昔おきたであろうこと

2009年08月27日

彦崎水事情。井戸どうでしょうか?「札場」(彦崎防災情報マップ)

c0be22b8.jpg「交番と御殿のトコに在ったのは『広大な池』じゃなく『潮回し』です」バイのんさん

どうやらこのあたりは田圃だったのもあるが、当時はあまり人気場所とは言えない。というのも「水」だ。それも自宅にあった井戸の水。これの出かかなり悪い。水脈の悪い所にほったのか?この井戸がガンガン稼働しているところを残念ながら見たことがない。水量も乏しい。水質も悪く、大きく言えば泥臭い。のんさんから聞いてぴんと来るのは「この札場あたりは塩回し」だったから、とのこと。「塩回し」いわゆる塩田であったいうこと。みんなの所はどうだったか?水はおいしかったか?どうも自から出てくる水がおいしいていうのは山沿いだけかも知れない?なので「札場」住むのに適してないのかも知れない・・・・・・。岡山市HP(http://www2.wagamachi-guide.com/okayama/?dtp=3)防災情報マップの地震危険度マップが興味深い。駅から磯、馬場あたりは建物全壊率が10-20%が広域に渡っているが、札場、我が家、マルタカ等宇野線を挟んだ南北の地域がポッカリ建築物全壊率はムラサキゾーンの
20-30%とド〜ンと跳ね上がる。これは当然地質との関係があるでしょう。「塩回し」。そうこのあたり一体が塩田としての「塩回し」だとすると、その地質も頷ける。子どもの頃、生ゴミ穴を1-2メートル掘るのだが、1メートルを超えるあたりから黄色の土の下から、砂利のようものが出てくる。これは宇野線を作るための盛土なのだろう。と考えたものだが、もしかしてここ一体の「塩田」埋め立てのための処置だったのでは?とにかくこの一体の地番は緩いのかもしれない。ちなみに今流行の土石流危険渓流マップを見てみよう。彦崎は明石山より片屋、明石の明石団地方向。一番危険とされているの「大谷」。風邪引き山周辺から数カ所「大谷」になだれ込む。そして熊山、とんきりから「用木」にむけて勝負谷から「大久保」。一番興味を引くのが蜂峰山から秋葉山はすべて林、植松、木見側になだれ込む。岡山市HPの防災情報マップ。念の為チェックしておくとよいかも知れません。0993


。岡山市HP防災情報マップ(http://www2.wagamachi-guide.com/okayama/?dtp=3)


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2009年08月23日

とんきり山と勝負谷と用木川池【ラスト11ノック長文】

7eed85ee.jpgこのあたりから少し血なまぐさい。熊山の隣があの彦崎屈指のお城「とんきり城」のあったとんきり山(標高108メートル)だ。血なまぐさいのに「とんきり城」とは?少しふざけている。まさに「スナックぶす」に匹敵する命名だ。NHKの「ひょこりひょうたん島」にもおなじにおいが。標高の高い山に囲まれた急斜面の富士型。要害の城である。城主、築城等の詳細はいまだわからずじまい。といういか調べるつもりなし・・・・・・・・続きを読む

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2009年08月22日

現在よりデカイ熊山(標高238.7メートル)と旧彦崎小学校講堂1965年

a22e0d71.jpgこの写真が何年のものかわからない。たぶん1963-5年のものだろう。
彦崎の南の山「熊山」。現在よりもかなりデカク見える。レンズのせいだけではないだろう。
たしかに昔の「熊山」はドッシリデカい。その名前のようにどっかり腰がすわっていて、まるで熊の大きな背中のようだ。山の表面が薄く広域に広場のようになっているのが特徴だそれにはちょっとした理由が隠されている・・・・・続きを読む

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2009年08月20日

東にそびえる奥谷の明石山土蜘蛛伝説・実写版1977【昔おきたであろうこと】

af4c2745.jpg1977年12月末の夕方。この撮影位置はさてどこでしょう?そう答えは「船着岩のテッペン」ということになるのです。写真の明石山は「灘崎町史」によると、【彦崎明石山に疫病病院があり大きな岩があった。夜の十二時頃になると、その岩から土蜘蛛が出てきて、尻に火をともして常山の上に糸を張っていたいたと伝えられる。】。マジっで!なんで対面の「船着岩」じゃないんだろう。常山遠いし。かなり灘崎の方に迷惑かかけるがっ、朝に大量のネバネバ蜘蛛の巣が落ちたりして、プール貸してもらっているのに!とにかく明石山にも大きな岩があったと言うこと。その岩はどこにいったのか?そしてどのぐらいの大きさだったのだろう?すごく気になる。まさかそれも船着岩だとすると・・・・・・・・・続きを読む

