2012年01月

2012年01月31日

Breakfast in America

今から30年前のヒット曲。

懐かしい・・・というより、時の流れの速さにおどろく。





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2012年01月30日

碧いうさぎ

織田哲郎さんが歌う「碧いうさぎ」は実にいい。

牧穂エミさんの詩も、織田哲郎さんの作曲も、長田直也さんのアレンジも最高。
全てが上手くかみ合って名曲が生まれる。
プロとは、すごい人々だとつくづく思う。

同曲を歌っている女性歌手に関しては、今日のブログの主題ではないので、あえて触れない。






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2012年01月29日

富士山噴火

日本列島に緊張が走った。28日午前7時43分ごろ、富士五湖直下を震源とするM(マグニチュード)5・4の地震が発生し、最大震度5弱を観測した。昨年3月11日の東日本大震災以降、噴火の可能性も指摘されている富士山の近くだったこともあり、専門家は警戒感を強めている。(zakzak)

最近、また地震が頻発している。
昨年3月に起きた東北地方太平洋沖地震は、北米プレートと太平洋プレートの境界面で発生した海溝型地震だが、他の地域での内陸直下型の地震や富士山噴火などを誘発する可能性があるらしい。
そして、「首都直下地震が4年以内に約70%の確率で起きる。」と専門家は予測しているようだ。
私としてはどうする事もできない問題なので、起きないように神に祈るしかない・・・。

ところで、首都直下地震と言えば、ある事を思い出した。

昨年6月のある日の朝、私のクリニックの受付女史が、
「先生、大変です。今年の8月にマグニチュード7の首都直下地震が100%起きるそうですよ。」と真顔で、私に話してきた。
3月に起きた東北地方太平洋沖地震のショックが残っていたので、私も十分ありうることだと思い、一瞬青ざめたが、よくよく考えてみると、「そんな100%の地震予測なんて可能なのだろうか?」と思い、「誰から聞いたの?」と聞くと・・・、

受付女史のお母さんが、(女史の)弟のロックバンドのドラムス担当の男の子の母親から聞いた。
(ドラムスの)お母さんは、自宅でおばあさんから聞いた。
おばあさんは、
「タクシー運転手が、客として乗ってきた地震専門家とおぼしき2人の男性が話しているのを聞いた。」という話を誰かから聞いたらしい・・・。

分かりにくいので、情報の流れを図にすると、

私←受付女史←(女史の)母親←(ドラムスの)母親←(ドラムスの)祖母←どこかの誰か←どこかのタクシー運転手←地震専門家とおぼしき(?)2人の乗客

結果から言うと、昨年8月に首都直下地震は起きなかった。
そもそも、最初の、「地震専門家とおぼしき2人の男性」というところからして根拠が怪しい。
普通のサラリーマンの「8月には、今度は東京が危ないらしいよ・・・。」というような、酒に酔った上での普通の会話だったのかもしれない。

デマというのは、こういうふうに拡がるものらしいので、くれぐれも気をつけた方がいい。


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2012年01月28日

ユーミン

「歌の女神が降りてこなくなった」〈成人記念の着物で覚悟の出場〉ユーミンが紅白の夜に号泣していた!(週刊文春)


週刊誌の記事が本当か嘘かは分からないが・・・。
NHK紅白歌合戦での自分のパフォーマンスに納得できず、自宅で号泣したとのこと。

時代とともに流行も変化する。

今の若い人達のライフスタイルを曲にするのは、特に難しいかもしれない。





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2012年01月27日

田中将大投手婚約

プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手(23)とタレントの里田まいさん(27)が婚約した。26日、里田さんの所属事務所が発表した。シーズン開幕前の3月下旬に結婚する予定という。 同事務所によると、2人はテレビ番組の共演をきっかけに知り合い、約2年前から交際していた。(読売新聞)


田中将大投手は、数年後にはアメリカ・メジャーリーグ移籍の可能性の高い一流投手。
里田まいさんもいい人を見つけたなぁ・・・。

そう言えば・・・、

今朝のテレビに、新婚妊娠中のほしのあきさんと、ゆうこりんさんが出ていました。
ものすごく幸せそうでした。
人生に前向きで、明るく、逞しく、したたかで、・・・・たいしたものだと思います。
「幸せは、自分自身の努力でつかみとるもの。」という事を教えてもらった気がします。

