2021年02月25日

滝山城!前編

2月23日(天皇誕生日、祝日)、八王子市にある滝山城へ行って来ました。
戦国時代、北条氏照が拡張、改修した丘城です。

まず、簡単な縄張り図
大手口から攻め込むと、
小宮曲輪→三の丸→千畳敷→二の丸→中の丸→本丸・・・と続きます。
滝山城ー地図

大手口から入ると、最初に急坂があります
滝山城ー最初の急坂

急坂を上り終わると、左側に「小宮曲輪」が見えます。
高台が「小宮曲輪」で、あそこから、攻城軍に矢がビュンビュン飛んできます。
滝山城ー小宮曲輪

右前方に『三の丸』、ここからも矢が飛んできます。
滝山城ー三の丸 

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2021年02月24日

織田信長と寺社勢力!

織田信長が生きていた頃の寺社勢力は、
「祟りがあると脅して勢力拡大」
「祟りを鎮めるといって大金をとる」
「荘園を支配」
「武装して政治に口出しをする」
「鉄砲の訓練をして傭兵になって稼ぐ」
「戦国大名と同盟する」
「高利貸しをして荒稼ぎ」
などなど、当時の既得権益の権化で、
織田信長は天下統一後のことを考えて、長年かけて寺社勢力の無力化に成功しました。
現在の日本が政教分離できているのも、織田信長の功績です。

「宗教のために前進して戦って死ねば極楽浄土に行ける!が、逃げたら死後は無間地獄に落ちて苦しむ!」
と信じきっている多数の宗徒を相手に戦うことは、とても大変だったことは、言うまでもありません。

銃弾でできた穴、血がついている一向一揆の旗!
しんじゃ













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2021年02月23日

天下布武!

織田信長のした政策、軍事行動などを見ていると、早期から明らかに「天下統一」を目ざしており、天下統一後のことも考えていたように思います。
「官僚」と「常備軍」による組織編制もその一端です。
そして、「天下統一の邪魔になる勢力」や「天下統一後に禍根となる勢力」を徹底的に潰しにいきました。
その最たる敵が、寺社勢力。

古今東西、宗教団体は必ず政治に口出しをし、圧力団体となりますから、信長は寺社勢力を無力化することに全力を傾けました。
ほとんどの戦国大名は、寺社勢力と対立することによる人的及び経済的損失を恐れ、同盟を組んだり、保護したりしていますが、信長だけは一切の妥協をしませんでした。

寺社勢力が強大な力を持つようになった背景には、日本特有の「祟り」という概念があります。
「寺社に逆らえば祟りがある」「寺社でなければ祟りを抑えられない」という観念を武器に、寺社勢力は朝廷、武家、一般庶民に対し、示威行為をしていたのです。
事実、上杉謙信も毘沙門天を奉り、武田信玄も寺社に土地を寄進しています。
前田利家も死ぬ直前に、多くの一向宗徒を殺したことにより、地獄に行くことを気にしていた節があります。

この「祟り」という武器が一切通じなかったのが織田信長です。
寺社勢力から、仏道を邪魔する悪魔として「第六天魔王」と呼ばれましたが、信長は逆にこの呼び名が気に入り、武田信玄の書状にあった「天台座主」という書名に対し、「第六天魔王」と署名した逸話が残っています。

のぶながー4冊の本

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2021年02月22日

織田信長と鵜飼い!

織田信長を調べていけばいくほど、織田信長の発想は斬新です。

織田信長は稲葉山城を陥落させると、城下町の井ノ口を岐阜と改めました。
岐阜の由来は、中国の文王が天下泰平の世を築いた岐山の「岐」と学問の祖・孔子が生まれた曲阜の「阜」をとって「岐阜」です。
信長が、長良川の鵜飼いを見た時に、とても感激し、鵜飼に「鵜匠」の名称をさずけ鷹匠と同様に1戸に禄米10俵を与え遇しました。
なぜ、感激し、ここまで優遇したかと言うと、
(ここから先は、私の憶測ですが・・・)

その後、織田軍団を各方面軍に編成し、活用し始めたと言われています。
鵜飼いの、1人の人間が多くの鵜をコントロールして、多くの鮎をとる姿を見て、
「これぞ、家臣団の合理的な活用法だ!」
とピンときたのではないでしょうか?
信長自身が「鵜飼=鵜匠」、柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀を「鵜」にイメージし、各方面に一斉に派遣し、コントロールしながら、天下統一をめざす構想が思いついたのかもしれません。

のぶなが

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2021年02月21日

織田信長の安土城利用法!

