70年代の彦崎小学校

2009年08月26日

ミッシェルの会(日本短波放送出演記念番組「ハロージーガム」)

085cf387.jpg「たかさん(ジョージ君)、まきちゃん、いたちゃん(ミッシェル会)世界の電波に乗る」

これも事件です。あれは中学1年。いや小学校6年?夕方、高本邸に集まるようにジョージ君から連絡。なんかのことかさっぱりわからないまま奥谷の坂を登る、もうすでにマルタカの5時のサイレンが鳴り終えて小一時間になるだろうか。薄暗い座敷に通される、大きな黒のテーブルの上座に知らない大人がテープレコーダーを前に微笑む。なにやらジョージ君がいつものよそ行きの声で説明をしている(このよそ行きの声でいいためしはないと悪い予感)・・・・続きを読む

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2009年08月24日

彦崎保育園と彦崎小学校遠足事情

d297b526.jpg「彦崎出身者でも、さすがに少し飽きてきましたか?」
では遠足総決算。

保育園・小学校の記憶は怪しいが、遠足となると1枚5円の写真が残っているので記憶は鮮明だ。あの遠足終了後に張り出されるあれだ。気になるあの子の写真があるのだが、自分はその中に写っていない。試案の挙げ句、断念した人も多いのでは・・・続きを読む

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2009年08月22日

現在よりデカイ熊山(標高238.7メートル)と旧彦崎小学校講堂1965年

a22e0d71.jpgこの写真が何年のものかわからない。たぶん1963-5年のものだろう。
彦崎の南の山「熊山」。現在よりもかなりデカク見える。レンズのせいだけではないだろう。
たしかに昔の「熊山」はドッシリデカい。その名前のようにどっかり腰がすわっていて、まるで熊の大きな背中のようだ。山の表面が薄く広域に広場のようになっているのが特徴だそれにはちょっとした理由が隠されている・・・・・続きを読む

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2009年08月21日

彦崎牧場発見と彦崎の山事情

474ae90e.jpg0986ノックでの明石山に続く山がこれ。大きく分けて彦崎には「明石山」。南に「熊山」。そのとなりが飛行塔の「蜂峰山」そして西に船着岩の「秋葉山」となる。そのほか明石山の手前の小山「天神山」。熊山裏に彦崎最高峰の「タコラ山」となる。なのでこの「明石山」に続く山はまだ明石山なのか?だったら明石山はかなり長い蛇山だ。なので当時この山をどう名付けたかと言うと「風引山」。これはジョージ君がこの山を登って風邪を引いたからだ。ただそれだけ。彦崎山全制覇を目論む我々に大きく立ちはだかったのがこの「風邪引山」だ。それ以来登ることもなかった「風邪引山」・・・・・・・続きを読む

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2009年08月19日

男子11人。女子25人。彦崎小学校転校事情。写真は1977年

af73e1d6.jpgほとんど現在と変わらないが、よく見ると彦崎倉庫(彦崎通運?)が見える。なので老人憩いの家もまだない。左端にまだ森永石油も健在だ。駅の周りはまだ緑が生い茂り鬱蒼としている。そう遠く馬場・桜土手横もまだ一軒も家が無く、緑の田圃の様子が見える。小池電気もたしか出来て間もない頃だ。昔は平屋の二軒長屋でマルタカ側の細い路地を入ると小さな橋があり、渡ると玄関だ。・・・・続きを読む

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2009年08月10日

彦崎遊水事情【ラスト24ノック長文】

7e65df71.jpg夏になると思い出す。
歳を重ねるほど時間の感覚が短い「ジャネーの法則」。もう木曜日。「とんねるずの食わず嫌い」をみたのはほんの2・3日前のような感覚だ。そして、小学生の夏休みは途方もなく長くその一日も長い。あれは小学5年の夏休み、真夏の狂ったような陽射しが緑の田圃の水に反射して揺れている。それをボーと眺めながら考える(泳ぎたい)。(いっそのことこの田圃に飛び込むか)・・・・・続きを読む

