2017年08月

2017年08月31日

父から息子への最後の手紙!

天正十四年、九州制覇のため島津軍が北上。
大友方の城は次々と陥落し、紹運の籠る岩屋城にも島津忠長の軍勢3万が迫っていました。

高橋紹運が敢えて岩屋城に籠城したのは、島津勢が迂回して立花山城を衝くのを阻止するためです。
立花山城には紹運の長男・立花宗茂、宝満山城には、紹運の妻や次男・高橋統増、岩屋城から避難した非戦闘員(女・子供)もいました。
豊臣軍が来援するまでの時間稼ぎのために、紹運は自らを犠牲にして徹底抗戦する作戦をとったのです。
そうしたなか、岩屋城・高橋紹運の元へ、立花山城を守っている長男・宗茂からの使者が来ます。

立花宗茂の書状:
「地の利が悪い岩屋城に比べ、宝満山城、立花山城は要害の地です。どちらかにお移り下さい。そうすれば、豊臣公の援軍が到着するまで島津軍を食い止められましょう。」

紹運は、その使者に返書を与えて立花山城へ帰します。

高橋紹運の返書:
「宗茂の言うところは至極尤もである。確かに、宝満山城、立花山城は要害であるが、地の利は人の和に如かずという。いくら堅固な城に籠ろうとも、人の心が一つにまとまらねば意味を成さぬ。一大事の時に大将が一か所に立て籠もるのは良策ではない。
それ以上に思うのは、わしが今まさに滅びの時を迎えているということだ。
時の流れにつれ、全てのものに栄枯盛衰があるのが世の習いである。
滅亡の時が来たのなら、たとえ堅固な城に籠ったとしても逃れえぬであろう。
なれば、多年の居城を枕とし、節を守って死ぬことこそ勇士たる者の本意である。
ここにわしが籠れば十日は守れるであろうし、寄手の三千くらいは討ち取ってみせる。
そうすれば敵もそう強くは出てこられないであろう。
続けて立花山城に攻め入ったとしても、二十日は持ちこたえられる。
合わせて三十日も稼げば、豊臣公の援軍も到着するであろう。
こちらのことはともかく、宗茂は立花山城を守って、豊臣公の援軍を待て。
わしがこの地に果てようとも、宗茂さえ無事ならば亡き道雪殿に対しても顔が立つし、宗茂の武運も開けよう。
行き来できるのも今日、明日までだ。もう二度と会うこともないだろう。」

同年七月二十七日、岩屋城落城、紹運以下、城兵七百余名玉砕。

立花家の家名存続のため、自分自身が捨て石になる覚悟をしている「強くて優しい父親・紹運」から「優秀な息子・宗茂」への最後の手紙。

いわやじょう





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2017年08月30日

高橋紹運の結婚!

九州・大友家にその人ありと言われた高橋紹運の人となりのわかるお話。

たかはし













高橋紹運がまだ若かった頃、兄・鎮理が紹運のために、斎藤鎮実の妹を嫁にする約束を斎藤家としてきます。
しかし、その後、合戦続きで、紹運の婚礼の儀が行われずにいました
しばらくして、毛利氏との戦いが一段落した折を見て、紹運は、斎藤鎮実に会い、婚礼が遅れたことを詫び、「お約束通り、妹ごを妻に迎えたく存じます。」と鎮実に告げた。
しかし、どうしたわけか、斎藤鎮実は、紹運のその申し出に対し、浮かぬ顔で、
「たしかに貴殿の兄上とそのような約束をしたが、妹はその後天然痘を患いふた目とみられぬ醜女となった。とても貴殿の妻女にというわけにはまいらぬ。」と言います。
これを聞いて紹運は顔色を変えて鎮実に詰め寄り、
「思いも及ばぬことを聞くものです。斎藤家といえば、代々武勇の誉れの高い武人の流れであればこそ、兄者が拙者の嫁にと望んだのです。拙者と致しましても、色好みの浮いた気持ちで嫁にと望んでいたのではござらぬ。」と憤慨して答えました。
この言葉に、斎藤家の人達はおおいに感激したといいます。

その後、すぐに紹運は、斎藤鎮実の妹を妻に迎え、そして二人の間に生まれたのが、
後に、豊臣秀吉をして「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。」と言わしめた立花宗茂です。


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2017年08月29日

H29.8月28日の晩酌の肴!