以前、安土城を見に行った時に思ったのですが、他の城に比べて、安土城は防御施設が脆弱な印象を受けました。
特に、大手口からの道は幅が広く、直線も長く続きます。
これは、敵の大軍が、一気に侵入し攻城しやすいので、通常は、こいう構造には作りません。
それで、不思議に思って調べたことがあります。

その結果、わかったのは、信長は安土城を城郭と言うよりも、宗教の総本山のようにしたかったのではないかという推測ができました。

ルイス・フロイスの書き残した『日本史』によると、
「安土城にある宛寺には本尊は無く、信長は『私自身が御神体である!』と話していた。」
「宛寺には、次のような貼り紙がされていた。『金持ちが祈れば、より金持ちになる。貧しいものも祈れば金持ちになる。』『この寺に祈れば、長生きができ、病気は治り、希望はかなえられる。』『信長の誕生日を聖なる日として、必ず寺に来て折るように。』『この寺の教えを信じる者は幸福になり、信じない邪悪な人間は滅ぶ』『キチンと賽銭を入れるように』などと書かれていた。」

信長が最初に自分自身を神格化して祀ることを始め、それを真似して、
豊臣秀吉は豊国大明神、徳川家康は東照大権現、になった可能性はありそうです。

そう考えると、つじつまが合うような気がします。
織田信長は、『同盟者や家臣団の気持ちが読めない』以外は、抜け目がないです。

のぶなが

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2021年02月20日

織田信長のインフラ整備!

織田信長は経済活性化のためにインフラ整備を積極的に行っています。
他の戦国大名も、武田信玄の棒道のように道路整備を行っていますが、あくまでも軍事用のものであり、織田信長のように経済活動のための道路建設・道路整備をした戦国大名は存在しませんでした。
(他の戦国大名が道路整備に躊躇したのは、領内への敵の侵入を容易にする危険性があったからです。)

織田信長の道路整備

1574年:道路整備のための命令発布
「入り江や川には、船橋をつくり、石を取り除いて悪路を直すこと!」
「道幅は三間半として、街路樹として左右に松と柳を植えること!」
「周囲の住民は、道路の清掃と街路樹の手入れをすること!」

1575年:
「瀬田の唐橋・幅4間(約7.2m)、長さ180間(約324m)を架橋」
同年:
「中山道(当時、東山道)の摺鉢峠を削ってルートを変更し、旅程を3里短縮」
(中山道を佐和山城の前を通るように変更しています)

1576年:道路の等級を決める・・・(当時、こんなすごいことを考えついていました。ビックリですね。道幅は荷物の運搬を考慮して決められています。)
「本街道は幅3間2尺(約6m)とし、土手を築いて排水溝を作ること!」
「脇道は幅2間2尺(約4m)とすること!」
「在所道は幅1間(約1.8m)とすること!」

織田信長は、
「治安が守られ、安全で、しかも便利な道路ができれば、人々の往来が増え、経済が活性化し、税収も増える」
と考えていたようです。

ルイス・フロイスは、『日本史』で、
「安土から京までの街道はとても美しく、柳や松が日中の日よけになり、街道では住人が常に清掃しており、街道沿いには茶屋が軒を並べ、驚くほど安全であった!」
と記しています。

信長の「インフラ整備、道路政策」は、徳川幕府に引き継がれ、更に、全国的に発展していきました。

のぶながーいんふら


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2021年02月19日

織田信長は新しい価値観を創り出す天才!

今でこそ、よく聞かれる言葉ですが、既に約500年前に、信長は次のように考えていました。

「仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ!」 【織田信長】

織田信長は新しい価値観を創り出す天才!