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2009年08月06日

ペルシャの市場【給食クラッシック】

b28dfb5a.jpg「彦崎小学校の印象はペルシャの市場だ」と2-3年前にジョージ君は言う。
そう低学年の頃転校してきた彼が、給食時間に不安いっぱいに聞いていた「ペルシャの市場」。その「ペルシャの市場」の作曲者は?これ意外とわかんない。というか記憶もしていない。でも小学校のテストなんかにでたんだろうな〜。答えは「アルバート・ケテルビー」。ほらいわんこちゃない。しかしこのの「ペルシャの市場」を大人になって改めて聞くと、あの全体を通しての冗談のようなアラビア〜ンな感覚。しかし、ストリングによる叙情的な部分がかなり切なくいい。また、さらに盛り上げにかかる管楽器の部分はまるで西部劇のテーマソングのようにかっこいい。ぜひ、初心者クラシックと侮る亡かれ。聞くべし。そして他給食クラシックといえば、なぜか同じアラビア〜ンな「トルコ行進曲」。かっこう、水プクプクしかしか印象のない「おもちゃ交響曲」。ちょっとねむいど「田園」などがある。そして放課後の「下校時になりました」のナレーションと共にかかく鉄板曲。「家路」。ちなみに旧彦小「放送室」は職員室前、校長室横、裏には図書室あり。当然一階。0974


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2009年07月31日

40年目の立石(正式名称は舟着岩)のミステリーライン

3cb267c0.jpg40年前の立石(正式名称は舟着岩。以下立石)。よく見ると立石の前後に渡って真っ直ぐに山の木々が刈り込まれている。まるで立石を崇め奉ってるかのごとく整備されている。というかなぜこのような事をしているのか?現在の林道のように山火事の延焼を防ぐ為か?それとも遙か彼方の宇宙と交信するための彦崎ミステリーサークル(サークルじゃなくてライン?)?いろんな憶測が飛び交い、昔から不思議。現在は以下写真のように山火事の延焼も宇宙の交信のへったクレもない状態。6-7年前にマキチャンと立山まで登った際はそのせいで、途中で迷いに迷い、遂に立山まで到達出来ずじまい。今から思うとあのミステリーラインが無いと立山までたどり着くことはできないのだ。果たしてあのような巨大なラインを誰が、何の目的で、どのようにして作ったのか?知りたいモノです。まさか‥‥やっぱり地球外生命体の接触?それともお稲荷さんの御仕業‥‥‥。(写真はマキチャン所有、幼稚園の運動会トリミング)

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私たちのシンボル「たるまんマーク」フラッグ、稲荷山の立石に立てる。

36396d11.jpg「21世紀少年」映画版第一章を初めてみました。マーク・ボランのコードEで始まる「20th cantuly boy」のことし知らなかったので、意外でした。主人公のケンジは1959年8月生まれだからほぼ同世代、秘密基地もつくるし、タイムカプセルも埋める。1970年前後の回想シーンと2015年の滅亡に向かっていく過程が交差する。この映画の中で登場する「指目マーク」の旗には驚きだ。我々の小学校の仲間うちでは「たるまん」はシンボルマーク、CI展開。しかしその実態は「馬場のヒロくん」のお茶碗の裏に仕込まれたマークが由来となる。なぜ、当時の小学生の目に触れたかは定かではないが、そのマークは各生徒に伝染し、落書きはもちろんのこと、その年の年賀状ナンバーワンのビジュアルにと、かなりのヒーバーぶり。そのヒーバーは翌年も衰えることなく、河川ゲーム「たるまん号」並びにたるまん書道にわたり展開、遂に1メート級の「たるまんフラッグ」にその絶頂期を迎える。そしてその「たるまんフラッグ」は以降5-6年の間、稲荷山の立石(正式名称は船着き岩)にたなびくことになるのだった。0970

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2009年07月23日

星早見表(彦崎小学校理科事情)(過去の日食)

dc3ee97d.jpg「あいにくでしたね」。

過去に確かに下敷きで太陽を見た記憶がありますね。現在では下敷きなんて危険!と言われるが・・・そんなの早く言ってよです。当時の子どもは全員下敷きで見てましたよ太陽。飽きたら下敷きを頭でゴシゴシして摩擦で髪を逆立てたことです。なので下敷きで見ましたねしっかり。ということは金環・皆既日食でもあったのでしょうか?だとすると当時近いところでは1969年3月18日の部分日食が該当しますね。岡山では14時56分から始まり16時11分に終わったのだそうだ。最大は15時35分で食分は0.14。当時どうだったのでしょうか?でも14%のかけとは・・・・続きを読む