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2009年08月13日

幻の無遮断機踏切(彦崎踏切事情)

ba6bb630.jpg彦崎は宇野線(岡山駅から宇野駅)が西から東へ横断している(下りの場合)。そのため大きく分けると踏切より南側は住宅地、北側は商業地となる。70年代の彦崎での踏切は大きく分けて6カ所(現在4カ所)。岡山側からいくと駅より狐にぬけるコンクリート地下道(自転車、歩行者用)は踏切でないので除外するとして・・・・・。1.車も頻繁に通るほぼ中央の札場丸睫榿瓦踏切。2.札場と奥谷間の大谷川沿いにある静かな踏切。3.磯から奥谷メインストリートに渡る彦崎第二番目大きい踏切。そして4.県道22号線から明石に入る通学路踏切の4カ所。この4カ所がほぼ彦崎の民が頻繁に使用する現在進行形の踏切ということだ。これに加え現在はなくなったが「丸眛Ю據廚茲蠅笋箘襪茲蝓▲灰鵐僖鷁の道路を真っ直ぐ下りた延長上のところに、無信号の踏切が存在していた(写真)。この踏切は私的には大変貴重で「尾高米店」「三上商店」「森のトンちゃん屋」に行くための大事な踏切で、あれはいつ頃だったろう。たぶん「鳥越大屋敷(写真では砂山になっている)」が出来た頃に閉鎖されたのではないか?よって磯の彦崎歓楽街に縁遠くなる日々、また、中学の自転車通学時は40メートルほど丸眩阿瞭Ю擇泙婆瓩蠅気蕕40メートル、トータル80メートルのロス。これは貴重な朝の時間を犠牲にしなければいけない。もしかししたら、この踏切がなくなった事によって札場、中村以南の民は磯との交流を断たれ、彦崎唯一の憩いの場「森のトンちゃん屋」は客足が落ち閉店に追い込んだのでは!そうに違いない。0978


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2009年04月27日

1970年代の黄金週間(飛び石連休)

498ce192.jpg実感がない。思い出もない。ということは何も起きなかったのでしょう。5月の連休。辛うじて近所(灘崎町)で鯉のぼりがたなびいてた記憶。当時、商売(自営業)をしている家庭にとってはほとんど関係ない。共働きの両親にとっては完全無視、そんなもの見なかったこと、聞かなかったことになる。そいえば昔の車には白いペンキで車体に「自営業」と書いていなかった?四角のなかに。あれはなに?税金でも安くなっていのでしょうか?それともこの車は会社の経費で買ってます、遊びで家族連れなんかで乗ってたら冷たい目で見られますよ。っていう表示なのでしょうかね?子供心に気になってました。車体にでかでかと書かなくてもね。家の父親と田舎の田圃道は相性が悪く、いつも車を田圃の中に不時着させてたものです。田圃の鮮やかな緑と、これも鮮やかな白い「自営業」の文字、そして相反する粘土状の土色が印象的でした。ちなみに1949年に祝日法により4月29日5月5日に祝日集中(4/29:天皇誕生日のちみどり日、5/3憲法記念日、5/5こどもの日)。始まる。1985年祝日法改定で5月4日(国民の休日)休日。さらに2005年の改正により現在に。しかし日本の国旗を出している家も見なくなりました。昔では玄関の柱・壁に一家に一台、国旗用旗受金具がセッテイングされていたものです。現在ステンレス製で2,000円前後。0924



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2008年12月18日

ひかり号(O系)

55cb9ea1.jpg1964年10月に新幹線が走り始めた、東京←→新大阪4時間。オリンピック仕様だ。1967年に岡山まで。4時間と30分。大阪万博仕様(個人的には在来線)か?そして1975年に博多まで、中学二年の修学利用で初めての乗車。そしてのち1985年100系が登場する約20年に渡って0系ひとりで奮闘してたわけだ。現在東京←→岡山間はN700系で3時間20分/15,850円。ちなみに飛行機利用で東京駅岡山駅ドアトウドアで3時間2分/31,500円。0864

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2008年12月02日

児島郡

32291b43.jpg明治の大合併。昭和の大合併。そしていまだ続く平成の大合併。さかのぼれば備前国だったころ「児島郡」は現在の小豆島、直島、豊島等も含まれていた(当然玉野市も)。まさに「児島郡」の全盛期。明治初期に香川県に移管。明治22年6月の町村制執行で玉野村、下津井村などに。31村に分けられた村は近隣倉敷市、および玉野市、岡山市に吸収合併を繰り返し、なぜか「児島郡=灘崎町」という変則が確立。そして平成17年3月22日児島郡消滅。そして近い将来灘崎町も消滅。0857

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2008年09月08日

ヌートリア

ae0eefb8.jpg「とうだいもとくらし〜」そういえばヌートリアのお話をしてませんでした。
そんなもんしなくてよい?そうかもしれないが、このヌートリア。この県南湿地帯では欠かせない生き物でもある。初めて「あの田圃にいるヌートリアめが!」とよく祖母などから聞くわけだけど、当分のあいだヌートリアは田圃でよく見かける「しらさぎ」の事かと思っていたものです。それもそのはず、「ヌートリア」は日の昇っている間は穴の中で休憩。朝方と夕方に動く始めるのだ。全長平均50センチ(尻尾をいれると1メートル近い)巨体はまさにネズミの王様ですな。1939年に毛皮用にフランスから輸入され、季節を問わず年2-3回の出産。繁殖率も高く。現在も800〜2000頭いると言われる。まさにヌートリア天国だ。ユーカリの木(彦崎小学校のシンボル/現在校歌にはでてくるが実体はない)共々なぜか彦崎は南半球の匂いがしてステキ!0824