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織田信長が茶器に造詣が深かったのは有名ですが、いつ頃から、信長が茶の湯に興味をもったかは定かではありません。
一説には、本格的に茶器を集めるようになったのは、堺商人・今井宗久から茶入「紹鴎茄子」、松永久秀から茶入「九十九髪茄子」を献上されたことがキッカケではないかと言われています。
献上された茶器を見た信長は、「土地は有限であり、今後、家臣団への恩賞は、これがいい!」とピンときたのでしょう。
それ以降、「名物狩り」と言われるほど、信長は名茶器を集め始めます。
信長個人のコレクションというよりは、家臣への恩賞・褒美のためです。

信長の目論見通り、甲州征伐の恩賞として上野国を与えられた滝川一益は、「領地よりも、珠光小茄子という茶器を欲しがっていた。」と言われています。
信長に謀反を起こした松永久秀は、「名物・平蜘蛛茶釜を差し出せば許す!」と言われましたが、これを拒否して、茶釜とともに自害しました。
(長年、信長を見てきた久秀が、信長が自分を許すとは、到底思えなかったのでしょう・・・。)

信長は茶器だけでなく、「茶会を開く特権」を最高の名誉として、恩賞にしました。
(許されていたのは、織田信忠、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、明智光秀)

(恩賞として与える)土地は有限ですから、茶の湯に付加価値をつけて恩賞にする・・・こういうところも、信長の天才的なところですね。

のぶながーしごと









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2021年02月18日

山中の猿御憐愍の事【信長公記 巻8(天正三年)】

美濃と近江の国境に山中という所があり、街道の道端で一人の身体に障害のある者が雨露に打たれて乞食をしていた。
織田信長は京都への行き来でたびたびこの乞食を目にしていた。
ある時、信長は土地の者に次のように聞きます。

信長:「たいてい乞食というものは、住むところを定めずさすらうものである。然るにこの者はいつ見ても変わらずこの地にいる。これはいかなる仔細によるものか?」

土地の者:「むかし、当地山中の宿で常盤御前を殺した者がおります。その報いで、殺した者の子孫は代々、体に障害を持って生まれ、あのように乞食をして暮らしているのです。土地の者は、あの者を『山中の猿』と呼んでおります。」

数日後、急用ができ信長は上京することになった。
その多忙の最中に、信長は『山中の猿』のことを思い出し、木綿二十反を自ら用意して供の者に持たせた。
山中の宿につくと馬を止め、
「当宿の者は男女を問わずまかり出よ。申し付けたき儀あり」
という触れをだします。
土地の者達は、「何事か?」と緊張した表情で集まってきました。

信長は、集まった土地の者達に木綿二十反を渡し、

信長:「この反物のうち半分を費用に充てて近所に小屋を作って、この者を住まわせ、飢え死にせぬよう、面倒をみるように。近郷の者達は、毎年麦ができれば麦を一度、また秋には米を一度、あわせて年二度ずつこの者に施しを与えてやってくれれば、信長にとってこれほど喜ばしいことはない。」

信長には、こういうピュアな面があります。

のぶながこうき

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2021年02月17日

藤井聡太二冠!

>日本将棋連盟は16日、藤井聡太二冠(18)=王位、棋聖=が3年生として在学していた名古屋大教育学部付属高(名古屋市)を今年1月末で自主退学したと発表した。

「あと2ヶ月で卒業なのに惜しい!」・・・凡人の考え方。

「今直ぐにするべきことがあるので退学する。時間が惜しい!」・・・非凡な人の考え方。

優秀な人間の一大特徴・・・1秒の時間をも無駄にしないで大切にします!

大谷翔平さん、井上尚弥さん、羽生結弦さん、藤井聡太さん、などなど、非凡な才能のある人に学歴は一切必要ありませんから・・・。
ですから、いつまでも学歴を鼻にかけて威張っている人間は、自分自身に何も才能が無いことを公言しているのと同じなのですね。

ふじいそうた





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2021年02月16日

戦国時代の女性!

日本では昔から女性が力を持っていて家を差配していたようです。
徳川秀忠の妻・お江の方とか、前田利家の妻・お松の方とか、山内一豊の妻・千代とか、大奥をとり仕切った春日局とか・・・。

佐々成政に大軍に攻められた末森城、
絶望的状況に陥った城主・奥村永福は「もうだめだ!切腹じゃ!」と諦めかけた時、
奥村の妻が、
「昔、楠木という大将は日本国を敵にして城にこもったと聞く。明日は金沢(前田利家)から後詰め(援軍)があるはずなので、ただ一夜、敵の攻撃を防ぐべきだ!」
と言って城内を激励して回ったので、奥村も気を取り直し、その後、前田利家の援軍が到着、城を守り抜いた!
・・・という有名な話もあります。

この本、お勧めです。
おごう














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