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2009年07月06日

三代目校長皆木裕氏着任。

ffa1cf2b.jpgたった約4ヶ月の着任だった。しかし我々当時の6年生での彼の記憶は衝撃的だった。
1972年4月皆木先生は遠い県北である苫田郡加茂小学校より赴任してくるのだ。4ヶ月後に我ら6年生全員は苫田郡の実家まで訪れるわけだ。秋の清々しく晴れた日、全員バスに乗り2時間余り揺られて着いた先は小高い丘に立った、「茅(藁(から))拭き屋根の家(確か)」まるで日本昔話のような山を従えたような田舎の旧家。庭は秋なのに花が咲き乱れていた。そう。皆木先生の記憶は水色の作業服を着ての草取り作業の姿だ。気まぐれではなく、受け狙いでもないでもない証拠に雨が降ろうが、カンカン照りであろうが毎日常にこのフォームは崩さない。1970年の彦崎小学校は8月の「念願のプール完成」、10月の「新校庭の完成」とかなり大変な時期だ。その慌ただしい中、各校舎はもちろん、プールの周辺。新運動場の周辺の草という草を一人で抜いてしまうのだ。これは今思えば執念としか思えない。なんの縁(ゆかり)もない県南の小さな学校。校長着任4ヶ月後に先生宅の庭で見た太陽に輝いていた花々を見て、当時の6年生はその意味に気付いたに違いない。50才近くになって思いだし、調べてみると着任4ヶ月の短さ、驚きだ。たぶん当時の6年生は先生との付き合いはz1年も2年にも思えているに違いない。0952

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2009年05月18日

彦崎子ども会

afba104e.jpg現在も「子供会」は存在しているのか?
全国的には少子化・環境の変化の影響で減少の傾向。ラジオ体操、運動会のリレー、秋の御輿。遠足のような遠出。子供会の行事は当時目白押しだ。再度整理すると札場・中村・大久保・用木・大谷部落が青空子ども会。駅周辺が若草子ども会。片屋・奥谷が朝日子ども会。植松が日の出子ども会。現在記憶と頂いた情報ではここまでが限界。馬場・狐崎はどうだったか?磯・明石は朝日か?して我が青空子供会は中村にある公民館(木造の平屋の汚いほう)に土曜の午後集まり暗い部屋の中で何かしてた。何か集まってやっていたのだ。何をしていたのか?そしていまだ部落対抗リレーは催しているのだろうか?0931

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2009年01月26日

うわばき

8c61d360.jpgバンドバレーシューズ。甲の部分に半円形のエラスチックゴムが入ったもの(バンドバレーシューズ)、前ゴム部分が三角形でつま先と横に色付きのゴムが付いているも。青とか赤とか、緑とか。騒音,土足による泥・ほこりの侵入,衛生の保持などの理由が後から「うわばき」は採用されたらしい。1975頃まで小中学校で使用されていた。消えた理由は「校庭が土ではなくゴム地などになり、そのままでも汚れなくなった」という理由。なので下駄箱もうわばきいれも学校から消えて無くなるなるのだ、自分には関係なかったが、上履きにおいてはラブレター、バレンタインの中間連絡保管ツールとしての役割は消えてしまって、奥ゆかしさもなくなってくるわけだ。ワックスの匂いとゴムの香りはなつかし。0880



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2008年10月14日

未知なる世界。常山登山単独登頂。

fbb891b4.jpgあれはたしか小学2-3年の春休み。何を思い立ったか友達だけの登山決行。たぶんマキチャン、タカサン、ひろくん・・・・?。私をいれて4-5人だからほとんど同級生男子の半分が堂々参加。常山という灘崎町のシンボルを制覇すべく、徒歩往復約20キロの旅だ。山に囲まれてる環境で毎日の山登りの訓練の成果並びにまだ見ぬ未知の世界へのチャレンジ。ということでかなり緊張。「遭難の恐れ」も有るかも知れないということで、リュックのなかは甘食などの保存のいい食品をチョイス。常山登山のメンバー時期共に少し記憶が曖昧だが、「甘食」のことだけはしっかり覚えている。0840

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2008年09月10日

そう校歌にあるが、いまはない。ユーカリ

3297ead3.jpg「児島の山に登る日の〜、光あふれる学舎に〜・・・二番/栄えある歴史香らせて、すくすく育つユーカリは・・・(育ちませんでした。かれました。)・・・知識の枝葉しげらせて〜天に向かって伸びてゆく〜たのんしい彦崎小学校〜♪」ダメじゃん。もうユーカリないじゃん。これは灘崎町立彦崎小学校の校歌。現存しないユウカリが校歌に登場。対応策として校歌を変えるか?それとも新校舎に新たにユーカリを植える?当時本来あったユウカリは高さ校舎よりでかかったし、胴回りは子供二人(いや3人)が手を繋なぐぐらい。特にユーカリの香り。あの独特の異国のニオイが印象的。たぶん枯れた原因はシロアリかなにかだろうが、枯れ果て、無くなった切り株を見たときはかなりのショック。作詞/佐藤末治。作曲松田洋平。0826

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