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2008年07月04日

金光教の時間。

2b7c5e3d.jpg日曜朝6時35分といえば「金光教の時間」。他にはルーテルアワー(06/06/13:0315)の「こころにひかり」、カトリック善き牧者の会「心のともしみ」が有名だ。これは月曜から金曜日五時台に放送されている。というように朝のラジオは宗教番組まっさかり。話はもどって「金光教」は「黒住教」と並び本拠地は我が岡山。そのほかに「天理教」「創価学会」「エホバの証人(商人だと思ってました)」とかなり盛んで、選択肢は広い。ちなみに我が家は葬式・法事だけ登場の「真言宗」。なので関係ない私は冷ややかに見るのであった。でもロゴ「マルキン」と関係あんのかな〜。0797

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2008年03月21日

奥迫川の大山桜(鶴姫自害を見守ったかも)

b0d28cd3.jpg2006年2月に天然記念物にしていされてから俄然人気沸騰の「奥迫川の大山桜」。山の急斜面にある樹齢500年(300年)といわれるさくらだ。薄〜い噂では聞いたことはあったが、見たことはない。個人所有の山であり、当然個人の持ち物だ。奥迫川という名の通り町内では親戚でもいないと訪れること無い場所だ。だからこそ300年も500年も生きながらえたのでしょうか。1570年といえばお隣の山常山城が小早川勢に攻めこまれ( 0433)、鶴姫が自害した年。この土地でも空前の出来事を見守っていたかもしれない桜。0723

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2007年11月20日

緊急!彦崎貝塚 国指定史跡に答申。

f40816ca.jpg「11月16日に国文化審議会は灘崎町彦崎の「彦崎貝塚」を国の史跡にするよう渡海紀三朗文化相に答申した。」現在全国で1,579カ所が指定されており、岡山城跡、造山古墳など県下では47カ所指定されている。「彦崎貝塚」は縄文時代前期(約6000年前)から末期。指定面積は6,180平方メートル。標高5-6メートル。西日本最大級。縄文人骨、土器、装身具などが出土して全国のなかでも保存状態良好、また、2005年春。縄文時代前期のイネのプラントパール(0006)の発掘は記憶に新しい。国指定史跡の認定は来年3月に決定。0657

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2007年04月05日

1970年4月5日

23d52ce2.gifGoogleで「1970年4月5日」で検索すると上から4、5番目(07/0404現在)に「迫川駅」と「彦崎駅」が・・・あら!びっくり。なんとそのはず1970年4月5日は宇野線の「CTC化」が完成した日なのだ。CTCとはなに?クリック!ふむふむ。「列車制御集中装置」。あらゆる駅を一カ所で遠隔操作ができるようなシステムらしい。ということは有人駅から無人化にするってことなのだ。そういえば彦崎駅も昔は立派な木造駅舎だった。反対のホームに行くのもホーム上の蓋を開けて線路を歩いて渡っていたのだ。そして1970年CTC 設備完成後の翌月5月1日に備前田井・八浜・そして彦崎駅が無人化になったのだ。0488

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2007年04月04日

灘崎町彦崎の黄砂

ac998eb3.gif若林酒造裏の彦崎貝塚地表2メートルにおいて、日本で最古である稲などの植物細胞「プラントオパール」が大量に発見されたのは2年前。「稲作は縄文時代(約6000年前)に始まる説」つまり通常の説から2000年もの更新というわけらしい。大量発見とはどれぐらいの量か?それは土壌1グラム中2000〜3000個プラントオパール(0.05mm)ということらしい。密度の問題っていうのはわかるのだけれど、どういうこと?で土壌何グラムのなかにあったの?結局プラントパールは何個あったの?なに?みんなわかるのこの説明で?とか中国黄河から黄砂に乗って伝わった言われるイネ。まさに黄砂の恩恵だ。こちら現在嫌われ者らしい。灘崎町彦崎の恒例「春の黄砂」の霞がなつかしい。0487

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2006年12月25日

女甲冑録/東郷隆を読んでみてください。

b7a05ac3.gif灘崎町で有名なのは、なんといっても「常山の鶴姫」。区域的には玉野市庄内ではあるが、この山は灘崎町のシンボルだ。中学の校歌にも歌われている。その常山城が小早川勢に攻め込まれ壊滅状態のおり、鎧を身につけ刀を口にくわえ自ら自害した常山御前こと鶴姫。時は1575年。400年前の70年代だ。その鶴姫が名だたる女アマゾネスを差し置いて「黒髪の太刀」としてトップを飾る。当時珍しい火槍を使っての合戦シーンには火の海となった茂曽路が語られている。0433

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