昨日、どうしても食べたかった鯵の開き!

29-2

鶏肉を「オリーブオイル、ニンニク、塩」に数日漬けて、フライパンで焼いたもの。

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長男のお嫁さんが送ってくれた京漬物。

29-1

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今日も、敬天愛人の精神で頑張ります。


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2017年08月28日

昨夜の晩酌の肴!

昨夜の晩酌の肴は、「みょうがの田楽焼き」。

みょうがみそ


みょうがを軽く炙って、それに、「みそに、酒、砂糖、みりんを加えたもの」を塗るだけ。

私の出身地・青森県津軽地方では昔からある料理です。

最近、アルコールの抜けがいまいちなので、焼酎の水割りの濃度を薄めにして、クエン酸を入れて飲んでいます。

くえんさん


クエン酸を入れた日と、そうでない日の翌朝の目覚め感が全然違うので、効いていると思います。

それでは、今日も一日、敬天愛人の精神で頑張ります。


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2017年08月27日

減酒!

現在、私、毎日の晩酌の酒の量を減らすように努力しています。
というのは、友人が飲み過ぎて、緊急入院したからです。
健康には気をつけないといけません。

友人は、病院に担ぎ込まれた直後、気を失って臨死体験をしたそうです。
「あの世は綺麗なお花畑だった」とかはよく聞きますが、友人が見たあの世は「ジャグジーに赤鬼が入っていた」そうです。
そんな馬鹿な!

で、9日間ほど入院して、退院の日に、家で家族が待っていてもなかなか帰ってこないので、携帯に連絡したら、赤羽で飲んでいたそうです。
退院後、家に帰らず、真っ直ぐ赤羽に直行し昼酒だったとのこと。

あかばねーぜ1


入院中、最初のうちは絶食・点滴、後半、重湯とゼリーとハンペン、退院後、モツ焼き屋へ直行して、タン塩と生ビール。
生ビールを飲んでの一言:
「プハ〜!シャバの空気はうめぇなぁ〜!」
・・・だそうです。

ちなみに、その友人は、自称27歳の50歳の女性。(笑)


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2017年08月26日

気持ちを強く持つこと!

1942年8月から始まったガダルカナル島をめぐる戦いで、ラバウル航空隊は航空消耗戦に突入していった。
翌1943年に入ると、搭乗員、機材を多数失い疲弊し劣勢に追い込まれていく。

らばうる















当時、ラバウル航空隊に所属し、生存して日本に帰還した航空隊員は、
「出撃の前に『今日は帰れないかも知れない』『今度は俺の(死ぬ)番だ』などと弱音を吐いた隊員は大抵帰って来なかった。
私は『どんなことがあっても生きて帰還する』と出撃のたびに心に誓ったので、生き永らえることができた。」と話している。

気持ちを強く持つことは大事です。


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2017年08月25日

昨日の晩酌の肴!

ゴーヤの漬物。
「にんべんのつゆの素」を三倍に薄めて、漬けておくだけでOK!
「にんべんのつゆの素」が甘過ぎずに、いいです。
苦みがほどよく抜けます。
茹でると歯ごたえが無くなるので切ってそのまま漬けた方がいいです。
ほろ苦い初恋の味?(笑)
ビールの肴に最高です!

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金沢のお土産・車麩の卵とじ。

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冷やしキャベツ。

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このタレは、「冷やしキャベツ」にも、「肉野菜炒め」にも、「焼きそば」にも合います。
しょっぱいので、少量でOK!

今日も一日、がんばります!


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itagakishika at 07:04|Permalink

2017年08月24日

広田弘毅!

