば講堂右隣が給食センター、はさんで手前から図書室、放送室/校長室、廊下を挟んで職員室、資料室、保健室。そして花壇を挟んで一年生、二年生、三年生の教室となる。しかし、ここで我が学年は四年生の時、たしか本来の三年生の教室だ。そして理科室前が五年生。プレハブ音楽室となりの六年生教室となる。なので本来のプレハブ5年生の教室は使っていないことになる。これはなぜ?真実はわからないが、当時の新築に向けてのプレハブ教室増設による混乱がこのような現象になったのか?0988

ita2424 at 00:23│Comments(2)TrackBack(0) 昔おきたであろうこと | 70年代の彦崎小学校

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この記事へのコメント

1. Posted by さんたにやん   2009年08月22日 12:47
5 熊山という名前、郷内にある熊野神社の存在と関係あるのだろうか?
ホント灘崎町は学校校舎と国鉄の駅が多い。町の規模を考えれば異例ではないでしようか?

彦崎っていろんな歴史があるのね。
おもしろいわ。
2. Posted by 1970   2009年08月24日 11:22



熊野神社からね。熊山。
そういわれると。そうだね。

そういえば主要な山、
なにかしら祀られてますね。
秋葉山の秋葉大権現。
勝負谷のお佐渡大権現
経納山は弔いのお札がうめてあって、
熊山に堂宇があり、
天神山の金精大明神。
それにこれはジョージ君が調べてたのは、
彦崎中にある地蔵様、山のなかに点在し、
また、平地にもあり各々番号がついていて、
「ミニお遍路」みたいなことが、
あったらしい。
熊本から十二社谷権現が林に来たこともあり、この地域の人は信仰が厚いのかも知れない。

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