2024年12月14日

強い戦国大名の生活は質素

戦国大名と言えば、勇猛で大胆で豪放磊落だと思われていますが、お金に関しては、ものすごいケチが多いです。
強い戦国大名ほどドケチで、生活は質素、ひらすら蓄財しています。
天下を取った徳川家康は『吝嗇の権化』です。

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ある時、真田信之が家臣に対し、
「皆、わしの事をさぞケチだのなんだの噂しておることだろうな。」
と尋ねました。
家臣は、
「ハイ、その通りでございます。殿のドケチは有名でございます。」
などと言えるはずもなく、
「殿は・・・、お金持ちでございます。」
と、取り繕って答えたところ、
信之は、その家臣に向かって、次のように言ったそうです。

「士卒を励まし候にも、下知ばかりにては、なかなか励まぬものなり。金銀を快く遣はして下知なくては、合戦は成らぬものなり。武士は金銀を大切にすべし」
(部下を叱咤激励し戦わせるためには、ただ命令するばかりじゃ、なかなか言う通りには働いてくれないよ。金銀を思い切りあげて命令しなければ、戦はできないものだ。だから武士は普段から金銀を大切にしなきゃダメなんだよ。)

強い戦国大名は、普段は超ドケチで貯め込んでいても、必要な時には惜しみなく使う。
お金の使いどころが、よく分かっている人達が多かった・・・というお話です。

戦国 経済

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2024年12月13日

一流漫画家の矜持

一流の漫画家は、作品だけでなく、日常のちょっとした一言にも、奥深く、心に響くものがあります。

一流漫画家の矜持:

「どういう道を通っても、一生懸命やっていることは必ず社会の役に立つ。一見ムダのようでも、必ずいつかは役に立つことがあるんです。」【楳図かずお】

「本気で人を幸せにしようと思ったら、自分が傷つくことくらい 覚悟しなくちゃいかんのだ。」 【水木しげる】

「ただバカっつったって、ホントのバカじゃダメなんだからな。知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの。」【赤塚不二夫】

「アンパンマンが成功したの、ばいきんまんの功績が大きい。」【やなせたかし】

「子供の頃、私は『のび太』でした。『のび太』は私自身なんです。」【藤子・F・不二雄】

みずきーしあわせー1

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2024年12月12日

脳が『快』になるように生きる

私の人生の最大の興味は、
「はたして、人間というものは、変われるものだろうか?」
ということ。
それで、なんとなくわかってきたのが、
「脳が変われば、人は変わる」
ということ。
「そんなこと、簡単にできるの?」
と思う人が多いと思いますが、
世の中には、変な宗教などに『洗脳』されている人間がいっぱいいるように、ある程度、脳は変えられるものらしいのです。
で、まぁ、
「自己催眠をかけて、自分の脳を作り変えてしまえ!」
と思い、自分自身の脳で実験しました。
なかなか、面白いです。

ザックリ言うと、人間の脳は『快』と『不快』を判別します。
『不快』の状態になると、自己防衛本能が働いて、恐れ、不安、疑心暗鬼などのマイナスの感情が湧いてきて、ネガティヴになります。
逆に、
『快』の状態になると、ポジティヴになり、何かと上手くいきます。
人間の脳は『感謝』した時、『感謝』された時に、最も『快』の状態になります。
そして、「もっと頑張ろう!」という気持ちになるのですよね。
また、自分の脳を『快』にするためには、他人の脳を『快』にしてあげること。
例えば、
エンターティナーの仕事は観客の脳を『快』にすること。
観客は自分の脳を『快』にするために、エンターティンメントを見に行く。
その結果、
両方の脳が『快』になって、めでたしめでたし、となるわけですね。