今日も1日、元気に頑張りましょう。

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itagakishika at 10:39|Permalink

2012年01月26日

28歳のジャイ子

国民的人気漫画『ドラえもん』の“20年後の世界”を実写化したトヨタ自動車企業CMシリーズの最新作でジャイ子役にAKB48の前田敦子が起用された。(Yahooニュース)


私の「20年後のジャイ子」のイメージとしては、ずばり、この人。

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2012年01月25日

いい話

今村大将は、部下を戦犯裁判から救うべく尽力した事でも知られている。

オーストラリア軍の師団長イーサー少将は、ラバウルでの戦争犯罪について、すでに調査を終え、本国政府に「ラバウル方面には、戦争犯罪をもって問うべきものはない」と報告していた。日本軍の対空砲火で撃墜され、パラシュートで脱出したパイロットなど、少数の白人捕虜がいたが、彼らはラバウル内の小さな島に収容され、国際法規に従った取り扱いを受けていたのだった。

しかしオーストラリア政府は、イーサー少将に戦犯摘発を強く命じ、シナ人やインド人などの労務者を誘導して、どんな些細な事柄でも告訴するよう指示してきたのである。
ラバウルの戦犯裁判は、ほとんどがインド人、支那人などの労務者の虐待容疑だった。たとえば、「衛生勤務者として、インド人労務者の患者を虐待した」という理由で死刑にされた酒井伍長は、次のように今村に語っている。

「 インド人患者の多くが熱帯潰瘍か、マラリアにかかっていました。血の一滴ともいわれる貴重なマラリアの予防薬キニーネやアテブリンを、にがいとか胃に悪いと言って捨てているもの もいました。そういう者を見つけると、私はこらしめのため、平手で頬を打ったことがあるのです。言葉がよく通じませんので....。憎しみの気持ちではなく、早く治してやりたかったのです。」(酒井伍長)

インド人やシナ人は賃金労働者として雇われてラバウルに来たのだが、2年以上も日本軍のために働いたので、連合軍から罰せられる事を恐れて、マレー半島や南京で俘虜になって、無理にここに連れてこられたと言い張ったのだ。
訴えを起こした労務者達は告発状を残して帰国してしまう。従って、弁護側は反対尋問をする機会も与えられていなかった。結局、ほとんどの裁判で原告側の主張を鵜呑みにした判決が下された。

今村は、こういう部下を一人でも救うべく、自ら志願して収容所に飛び込んでいった。

今村は、
「外人労務者は日本軍が賃金で雇ったものであり、戦争捕虜ではないから、万一虐待があったとしても、それは戦争犯罪ではなく、日本の国内法によって裁くべきこと、それでもなお戦争犯罪として取り上げるなら、最高指揮者である自分を裁くべきだ。」と主張した。
最初にこの訴えをしたのが、昭和20年12月、繰り返し回答を督促し、豪軍側が根負けした形で、今村の収容所入りが実現したのが、翌年4月28日だった。

最高指揮官としての今村の裁判は最後に回され、それまで、今村は部下の一人一人の裁判に徹底的に介入した。
「戦犯裁判は戦闘であり、作戦だ、勝たねばならぬ」と言って、少しでも被告の有利になるよう知恵を絞ったのである。

たとえば・・・。

終戦時にまったく別の島にいた中沢という海軍の軍属が微罪で告訴された時、今村は「君は現役の時、陸軍で中国にいたそうだな、わしも中国にいた。その時、わしの当番兵だったことにして、」とでっちあげて、中沢は現地民を虐待するような兵ではないと説明した。
もともと証拠もない事件だったので、今村の証言が決め手になって、裁判なしの不起訴とすることができた。

圧巻だったのは、
今村司令官の側近・参謀長だった加藤中将の裁判では、長年深い信頼関係で結ばれていた2人だったが、「俘虜の不法使役」の件では、互いに「それは自分の責任だ!」として譲らず、大喧嘩になった。
加藤は「参謀長通達」を出したのだから、参謀長だった自分(加藤)の責任だと言い、
今村は「参謀長には命令権はない。司令部の書記と同じようなものだ。」とまで極論して、すべて司令官だった自分(今村)の責任だと主張した。
この「責任は私にある。」「否、違う。責任をとるのは私だ。」という裁判史上例のない異常な光景は、オーストラリア人裁判官・判事に感動を与えた。
結局、この裁判では今村の強引な主張が通って、加藤中将は無罪放免となり、今村は10年の禁固刑の判決を受けた
これについて次のような感想を記している。
「 事実、私は監督責任者であり、父老の愛児を預かっていた身でもある。処刑される若人たちを見守ることは、これこそ義務であり、情においても願われたことである。」(今村談)