広田弘毅は、極東国際軍事裁判(東京裁判)では文官として唯一A級戦犯として絞首刑になった人物です。
外交官として、中国、イギリス、アメリカに駐在していた期間が長く、国際感覚をもった人物。
広田が戦争に積極的に関与した事実はほとんどありませんでしたが、天皇陛下や広田自身と関わった周囲の人間に累を及ぼすことを心配して、裁判では無罪を主張せず沈黙を続けました。
アメリカ人弁護人・ジョージ山岡も日本人弁護士・花井忠も、
「軍部のすることに文官は口出しできなかったことを説明し、無罪を主張するべきだ!」
「今のまま、あなたが黙っていると危ないです。あなたが無罪を主張し、本当の事を言えば重い刑(死刑)になることはないのですから・・・。」
と、どんなに勧めても、
広田は「高位の官職にあった期間に起こった事件に対しては喜んで全責任を負うつもりです。」と話し、他には何も語ろうとしませんでした。
結果、東京裁判では、11人の裁判官中3人(インド、オランダ、フランス)が無罪、2人(オーストラリア、ソ連)が禁錮刑を主張しましたが、絞首刑という判決がでます。
(オランダのベルト・レーリンク判事は「広田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは疑う余地が無い」と明確に無罪を主張している。)

ひろたこうき1


広田とは対照的に軍部に責任を擦り付ける発言に終始した木戸幸一は終身刑。(後に、仮釈放)
広田の裁判における姿勢について、木戸は「立派ではあるけれども、・・・・・・、つまらん事だと思う。」と話したとされています。


広田弘毅は職は文官ではありましたが、精神は武人だったのだと思います。
なお、広田の妻・静子は「国粋団体の幹部を親に持つ自分の存在が夫の裁判に悪影響を与える。」と考え、東京裁判開廷前に自殺しています。
静子さんも、また、武士の妻です。


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2017年08月23日

黒澤丈夫村長!

マスメディアでは報道されませんでしたが・・・。

昭和60年8月に日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山のある群馬県上野村の当時の村長・黒澤丈夫氏は、大戦中は、海軍兵学校63期卒の零戦隊隊長(終戦時は、第七十二航空戦隊作戦参謀)でした。事故発生後、黒澤村長は、テレビに映し出された墜落現場の山を見て「本谷(神流川の源流)の国有林の中の植林地だ!」と直感し、自衛隊などの救助隊、報道陣などが集まってくるのを想定して、多くの食料品、水、宿泊所などの手配や、事故現場の近くの木を伐採して土をならしヘリコプターがタッチできる場所の造成をするなど、迅速で適切な対応をしました。これらは、黒澤村長の軍隊での経験があったからです、

黒澤丈夫村長:
「戦争はね、私の人生の一部分でしかない。しかし、人間・黒澤丈夫を作ってくれたのは海軍です。我々は、大和民族の歴史の中で一番大変な時期を生きてきた世代、それが年とって隠居して、黙ったまま死んでいっていいのか。最後まで、自分が体験しつつ学んだことを次世代の人に語り継ぎ、教えとして残すのが我々の使命だと思いますよ。」

くろさ1

くろさ2
























黒澤丈夫氏の名言:
リーダーに必要な三点!
1. 私心がないこと。
2. やる気があること。
3. 指揮統率力があること。

・・・・・・。

大日本帝国軍人にはすごい人がいっぱいいます。
そういう人達を紹介するのは、私の役目かも・・・。


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2017年08月22日

玉砕の島!

アルピニスト野口健さんが次のように話しています。

「太平洋戦争の遺骨収集を始めてからわかったのですが、フィリピンでも、沖縄でも、どこでもそうなのですが、遺骨が多数発見される場所というのが、だいたい高台の海が見えるところなのです。そして、その海の先を磁石で調べてみると、日本の方向なんですね・・・。 」

・・・・・・。

最後は、祖国に向かって一礼し、故郷の家族に別れを告げてから自決されたのでしょう・・・。

いれい

ぎょくさいのしま

戦後72年が過ぎ、月日の流れとともに、多くのことが風化しつつあります。

多くに日本人が、祖国・日本を守るために命を捨てて戦ったことを、私達は絶対に忘れてはいけません。


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板垣 正弘

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