長くなりましたが、で、結論は、

結局、幸福な人生を歩むためには、教育勅語を忠実に守ること。

教育勅語ー1

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2024年12月11日

真珠湾攻撃 飯田房太大尉

真珠湾攻撃の時、飯田房太大尉(戦死後・中佐、海兵62期)は、真珠湾攻撃では、第二次攻撃隊の第三制空隊(空母「蒼龍」制空隊)第三中隊長(第一小隊長兼任)として参加。
カネオへ海軍基地を攻撃中、飯田大尉の操縦する「零戦」二一型(固有機番号 BI-151)は、燃料タンクに被弾。
部下の第二小隊長・藤田怡与蔵中尉に、燃料切れを意味する手信号(自分の口元を指差して左右に振る)を送り、後の部隊指揮を頼んでから、手を振って別れを告げて、カネオへ海軍基地格納庫に向かって突入し戦死。
飯田大尉は日頃から部下想いの隊長だったので、飯田大尉の戦死を知った二番機の厚見峻一飛曹、三番機の石井三郎二飛曹もニイハウ島付近で海面に突入して自爆、未帰還となりました。
いいだー2

飯田大尉は、日米関係が悪化した頃から、「中国戦線が泥沼化しているのに、これでアメリカと戦争したら日本は破滅する」と考え、自分自身は戦死する覚悟を決め、未婚のまま28歳で亡くなった人です。
飯田大尉は普段は温和で物静かな性格だったので、海兵時代のあだ名は「お嬢さん」。
しかし、内面は勇気・気力に満ち溢れ、思慮深い優秀な人物でした。
飯田大尉が平和な時代に生まれていれば・・・と惜しまれます。
太平洋戦争では、飯田大尉のような優秀な若者が多数、戦死されました。

ちなみに、
2016年12月にパールハーバーを訪れた安倍総理(当時)の演説の中に、飯田房太大尉の名前が出ていました・・・。

飯田房太大尉(戦死後、中佐)
いいだー1












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2024年12月10日

真珠湾攻撃 山本 五十六・元帥海軍大将

12月8日は真珠湾攻撃が行われた日です。

1941年(昭和16年)11月上旬、連合艦隊司令部における「真珠湾攻撃」に関する最後の会議:
山本五十六・連合艦隊司令長官は、日米交渉による戦争回避に一縷の望みを託していました。

山本五十六:「日米交渉が成立した場合、直ちに反転して帰ってくるように!」

南雲忠一:「出動後に引き帰すことは、実際問題として無理です。それは士気にも大きな影響があります。」
航空隊指揮官:「出かかった小便を途中でとめるようなもので出来ません。」

これを聞いた山本は声を荒げ、
「百年兵を養うは、ただ平和を護る為である!もし、この命令が守れない者は、ただちに辞表を出せ!」

軍隊は、国の平和を護るために必要なもの・・・。

山本五十六
真珠湾ー1
真珠湾ー2
真珠湾ー3


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2024年12月09日

久々の完全オフ日

昨日、12月8日は、久々の完全オフ日でした。

真珠湾攻撃が行われた日。
靖国神社に参拝。
r6.12.8-1
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日本武道館で、全日本空手道選手権を観戦。
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試合後のインタビュー。

女子組手 優勝:小堂利奈
「高校時代は新型コロナウイルスのせいでインターハイがなくなり、大学でも今まで優勝経験がありませんでした。今日やっと優勝できて夢のようです。」

男子組手 優勝:嶋田力斗
「見たかった景色がやっと見られました。」

心に、ジーンときました・・・。

r6.12.8-6

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2024年12月08日

『役職停止』の意味がありませんね。w

>国民民主党の玉木雄一郎衆院議員(不倫問題で代表を役職停止中)は6日、同党の浜口誠政調会長らと石破茂首相による首相官邸での面会に同席した。政府に薬価改定制度の変更を求めるための申し入れで、玉木氏は面会後、記者団に「『衆議院議員・玉木雄一郎』として来た。薬価の問題は私はずっとやってきた」と話した。(朝日新聞)

『役職停止』の意味が、全くありませんね。w
「不倫をしたのは、私の下半身であって、私の上半身は不倫などしていない。」・・・みたいな屁理屈。
ここで一首:
元民主 どこまでいっても 元民主 信じるなかれ どうせグダグダ