判決を受けてすぐ、今村は自分に対する判決については一切ふれなかったが、同時に下された部下への判決に対しては即座に再審の請願をしている。

すごい人なんですよ。

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itagakishika at 00:36|Permalink

2012年01月24日

いい話

大日本帝国陸軍に今村均大将という人がいた。
太平洋戦争終結後、第8方面軍司令官時代の責任を問われ、戦争指導者(戦犯)として軍法会議にかけられる。
オーストラリア軍は緒戦の敗北の汚名を雪ぐために、何としても今村を死刑にしようとし、裁判で一度は死刑判決になりかけたが、
今村は温厚で高潔な人柄であり、占領地での軍政・指導能力も高かったので、「今村大将は悪いことは何もしていない。無罪だ。」などの証言が現地住民や捕虜から相次ぎ、結局、禁錮10年で判決が確定した。
(第16軍司令官時代の責任を問うためのオランダ軍による裁判では、無罪とされた。)

その後、今村はオーストラリア軍の禁錮10年の判決により、1949年(昭和24年)に巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に送られる。
だが今村は、
「(未だに環境の悪い南方で服役をしている元部下たちの事を考えると)自分だけ東京にいることはできない」として、1950年(昭和25年)には自ら多数の日本軍将兵が収容されているマヌス島刑務所への入所を希望し、妻を通してマッカーサーに直訴した。
その態度にGHQ司令官のマッカーサーは、
「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する為、マヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命じた」と話したという。

刑期満了後、日本に帰国してからは、東京の自宅の一隅に建てた小屋(謹慎室)に自らを幽閉し、軍人恩給だけの質素な生活を続ける傍ら「回顧録」を出版、その印税はすべて戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に使われた。元部下に対して今村は出来る限りの援助を施し、それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であったといわれる。


漫画家・水木しげる氏は、兵役でラバウルに居た際に視察に来た今村から言葉をかけられたことがあり、その時の印象について水木氏は「私の会った人の中で一番温かさを感じる人だった」と評している。
当時、水木氏は2等兵、アメリカ軍機のものすごい空襲があった時に、慌てて近くの掩体壕に避難した。
狭い掩体壕は避難してきた兵隊ですぐに満員状態になったが、
そこに今村大将が、ゆっくりと現れ、「おやおや、ここも一杯だね。」と話して、中には入らず、激しい空爆下にある外に悠然と出て行ったという。

すごい人もいるものです。


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2012年01月23日

不安は何もない、ベスト尽くすだけ

米大リーグのテキサス・レンジャーズへの移籍が決まったダルビッシュ有投手が20日(日本時間21日午前)、テキサス州にある本拠地、レンジャーズ・ボールパークで入団記者会見を行った。
念願のメジャー入りを果たしたダルビッシュ投手は北海道日本ハムファイターズ時代と同じ背番号「11」のユニホームに袖を通し、「不安は何もない。成績に関してはともかく、ベストを尽くすだけ。けがなく1年間投げ抜きたい」と決意を語った。(読売新聞)


「不安は何もない。ベストを尽くすだけ。」

なんて良い言葉なんだろう。

芥川賞作家・田中慎弥さんの座右の銘「足が絡まっても踊り続けろ。」とも共通している。

余計な事を考えず、前進、前進、また前進。

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itagakishika at 13:04|Permalink

2012年01月22日

ALWAYS 三丁目の夕日

個人的な見解ですが・・・。

昭和ノスタルジーなのだろうが、私的には興味が無い。
「今は嫌な時代だが、昔は本当に良かった。」的な感じが、何とも言えず不得意だ。

考えてみれば・・・。

パソコンも携帯もなく不便このうえない。
駄菓子も今、食べてみると、たいして美味しくもない。
社会的には、大学生の安保闘争など、暴力的で嫌な時代だった。

「昔は良かった。」というのは、単なる「勘違い」だと思う。


昔は良かったとぼんやり言うような大人になんてなりたくないけれど〜♪





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