たまきーふりんー1



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2024年12月07日

東京3大タワー

東京3大タワー:
東京タワー(333 m)
東京スカイツリー(634 m)
船堀タワー(115m)
船堀タワーは、東京スカイツリーと東京タワーに次ぐ都内3位の高さ(115m)を誇ることから「東京(都内)三大タワー」と言われています。
「高さの差があり過ぎ?」とか、言わないでくださいねぇ〜。w


歯科ー窓


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2024年12月06日

斎藤元彦・兵庫県知事を見ていて・・・、

斎藤元彦知事が、知事就任以来、自身の退職金50%カット、給与30%カットして、既得権益勢力から多くの誹謗中傷・嫌がらせを受けながらも、兵庫県の財政再建を目指す姿には感銘を受けます。
もし斎藤元彦さんが知事に再選されなかったら、兵庫県のみならず、国家的損失になるところでした。
斎藤知事には、頑張っていただきたいと切に思います。

知事と言えば・・・、

戦前、府県知事は、現在のように地元住民の選挙によって決められるのではなく、天皇の勅令で任命される勅任官。
形式的には任免権は天皇にありましたが、内務大臣の監督に属していたので、実質的には内務大臣・内務省が任免していたと考えていいと思います。
太平洋戦争末期、沖縄県知事はIという人物でした。
アメリカ軍の沖縄空襲が始まり、米軍上陸が迫ると、Iは県内疎開について協議をするためと称して東京に出張、そして、東京滞在中に香川県知事の発令を受けます。
この突然の不可解な人事移動は、Iが東京出張中に内務省に働きかけ、米軍上陸が近い沖縄の知事から香川県知事への転任工作をしたのではないかと言われています。
空席となった沖縄知事の後任には大阪府内務部長・島田叡が任命されます。
島田の家族・友人など周囲の人達は皆、これを止めようとしましたが、
島田は、
「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」
として、日本刀と青酸カリを懐中に忍ばせながら、死を覚悟して沖縄へ飛びます。

昭和20年3月に入り沖縄空襲が激化すると、島田は県庁を首里に移転し地下壕の中で執務を続けます。
以後、沖縄戦戦局の推移に伴い、島田は壕を移転しながらも沖縄県知事の職務を続行。
女子職員が地下壕から外に出て水を汲みに行き、その水で知事に洗顔を勧めたところ、島田は「君が命懸けで汲んできた水で顔は洗えないよ。」と笑顔で答え、他の職員と同様、米の研ぎ汁に手拭いを浸して顔を拭ったとのこと。
同年6月9日、島田は同行していた県職員・警察官に対し、「どうか命を永らえて欲しい。」と訓示し、県及び警察組織の解散を命令。
同年6月26日、島田は荒井退造警察部長とともに摩文仁の壕を出たまま消息を絶ち、今日まで遺体は発見されていません。享年44歳。

島田叡・沖縄県知事の座右の銘は、
「断じて行えば鬼神も之を避く」
断固とした態度で行えば、鬼神でさえその勢いに気圧されて避けて行く。
決心して断行すれば、どんな困難なことも必ず成功する。

斎藤元彦・兵庫県知事を見ていて、島田叡・沖縄県知事のことを、ふと思い出しました・・・。

島田叡・沖縄県知事
おきなわけんちじーしまだ


















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2024年12月05日

年越しそば

今年も大晦日が近づいてきました。
12月31日には、美味しい年越し蕎麦を食べなければいけません。

蕎麦を、現在のように麺状にして食べるようになったのは、江戸時代と言われています。
それまでは、雑穀の一種として、炊いたり、団子にして食べていたようです。
江戸時代になり、薄くのばして蕎麦切りをして食べる方法を考案した人がいたのですね。
コレが大人気となり、蕎麦は江戸の食文化の代表格になりました。

えどそば

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